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第七話「幼馴染と、領地の石畳」

第七話「幼馴染と、領地の石畳」


 リリスと二度目に会ったのは、初対面から半年後のことだった。


 今度はヴァルロード家での茶会だった。エレノアがクレシェンテ公爵夫人を招いた席で、リリスも一緒に来た。ゆうは「来るかもしれない」と思っていたが、それを誰かに言ったことはなかった。


 リリスは前と同じだった。銀色の髪に、蒼い瞳。凛とした立ち姿。でも今度は、少し慣れた顔でゆうを見た。


 「また会えたね」


 「来てくれてありがとう」


 リリスは少し間を置いた。


 「……招待したのは、お母様でしょう」


 「でも来てくれたのはリリスだ。それはリリスが決めたことです」


 リリスはゆうを見た。何か言い返そうとして、でも言葉が見つからなかったような顔だった。結局「そう」とだけ言って、視線を外した。


 それだけだった。でも、それだけで十分だった気がした。前回の「また来る?」という問いへの、半年越しの答えになった気がして、ゆうは内心で少し笑った。


 茶会の間、大人たちが話している隣で、ゆうとリリスは少しだけ話した。たいした内容ではない。庭の花の話、最近読んだ本の話、天気の話。でもリリスは、ゆうが話すことを最後まで聞いた。遮らず、先を急がず、ちゃんと聞いていた。


 (この子は、人の話を聞くのが上手だな)


 ゆうは思った。


 公爵令嬢として育てられているから礼儀として身についているのかもしれない。でもそれだけではない気がした。聞きながら、少しだけ目が動く。考えている目だ。


 帰り際、またすれ違った。


 「また会える?」


 リリスが聞いた。


 「会えると思います」


 「……前も同じようなことを言っていた」


 「同じ気持ちだからです」


 リリスはしばらくゆうを見ていた。それから「そう」と言って、母親の方へ戻っていった。


 (また来る、というのを直接言わない、か)


 ゆうは少し考えた。


 どういう意味かはわからない。でも同じ問いを二度するのは、答えを確かめたいからだろう、とは思った。



 それから、社交シーズンのたびに顔を合わせるようになった。


 どちらかの家で茶会があるとき、どちらかの親が相手の家に招かれるとき。エレノアとクレシェンテ公爵夫人の関係が深まるにつれて、ゆうとリリスが同じ場にいる機会も自然と増えた。


 会うたびに、少しずつ話すようになった。


 たいした話はしなかった。子どもどうしの、短いやり取りだ。でも回を重ねるごとに、少しずつ変わることがあった。


 六歳になったころ、リリスが初めて自分から話しかけてきたことがあった。


 「ユウは、勉強は好き?」


 唐突な問いだった。


 「好きです。嫌いなものが特にないので」


 「私は計算が嫌い」


 「なぜですか」


 「答えが一つしかないから」


 ゆうは少し驚いた。六歳の言葉にしては、なかなか鋭い。


 「答えが一つしかないから嫌い、というのは、逆に面白いと思いますが」


 「どうして」


 「他の問いは、答えがいくつもある。だから正解かどうか、なかなかわからない。でも計算は、合っているかどうかがはっきりわかる。それは、ある意味楽じゃないですか」


 リリスはしばらくゆうを見ていた。


 「……そう考えたことなかった」


 「嫌いなままで構いませんよ。ただ、視点を変えると少し違って見えることもあるので」


 リリスはまた黙った。何かを考えている顔だった。それから「ありがとう」と言った。


 (この子は、ちゃんと考える)


 ゆうはそれが、うれしかった。



 七歳になったころから、ゆうは領地のことに本格的に関わり始めた。


 きっかけは、父との会話だった。


 ある日、オルグレインが書斎でゆうを呼んだ。


 「ユウ、少し聞いていいか」


 「はい」


 「うちの領地の道路について、お前はどう思う」


 ゆうは少し驚いた。七歳の子どもに領地の道路の話を聞く父も父だが、聞いてくれるのなら答えたかった話でもあった。


 「正直に言っていいですか」


 「言え」


 「東の村に向かう道が、雨のたびに泥になっています。春と秋の収穫時に荷車が動きにくくなって、輸送が遅れていると聞きました」


 父は少し目を細めた。


 「聞いた、というのは」


 「使用人たちの話と、庭師の話から」


 父はしばらく黙っていた。それから「それで?」と続けた。


 「石を敷けば変わると思います。全部は難しくても、荷車が通る轍の部分だけでも。雨水が流れる溝を端に掘れば、泥になりにくくなる。費用は、収穫ロスより少ないはずです」


 オルグレインは、ゆうをじっと見た。


 何かを確かめるような目だった。追及するわけでもなく、でも見過ごすわけでもない——そういう目だ。


 「……お前は、何者だ」


 静かな声だった。責めているわけではなかった。ただ、真っ直ぐに問いかけていた。


 ゆうはどう答えるか、少し考えた。


 「ヴァルロードの長男です。それ以外のことは、うまく説明できません」


 「そうか」


 父は一言だけ言って、それ以上は聞かなかった。


 翌月、東の村に向かう道の補修が始まった。



 道路の補修は、半年かけて段階的に行われた。


 全部を一度にやるのではなく、まず一番傷みの激しい区間から。石の調達先、職人の手配、工期の管理——父がやりきったのだが、方針と優先順位の整理には、ゆうも関わった。


 表向きは「父が決めたこと」だ。七歳の子どもが提案した、とは誰も思っていない。でもオルグレインは、要所要所でゆうに「これでいいと思うか」と聞いた。ゆうはその都度、正直に答えた。


 補修が終わった秋、荷車の輸送が明らかにスムーズになった。


 村の代表が屋敷に礼を言いに来た。「道がよくなって、今年の収穫が例年より早く王都に届けられた」と言っていた。父が静かにうなずくのを、ゆうは少し離れたところから見ていた。


 (一つ形になった)


 内心でそっと思った。


 これが最初の一歩だ。道路が一本改善された。それだけだ。でも、この領地で生きる人たちの暮らしが、少しだけ変わった。その手触りが、ゆうには確かにあった。



 八歳のころ、エレノアの化粧品について、屋敷の外から問い合わせが増えていた。


 社交界で評判が広まり、「ヴァルロード夫人が使っているものを分けてもらえないか」という声が複数の貴婦人から届くようになっていた。エレノアがゆうに相談してきた。


 「どうしようか、ユウ」


 「以前考えていた通りにしましょう」


 「二段階、というやつ?」


 「はい。一般向けには、基本的なものをまとめて用意します。特別なものは、お母様が認めた方にだけ渡す形にする」


 「私が認めた方?」


 「お母様の紹介状がないと手に入らない、という形です。そうすれば、特別なものの価値が保たれる」


 エレノアはしばらく考えていた。


 「……なるほど、そういうことか」


 「月光の花が認めた品、というのが、一番の価値になります。それを崩してはいけない」


 エレノアは少しの間、ゆうを見ていた。それから静かに言った。


 「ユウって、本当に不思議な子ね」


 「そうですか」


 「いい意味よ」


 四度目だった。ゆうはもう慣れた。



 化粧品の扱いを整理するにあたって、ゆうは父に話をした。


 「商会を作りたいと思っています」


 夕食の後、書斎で二人になったときに切り出した。父は書類から顔を上げて、ゆうを見た。


 「商会、か」


 「はい。化粧品をヴァルロード家が直接売るのは、家格の問題があります。でも商会を立てて、そこが扱う形にすれば、貴族としての体裁を保ちながら利益を得られる」


 父はしばらく黙っていた。


 「名前は考えているか」


 「シルフィードにしようと思っています」


 「シルフィード」


 「風の精霊の名前です。お母様の髪が風に揺れる様子から取りました」


 父は少しの間、その名前を口の中で転がすような顔をした。それから、かすかに笑った。


 「……エレノアは知っているのか」


 「まだです。よければ一緒に話してください」


 「そうしよう」


 三人で話した夜、エレノアは「シルフィード」という名前を聞いてしばらく黙っていた。それから「ずるいわね」とだけ言った。声が少し柔らかかった。


 商会シルフィードの設立は、ゆうが八歳のうちに形になった。


 表向きの代表は父の知人の商人が務める。仕入れと製造の管理はゆうが実質的に担い、エレノアの名前が品質の保証として機能する。一般向けの基本ラインと、エレノアの紹介状がなければ手に入らない特別ラインの二本立て——その構造が、最初から組み込まれていた。


 (動き出した)


 ゆうは静かに思った。化粧品という小さな始まりが、この家の財政に確かな流れを作り始めた。



 その年の社交シーズンに、リリスと久しぶりに会った。


 お互い八歳になっていた。三年間、季節ごとに顔を合わせてきた。最初の「また来る?」という問いから、ずいぶん時間が経った。


 今回はクレシェンテ家での催しで、庭に出る時間があった。リリスと二人で、花壇の傍のベンチに座った。特に意図があったわけではなく、自然にそこに落ち着いた。


 「ユウは、最近何かしているの?」


 リリスが聞いた。


 「領地の道を整えるのを手伝いました。あとは化粧品の話を少し」


 「化粧品?」


 「お母様が使っているものを作ったんです。評判になってきたので、どう広めるか考えていました」


 リリスはゆうを見た。少し意外そうな顔だった。


 「自分で作ったの?」


 「はい」


 「なぜ作ろうと思ったの」


 「お母様の髪が、くすんでいたので」


 リリスはしばらく黙った。何かを考えている顔だ。


 「……お母様のために」


 「そうです」


 「そういうこと、思いつくのね」


 褒めているのか、不思議がっているのか、判断が難しい言い方だった。でもリリスの目が、少し柔らかかった。


 「リリスは、最近どうですか」


 「勉強。礼儀の稽古。退屈ではないけれど、同じことの繰り返しな気がして」


 「それは必要なことだと思いますが」


 「わかってる」


 リリスは少しだけ、口をとがらせた。珍しい表情だった。完璧な公爵令嬢の仮面の下に、子どもらしい本音が見えた気がした。


 (かわいいな)


 内心で思った。もう、複雑な気持ちはなかった。三年間、少しずつ積み上げてきた時間の中で、この気持ちはゆうの中でとっくに定まっていた。


 「でも、退屈な稽古をちゃんと続けているから、リリスは話が面白いと思います」


 「どういうこと」


 「考えることが好きな人は、何を学んでも面白いことを見つける。リリスはそういう人だと思うので」


 リリスはまたゆうを見た。今度は少し、頬が赤かった気がした。


 「……褒めるのが上手ね」


 「褒めているつもりはないです。思ったことを言っただけです」


 「それが上手、ということよ」


 リリスは小さく言って、視線を花壇に向けた。


 ゆうもそちらを見た。秋の花が静かに咲いていた。


 しばらく、二人とも何も言わなかった。でも、嫌な沈黙ではなかった。


 (いい時間だな)


 ゆうはそっと思った。



 その夜、屋敷に戻ってから、マリアがゆうの部屋を整えながら言った。


 「今日は、リリスお嬢様とたくさんお話しされていましたね」


 「少しな」


 「楽しそうでした」


 ゆうは少し間を置いた。


 「そう見えたか」


 「はい」


 マリアはそれ以上は言わなかった。ゆうも何も言わなかった。でも、マリアが気づいているのはわかった。三年間、ゆうのそばにいる子だ。見えていないはずがない。


 (まあ、いい)


 ゆうは思った。隠すつもりはない。ただ、今は言葉にする段階でもない。


 「マリア」


 「はい」


 「今日もありがとう」


 マリアは少しの間、止まった。それから「……いえ」とだけ言って、部屋を出ていった。


 その後ろ姿を、ゆうはしばらく見ていた。



 九歳になった春、橋の話が出た。


 領地の東と南をつなぐ川に、古い木橋があった。雨期になると水位が上がって渡れなくなることがあり、その度に迂回路を使うことになる。迂回路は三里(約十二キロメートル)遠回りになるため、商人や農民の負担になっていた。


 父が夕食の席で言った。


 「橋を架け替えたいのだが、費用が読めなくて」


 「石橋にすれば、木橋より長持ちします。費用は最初にかかりますが、十年単位で見れば安くなる」


 ゆうはさりげなく言った。父がこちらを見た。


 「設計は、どうする」


 「王都に専門の職人がいると思います。一度見積もりを取ってから判断してもいいのでは」


 「……そうだな」


 父は静かにうなずいた。エレノアがゆうをちらりと見て、少し微笑んだ。


 (いつものことだな)


 ゆうは思った。食卓で自然に話す。父が動く。それがこの家での流儀になっていた。



 橋の工事は翌年から始まった。


 設計を担当した王都の職人が、途中でヴァルロードの「坊ちゃん」に何度か意見を聞いた。最初は戸惑っていた職人も、ゆうの指摘が的確なのに気づいてから、徐々に真剣に話を聞くようになった。


 「どこで学んだんです、こういうことは」


 ある日、職人が聞いた。


 「本で読んだことと、考えたことです」


 「本、ですか」


 「はい。あとは、実際に見て考えることが多いです」


 職人はしばらくゆうを見ていた。「不思議なお子さんだ」と言って、また作業に戻った。


 (不思議、か)


 ゆうはその言葉を聞きながら思った。不思議で結構だ。説明できないことを無理に説明する必要はない。結果が出れば、それでいい。



 橋が完成したのは、ゆうが十歳になったころだった。


 開通の日、近隣の村の人たちが集まって来た。石造りの、しっかりした橋だった。雨が降っても水位が上がっても渡れる。迂回の三里が、なくなった。


 村の人たちが父に礼を言った。父がうなずいた。ゆうはその後ろにいた。


 一人の老人が、ゆうに気づいた。


 「坊ちゃまが、橋を考えてくださったと聞きました」


 「父が決めたことです」


 「でも、坊ちゃまのお知恵があったと、職人さんが言っていましたよ」


 ゆうは何も言わなかった。


 老人は深く頭を下げた。「ありがとうございます」と言った。


 (ありがとう、か)


 ゆうはその言葉を受け取りながら、前世のことを少し思い出した。


 五十年間働いてきて、誰かにこういう形で礼を言われたことが、あったかどうか。仕事の成果は数字になっていたかもしれない。でも、目の前の人間が頭を下げて「ありがとう」と言う——そういう場面が、あったかどうか。


 (この世界に来て、よかった)


 ゆうは静かに思った。


 感傷かもしれない。でも、本当にそう思った。



 その夜、ゆうはマリアに今日のことを話した。


 「老人に礼を言われた」


 「聞きました。村の方々、みなさん喜んでいらっしゃったそうですね」


 「そうらしい」


 マリアはゆうの上着を片付けながら、少しの間黙っていた。それから、静かに言った。


 「ユウ様は、そういうことが好きなんですね」


 「何が」


 「誰かの役に立って、喜んでもらうことが」


 ゆうは少し考えた。


 「好きかどうかは、わからない。でも、嫌じゃない。むしろ——こういうことのためにここにいる気がする」


 マリアは何も言わなかった。でも、ゆうの言葉をちゃんと聞いていた。そういう顔だった。


 「マリアは、何のためにここにいると思う?」


 少し意地悪な問いかけだったかもしれない、とゆうは思った。でも聞いてみたかった。


 マリアはしばらく黙った。それから、静かに言った。


 「……ユウ様のそばで、役に立つためだと思っています」


 「それだけか」


 「今は、それで十分です」


 短い答えだった。でも、その「今は」という言葉が、少し引っかかった。ゆうはそれ以上は聞かなかった。


 窓の外で、夜風が吹いていた。


 橋が完成した日の夜は、静かに更けていった。

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