舞踏会
体育祭も終わり、これで五月の行事もようやく一段落した。
あれだけ騒がしかったのが嘘のように、教室にはどこか腑抜けたような空気が漂っている。
私の通う学校では、体育祭が終わると夏服への移行期間に入る。
そして六月一日から完全に切り替わるのが、恒例だ。
けれど今年は、五月の時点で初夏の陽気などはとうに過ぎ去り、真夏を思わせるような容赦ない日差しが続いていた。
それだけに、待ってましたと言わんばかりに、朝から涼しげな制服姿の生徒たちが登校してきた。
今朝、紺色の半袖セーラー服に袖を通した時は、今まで長袖に耐えてきた自分に金メダルを贈りたいほど清々しい気持ちになった。
袖口から風が抜けるだけで、世界はこんなにも優しくなるらしい。
「涼しいよね、やっぱ」
「腕出るだけで全然違う」
「もう冬服には戻れない」
あちこちでそんな声が上がる。
小春が机に肘をつき、嬉しそうに手をこすり合わせた。
「待ちに待ったよね。今年は特にさ……」
「うん、暑すぎるからね」
私がそう返すと、やれやれとでも言いたげに人差し指を左右へ振った。
「わかってないなぁ、夏樹ちゃん。忘れたの?もう二度と経験できるかも分からないビッグイベントがあるっていうのに」
そう言って、まだ現れない主の登校を待っている空席を指さした。
「ああ……」
「そう、彼女だよ。いやあ、楽しみだよね。こっちの女子のカラスの制服とは違って――」
その言葉を遮るように、私は小春の背後を指さした。
「誰がカラスだって?」
低く澄んだ声に、小春の顔が引きつる。
黒の半袖ポロシャツを着た志織が、いつの間にか立っていた。
まるで猫の首を掴むように小春のセーラー服の襟を持ち上げる。
「あ、あはは。志織君、おはよう。そのポロシャツ、カラッとしてスッキリ涼しそうですねー。なんちゃって」
「おはよう、小春ちゃん。それじゃあ、さようなら」
そのまま窓の外に放り投げてしまうのではないかと言う圧に、小春は「ひぇっ」と悲鳴をあげる。
私が思わず固唾を飲んだそのとき。
「おはよー」
教室の扉が開いて、視線が一斉に向けられる。
真っ先に目に飛び込んできたのは白。
西側の制服を纏った菜月だった。
半袖の白いセーラー服。
夏の日差しを受けたその白は、思わず目を細めたくなるほど眩しい。
「わあ……」
軽いざわめきとも、ため息ともつかない声が上がった。
東側の男子用セーラー服は、白だと汚れが目立つため、紺か黒が当たり前だ。
歴史的な由来があるとはいえ、男子の制服として白色は、あまりに現実的ではない。
おまけにスカート丈も短いから、見ているだけで涼しげだ。
膝上で揺れるその姿は、驚くほど軽やかだった。
一方、東側の男子のスカートは、汚れや怪我から足を守るためロング丈が当たり前だ。
実用第一、それが東側の美学らしい。
本当にここは学校なのかと錯覚すらしてしまう。
白いセーラー服を纏った菜月が、舞踏会の中央で優雅に踊っている姿さえ想像してしまうほどだ。
そのひときわ目を引く白い制服を前に私は――いや、間違いなく全員が言葉を失っていた。
菜月は教壇の近くで足を止めると、集まる視線に少し決まり悪そうな表情を浮かべた。
「さすがに浮いてるよねー、これ」
苦笑いしながらセーラー服の裾をつまむ。
その何気ない仕草まで、自然と目を引いてしまう。
「登校初日もそうだったけど、ここに来るまでの皆の視線がそれ以上だったよ。制服は涼しいのに視線が暑い、ってね」
まいったね、という顔で後頭部に手をやる。
そのひょうきんな仕草とのギャップに、教室の空気がじわじわと戻ってくる。
「西側ドラマの撮影?」
「主役来ました!」
やいのやいのと皆が囲む中、男子の一人が自分のスカートをヒラヒラさせながら菜月の横に並んだ。
「同じセーラー服でも、この違いだよ。私たちが着るのは、ただの作業服なのにさ。別物だよね」
志織も珍しく遠慮のない視線で、菜月の制服をまじまじと見つめている。
「でも、確かにこのスタイルだと女子用の制服、と言われても不思議と頷けるかもね。だって男子には、こんな可愛いセーラー服似合わないでしょ」
あの志織が、こんなにも素直にセーラー服を可愛いと口にするなんて、なんだか意外だな、と思った。
「あー、分かる。確かにこれは無理だよね。西側のドラマで見た女子高生そのものだもの」
小春もうんうん、と首を縦に振る。
「そもそも、作業服に可愛いなんて必要ないし、求めてないからね。なんなら通気性を極めてメッシュ仕様にして欲しいくらいだよ」
小春の言葉に、私も心の中で深く同意した。
ついでにちょっとしたペンやメモ帳、欲を言えば水筒がサッと取り出せるようなポケットを増やして欲しいな、なんて便乗して思う。
そのとき、菜月が何を思ったのか「あっ」と声をあげ、志織に肩を寄せた。
「じゃあさ。志織君も着てみようよ、これ」
「……はい?」
志織の声が、綺麗に裏返った。
まるで未知の惑星の言語を聞かされたような、完璧な当惑。




