五十八話:恐ろしい毛玉の怪物
車の中が涼しい。
まだ5月だというのにここ数日、いわゆる真夏日というやつが続いている。
そんな炎天下でじっと車を待っていたものだから、少しばかり疲れてしまったみたいだ。
自分の部屋で待っていればよかった。
でも、それはそれでそわそわして、結局外に飛び出してしまっていたかもしれない。
というのも、今から向かう先は咲の入院している病院だからだ。
ようやく諸々の手続きを終え、今日、月城さんの家に咲を移送することになった。
僕と如月さんが月城さんの屋敷へ引っ越すのは1週間後だけど、それでも同じ屋根の下でいつでも咲の顔を見られる生活が近づいていて、どうにも落ち着かない。
ちなみに引っ越しについて、如月さんからの反対はなかった。
反対がないというか、大賛成というか……
『お金持ちの家で衣食住の面倒を見てもらえるなんて最高じゃないか』とのことだ。
一緒に暮らして気づいたことだけど、あの人はオンオフの切り替えが恐ろしくはっきりしている。
仕事中はあんなにしっかりしているのに、日常生活は『怠惰』のひと言に尽きる。
食事は適当、服は脱いだら脱ぎっぱなし。
最初に訪れた時、部屋が空っぽだったのは、ミニマリストだからとかではなく『片付けるのが面倒だから』だ。
なにも無ければ掃除の必要もない。
魔法で清潔に保てば問題ない。
だそうだ。
そういうわけで、現状、家事のほとんどを僕と月城さんで分担している。
なんとなく咲がテスト前で忙しかった時を思い出して、如月さんの分まで僕が世話を焼いてしまっているだけなのだけど。
その役割をこれから月城さんの使用人さんたちに任せるのは、少し申し訳ない気がしなくもない。
そんなことを考えながら涼んでいるうちに、車が病院の敷地にたどり着いた。
これといって特徴のない乗用車で、車に詳しくない僕なんかは『青い車だね』ぐらいしか言うことがない。
宇宙警察っていうのはヒーローみたいなもんなんだから、もうちょっとこう……
例えば空を飛んだり変形したり、特別な機能のある車に乗っているのかと少し期待していたのだけれど、どうやらそういうわけでもないらしい。
「さあ、咲が待っていますわ」
車を出ると、月城さんが僕の手を引きながらそう言った。
最近、外に出かける時はいつもこうだ。
それはさすがに変じゃないかとクレームをつけたことがあるけれど、『子供を連れ歩くのに、手を繋がない方が不自然でしょう?』と、よくわからない理屈で返されてしまった。
そういうものか?絶対違う気がするんだけど。
でも、この人がこういうよくわからないことを白々しく言う時は、譲る気がない時だ。
無駄な抵抗はやめるのが賢明な判断だと言えるだろう。
「おい、ヒヨリ」
「ん?ピューイさん、どうしました?」
「お前、鈍ってんじゃないか?」
なんのこっちゃ。
そう思っていると、ピューイさんがポーチから『伝説の斧』を取り出した。
ピューイさんでも軽々持てるあたりが、あの斧のすごいところだよね。
で……なにをするつもりだ。
「そいっ」
ピューイさんは斧をくるくると振り回すと、僕の『影』に石突を叩きつけた。
「にゃげっ!」
その瞬間――変な悲鳴をあげて、影から少女が飛び出してきた。
……なんで?
「……どうしたんです?この子はいったい?」
車で待機している予定だった朝霧が、異変を察して駆けつけてきた。
いや、どうもこうも、白峰さんだよね……?
金色の髪を腰まで伸ばした……ちっちゃい月城さんみたいな少女。
頭を抱えてうずくまっているのは、どう見ても昨日学校で会ったばかりの白峰さんだ。
「わからんピュイ。見たかんじ、もしかすると都市伝説系の怪異かもしれん。『メスガキ』とか」
「『メスガキ』ですか?どんな怪異か想像つきませんが……」
うん。月城さんは想像つかないよね。
そんなのが本当にいるとしたらえらいことだ。
いや、ピューイさんがこんなことを言うってことは、実在するのか……?だったらやだなぁ……
「いや、この人は学校の同級生で、怪異とかじゃないと思うんですけど……」
「その同級生が、なーんでお前の影の中にいるピュイ?」
そう言われてしまうと、なんとも言いようがない。
当の『白峰さん』は黙り込んで、うずくまったままだ。
四方から視線を向けられて、震えているようにも見える。
「な、なんなのよ、その化け物……」
化け物?
ん?
ああ、もしかしてピューイさんのことだろうか?
そういえば、ピューイさんはどう見ても人間じゃない。
僕はすっかり慣れてしまったけど、白峰さんから見たら、よくわからない毛玉の怪物が斧を振り回しているように見えても仕方ない。
仕方ないというか、まんまそうなんだから。
だからって怖いかと言われると、そこは意見の分かれるところかもしれない。
普通の女の子は『かわいい』と感じそうなものだ。
『伝説の斧』でしばかれたという前提がなければ。
というかそもそもピューイさんは普通の人間からは姿が見えないはずだ。そうだとするとやっぱり白峰さんは怪異かなにかなのかもしれない。
『メスガキ』ではないことを祈るけど、少なくとも影の中にいたのは事実なわけで。
「あの、白峰さん。この人はピューイさんと言ってですね……」
「あんたもよ!化け物の仲間なんでしょう!?」
だめだ、話にならない。
白峰さんはひどく興奮していて、僕を睨みつける目がなんか赤い。
昨日見た時は青かったはずの目が、まるで血のように赤く染まっている。
興奮すると目が赤くなるって、吸血鬼じゃあるまいし。
こんな炎天下で、ねぇ。
「まあまあ、落ち着いてください。白峰さん……でしたか?」
「あ、はい……ごめんなさい。白峰です。白峰愛理朱……です」
月城さんに声をかけられると、白峰さんはさっきまでの剣幕が嘘のように大人しくなってしまった。
ええー……なんで?




