第百四十四話:悪魔のささやき
「おはようございます」
「あ、おはようございます」
『おはようございます』じゃないんだよ。
どうして澪が、僕のベッドの中にいるんだ。
それも、僕にぴったりくっついて。
目を覚ました瞬間、至近距離に銀色の髪と整いすぎた顔があった。
僕の腕に身体を寄せて、何事もないような顔をしている。
鍵をかけて寝たはずなのに!
「マスターキーがありますから」
「……ありますよね」
あるよね。
だってここ、澪の屋敷だもんね。
「それでは、私はこれで失礼しますね」
「あ、はい」
そう言うと、澪は何事もなかったみたいにベッドから出て、そのまま部屋を去って行く。
去って行った。
あああああーもおおおー!
なんなの!
心臓に悪すぎるし、その、ほら、ねぇ?
「おはーろー、元気してる?」
「なんすか」
今度は如月さんが、半分開いたドアからひょこっと顔を出した。
朝からなんだよー、こんな時に来るなよー。
わかってんだろーこのやろー。
「うんうん、わかってるよぉー」
「ならさっさと出てってくださいよ」
「ええー、やだぁー」
「でてけー!」
今はほんとに、一人にしてほしい。
頼むから。
「……そんなこと言っていいの?」
「なんすか……」
なんだ急に、真面目な声出して。
近づいてこないでほしいんだけど。
なにを企んでやがる、如月結衣。
「楽にしたげようか?」
「は」
「『は』じゃなくてさ。いい加減たいへんでしょ?」
「なに言ってんだあんた」
「なにって、わかってるくせにぃー」
楽しそうに笑いながら、少しずつ距離を詰めてくる。
「わかるよ。あんな綺麗なお嬢様に毎日あんなくっつかれたらさぁ、若い男の身体なんだから、持てあますよね」
やめろ、にじり寄ってくるんじゃない。
こっちはベッドから出れないんだから。
「はい、ドーン」
「ぐぇっ」
飛び込んできやがった、文字通り。
ベッドが大きく沈んで、次の瞬間には首へ腕を回されていた。
身体を密着させるように、ぎゅーっと抱きついてくる。
ちょっと、やめなさいよ。
「やめなーい」
ほんとに困るから。
「そうだね、困るね。でもさ、娘の友達に手を出しちゃうよりは、困らないでしょ?」
やめなさい。
そんなことを言いながら、こら、やめなさい。
手、やめなさい。
あーくそ、相変わらずこいつ、いい匂いしやがる。
やわらかいしさー、なんなのほんとにさぁ。
「あのね、こんなの、ちょっとお互い気持ちよくなるだけだよ。まぁ私もこういうのは初めてだけど、君が相手なら嫌じゃないし」
そういう問題じゃないでしょうよ。
「それとも……結衣が相手じゃ、いやなの?」
耳元でそういうことをささやくのをやめなさい。
別に結衣が嫌だってわけじゃなくてさぁ、ほら、だめでしょうよ。
なんていうか、こう。
あー、こいつくっそ可愛いなぁ、マジでなんなの。
ささやく声が普段の3倍ぐらい可愛くて、ぞわぞわするんだよ、ふざけやがって。
「なにがだめなの? お互い特定の相手がいない大人同士なんだから、なにも問題ないよ?」
ちょっと、ほんとに……手、やめてもらえますか。
「えー、どうして?」
どうしてもこうしてもないでしょ。
ほんとに限界だから。
限界だから。
「うん……いいんだよ」
急に優しい声で言うのを……やめなさい。
「なにも悪いことじゃないんだから、結衣が受け止めてあげるよ?」
あー、もう、無理です。
「マジカル・チェンジ」
「え?」
変身!
すり抜けて脱出!
馬鹿め!
そう簡単に思い通りになると思うなよ!
ばーかばーか!
「もう……ばか」
部屋から脱出する直前に、なにか聞こえた。
でも聞こえなかったことにする。
なんかこう――きゅーってなるから。




