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四十七話:それじゃ、おやすみ

「……ただいま帰りました」


『魔王の城』――もとい、如月さんのマンションのドアを開けると、僕は小さくそう言った。


伊吹さんの車から降りてここまで歩いてきただけなのに、ひどく長い道のりだった気がする。

なんだかんだで伊吹さんはマンションのすぐ前まで送り届けてくれたから、大した距離ではないのだけど。


身体中が痛い。

手足が特に痛いけど、肩と背中でも、遅れてやってきた痛みがずっと自己主張している。


「日向さん?」


姿を見せたのは、月城さんだった。

どうやら先に戻って、僕を待っていてくれたらしい。


彼女は僕の顔を見るなり、頬の傷に気づいたのか、目を丸くした。


「まあ!大変ですわ!顔に傷が……」


「あ、いえ、これは別に……」


そう言い終える前に、月城さんは慌てて僕の手を引き、リビングに向かおうとする。

けれど、今一番痛いのはどちらかというと顔より手足の方だ。もしかするとヒビが入っているかもしれない。


「つっ……」


引かれた手に激痛が走り、思わず苦痛の声が漏れる。

それだけで察したのか、月城さんの表情が変わる。


「……失礼しますわ」


「え?」


次の瞬間、身体がふわりと浮いたと思うと、月城さんに軽々と抱き上げられていた。


いや、軽々にもほどがある。

今の僕は小学生の女の子の身体とはいえ、それでも人間一人分の重さはあるはずなんだけど。


ああ、これはあれか。片山が使っていた、身体能力を強化する魔術か。

筋力が三倍になれば、小柄な僕の身体なんて大した負荷ではないのだろう。


理屈としては理解できるんだけど、これはどう見ても、いわゆるお姫様抱っこだ。

人生初の体験に、なんとも言えない気持ちになる。


ただ……強ばっていた身体の力が抜けると、なんというか、あたたかくて心地いい。


「おやおや……お疲れ様のようだね。大丈夫かい?」


リビングに入ると、自室から如月さんが顔を出した。

くつろいでいたのか、少しラフな格好をしている。


月城さんは、僕を抱えたまま如月さんを睨む。


「『大丈夫かい?』じゃありませんわ!こんなになるまで……!」


「戦いってのはそういうものだよ。私だって死にかけたことぐらい何度もある」


「そんな理屈で……!」


「それより、治療してあげた方がいいんじゃないかな。できるんだろう?」


「そ、そうですわ……!」


月城さんは、はっとしたように頷いた。

そして、そのまま僕を抱えて僕の部屋に向かう。


僕の傷に響かないように慎重に運んでくれるのがなんだか心地よくて、ひどく眠い。



部屋に入ると、月城さんがそっとベッドに寝かせてくれる。


僕に与えられた部屋は、元々使われていない殺風景な部屋だったのだけれど、今はひどく可愛らしく飾り付けられていた。


可愛らしいふかふかのベッドと、小さな花の模様があしらわれたクッション。

白い洋服ダンスになんだかメルヘンチックな椅子と机。


他の調度品もフリルやレースがあしらわれていて全体的に可愛らしく、ついでに言うと高そうなもので揃えられている。


もちろん、これは月城さんの仕業だ。



月城さんがベッドの横に腰を下ろし、僕の手を握る。


「痛む場所を教えてくださいね」


「えっと……足と、手首と、肩と背中ですかね。あと、たぶん全身が痛いです」


「全身……ですか」


月城さんの表情がさらに険しくなった。


「無茶をしすぎですわ」


そう言って月城さんは目を伏せると、僕の手を両手で優しく包み込んだ。

しばらくすると、あたたかい光が広がる。


光は指先から腕へ、胸へ、背中へ、足へと染み込んでいく。

すると、痛みが、少しずつ遠のいていった。


月城さんの回復魔術は、以前にも使ってもらったことがあるけれど、あの時は気を失っていたから、初めての感覚だ。


「……ふう」


しばらくして、月城さんが息を吐いた。

額に少し汗が滲んでいて、その消耗具合がうかがえた。


「今日できる治療はここまでですわ」


「ありがとう……月城さん」


「うっ……」


お礼を言って起き上がろうとした瞬間、背中と肩に鈍い痛みが走り、苦痛にうめいた。

邪界獣に殴られたダメージは、思った以上に深かったのかもしれない。


「無理はいけません。まだ完全ではありませんわ。明日の朝、また治療しましょう」


「……はい」


そう言われて、大人しく横になる。

今は月城さんの言うことを聞いた方がいい。というか、聞かざるを得ない。


その時、部屋のドアが軽く叩かれた。


「終わったかい?」


そう言うと、如月さんが部屋に入ってくる。


「ええ。月城さんのおかげで、かなり楽になりました」


「それはよかった」


如月さんは、ベッドのそばまで来ると、僕の顔を覗き込む。

妙に真剣な目をしている。


「……それで、どうする?」


「どうする、とは……?」


「『まだ続けるのか』ってことさ」


如月さんが、静かに言う。

続けるというのは、魔法少女としての活動のことか、それとも……


「どちらもだよ。今日は結構な痛い目を見たようじゃないか」


「あ……はい」


確かに、痛い目を見た。


一歩間違えれば、こんなものでは済まなかったかもしれない。

邪界獣の攻撃をもう一度食らっていたら、たぶん今ここにはいない。


『孤独のソリタス』の衝撃波を避け損ねていても、同じことだ。


「あのね、日向さん」


如月さんは、少しだけ声を柔らかくした。


「私は確かにあなたに協力を要請したけれど、何もかも背負ってほしいなんて思っていないんだよ」


その言葉に、僕はすぐには返事をできない。

僕の手を握る月城さんの力が、少しだけ強くなった気がした。


如月さんはさらに続ける。


「あなたは協力者だ。けれど同時に、守るべき市民であることに変わりはないんだからね」


「……すみません」


謝ると、如月さんは小さく肩をすくめた。


「謝ってほしいわけじゃないさ。ただ、忘れないでほしいだけだよ」


忘れないでほしい。

その言葉が、妙に胸に残った。


だけどこの活動は、たった一つの道しるべだ。

『続ける』以外の選択肢なんてありえない。


「まぁいいさ」


如月さんが、いつもの調子に戻る。


「決意は固いみたいだし、協力してくれるに越したことはない」


「……いいんですか?」


「いいとも。正直、助かっているからね。こちらとしても、あなたがいるのといないのとでは選択が大きく変わってくる」


そう言ってから、如月さんはちらりと月城さんを見た。


「でも、さっきからずっと君の手を握っている『お嬢様』の気持ちも、少しは考えてあげるといいんじゃないかな」


「え……?」


はっとして、僕も月城さんの方を見る。

月城さんは僕の手を握ったまま、驚いたように如月さんを見ていた。


確かに。


月城さんとはお互いに協力することを約束しているけど、実際には僕が助けられてばかりだし、今回だってそうだ。

もし月城さんがいなかったら、一か月や二か月は病院暮らしだったかもしれない。


魔術というものの仕組みを正確に把握しているわけではないけど、相応の負担があるのは間違いないはずだ。


月城さんにとって、僕は『大切な親友』に繋がる大きな手掛かりだから、失うわけにはいかないだろうけど……

だからって月城さんのサポートをあてにしすぎるのは良くないと思う。


「……すみません、月城さん」


「いえ……」


月城さんは、少しだけ視線を伏せた。


「私は、ただ……」


そこまで言って、月城さんは言葉を止める。


「いずれにせよ、だ」


如月さんが、軽く手を叩いた。


「宿題のことは諦めたまえ。今日はそのまま休むといい」


「いや……でも……」


それは、少し困る。


転校の初日から、宿題を忘れたうっかり転校生になりたくない。

咲とそっくりな姿をしているからには、人から後ろ指を指されるようなことはしたくないのだ。


なので少し休憩したら宿題に取り掛かろうと思っていたんだけど……


「できれば宿題だけは終わらせてから眠りたいんですが……」


「ダメだよ」


如月さんは即答した。


「あなたは今、自分で思っているよりずっと疲れているんだよ。心身ともにね」


「それは……」


言い返せない。

月城さんを見ると、彼女も静かに頷いていた。


確かに精神的にも無視できない疲労感がある。

化け物を相手に命のやり取りなんて、普通は滅多に味わえない経験だろうから、当たり前なのだけど。


「それじゃ、おやすみ」


そう言うと、如月さんが何かを呟いた。

聞いたことのない言葉だ。


その響きが耳に届いた瞬間、急にまぶたが重くなる。


……なんだかとても眠い。

さっきから感じていた眠気とは違って、抗いようのないなにかが、意識を奥底へと引きずり込んでいく。


「ゆっくり眠れるおまじないさ」


如月さんの声が遠くに聞こえて……それが、その日の最後の記憶だった。

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