第二十四話:月城澪と日向咲
幼い頃、この世界は私のためにあるんだと思っていた。
だって、私は世界的に影響力を持つ月城財閥の一人娘で、誰もが私のことを誰よりも可愛いと言ってくれたから。
何を言っても、何をしても許された。だって、世界は私のためにあるんだから。
誰もが私と仲良くなりたくて寄ってきた。学校の先生だって、私に気に入られるためになんでもしてくれた。
いつだって周りにはたくさんのお友達がいて、誰もが私を大好きだった。
でも一人だけ、私のそばに寄ってこない変な子がいた。
私と同じ制服を着ているけれど、なんだか薄汚れていて、同じ世界に住んでいるとは思えない子。
「ねぇ、あの子は誰?どうしてこの学校にいるの?」
ふと気になり、疑問を口にする。
「ああ、日向咲ですか?特待生だって話ですけど」
「母親がいないらしいですよ。だからでしょうか、あんなに薄汚れて」
「制服を一着しか持っていないという話もありますわ」
「あんなのを澪さんと同じクラスにするなんて、教師に抗議してきます」
お友達の口から次々に悪口が飛び出してくる。私はただ気になっただけなのだけれど。
「可哀想ね」
だから、助けてあげようと思った。
私とお友達になれば、あの子だって幸せなはずだから。
「日向さん、私とお友達になりましょう?」
日向さんが、ちらりとこちらを見る。
――ドキリとした。
これまで見たどんな宝石よりも綺麗な瞳だったから。
でもすぐに興味を失ったように、教科書に目を落とす。
「澪さんを無視するなんて、どういうつもり?」
「ちょっと勉強ができるからって、調子に乗らないで」
お友達が日向さんを口々に責める。
「いいのよ」
私はそれだけ言うと、『自分の世界』に戻った。だってこの世界は私のためにあるのだから。
でも、その世界はあっけなく崩れた。
お父様が亡くなって、すぐだった。
優しかった叔父様に全てを奪われたと、お母様が泣いていた。
そして私は、独りになった。
放課後、それまでたくさんの人がいた教室に独りぼっち。
それが私の世界になった。
「ねぇ、何かあったの」
そう言えば、もう一人いた。いつも一人で残って勉強をしている変な子。
私に起こったことを知らない、別世界の女の子。
「みんな、もう私に興味が無いの」
「ふぅん」
その子は興味を失ったように、教科書に目を落とす。あの日みたいに。
それがなんだか悔しくて、言葉を続けた。
「やっとわかったわ。私、嫌な子だったのね」
「そうだね」
「きっとみんな最初から私のことなんて大嫌いだったんだわ。お父様に気に入られたくて、そばにいただけよ」
「そう?それだけじゃないと思うけど」
「でも、私は現実に独りじゃない。何を信じればいいの?信じていた綺麗なものが全部嘘だったのに」
「全部?全部ってなにが全部?」
「私の周りの、全部よ!」
「バカじゃない?」
「……バカ?この私にバカと言ったの?」
「言ったよ、だってバカだから」
「だって、仲良しだったでしょ。あなたのそばで、みんな楽しそうに笑ってた!」
「だからそれは、お父様に気に入られようとして……」
「そんなの、わからない!」
バンッ!と、静寂の教室に破裂音が響いた。
彼女が、読んでいた教科書を机に強く叩きつけたのだ。
ガタッと椅子を鳴らして立ち上がった彼女が、こちらへ向かってずかずかと歩いてくる。
「人は、綺麗なだけじゃない、そんなのわかってる!でも、汚いだけでもない!」
突然激高した彼女に、気圧される。あの綺麗な瞳が真っ直ぐに私を睨みつけていたから。
「あなたのお父さんに気に入られたいって下心、そりゃあったかもしれないよ。だけど、居なくなってしまった人たちだって、あなたのこと……全部が嫌いだったなんてわけないよ、絶対違う!」
「だけど寂しいの……私はこうして独りぼっちじゃない……!」
「……なら、私と友達になろう」
あの日、無視したくせに。
「何言ってるのよ、日向さんは私のこと、好きじゃないでしょう」
「うん、好きじゃない」
「なら、友達になんてなれないわ」
「だけど、私の好きじゃないあなたが、あなたの全部じゃない。私の知らないあなたのこと、教えてよ」
「信じなくていいよ、ただ一緒にいるだけでいいよ。あなたが寂しくないって思えるまで、ここにいるから」
真っ直ぐに私を見るその綺麗な瞳から、もう逃げられなくて、視界がぼやけた。
「どうして泣くの」
「わからないわ」
「そっか」
「どうして……あなたも泣いてるの」
「わかんないよ」
二人きりの教室で、私たちは一緒に泣いた。
あの時、確信した。
『この子』なのだと。
世界は私のためなんかにあるんじゃない、日向咲のために存在するのだと。
――あれから数年が経った今。
私は無機質な病院の廊下で、冷たいガラス越しに病室を見つめていた。
ベッドの上では、意識のない咲が静かに眠り続けている。
私は帰るのだ、あの暖かい場所に。
咲のいたあの部屋に。
どんなことをしても。




