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女ー男じゃない!  作者: 秋桜


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14/37

余韻

 体育祭の翌日。


「……ウソ」


 目が覚めて、枕元の時計を見ると、まだ五時だった。


 てっきり今日は、身体が鉛みたいに重くて起きられないだろうと思っていたから、アラームも設定していなかったのに。


 外はもう薄っすらと明るく、カーテン越しにやわらかな光が差し込んでいる。


 室内ではルームメイトの2人による、豪快なイビキの合唱祭が開催されていた。


 寝返りを打つと、膝がじくりと熱を持った。


「ああ、そうだった」


 痛みと一緒に、昨日の転倒が蘇った。


 ベッドの端に腰を下ろし、指先で包帯の端をそっと探る。


 少しはマシになったかなと、淡い願いをかけながら、ガーゼをゆっくりと剥がした。


「うわ」


 傷口を見て、思わず顔をしかめた。

 甘かった、まだ赤い。


 視覚で確認した途端、痛みまで調子に乗ってまた主張を始めた。


 ぼんやり膝をさすっていると、昨日の体育祭が、勝手に頭の中で再生された。


 応援席のざわめきと、押し合う無数の足音。

 そして、その喧騒を突き抜けて聞こえた声。


 「頑張れー!」


 あれは、菜月か、志織か、それとも、まとめて全員の声だったのか。


 東側が作り上げた形に、西側のまっすぐな気持ちが重なった。


 あの瞬間、どちらか一方だけでは生まれなかった熱が、確かにそこにあった気がした。


 記憶を辿るうちに、ほんの少しだけ口元が緩んだ。

 今日くらいは、こんな風に余韻に浸っていてもいいだろう。


 いつもなら休日は友達と河川敷を走るのだけれど、今日はやめておいて良かった。 

 さすがにこの足では無理だ。


 かと言って、イビキは子守唄には程遠くて二度寝する気にもなれない。


 仕方なくジャージを羽織って寮の外に出ると、朝の空気は澄んでいて気持ちがよかった。


 軽く屈伸をしてみると、伸ばすたびに膝が抗議するが、動けないほどではなかった。


 体育祭翌日の五時から元気な人はさすがにいないのか、中庭は静まり返っていた。


 テラス席のチェアに腰掛けると、ひやりとした感触に小さな悲鳴をあげてしまった。


 読書という気分でもなかったので、なんとなく持ってきた進路調査書を開いた。

 考えるというより、ぼんやりと眺める。


“研究職”


 勢いで書いた文字を、指でなぞった。


 理由は単純だ。


 答えが一つじゃない問題を、時間をかけて追いかけられるから。


 派手なものでなくていい、誰かの生活の底で静かに役に立つものがいい。


「今日の研究対象は、この膝かな」


 自嘲気味につぶやいた瞬間、昨日の転倒が鮮明に蘇った。


「大丈夫、夏樹ちゃん!」


 応援席から飛び込んできた、菜月の姿。


 西側由来の黒船、なんて思ったこともあったけれど。


 違う。


 五月の穏やかな日差しの中、のんびりと季節の移ろいを運んでくる、夏鳥みたいな。


 思えば菜月が転入してきてから、景色の色が少しだけ明るくなったような気がする。


 と、我ながら何を真面目に感傷に浸っているんだと、可笑しくなった。


 その時、迷いのない、一定のリズムでこちらへ近づいてくる足音が響いた。


「夏樹ちゃん、生きてるかー?」


「やっぱり」


 それまでの静寂を打ち破るかのように現れた小春は、向かいのチェアを引いた。


「さっすが体力おばけ。早すぎない?」


「お互い様だよ」


「私の部屋、全員爆睡。廊下に出たら、夏樹ちゃんが見えたわけ。だから偵察に来たよ」


 笑いながら、ちらりと私の膝を見る。


「まだ赤い?」


「まあまあ」


「ふーん」


 チェアに深く身体を預けながら、小春は大きく伸びをした。


「なんだか夏樹ちゃん、最近ちょっと変わったよね」


「は?」


「悪い意味じゃなくてさ。怪我して戻るとか、前ならしなかったでしょ」


「……そんなことないよ」


「ふーん」


 指をぱちんと鳴らすと、納得したような顔をした。


「夏樹ちゃんってさ、決められた道を否定しないけど、決めつけられるのは嫌いでしょ」


「嫌いってほどじゃ」


「嫌いだよ。バレバレ」


 間髪入れずに返ってきた。


「『こういう人でしょ?』って言われると、困ったような顔するもん」


 言われてみれば、確かにそうかもしれない。


 競技も、勉強も、そして制度も。


「器用貧乏って言われない? あ、これ褒め言葉ね」


 小春はあくびをひとつ漏らすと、話を締めるように笑った。


「ま、余計なお世話だったかな。でしょ?」


 なんだか自分の内側を覗かれているようで居心地が悪くなり、無理やり話題を切り替えた。


「そう言えば。小春ちゃんは進路決めるの早かったよね。東部総合物流アカデミーでしょ?」


 手に持っていた進路調査票を、わざとらしくひらひらと見せた。


「うん、特殊搬送科。震災のとき止まったでしょ? ああいうの嫌いなんだよね」


「大変そうだね、あそこは」


「でもさ、あれ動いてないと社会が止まるから……。なんてね! 国家公務員だからおいしいかなって。単純でしょ?」


 熱っぽく語り出したかと思えば、照れくさくなったのか、すぐにいつものおどけた調子に戻った。


「先生が、私なら推薦枠でいけるって。ただし、物理はもっと頑張らないと、とはクギ刺されたけどね」


 そこまで言って、わざとらしく声を弾ませた。


「そこで! 我らが夏樹先生の出番なわけですよ」


「つまり、それを言いに来たってわけね」


 わざとらしくため息をつき、追い払う仕草をすると、小春は待ってましたとばかりにニヤリと笑った。


「あれあれ、そんな冷たい態度とっていいのかな?」


 そう言うと、ポケットからスマホを取り出した。


 そこには無様に転ぶ私の姿が、絶妙に情けない角度で写っていた。


「それ、どこから!」


 慌ててスマホを奪い取ろうと手を伸ばすと、小春は「おっと」と身を翻した。


「写真担当の先生。やっぱり撮ってたらしくてね、データもらったんだ」


「……」


「さすがに公式記録には使わないって言ってたよ? まあ」


 勝利を確信した顔で、スマホを掲げた。


「これをどうするかは、私次第だけど?」


「こいつ!」


「いやー、芸術点高いよ? 重力の研究資料として保存する?」


「消して!」


「では、物理指導五回で手を打ちましょうかね」


「それ、脅迫じゃない」


「違いますー、高度な交渉ですー」


 五月の朝の空気が、少しだけ柔らいだ。

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