第百四十一話:坂口小春と真夜中の来訪者
意識が薄れゆく中で、求めていた声が――聴こえたような気がした。
目が覚めると、自分の部屋の、自分のベッドだった。
薄暗い部屋の中。
ベッドの隣にある窓から月明かりが差し込んで、机の上に置いてある、ゲームに出てくるモンスターのぬいぐるみをぼんやりと照らしている。
ママは今日もまだ帰ってないみたいだ。
家の中は静かで、聞こえてくるのは時計の針が動く音ぐらい。
いつも帰ってくるのは私が寝た後だから、ママとはあんまり顔を合わせることがない。
それについてはなんとも思ってない。
だから魔法少女なんてものを続けられたわけだし。
私にパパはいない。
ママは詳しいことを教えてくれないけど、物心ついたころには、もうママしかいなかった。
それについても今更なんとも思わない。
ひとりで過ごす時間は慣れたものだし、ママにだって触れられたくないことはあるんだろうから。
本当に、平気だったんだよ。
魔法少女になって、命がけで戦うのも、平気だった。
死ぬつもりなんてさらさらないけど、別に死んだら死んだでその時だし。
学校でもそう。
友達付き合いなんかはちょっと苦手だったけど、幸い勉強はできたし人の面倒を見るのは苦じゃなかったから、適当に優等生ぶっていれば一目置いてもらえるし。
忙しいふりをしておけば、無理に誘ってくる子なんて、いないから。
平気だったんだよ、本当に。
あの日まで。
楽しかった。
きっと、私の短い人生の中で、一番楽しい日々だった。
寂しいよ――ひよりちゃん、ともかちゃん。
……あ、そうだ、思い出した。
確か、変な男が――そうだそうだ、怪我をしたんだ。
身体を起こして、自分の服をめくってみる。
でも、確かに血が流れたのを見たはずなのに、身体中をまさぐっても、傷がない。
どこにもない、傷ひとつない。
……実を言うと、最近少し変だと思っていた。
私は結構そそっかしいから、ちょっとした怪我ぐらいは日常茶飯事なんだよね。
昨日もちょっと指を切っちゃったんだけど……確かにあった傷が、いつの間にか綺麗になくなっている。
指先を月明かりにかざしてみても、やっぱり傷跡なんてどこにもない。
一度なら気のせいとか勘違いとか、そういうこともあるんだろうけどさ……絶対そうじゃないよね。
どういうことなんだろう。
私になにが起きているんだろう。
少しだけ、怖い。
でも、怖がってなんていられない。
勝手に傷が治るんだったら、それは好都合だって、そう考えよう。
おかげで、私はもっと戦えるんだって。
あの変な男にだって、次は絶対遅れを取らない。
まずはピューイを問いただして……それから、なんて言ってたっけ、月城……だったかな。
ひよりちゃんの遠い親戚だって言ってた、あの綺麗なお姉さん。
そうだよ、まずはそっちからあたってみるべきだったんだ。
ひよりちゃんは、間違いなくこの街にいる。
だって、私があの子の声を聞き間違えるわけなんて、ないんだから。
その時だ。
ばさっ――と、鳥の羽音みたいなのが聞こえた。
窓から差し込んでいた月明かりが、ふっと遮られる。
窓の外に――『なにか』がいる。
「そう警戒しないでください、坂口小春さん」
その『なにか』は、男なのか女なのかわからない、中性的な声でそう言った。
でもそんなことを言われたって、こんな時間に訪れる『客』なんて、ろくなものじゃないって相場は決まってる。
ましてや窓の外なんて、怪しいなんてもんじゃないよね。
なんといっても、ここは3階だし。
なにより、知らない奴に名前を呼ばれたのは、これで本日2回目だ。
1回目はいきなり攻撃してきたあの男。
なら、2回目は?
「警戒するなって言うなら、名前ぐらい名乗ったらどう? 一方的に知られてるのは、気分が良くないんだよね」
「……不敬ですが、いいでしょう。私の名はラファエル。あなたの味方です」
「ラファエル……? 冗談でしょ」
いくら小学生でも、『ラファエル』ぐらいは知っている。
ゲームなんかによく出てくる、すごく偉い天使でしょ?
もちろんこんな怪しい奴の言葉をすぐに信じたりはしない。
悪魔なんていうのは天使のふりをするって、これも相場は決まってるんだから。
「冗談ではありませんよ、坂口小春。私はあなたの守護天使となるはずだった者。運命を違えど、使命を違えるつもりはありません」
「なに言ってるんだかわかんないんだけど」
「……とりあえず、ここを開けて頂けませんか?」
「嫌だって言ったら?」
「困ってしまいます」
「はぁ……勝手に困ってればいいよ、帰って」
カーテン越しに見えていた影は、しばらくその場から動かなかった。
でもやがて、もう一度だけ小さく羽音がした。
遮られていた月明かりが戻ってくる。
淡い光が窓から差し込んで、また静かに部屋の中を照らした。
なんかもう、嫌になってくる。
私のため、私の味方。
ほんとは自分の都合でしょ?
みんなそうだ。
なのに――あのお兄さんだけは、なんだか違う気がしている自分が――バカみたいで。
嫌になるよね。
ほんとに、嫌になる。




