第二十二話:胸を張って
『パラッパッパー!』
早朝、頭の中で間の抜けたファンファーレが鳴り響いた。
その音で飛び起きる。やはり心臓に悪い……
ベッド脇の目覚まし時計に目をやると、時刻はまだ午前五時を回ったところだった。
「はぁ…………」
深く、重い溜息が漏れる。音の正体が分かったところで、睡眠を邪魔される迷惑さは少しも変わらない。もう少しだけ寝かせてほしかった。
昨日のあれこれで尋常じゃなく疲労しているし、本当なら今日は仕事を休みたいぐらいだ。だが、そういうわけにもいかない。
ベッドから身を起こそうとして、顔をしかめた。別に傷が治ったわけではないから、体中がバキバキに痛い。特に脚の痛みがひどい。
それでも普通に歩けていたのは、自分が『強く』なっているからだということなのだろう。
痛む体を引きずって身支度をしながら、ふと朝霧のことを考えた。
宇宙警察だと言っていたが、彼は警視庁の刑事でもあるのだろうか。でも公務員は副業ができないはずだし、宇宙警察というのは別枠なのだろうか?
正直なところ、気まずかった。彼も昨日はめちゃくちゃ落ち込んでいたし、一体どんな顔をして会えばいいのかわからない。
朝から暗い気持ちになりながら少しだけまどろみ、いつもよりかなり早めに家を出た。
会社の最寄り駅で降りると、改札を抜けた先に、見慣れたスーツ姿があった。
こんなに早い時間だというのに、爽やかなキラキライケメンの後輩が待っていたのだ。
「日向さん……!」
こちらに気づいた朝霧が駆け寄ってきて、勢いよく頭を下げた。
「昨日は本当に、すみませんでした……!俺の早とちりで、あんなことに……」
「いや、びっくりしたけどさ。地球を守るために頑張ってくれてるんだろ?」
心の底からの謝罪を口にする朝霧に、努めて明るい声で返す。
何より、あんなにも自分のために怒りを露わにしてくれた後輩を、今更恨んだりできるはずもない。
「今度は間違えないでくれよな」
「はい……!もちろんです!」
冗談めかして笑いかけると、朝霧はパッと顔を上げ、持ち前の爽やかな笑顔を浮かべた。
いつもの調子を取り戻した朝霧と共に、会社へと向かう。
二人とも早く着きすぎたせいで仕事の準備もすぐに終わってしまい、手持ち無沙汰になってしまった。そういえば昨日の騒動の件を、月城さんに何て説明しようかと頭を抱える。
まぁ……隠す必要のあることでもないし、ありのまま全部伝えればいいか、などと考えていた矢先だった。
「日向くん。ちょっと、いいかな」
上司から、静かな声で別室に呼ばれた。
「……本当に、すまない」
小さな会議室で、上司は深く頭を下げた。
告げられたのは、即日の解雇だった。
「上層部からの絶対の命令なんだ。うちの主要な取引先にも関わる話らしくて……私も限界まで掛け合ったんだが、どうにもならなかった……」
絞り出すような声には、深い悔しさが滲んでいた。
「恨んでくれていい……咲ちゃんのこともあるのに……本当に、すまない……」
会社の決定に逆らえず、何度も謝罪を繰り返す上司の目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
僕の家庭の事情を知り、いつも気にかけてくれていた。感謝こそすれ、恨みなんて、あるわけがなかった。
「……今まで、ありがとうございました」
静かに頭を下げ、会議室を後にする。
自分のデスクに戻り、私物の荷物をまとめていると、朝霧が血相を変えて飛んできた。
「日向さん、ど、どうしてこんなことに!?俺、ちょっと上に掛け合ってきます!」
「やめとけ」
慌てて飛び出そうとする朝霧の腕を掴んで止める。
「立場上、あんまり目立つわけにはいかないだろ?」
そう小声で諭すと、朝霧はハッとして唇を強く噛み締めた。宇宙警察としての潜入捜査中である彼が、余計な騒ぎを起こすわけにはいかないだろう。
「とりあえず、バイトを増やすなりなんなりするよ。今までありがとな」
俯いたままの朝霧にそう告げ、足早に会社を後にした。
病院にたどり着くと、そこには見たくもない顔があった。
咲の病室があるフロアの廊下のソファに、九条が優雅に腰掛けて待っていた。
「お早いお着きですね。会社をクビにでもなりましたか?」
ニヤニヤと嫌悪感を煽るような笑みを浮かべる九条を見て、確信する。
(やっぱり、こいつの仕業か……)
こちらの沈黙をいいことに、九条はねっとりとした声で言葉を続ける。
「いやはや、哀れなものです。ただでさえ安月給で、まともな貯蓄もないでしょうに。明日からの入院費や治療費はどうするおつもりで?」
「…………」
「母親もいない、父親は無職。いや、アルバイトでしたか?そんな不安定な環境で、咲を支えられるわけがない。あなたのそのつまらない意地のせいで、あの子の病状が悪化したらどうするつもりですか?」
チクチクと、親としての急所を的確にえぐるような言葉が投げつけられる。
それでも、相手の土俵に乗るまいと無言を貫いていると、九条は勝ち誇ったように鼻で笑った。
「定職にも就いていないような人間に、咲を預けておけるはずがありません。どうです?大人しく親権を譲るとサインするなら、あんなくだらない会社とは環境も待遇も違う、素晴らしい職場を紹介してあげてもいいですよ」
――くだらない会社、だと?
その言葉だけは、許せなかった。
僕の事情を知り、温かく接してくれた後輩や同僚たちがいる。最後まで涙を流しながら「すまない」と繰り返してくれた上司がいる。
あそこは、素晴らしい自分の居場所だった。それを『くだらない』だと?
それまで何を言われても受け流していた胸の奥底に、どす黒い怒りが灯るのを感じた。
九条が僕を煽り、暴力を振るわせようとしているのは明らかだ。そうすれば、何もかも九条の有利に事が運ぶだろう。
頭では分かっているのに、握りしめた拳から怒りが沸騰して吹き出しそうになる。僕の『力』が強くなっていると言うなら、それをこの男に叩きつけてやれば……
『胸を張れるか、誇れるかどうか。それは決して小さなことじゃない』
ふと――昨夜の、如月さんの声が脳裏をよぎる。
(……そうだ)
僕は咲の父親だ。正しいことをしているのだと胸を張れないで、娘を守るなんて……できるものか。
ゆっくりと拳の力を抜き、深く息を吐き出す。
そして、目の前の男に向けて静かに笑いかけた。
「咲のことは、僕がなんとかします。無関係な九条さんが心配されることではありませんよ」
それだけを言い残し、呆気にとられる九条を一瞥もせずに、咲の病室へと向かって歩き出す。
背後から、「くそっ」と忌々しそうにゴミ箱を蹴り飛ばす鈍い音が聞こえた。




