四十五話:鎖
斧の刃が食い込んだ部分を中心に、鎧に大きな亀裂が走った。
次の瞬間、金属の破片が弾け飛び、ソリタスの身体が鎧の破片をまき散らしながら、後方へ吹っ飛ぶ。
「ひゃああああああっ!?」
情けない悲鳴を上げながらソリタスが宙を舞うと、空中でくるりと器用に回転し、軽い足取りで地面へ着地する。
「あれぇ?いつもの子と違いますよね、どうしてですかぁ?」
「追撃だピュイ!邪界魔法を使う隙を与えるなピュイ!」
「はい!」
ピューイさんの声に従い、地面を蹴る。
そして再度ソリタスに肉薄し、斧を振るう。
「おっと」
ソリタスの身体がふわりと揺れ、刃が空を切る。
さっきの動きといい、目の前の邪界人は、情けなく見えても間違いなく化け物だ。
ソリタスの目が、薄く光る。
嫌な予感がして横へ飛びずさると、次の瞬間ソリタスが手を振った。
すると、さっきまで僕が立っていたあたりの地面が、音を立ててえぐれた。
「わお……」
なんだあれ……食らったら即死どころじゃない。
この小さな身体では、跡形も残らないかもしれない。
「ひどいですよぉ……」
ソリタスが、砕けた鎧の破片を見つめながら、涙目で言う。
「この鎧はね、主の居なくなった家を、独りで守り続けていた、かわいそうな子なんですよ……それを壊すなんて……」
「ちっ、ヒヨリ!態勢を整えるピュイ!」
舌打ち混じりの指示が飛ぶ。
僕はピューイさんの声に従い、一度距離を取った。
「ヒヨリさんっていうんですねぇ」
そう言って、ソリタスがへらへら笑う。
気色悪い笑みだ、なにを考えているのか理解できない。理解したくもないけど。
「ボクは邪界五厄衆で一番弱くて情けない、『孤独のソリタス』です。仲良くしてくださいね」
「遠慮します」
冗談じゃない、仲良くする相手ぐらいは自分で選びたい。
「そんなこと言わないでくださいよぉ……キミとボクは、絶対仲良くできるんだから……」
「耳を貸すなヒヨリ!邪魔力が高まっているピュイ!」
ピューイさんの声に、再び地を蹴り加速する。
僕の武器はこの斧と速度だけだ。魔法なんて使われたらたまったものじゃない。
「もう遅いですよ?」
斧を振り下ろそうとした瞬間、足元に散らばっていた鎧の破片が浮き上がった。
いくつもの金属片が、僕とソリタスの間に壁のように立ち塞がる。
まずい……この速度で突っ込めば、僕の方がただでは済まない。
無理やり身体をひねり、軌道をずらす。
頬のすぐ横を鎧の破片がかすめ、避けきれなかった破片が頬に一筋の傷をつける。
「捨てられしものよ」
ソリタスが、両手を広げた。
その声に合わせるように、散らばった鎧の破片が黒い靄に包まれていく。
「『孤独』の名において魂を与える」
空気が重くなる。
静まり返った街角に、誰かの泣き声のような音が混じった気がした。
「邪界魔法――『孤影身顕現』」
鎧の破片が、一斉に集まった。
砕けたはずの金属片が黒い靄で繋がり、人型を作っていく。
さらに、人型は膨れ上がり、鉄でできた巨人が完成する。
巨人はぎぎぎ、と嫌な音を立てながら両腕を広げ、空洞の兜の奥に赤い光が灯った。
明らかに質量が増加している。
4メートルはあるんじゃないか?
というかさっきまで鎧だけだったのに、魔法ってのはなんでもありなのか。
巨人が奇怪な音を響かせながら、突進してくる。
金属が軋む音と、人のすすり泣きが混ざったような、聞いているだけで胸の奥がざわつく音だ。
「ああ、やっぱり……すごい子が生まれました」
ソリタスが恍惚とした声を漏らす。
「ヒヨリさんのおかげですよ。ボクより寂しそうな人を初めて見ましたからねぇ。ありがとうございます」
「……クソ野郎」
ピューイさんが、低く呟いた。
なるほど。
孤独がこいつの力の源なら、僕はまさにうってつけということか。
妻を失い、ただ一人の娘である咲は病室で眠ったままだ。
自分がどれだけ孤独なのか、そんなことは僕自身が一番よくわかっている。
わかってるよ。
邪界獣の腕が振り下ろされるより早く、懐へ潜り込み、斧を振るった。
斧の刃が、邪界獣の脇腹を大きくえぐる。
金属が弾け、黒い靄が噴き出した。
「なっ!?」
ソリタスの目が見開かれる。
「この斧は、ちょっとすごいんですよ。覚悟してくださいね」
僕は斧を握り直す。
この斧は、伊吹さんからの借り物だ。
なんでも、異世界で一緒に戦った仲間の使っていた『伝説の武器』の一つだとか。
軽くて誰でも扱えるのに、並の武器より遥かに破壊力がある……らしい。
あまりピンときていなかったけれど、その破壊力はたった今実証された通りだ。
今の僕には最適の武器だと言えるだろう。
巨人がさらに腕を振るうと、容易く地面が砕け、衝撃で足元が揺れる。
でも遅い。
その隙に、僕は邪界獣の背後へ回り込み、膝裏にあたる部分へ斧を叩きつけた。
金属が割れ、邪界獣が耳障りな悲鳴をあげながら膝をつく。
「やめてくださいよ……」
ソリタスが、泣きそうな声で言った。
「ボクと友達になりましょう……?そしたら寂しくないですから……」
「お断りします」
「どうして……?」
ソリタスの声が震えた。
「どうして、みんなボクを拒むんですか……?ボクは、ただ、寂しいだけなのに……」
また空気が変わった。
「本当は、こんなことしたくなかったんですよ……友達を縛るなんて、寂しいじゃないですか」
「ヒヨリ、離れるピュイ!」
ピューイさんの声に従って咄嗟に離れようとするが、遅かった。
「邪界魔法――『孤独の鎖』」
ソリタスの足元から、黒い影のようなものが伸びると、僕の足首に絡みつく。
「ぐっ……!」
身体が重くなる。
いや、違う。重いのは身体だけじゃない。
胸の奥が、急に冷たく沈んでいく。
腕が、脚が動かない。
「なっ、なんだピュイ!?」
ピューイさんの声が、遠くに聞こえる。
どうして僕だけが。
たった独りで。
「寂しいですよね」
ソリタスの声がする。
「辛いですよね」
そうだよ。
妻を失ったあの日。
咲が目を覚まさなかったあの日。
独りで眠る、冷たい夜。
寂しくないわけ、ないだろ。
次の瞬間、鉄の巨人の拳が、僕の身体を横から殴りつけた。
「がっ……!」
視界が揺れる。
身体が宙に浮き、地面に叩きつけられ、肺の中の空気が一気に吐き出された。
「せっかく友達になれると思ったのに、残念です……」
ソリタスが、悲しそうにこちらを見下ろしている。
「さよなら……」
邪界獣が、両腕を振り上げた。
黒い靄をまとった拳が、僕の頭上に影を落とす。
さよなら……だと?
その瞬間、咲の顔が浮かんだ。
眠っている咲ではない。
いつかの食卓で、僕の作った料理を食べていた咲だ。
あまり上手じゃないはずの料理を食べて、美味しいと微笑んだ。
寂しい。
ああ、寂しいとも。
だからなんだと言うのか。
「……ナメるなよ『孤独のソリタス』」
邪界獣の拳が振り下ろされる。その直前、僕は地面を蹴っていた。
「え……?」
さっきまで僕がいた場所に、鉄の拳が叩きつけられた。
ここからは全力だ。
『器用さ』で抑えていた速度を限界まで引き出す。
制御を誤ればただではすまないことはわかっている。
でも、人の心を弄ぶこの外道を……許すわけにはいかない。
「どうして、動けるんですか……?」
「僕の孤独が力の源なら、お前に勝ち目はないんだよ!」
邪界獣へ向かってさらに加速する。
襲い来る拳を潜り抜け、斬撃を叩き込む。
まずは右腕。
次は左腕。
両腕を失った鉄の巨人が、先ほどよりも激しい悲鳴を上げる。
「なんでぇ……!?寂しくて、動けないはずなのに……!」
「お前にはわからないよ」
僕自身の孤独なんかで、僕は止まらない。
そんなもので歩みを止めたりしない。
それが父親だってことだ。
うずくまっている暇なんて、あるものか。
僕は、咲を守らねばならないのだから。
「……鎧砕き」
光を帯びた刃を、鎧の胸に叩きつける。
発生した衝撃が鎧の内部を駆け抜け――断末魔の悲鳴が街角に響いた。
鉄の巨人は砕け散り、黒い霧が虚空に漂う。
「そんなぁ……!」
ソリタスが情けない声を上げる。
「よし、浄化するピュイ!ヒヨリはソリタスを殺るピュイ!」
「わかりました!」
ピューイさんが飛び上がってくるくる回る。
困っているときの曖昧な回転じゃなくて、力強く。
幻想的な光があふれ、鎧の破片に降り注ぐ。
あとは任せてよさそうだ。
ソリタスへ向き直って斧を構え直すと、ソリタスは涙目で一歩後ずさる。
「いやぁ……そうはいかないですよ。今日はこれで失礼しますね」
そう言った瞬間、ソリタスの身体がふわりと浮いた。
空へ逃げるつもりか。
まずい。
地上ならどこに逃げたって追いつけるけど、空を飛ばれればどうしようもない。
なら、逃げられる前に……!
「アックスブーメラン!」
スキルが発動すると、手の中の斧が淡く光り、僕の手から放たれた。
回転する斧が、空へ逃げようとするソリタスへ一直線に襲い掛かる。
「えっ、ちょっ、待っ――」
斧が直撃し、ソリタスの腕を吹き飛ばす。
「ぎゃああああああっ!」
悲鳴が響き、斧は弧を描いて僕の手元へ戻ってきた。
どういう原理かはわからないけど、便利な技だ。
ではもう一度。
「くそぉ……もう友達になってあげないからな……」
そう言った直後、ソリタスの姿が煙のように虚空に消える。
「消えた……?」
「……ちっ、逃げられたピュイ」
ピューイさんが、悔しそうに舌打ちした。
砕けた鎧の破片は、光の中で少しずつ形を失っていく。
静まり返った街角に、僕の荒い息だけが響いていた。




