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女ー男じゃない!  作者: 秋桜


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12/37

熱狂

 綱の前列、空いた隙間に飛び込んだ瞬間、小春と目が合った。


 視線だけで交わした一瞬のやり取りだけれど、それだけで次に何をすればいいか分かった。


 次の刹那、互いの肩が寸分違わぬ角度で綱に入った。


 踏み込む足の位置、体重を乗せるタイミング。

 考えようとする前に、身体が勝手に揃っていく。


「押すよ!」


 誰かの声に合わせて、一斉に力をかける。


 綱が軋み、足元の地面が低く鳴った。


 押し返す、押し返せているが、それでも、あと一歩の決め手がないまま拮抗している。


 ほんの数十センチの領土を奪い合う、息の詰まる時間。


 包帯の下で、足首がじくりと主張を始めている。


 それでも今は、気にしないと自分に言い聞かせる。


 あと少しのはずなのに、その少しがやけに遠い。


 まるで鉄の壁のように、相手も崩れない。


 声も、力も、まだ足りない。

 だけど、もうこれ以上は絞り出せない。


 *


 ――あ。夏樹ちゃんが、いる。


 一瞬、その姿に心臓が跳ねた。


 足は大丈夫なの?

 なんで、戻ってきてるの。


 でも、必死に綱に食らいつく横顔を見て、飲み込んだ。


 これは、夏樹が自分の意志で選んだ行動だから。


「足元、崩れてる!」

「重心低く!」


 私も、周囲の女子たちに合わせて声を出す。


 東側の正しい応援の仕方だと、頭では分かっている。


 でも、どうしても心と声が噛み合わなくて、ぎこちない。


 転入したばかりの私では、このリズムにまだ乗り切れていない。


 それでも伝えたい、 届かせたい!


 男子たちの列が、相手の圧力にわずかに下がった。


 その瞬間、私の気持ちが弾け飛んだ。


「頑張れ、夏樹ちゃん!!

 負けるな、みんなー!!」


 考える前に、声が出ていた。


 ただの、剥き出しの感情だった。


 周囲が、一瞬静まる。


「……え?」


 女子たちに、戸惑いの空気が広がる。


 でも、すぐに誰かが続いた。


「お、押せ押せ!」

「踏ん張れー!」

「まだいけるよ!」


 皆の音程はバラバラで、声も整っていない。


 でも、そこには熱が宿っている。


 波紋は一気に広がっていく。


 別のクラスの女子たちも、それぞれの言葉で、声を張り上げ始める。


 グラウンド全体が、ひとつのうねりになる。


 *


「……頑張れ!」


 気づけば、俺は立ち上がっていた。


 無意識にこぼれた声に、自分で驚く。


「あ」


 隣に座る佐藤先生に気づいて、思わず言葉を止めた。


 先生は一瞬きょとんとしてから、ふっと笑った。


「どうしたの? 気持ちを伝えるのにスタイルなんてないでしょ」


 そう言って立ち上がり、ぱん、と手を叩く。


「その調子! まだまだ!」


 ……ずるい。


 おかしくて、でも、胸のつかえが取れたような気がした。


「ほら、風間さんも声を届けて上げなさい」


 と、先生が俺の背中を押した。


 俺はテントを飛び出して、皆のいる応援に向かうと、今度こそ、深く、深く息を吸い込んだ。


「行けーーー!!」


 *


 空気が、変わった。


 背中越しに流れ込んでくるのは、まとまりはないけれど、感情の乗った、まっすぐな声。


 視界の端の応援席で、跳ねるように叫んでいる菜月や志織たちの姿が見えた。


 うん、聞こえているよ。


 それは、私だけじゃない。


 小春も、後ろの連中も、全員の肩の入り方が変わった。


 呼吸が揃う。

 全員が叫ぶ。


 合図なんて要らなかった。


 同時に、残された全力を地面に叩きつけて踏み込む。


 綱が、ぐっとこちらに寄る。


 相手側の足が、砂を噛み切れずにわずかに滑った。


 逃すな、考えるな、ただ押せ。


 地面を削る感触。

 息が追いつかない。

 足首が悲鳴を上げている。


 それでも、止まらない。


 綱の結び目が白線を越えた瞬間、長く鋭い笛がグラウンドに響いた。


 一瞬静寂が訪れて、直後に爆発的な歓声が天を突いた。


 勝った、勝ったんだ。


 力が抜けた瞬間、痛む膝を支えきれず、その場にへたり込んだ。


 視界の向こうで、菜月たちが飛び跳ねながら、両手を振っている。


 胸の奥が、熱くなる。


 怪我の痛みも息の苦しさも、全部ひっくるめてこの一瞬のためだったんだと、ただそう思った。


 笛の音が遠ざかるにつれて、身体の芯に残っていた熱も、少しずつ引いていった。


 代わりに、遅れて痛みが戻ってくる。


「……っ」


 足首に力が入らず、視界がぐらりと揺れた。


「夏樹ちゃん!」


 名前を呼ばれて顔を上げると、さっきまで応援席にいたはずなのに、いつの間にか菜月がそこにいた。


「無茶しすぎ!」


 そう言いながらも、責める声じゃない。


 しゃがみ込んで、私の足元を見る。


「やっぱり、ズキズキする?」


「うん。ちょっとだけ」


「ちょっとだけって顔じゃないよ」


 と、苦笑いしながら言う。


「でも」


 今度は満面の笑顔で。


「かっこよかったぞ!」


 そして右手を挙げた。


 ああ、わかってる。


 ――ハイタッチ。


 グラウンドのざわめきが、ようやく現実の音として戻ってきた。


 勝ったクラスの歓声。

 負けたクラスの拍手。

 誰かが転んで、誰かが笑っている。


 男子たち同士でも、次々と手が重なる。


「ナイス!」

「よく押したな!」


 その波は応援席まで届き、志織たちも、自然と輪に引き込まれていく。


 パン、パン、と。


 言葉はいらない。


 泥だらけの手も、赤くなった掌も、全部ひっくるめて。


 体育祭の最後は、そんなふうに、笑顔と熱気で締めくくられた。

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