表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女ー男じゃない!  作者: 秋桜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
26/37

紫陽花色

 境内の奥へ進むと、屋台の声や太鼓の音が遠のき、視界もゆっくり変わってきた。

 梅雨前の湿った空気の中で、花びらはしっとりと光っていた。


「わー、こっちはすごい咲いてるんだね。きれーい!」


 菜月が弾んだ声を上げると、そのまま紫陽花のほうへ駆け出した。


 私もその後を追い、じっくりと花を眺めていると、なぜか今日は色の違いがやけにはっきりと目についた。


「……あれ?この株は青い花なのに。すぐ横の株はピンクなんだね。種類が違うのかな?」


「夏樹ちゃん、面白いところに気がついたねー」


 菜月はくすっと笑って、紫陽花の根元を指さした。


「紫陽花ってね、同じ種類でも土で色が変わるんだよ」


「え、土?」


 菜月は拳を口元に添え、「オホン」と咳払いをした。


「酸性だと青、アルカリだとピンクっぽくなるの。だから、同じ場所でも違う色の花が咲くんだよ」


 同じ種類なのに、土で咲く色が違う……。


 それは、どこか私たちにも重なる気がした。


 まっすぐな青色は、志織や小春。


 東側の色。


 伸びやかなピンク色は、菜月。


 西側の色。


 そんな中、他とは違う株があった。


 一つの株に青とピンクの花が並び、どちらの色も手放せないまま、混ざり合う色の花も咲いている。


「同じ株なのに、混じって咲いているのもあるんだね」


「うん、それはね。根っこが、どっちの土にも伸びているからなんだよ。だから、青とピンクが混ざり合ってるのもあるんだって」


 ――どっちの土にも。

 ――東側にも、西側にも。


 「……はは。なんだか、どっちつかずの私みたいに、中途半端な色だな」


 菜月は、きょとんとしたように首を傾げている。


「皆はこの花みたいに、どっちかの色にちゃんと染まっていってるよね。なのに私はいつまでも進路に迷っていて」


 なぜだろう、誰にも言うつもりはなかったのに。


「それが、たまらなく怖くなっちゃうんだ」



 さっきまで楽しかった祭りの喧騒が、今は遠い世界の音みたいに思えた。


 ここで立ち止まっているほうが、自分には合っていると、そんな気すらしてくる。


 菜月は戸惑ったように口を結んでいたが、やがて腑に落ちたような顔をした。


「迷っている色か、うん。でもさ、それってダメなのかな?」


「……え?」


「こういう混ざり合った色も、きれいだよ」


 菜月らしいな、と思って口元が緩んだ。


「そう言うと思った」


「なにそれ」


「だって菜月ちゃんは、強いから」


 言っておきながら気恥ずかしくなってしまい、視線を逸らした。


 菜月は目を丸くして、紫陽花に伸ばしかけた手を止めた。


「そんなことないよ」


 その声は、いつもよりか細かった。


 その時、風が吹いて花が揺れたかと思うと、頬にぽつ、と冷たいものが落ちた。


 見上げると、薄曇りの空から小さな雨粒が落ちてきた。


「通り雨かな」


 次の瞬間、雨足が少しだけ強くなった。


「夏樹ちゃん、一回あっち行こ」


 手首を軽く引かれて、東屋の軒下へ駆け込んだ。


 木と雨の匂いが溶け合い、屋根を叩く雨音が辺りを包んでいる。


「……びっくりしたね」


 ベンチに腰を掛けると、菜月はスマホを取り出した。


「あ、志織君から。『そっち大丈夫?こっち普通に晴れてるけど』だって」


「え、なにそれ」


 距離は近いのに、そこまで違うものなのか。


「『こっち通り雨かな。ちょっと様子見してるね』っと」


 また雨音だけになり、濡れた花がさっきよりも深い色に見える。


「雨に濡れた紫陽花ってきれいだよね。私、大好き」


 菜月が祭りの余韻を楽しむように、鼻歌まじりに肩を揺らしている。


 その横顔を見ながら、耳を澄ませた。


 屋根を打つ雨音が、規則的に重なり、胸の奥でなにかがゆっくりと膨らんでいく。


 それを押し出すみたいに、言葉が溢れた。


「ねえ。中途半端なまま進むのって、やっぱり怖いよ」


 こんな格好のつかない弱音をこぼすなんて、私はよほど菜月を眩しく見ていたんだと思う。


 短い沈黙のあと、菜月は物憂げな目でこちらを見た。


「……怖いよね。私も、怖いよ」


「え……、何が?」


「看護師になるのが。私に務まるのかなって、本当は毎日迷ってるの」


 ――え?


 言葉の意味が、うまく入ってこなくて、思考が止まった。


 あんなに強く見えていたのに。


 私みたいに迷うことなんて、ない人だと思ってたのに。


「自分でなりたいって言ってるのに。いざってなったら、逃げたくなるかも、って」


 雨が少し強くなり、屋根を打つ音が重なる。


「覚悟が足りないのかも、って思うと……手がね、震えちゃうの」


 そう言って右手をそっと押さえた。 

 

 その仕草を見て、さっきからの引っかかりが言葉になりかける。


 ――ああ、そうだ。


 この感じは、ずっと心の中で降り続いてる涙のようだ。


 菜月の、怖いという言葉。


 ――体育祭で、私の手を引いたときの、あの、ほんの少しの震え。


「知ってたよ」


 全てが、繋がった。


「菜月ちゃん、体育祭のあのとき。怖いのに来てくれたんでしょ」


 菜月は、驚くように目を見開いた。


「そっか、バレてたんだ」


 そう言うと、力が抜けたように息をついた。


「バレてたんだね」


 一瞬、しんみりとした空気が流れる。


 けれど次の瞬間、弾かれたように顔を上げた。


「待って!今なんて?うそ、ほんとに!?」


 一瞬で顔が赤くなり、両手をわなわなと震わせる。


「ちょ、ちょっと待って」


 頬に手を当てると、団扇でぱたぱたと仰いだ。


「それは、ちょっと……恥ずかしいかも」


 笑ってごまかすように、私の肩をバンバンと叩いた。


「やだー、あはは!ね、強くないでしょー?」


 雨が強くなり、屋根を叩く音が大きくなる。


「私も夏樹ちゃんと一緒。混じった色の紫陽花なんだよ」


 菜月は胸に手を当てて、ゆっくりと息を吐いた。


「もしね。私がこのまま東側で働くことになったとしたら、きっと夏樹ちゃんみたいに怖くなってたよ」


「看護だと、女性は調整官になるものなんでしょ?私は患者さんに直接ケアもしたいから、きっと同じように迷ってたよ」


「悩むだろうな、苦しいだろうな」


 菜月は照れたように両手を合わせた。


「だからね、私からしたら。夏樹ちゃんのほうがずっと強くみえてたよ」


 その言葉は、思ってもいなかった方向から差し込んできて、迷いがほどけていく音がした。


 屋根を叩く雨音が、少しずつ遠のいていく。


 さっきまで曖昧に見えていた花の色が、急にやさしく重なり合う。


 それは、鮮やかな紫色だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ