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女ー男じゃない!  作者: 秋桜


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23/37

仮住居

 土曜日の正午を告げるチャイムが鳴ると、途端に空気が和らいだ。

 半日で終わる放課後は、誰もがどこか浮き立っていた。


 昨日でクラス全員の進路面談が終わった。

 次の期末テストという嵐が来るまでは、束の間の小休止だ。

 けれど、私の中にはまだ霧がかかったままだった。


 ――あなたの言葉には、覚悟が見えません


 先生に改めて向き合わされた現実を思い出して、喉が少し渇いた。


「ねえ、ひと段落だしさ。ペロンチェチームでお疲れ会しようよ!」

 前を歩いていた菜月が、弾むようにくるりと振り向く。

 日差しを受けた髪が、ふわりと跳ねた。


「テイクアウトして、川原でお茶しようよ。今日は風が気持ちいいしね」

「大賛成!完全にオーバーヒートしてたからね!」

 小春が天を仰いで、大げさに四肢を伸ばす。


「午後の自習までは時間があるし、たまにはそんな過ごし方もいいかもね」

 志織も表情を少しだけ緩め、心なしか足取りまで軽やかだった。


 校門を出てしばらく歩くと、甘ったるい香りが風に乗ってきた。

 昼間でも看板が煌々と光るペロンチェへ、吸い込まれるように入る。

 相変わらず、糖分に全振りしたメニューが並んでいた。


「私は『練乳まみれソーダ』!」

 一番に決めた小春が手を挙げて注文する。


「じゃあ俺は『浸透率一五〇%ショコラ』かな。……さすがにセーフティサイズで」

 名前だけで歯が浮きそうだ。


 私は無難に「甘々抹茶」に逃げようとしたが、注文直前で菜月に腕を掴まれた。


「夏樹ちゃんもこれにしようよ」

 店員から手渡されたのは『熟糖マンゴーの卒倒フラッペ(マシマシサイズ)』

 もはや警告文だ。


「これ、救急搬送案件じゃない?」

「大丈夫。私、看護師志望だから」


 自信満々に胸を張るが、何が大丈夫なのかさっぱり分からない。

 しかも言い出しっぺのくせに、菜月はしれっとセーフティサイズを手にしていた。


 けれど、そんな無茶苦茶な理屈に毒気を抜かれて、つい呆れたように笑ってしまう私がいた。


 川原へ出ると、梅雨の晴れ間を惜しむように、土手には色とりどりの日常が散らばっていた。

 幾人もの時間を受け止めてきたであろう、なだらかな斜面に腰を下ろす。


 梅雨前の風が、ぬるく頬を撫でていく。

 川面がきらきらと揺れている。


「で、結局みんな、進路どうするの?」

 小春が、練乳まみれのストローをくわえたまま、唐突に現実を引き戻した。

「私はほぼ決まりだよ。親も喜んでるしね」


「地元の国大の政策学部。俺の描いた最短ルートだから」

 志織が淡々と答え、二人の視線が、自然と私に集まった。


「夏樹ちゃんは?」

「……まだ、検討中」

 答えた瞬間、言葉がずしりと重くのしかかった。


「まだ?もう決めちゃいなって。おいしい枠は早い者勝ちだよ!」

 小春が手を振って、笑い飛ばす。


 志織は何も言わずに、ただ、私を見ている。

 その視線は優しいのに、なぜか息苦しさを覚えた。


 しばらくの沈黙のあと、志織が気を遣ってくれたのか、話題を変えた。

「菜月ちゃんは特例で来たとは言え、やっぱり西側に戻らないといけないんだよね?」


 菜月はフラッペを一口飲み「甘っ」と言って、笑ってから空を見上げた。

「うん。仮に東側で資格取っても、西側じゃ使えないからね。長くても、卒業までかな」


 さらりとした口調だった。

 けれどそれは、抗いようのない法律の話だ。


「そもそも、向こうに残るって選択肢がなかったからね。西側って未成年の一人暮らしダメなんだよね。親戚の家からだと、条件の合う学校もなかったし」


 だから、より遠くの学校へ行くくらいなら、と。

 母親の東側での復興支援に合わせて、この全寮制の学校に来たのだ。


 私はその話を人づてに聞いたことがあるけれど、本人の口から改めて聞かされると、やっぱり胸にくるものがあった。


「だから、西側で取るしかないんだよね。結局」


 その言葉は、いつか必ず、私たちの前からいなくなることを示していた。


 湿っぽくなりかけた空気を、小春が無理やり明るい色に塗り替える。


「……こっちだとさ、現場で作業するのは“臨床機動士”でしょ?医師と現場をつなぐ調整は“看護調整官”。役割がパキッと分かれてるけど」


 それが当たり前、という空気で、私と志織は自然に頷き合う。


「その“看護師”って、分担制じゃないんでしょ? 私なら三日で逃げる!」

 両手で自分の肩を抱き、ぶるっと震えてみせた。


「小春ちゃんは、採血で失神するお約束タイプだよね」

「ホント、女子って西も東もヒドイよね」

 菜月との軽妙なやり取りに、私たちの笑い声が土手に響く。


「志織君は似合いそうだよね。修羅場でも冷静に動いてそう」

「どうかな。案外、患者に説教して嫌われるかもよ」

 とても想像しやすい例えだが、怖いので誰も茶化せなかった。


「夏樹ちゃんは?」

 菜月が期待を込めた目で、首を傾げる。

「じゃあ……点滴の棒を運ぶ係」

「それじゃ、患者さんでしょ!」

 菜月の鋭いツッコミに、再び笑いが広がる。


 ひとしきり笑ったあと、小春がふと真面目な顔になる。


「でもさ、菜月ちゃんは、絶対向いてると思う」

「そうかな?」

「うん。なんか頼れそう」

 菜月の笑みが、ほんの一瞬だけ止まった。


「……そんなことない、全然だよ」

 すぐにいつもの柔らかな顔に戻り、フラッペを口に運んだ。


 その言葉に、先月の体育祭の出来事が脳裏に浮かんだ。

 私が派手に転倒した、あの時。


 真っ先に駆け寄ってくれた、あの手。

 そのとき、ほんの一瞬だけ、なにかが引っかかった気がした。


 でも、それが何だったのかは、うまく言葉にできなかった。


「あ、見て」

 小春が立ち上がって指をさす。

 川原の端に、紫陽花が咲き始めていた。


「そうだ。明日、神社の紫陽花祭り行こうよ!」

「ああ、いいね。この辺じゃ一番大きな祭りだし、気分転換にはちょうどいい」

「わあ、行きたい。このメンバーで休日に出掛けるの初めてだよね、楽しみ!」


 菜月が立ち上がり、咲きかけの花を見つめる。

 その笑顔には、何故か少しだけ寂しさが感じられた。


 風が吹いて、紫陽花が揺れた。


 期限付きの自由を味わうみたいに、私たちは溶けかけたフラッペを飲み干した。

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