五十三話:エースで4番の松江くん
困っている。
これまでの人生で一番困っている。
もしかすると人生最大のピンチというやつかもしれない。
「その、お付き合いというのは、こう……いわゆる恋人的な?」
目の前の少年は、僕を人気のない校舎裏まで呼び出して、顔を真っ赤にしながら『付き合ってほしい』と言った。
ほぼ確認するまでもないことだけど、万が一ということはある。
買い物に付き合ってほしいとか、練習に付き合ってほしいとか。
別の意味である可能性が、あるかもしれない。
「……ああ。俺の恋人になってほしいんだ」
なかった。
たった今、男らしく愛の告白をした坊主頭の少年は、野球部の松江くん。
松江くんはエースで4番。
私立明葉学園小学校はスポーツ全般に力を入れていて、野球部もかなりのレベルだというから、なかなか将来有望なスポーツ少年だと言える。
そんな彼が、いまかいまかと僕の返事を待っている。
「……なんでまた」
「なんでって、俺……佐倉のこと練習中にずっと見てて……かわいいなって思って……」
なんだかおかしな聞き方になってしまった。
そんなおかしな質問にも松江くんは真摯に答えてくれる。
きっといい奴なんだろう。
サッカー部と野球部は同じ校庭で練習しているから、クラブ活動中の僕を見ていたということらしい。
でも、僕がサッカー部で活動を始めてからまだ2週間ぐらいだ。
『ずっと』と言うには少し短いような気がするが……いや、それは大人の感覚だからかもしれない。
自分が子供の頃を思い返せば、2週間というのは結構な期間だ。
あの頃はたった1か月程度の夏休みだって、永遠に続くかのように感じられていたものだ。
クラス替えをしてから友達になるまでだって、数日もあれば十分だった気がする。
なので、彼の気持ちをインスタントなものだと軽視するのは誠実な態度とは言えないだろう。
でも、できれば練習中は練習に集中してほしい。なるべくならそうしてほしい。
エースで4番の松江くんは、みんなの期待を背負っているんだから。
――ふと、気配に気づく。
フェンス側の木陰に何人もいる。
野球部に違いない。こんなところでも期待を背負っているのか、松江くんは。
というか、気配以前にこちらから丸見えの子もいて、『がんばれ』みたいな感じで気合いの入ったポーズをしている。
がんばらないで。
どうすれば彼を傷つけずにこの場を切り抜けることができるか、それが最大の問題だ。
あまりにも経験のない状況すぎて、なにをどうすればいいのか皆目見当がつかない。
そういえば、月城さんの作ったマニュアルに『放課後呼び出されて告白された時の対応』のページがあったはずだ。
どうしてちゃんと読まなかった。冗談だと思ったのか?
ごめんなさい、月城さん。
僕が間違っていました。
そうやってくだらない懺悔をしている間も、松江くんは僕をじっと待ってくれている。
真っ赤な顔をして。それでも返事を急かすようなことはしない。
僕が答えを出すまで、黙って待つつもりらしい。
なんて男らしいんだ、松江くんは。
ああもう、こうなったら仕方ない。
傷つかない恋愛なんてないんだと示すのも大人の役割だ。
「ごめんなさい。そういうの、私まだわからなくて……」
当たり障りのない言葉で逃げることにした。
ごめんね。本当にごめんね。
「そ、そっか……」
そう言ってうつむいた松江くんは、涙を流さなかった。
さすがはエースで4番の男だ、強い。
「そ、それじゃ……これで!」
僕はそんな強い男の前から、逃げるように立ち去るしかなかった。弱いからだ。
肩越しに、鼻をすする音が聞こえた。
聞こえなかったことにする。
「あ……ひよりちゃん。大丈夫だった?」
成瀬さんが心配そうに声をかけてくれる。
そういえば、クラブ活動の終わり際に呼び出されたのを、彼女に見られていた。
校舎裏に呼び出されて、いじめられるとでも思ったんだろうか?
ありがとう!成瀬さんは優しいね!
でもそうじゃなくてね!
あー、だめだ。
テンションがおかしい。でもしょうがないじゃないか。
エースで4番の野球少年に告白されて、それを断ってきたばっかりなんだぞ。
「大丈夫だよ。ぜんぜん大丈夫だよ」
「そ、そう……?よかった。なんの用だったの?」
「なんの……」
こういう時はなんて言えばいいんですか。
『松江くんに告白されたけど断ったの』じゃないことだけは確かだ。
少なくとも、彼の勇気ある告白をさらし者にするのはよろしくないだろう。
結構な人数の見学者がいたから、明日には野球部どころか学校中の知るところになるとしても、だ。
これは月城さんのマニュアルにもなかったんじゃないかな。
誰か教えてくれませんか。
「なんでもないよ」
成瀬さんはなんとなく察したのか、それ以上の追及はしないでくれた。




