血流
駅へ向かう道は、昼間の熱をまだ残していた。
東部物流アカデミーのオープンキャンパスの帰り。
見てきた光景が、まだ胸の中で熱を持っていた。
「先週は、国家輸送の拠点を見てきたんだ」
小春が、いつもの屈託のない調子で話しかけてきた。
「地響きみたいにエンジン音が鳴り響いててさ。全部秒単位で動いてるの。止まったら終わりって、ああいうことなんだなって肌で感じたよ」
「へえ。ちょっと見てみたかったな、それ」
相槌を打ちながら、さっきまで見ていた光景を思い出した。
整えられた実習コース、無駄を削ぎ落とした規則正しいカリキュラム。
あそこでの学びが、そのまま巨大で、かつ繊細な現場へと繋がっていくのだと実感した。
「そう言えば志織君から聞いたんだけどさ。夏樹ちゃんも先週、国大のオープンキャンパスに行ってきたんでしょ。えーと……」
小春は、後頭部に手を当てて「忘れちゃった」と、けろっと笑う。
「社会基盤設計学部」
「それ!そのなんとか学部」
思い出した勢いで、手のひらに拳をぽんと打ちつける。
「で、どうだった?やっぱ女子ばっかりだったんじゃない?」
「うん、確かに多かったけど。男子も二人ほどいたよ」
小春は意外だというように目を丸くした。
「ふーん。まあ勉強の方が向いてる男子もそりゃあね、たまにいるけど。でもさ、夏樹ちゃんは当然こっち側だと思ってたから、勿体ないっていうか……正直、残念だな」
小春らしい率直な言葉には、簡単に割り切れない本音が滲んでいるのが分かる。
でも、耳障りのいい言葉で誤魔化されるより、ずっとありがたかった。
「うん。その言葉、ちゃんと覚えておくよ」
私の淡々とした反応に、小春は拍子抜けしたように唇を尖らせた。
「……ついでに言えば、あの志織君がすんなり納得してたのも意外だったけどね。『夏樹ちゃんなら、ちゃんと考えてるでしょ』ってさ」
一瞬、言葉に詰まった。
志織が、そんなふうに自分のことを言ってくれていたなんて。
「……へえ」
「なんで今日アカデミーの見学も来たのさ。志望はそっちなんでしょ?方向、違くない?」
「せっかくだし。参考までにね」
余計な心配をかけまいと軽く答えたつもりが、どうにも素っ気ない言い方になってしまった。
ただ、どこに進むかはもう決まっている。
だからこそ、その場所とは違う景色も、一度はこの目で見ておきたかった。
小春は「ふーん」と言って、それ以上は何も聞かなかった。
「まあ。確かに夏樹ちゃんって、ガッツリこっち側って感じじゃないけどさ」
「そう思う?」
「うん、さっきの体験実習でも思ったけど。現場でガンガン動くっていうより、もうちょい引いたとこから見てるでしょ」
やっぱり、小春はよく見ている。
確かに、私は眼の前の流れに圧倒されるよりも先に、人や車両をどう動かせばもっと効率がいいかを考えていた。
「うん、そうかもね」
「でしょ?なんかこう、全体見て『ここ詰まってるな』とかチクチク口出されそう」
「でも、そういう人がいないと詰むでしょ」
「あはは、ホントだね!でも志織君とか真正面からド正論言ってくる面倒くさい人もいるからね」
「それ、本人に聞かれたらどうなると思ってるの」
「さあ?」
小春は悪びれもせず、肩をすくめた。
「そこの歩道橋の上で、じりじり詰められて、うっかり踏み外しそう」
「やめて!普通にありそうで怖い」
志織に聞かれたら、「人を何だと思ってるんだ」と怒られそうで。
その様子が妙にありありと想像できて、思わず二人で笑い声を上げた。
そのまま線路を跨ぐ歩道橋へ上がり、街を見下ろした。
そこには、夕闇に沈みつつある巨大なコンテナヤードが広がっている。
照明が灯り始めたヤード内を、搬送車が精密機械のように正確な動きで行き交っていた。
しばらくその様子を眺めていると、小春が思いついたように指を鳴らした。
「そうだ。来週皆が寮に戻る頃に、中庭で花火やろうよ」
「花火……ああ、いいね」
「よし、決まり!それっぽいこと一回くらいやっておこうよ」
その視線の先には、かつての大規模な花火大会の打ち上げ場所だった、今は静かな湾岸が見える。
「震災の影響で今年も自粛でしょ。あんな娯楽にまで影響出るんだなって、ゾッとしたよ」
わずかに低くなったその声に、私もやるせなさを感じた。
「うん。あの時、この街の明かり全部消えたよね。あのコンテナも崩れて、届くはずの食料も来なくて」
小春が手すりに身を乗り出し、眼下を通過する大型トラックの一群を指さした。
「あの流れ、絶対に止めちゃいけないんだよね。誰が何と言おうと。だったら、現場で動かす側に回るしかないでしょ」
その笑顔には、普段の軽薄さは微塵もなく、一人の男としての覚悟が滲んでいた。
同じものを見ていたはずだった。
けれど小春は、止まらない流れの中に身を投じることを誇る。
そして私は、その流れをどう作り、途切れさせないかに目が向いている。
だからこそ、私はそっちじゃない場所で。
「私は、その動きたいって気持ちを支える側になりたい。みんなが安心して動ける仕組みを作りたいんだ」
自分でも、驚くほどはっきりとした声だった。
「現場で動く力も知ってるし、仕組みを考えることも好きなんだ。その両方に興味があるからこそ、私にできることがある気がする」
手すりを握る手に、少しだけ力が込もった。
「それを、この街に引きたい。それが、私にとっての現場なんだ」
小春は、ほんの一瞬だけ目を丸くして——それから、納得したように頷いて、まっすぐこちらを向いた。
「なるほどね。じゃあ夏樹ちゃんが作ったその仕組みの上を、私が走る日を楽しみにしてるよ」
軽く言ったその言葉が、意外なほど重く、そして心地よく響いた。
たぶん深い意味なんてないのだろう。
けれど、その言葉はすとんと私の胸の空いた場所に収まった。
小春が、いたずらっぽく笑いながら、小さく拳を突き出してきた。
一瞬だけ驚いて、それから私は、自分の拳を静かにそこに合わせた。
コツン、と軽い衝撃。
それは、言葉にするには少し照れくさい、けれど確かに未来を約束するような響きだった。
駅のホームに滑り込んできた電車の風が私と、そして並んで歩く小春の背中を、力強く前へと押し出した。




