相似
放課後の教室は、妙にそわそわしていた。
皆は意味もなく窓の外を眺めたり、スマホをいじりながらも画面をまともに見ていない。
「どっちが似合うか」と、賭け事めいた相談をしている男子もいる。
原因はもちろん、ただひとつ。
今日の制服交換イベントだ。
ただ、正直に言って、私にはいまいちこのイベントがピンと来ていなかった。
「小春ちゃんてさ、こういうの一番盛り立てる人だと思ってたから、なんか意外」
隣の席の夏樹が、らしくないものを見るような目を向けてくる。
その言葉に、私も他人事のように頷いた。
「だって志織君だよ?こういうの興味ないと思ってたから意外すぎて。なんか呆気に取られたよ」
「まあ……。志織君なりに思うところがあるんじゃないかな。迷いみたいなの、誰にでもあると思うんだけど。小春ちゃんもそんなこと、ない?」
「ないよ、全然」
私は即答した。
むしろ夏樹は何を言っているんだろう。
これはもしや頭の良い人特有の、高度なジョークってやつなのか?
まだまだ私も精進が足りないなと、心のメモに書き留め……いや、殴り書きにしておこう。
どうせ読み返さないし。
そんなふうに、久しぶりに頭をフル回転して、私の知性の高さを再確認していた、そのときだ。
ガラッと勢いよく扉が開いて――
「ただいまー!」
跳びはねるように、元気いっぱいに菜月が飛び込んできた。
こっちの女子生徒用のポロシャツとスラックスに着替えている。
シルエットがすっきりしていて、いつものふわっとした雰囲気が、引き締まって見える。
「あれ、なんか……」
思わず呟きが漏れた。
てっきり制服負けして、背伸びした子供みたいになるかと思ってたのに。
あちこちから「似合ってない?」なんて声が聞こえてくる。
うん、似合ってる。
意外にも、ちゃんと似合ってる。
そのまま菜月は教室の真ん中で、くるりと回った。
「ねえこれ!めっちゃ動きやすいんだけど!見て見て!スラックスだからこんなこともできちゃう!」
そう言って、腰を左右にぶんぶん振りながら、妙なステップを踏み始めた。
腕を振り上げ、回って、しかも舌をぺろっと出しながら。
「……わあ?」
教室中が、どうしたものかという空気に包まれた。
完全にアホだ。
だけど嫌いじゃない、むしろ。
私は自分の冷めた態度が情けなくなった。
せっかくのイベント、無駄にしてなるものか。
同じアホなら踊らにゃ損だ。
居ても立っても居られなくなり、気付けば菜月の横に飛び出して、滅茶苦茶な踊りをデュエットする。
楽しいー!
「やめなさいって!」
「何してんの、あんたたち!」
教室中がどっと笑いに包まれた。
夏樹も呆れたような顔をしているが、その口元だけは隠しきれずに緩んでいた。
ひとしきり騒いで息を切らしたところで、誰かが辺りを見回した。
「ねえ、ところで志織君は?」
「あ、忘れてた!もうとっくに来てるのかと思ってて。呼んでくるね!」
そう言うなり、菜月は廊下へ小走りで消えた。
嵐が去ったように、少しだけ空気が落ち着きを取り戻した。
「志織君ってさ」
私は席に戻ると、夏樹の机をつついた。
「朝から、明らかに変だったよね。ニヤニヤしながら、視線も落ち着かなくて隙だらけって感じでさ」
「そうだね。授業中も、机の横の紙袋をずっと見ていたし。分かりやすいくらいに上の空だった」
夏樹は頬杖をついたまま、窓の外へ視線を向けた。
「……楽しみだったんでしょ。志織君なりに」
その声は、からかいでも否定でもなかった。
私は、うーんと唸った。
志織は、もしかして西側に憧れてた?
そんな素振り、あったっけ。
なかった気がする。
もしくは、ないように見せていただけ、なのかもしれない。
そこまで考えて、私は首を振った。
ないない、考えすぎだ。
しばらくしても、志織と菜月は戻ってこなかった。
迷子にでもなったのかな、と心配になりかけた頃。
再び扉が開いたが、またしても菜月だけだった。
「志織君は?」
「あのね。なんかさー」
菜月が困ったような顔をして、扉のほうを指さした。
「現実が見えたら恥ずかしくなった、とか言ってね。そこから動かないの」
扉の向こうを覗くと、志織が影に隠れるようにもじもじしていた。
顔が赤い、信じられないくらい真っ赤だ。
「ほらほら!」
菜月が手を掴んで、半ば強引に引っ張ぱり出した。
「わあ……」
皆の感嘆の声が漏れた。
教室に入ってきた志織のセーラー服姿は、西側の女子そのものだった。
凛としていて、背筋が伸びている。
どこかスポーティで、それでいて線はやわらかい。
……可愛い。
菜月のような天真爛漫な明るさとは、全く違うタイプ。
静かで、澄んでいて。
それは確かに志織なのに、そっくりの別人みたいだった。
「やば、普通に西側の女子じゃん!」
「スカートも、すごく似合ってるよ!」
あちこちから歓声が上がるたび、志織の顔はますます赤く染まっていく。
その肩は小刻みに震えていて、次第に皆も異変に気づき始めた。
「……っく」
志織がかすかな嗚咽を漏らしたかと思うと、口元を手で押さえた。
「え…、大丈夫?」
何事かと、ざわめきが走る。
「……っくぅっ」
その場で膝から崩れ落ちそうになる。
うつむいた目尻に、光るものが見えた。
あ、まずい。
これは笑えない。
志織は羞恥心と、自分でも整理のつかないものに押しつぶされそうになっている。
隣の菜月はといえば、声をかけるでもなく、じっと志織を見つめて両手をぎゅっと握りしめている。
この場をなんとかしなければと一歩踏み出したが、それを遮るように、
――パンパン!
と、教室中に手を叩く乾いた音がした。
「はい、終了終了」
夏樹の声だった。
いつもより少し強い。
「皆、まわれ右!」
教室が一瞬で静まり返る。
そのまま誰も逆らわず、一斉に後ろを向いた。
夏樹は、そっと志織の肩に手を置いた。
「十分でしょ」
菜月が、今度は優しく志織の肩を支えながら、教室を出ていく。
「志織君、頑張った。頑張ったね」
なぜか菜月の声まで潤んでいるようだ。
何でだ。
扉が閉まると、教室には静けさだけが残った。
まさか夏樹がこういう場面で動くとは思わなかったので驚いた。
「意外だね」
「……かもね」
窓の外に顔を向けた夏樹の表情には、心なしか苦々しさが滲んでいた。
「なんか、他人事には思えなかったから」
それだけ言うと、自分の席に戻って荷物をまとめ始めた。
他人事じゃないって何が?と、聞こうとしてやめた。
なんだかんだ。
夏樹は、ちゃんと見ているのだ。
志織が抱えていた、ただの布以上の重みを。
菜月の、優しさ以上の強さを。
たぶん、夏樹なりに何かを見つけたんだろう。




