残響
体育祭の翌日。
「……ウソ」
そんな自覚はなかったのだけど、どうやら疲れていたのか、目が覚めたときにはいつもより二時間も遅かった。
今日が土曜日だと気づいたのは、慌ててクローゼットから奪うようにセーラー服を引っ張り出した瞬間、奈緒からのメッセージ着信が鳴ったからだ。
『今日十一時から電話しよっ』
当然、食堂の提供時間はもう終わっていたので、共用のキッチンで適当に用意した、ちょっと冷めたトーストとスープを流し込む。
遅めの朝食を取りながら、今日はもう昼食兼用でいいかな、なんて思う。
ゆっくりと食べていたら、いつの間にか時計は十時三十分前になっていたので、急いで残りを詰め込んだ。
寮の外に出て、テラス席に腰を下ろすと、金属製の小さなチェアはひやりとした感触がまだ残っている。
いつもなら、読書をしたりコーヒーを飲んでいる生徒がいる時間帯だが、流石に今日は人の気配がない。
私はスマホを取り出し、誰もいないのを確認してから、スピーカーに切り替えた。
《真帆・奈緒 グループ通話中》
画面の表示が変わった途端、スピーカーから飛び出してくるんじゃないかという勢いで、二人の声が重なって響く。
『もしもーし! 元気ー?』
音が割れるくらいの、相変わらず元気すぎる声だ。
「うん、元気元気! 二人も元気にしてた~?」
私も負けじと声を張る。
『昨日途中から既読つかなくて不安だったんですけどー』
『倒れたかと思ったわ』
「ごめんごめん!あと倒れてないからね!」
そう言った瞬間、夏樹が転倒した場面がフラッシュバックしたのは内緒だ。
『で、どうだった? 東のガチ体育祭は』
「すごかったよ! それがもうね。なんというか、とにかくすごかったよー!」
『だよね! 何あの丸太、びっくりなんだけど!』
『もうさ、体育祭っていうより体育まつりじゃん』
ペロンチェの話の時もそうだったけど、こういう東西ギャップの話は、やっぱり盛り上がる。
「特に最後の押し綱引き?ってやつも、すっごい盛り上がってさ」
『え、押し、綱引き? 押すの、引くの?』
真帆が、思った通りの反応をしてくれて楽しい。
「うん。押し綱引き。ほぼ相撲なの」
『は?』
『なにそれ見たい』
ピロンと通知音が鳴る。
奈緒が送ってきたのは、力士が突っ張りをしているスタンプだった。
「あはは、やめてー」
『動画ないの?』
『絶対盛り上がるやつじゃん』
「撮る余裕なかったんだってば、ホントに」
話しているうちに、またあの時の熱がよみがえってきて、手で顔を仰いだ。
「応援もさ、東側は右!とか、前!とか、指示系なんだよ」
『指示系?』
『なにそれ部活?』
「なんか、統制とれてる感じ。声も揃ってるし」
『西だったらさ』
『いけー!で全部解決だよね』
「あ、それ力が入って思わず一人で叫んじゃったよ」
スピーカーの向こうが、一瞬しんと静まり返った。
『え』
『言ったの?』
「うん。咄嗟に」
『菜月ちゃんが?』
『一人で?』
「一瞬、空気止まっちゃったよ」
『うわ気まず』
「うん。でもね」
その光景を思い出して、自然と笑みがこぼれる。
「そのあと、みんなも叫び始めて」
『え、熱』
『ヒロインかよ』
真帆が「青春」の文字スタンプを連投してきた。
「うるさいぞ!」
こういうノリ、やっぱり好きだ。
『で、勝ったの?』
『そこ大事だよね』
「うん、勝ったよー!」
『うわああ』
『はい青春確定』
奈緒がスクショを送ってくる。
グループ名がいつの間にか、
《菜月・東側で無双中》
になっていた。
「ちょっと、なにこれ、変えないでよー」
そんな他愛もないやりとりがおかしくて、三人同時に笑い声をあげた。
少し落ち着いたところで、真帆が声を潜めるようにして言った。
『でもさ、右とか前とかって、ちょっと軍隊っぽくない?』
「うん、正直最初はそう思った。圧倒されちゃったもん」
『でしょ?』
「でもね」
あの場にいたからこそ、分かったことがある。
「ちゃんと意味あるんだよ、あれ」
『意味?』
「右が崩れてるとか、重心低くとか。ただのがんばれ、じゃなくて、今どこが危ないか、どうすればいいかを伝えてる感じ」
『えー、分析班みたいだね』
「うん、なんていうかね。応援も、作戦の一部みたいで。気持ちだけじゃなくて、必要な支えになってる感じかな」
自分でも少し真面目に語りすぎたかなと思い、そこで一度言葉を止めた。
「東側のやり方も、いいなって思ったんだ」
『そっか』
『ならよかった』
ふとした沈黙が流れたけれど、決して気まずいものではなく、むしろ心地よささえ感じた。
『あ、ちょっと待って、お母さんに呼ばれた』
『奈緒ちゃん、ご飯落ち?』
「またねって言っといて」
『まだ切らんわ』
物音と、遠くで「はーい」という声。
その隙を狙ったみたいに、真帆が小声で囁いた。
『ねえ』
「ん?」
『ん?じゃなくて! 夏樹く……ちゃんとは、どうなの、どうなのよっ』
「……どうって?」
『いや、どう見てもイベントあったでしょ』
あった、あったけど。
あれを改めて言葉にするのは、いくら私でもちょっと気恥ずかしい。
指先で髪をいじりながら、ごまかすように答えた。
「うーん、一緒に体育祭やった感じかな?」
『あ~、逃げた、今の完全に逃げた。ずるいぞー』
「だって、本当にそうとしか言えないんだもん」
『あはは。まあ、菜月ちゃんらしいわ』
奈緒が戻ってくる気配がした。
『なになに、何の話?』
「なんでもないー」
はぐらかす私にブーイングを浴びせ、また三人で笑い合う。
スピーカー越しの声が、少しずつ日常に戻っていく。
私はスマホを置いて、目を閉じた。
胸の奥に残る響きは、まだ完全には冷めていない。
たぶん、私の中であの一日は、まだ終わっていない。
頬を撫でていく風が、とても心地よかった。




