第十一話:サプライズ
「魔法少女、ですか……」
新しく出てきた非現実的な言葉に、どう反応すればいいのかわからなかった。
「そうだピュイ。魔法少女であるコハルは、この世界を守るために邪界獣と戦っているんだピュイ」
白い毛玉のような生き物が、誇らしげに胸を張る。
胸がどこにあるのかは、よくわからないけど。
「はぁ、なるほど……それで、あなたは……?」
青と白を基調としたフリフリの衣装と、雪の結晶のような装飾がついたステッキ。
吹雪や氷の槍を操る不思議な力。
小春と名乗るこの少女が『魔法少女』だということについては、見た目がいかにもという感じだし……
ファンタジーな設定を突き付けられてもいい加減驚かない。
ここ数日は異常なことばかりだ。
魔法少女ぐらい、そりゃいるだろうという気分にもなる。
問題は、この羽の生えた白い毛玉が何者なのかということだ。
だってどう見ても人間じゃないし。
「邪界獣はね、『捨てられたもの』が邪界人の魔法で凶暴化させられた怪物なの」
僕の疑問には答えず、小春さんが地面に落ちているクマのぬいぐるみへ歩み寄った。
人間ほどの大きさだった身体は、今では子供でも抱えられる程度にまで小さくなっていて、凶器になるような爪や牙も残されていない。
今の言葉を信じるなら、これが元の姿だということになるんだろうけど。
小春さんはぬいぐるみを拾い上げると、悲しそうな目を向けた。
「だから、ピューイの力で浄化してあげないと……寂しさを晴らしてあげられないんだ」
そう言って、ぬいぐるみをギュッと抱きしめる。
優しい子なのだと思う。
だけど、僕の疑問への答えにはなっていない。
毛玉の名前がピューイだということだけはわかった。
まあ……今すぐ知らなければ困ることでもないか。
「つまり、浄化する前に僕が邪界獣を倒してしまったことで、お二人の邪魔をする形になってしまったということですね」
「そういうことだピュイ」
毛玉が偉そうに頷く。
「それは、すみませんでした。知らなかったとはいえ……」
「まあでも、助けてくれたのはありがと」
小春さんはクマのぬいぐるみを抱いたまま、少し気まずそうに視線を逸らした。
「あのままだと、殺されてたと思うし」
「いえ、それは……」
僕が結界の中にのこのこ入ってこなければ、小春さんが魔法を外すこともなかった気がする。
そう考えると、僕が危機を作って、その危機から助けただけなのではないだろうか。
いわゆるマッチポンプだ。
それでも感謝を伝えてくれるのだから、律儀な子だと思う。
「それより……」
小春さんが不思議そうに僕を見る。
「なんでおじさんは、ここにいるの?マジカル・フィールドに、普通の人が入れるわけないんだけど……」
『マジカル・フィールド』ときた。
おそらく、月城さんが話していた『結界』と同じようなものだろう。
どちらも人目につかないに越したことはない超常現象だから、似たようなことができてもおかしくはない。
「なんでと言われても、まぁ……自宅がこっちなので……」
「はぁ……?」
小春さんと毛玉が、そろって僕の顔を見る。
その瞬間――ぞくり、とした。
今まで感じたことのないような、得体のしれない悪寒。2人がなにか話しているけど、耳を素通りしていく。
だめだ、これは……だめだ。
「わたし、綺麗?」
『女の声』が聞こえた。
特によく通る声というわけではない。
それなのに、耳元で囁かれたようにはっきりと聞こえて、耳から離れない。
後ろだ。
弾かれるように振り向くと、路地裏の入口に、一人の女が立っていた。
赤いトレンチコートと、肩まで伸びた黒い髪。
顔の下半分は、大きな白いマスクで隠されている。
女は街灯の下で、こちらをじっと見つめていた。
喉が渇く。
どうしようもないぐらいに。
なんとか声を絞り出して、2人に尋ねる。
念のためだ。
「あれも、その……邪界獣だったりしますか?」
「ん?邪界魔法の気配なら、一切感じないピュイ」
ですよね。
どう見てもあれは、『あれ』だ。
「また一般人?」
小春さんが女へ目を向け、毛玉をじろりと睨む。
「ピューイ、フィールドの展開をさぼってないよね?」
「さぼるわけないピュイ!」
「あの……そうじゃなくて」
そんな場合じゃないんだよ、わからないのか?
「わたし、綺麗?」
女が、もう一度問いかけた。
小春さんがトコトコと女に近づいて、顔を覗きこむ。
まさか、知らないのか……?
「えー?うーん」
今時の子供なら、確かに知らなくても……いや、そんなことより――
「待っ――」
止めようと手を伸ばす。
だが、遅かった。
「うん、綺麗だと思うよ!」
小春さんが、満面の笑みで答えた。
次の瞬間、女がにやりと笑い、ゆっくりとマスクに手をかけ――
引きちぎるように、外す。
その下にあった口は、耳元まで大きく裂け、その中には人間のものとは思えない無数の牙が並んでいる。
女は眼球を見開き、三日月のように口を歪めた。
「これでもぉぉぉぉっ!?」
「ひっ……きゃああああああっ!?」
小春さんが悲鳴を上げる。
僕は反射的にその小さな手を掴み、全力で走り出した。
「逃げますよ!」
「ちょっ、待って!?」
先ほどの戦いで痛めた両脚が悲鳴を上げる。
でも、そんなことを気にしている余裕なんてない。
走りながら後ろを振り返って確認すると……『口裂け女』は、いつの間にか取り出した大きな鋏を振りかざして追ってくる。
そして――
「なっ……!?」
速い。
速すぎる。
まるで映像を高速再生しているかのような速度で、みるみる距離を詰めてくる。
そうだ……『口裂け女は100メートルを3秒で走る』のだ。
子供の頃に聞いた、荒唐無稽な都市伝説。
しばらくみんなで怖がって、やがて笑い話になった。
『あの頃口裂け女って流行ったよな』
だけど現実に今、本当に追ってきている。
笑い話では済まされない。
赤い影が、凄まじい速度で僕たちの横を通り抜け……次の瞬間には、進行方向へ回り込んでいた。
慌てて足を止めると、恐怖でごまかしていた痛覚が悲鳴をあげる。
これ以上は走れないかもしれない。
走ったところで、逃げ切れるわけもない。
「な、何なのよ、あの化け物……!」
小春さんがガタガタと身体を震わせ、その場にうずくまる。
さっきまで、自分よりも大きな怪物を相手に戦っていた少女とは思えないほど怯えていた。
「口裂け女です……」
乱れた息を整えながら、小春さんを背中に庇う。
「怪物ですよ。100メートルを3秒で走るという話なんですが……どうやら本当だったみたいですね」
「なによ、それ……」
「どうして怖がっているピュイ?」
追いついてきた毛玉が、不思議そうに首を傾げた。
「化け物とならいつも戦ってるピュイ」
「わかんないよ!でも、怖いの!」
小春さんは耳を塞ぎ、震えながら声を上げる。
確かにおかしい。
巨大なクマの怪物に堂々と立ち向かう『魔法少女』が、どうしてここまで怯えているんだ。
わからない。
でも、わかる。
『こいつと戦ってはいけない』
それだけは絶対だ。
だからって逃げられないし、この場では小春さんを頼れない。
僕だけでどうにかするしかない。
だけど――
100メートルを3秒で走るような化け物を相手に、なにができる?
「これでもぉぉぉっ!?」
『口裂け女』は、恐怖を煽るように口を大きく開き、げらげらと笑う。
まいったな。
僕の後ろには、娘よりも幼い少女がいる。
怯え、震える少女がだ。
目の前でそれを見捨てたら……病院で眠る咲の前で、もう二度と胸を張ることができないんじゃないか。
それだけは駄目だ。
「僕の後ろから、動かないでください」
「え……?」
「大丈夫です」
大丈夫なわけがない。
100メートルを3秒。
物体が衝突した時に発生する衝撃は、速度の二乗に比例する。
あの日、魔術師の男を殴った時の痛み。そして、さっき怪物を蹴り飛ばした脚の痛みが、その証拠だ。
なら、あの勢いを利用できれば。
覚悟を決めた。
怪我で済むとは思えないけど、やぶれかぶれだ。
鋏を振りかざしながら、赤い影が迫る。
とんでもない速度だけど、目で追えないほどじゃない。
膝を落とし、身体ごとぶつかろうと力を込めた――その瞬間。
横から、黒い何かが飛び込んできた。
「――っ!?」
『黒い影』が、口裂け女の顔面へ拳を叩き込む。
凄まじい音と共に、女の身体がアスファルトへと叩きつけられた。
「……は?」
何が起きた?
舞い上がった砂埃の向こうで、黒い影が動き始める。
全身を覆う黒装束と黒頭巾。どこからどう見ても、忍者だ。
忍者は倒れた口裂け女に次々と拳を叩き込む。起き上がろうとしたところを蹴り飛ばし、回転しながらさらに追撃する。
反撃する隙すら与えない。
ただひたすらに、口裂け女をボコボコにしていた。
「……なんだ、あれ?」
意味がわからない。
魔術師。
魔法少女と毛玉。
巨大なクマのぬいぐるみ。
口裂け女。
ここ数日の間に、現実離れしたものをいくつも見てきた。
その中でもこれは、いや、なんだこれは……
忍者がくるくると回りながら口裂け女を蹴り飛ばす。
さらに、なにかを連続で投げつけた。
それらは口裂け女に次々と突き刺さり、暗闇の中でキラリと光る。
実物を見たことはないけれど、形には見覚えがある。
誰だって見覚えがある。
手裏剣だ。
「サプライズニンジャだ……」
背後から、小春さんの呆然とした声が聞こえた。
「……今、何と?」
聞き間違いかと思い、振り返る。
「サプライズニンジャだよ!よかった……」
なにが『よかった』なのか。
そう疑問に思った瞬間、忍者の姿が消えた。
「え?」
気づいた時には、目の前にいた。
音もなく、気配もなく。
忍者の拳が、僕の顎を正確に捉えた。
「ほんとに、何なんだよ……」
意識を失う前に言葉にできたのは、そこまでだった。




