第7話 保護と監禁は紙一重
学園の聖女の影響力は計り知れない。
あの日の翌日から、登校中なども含め、俺の周辺には平穏な日常が広がりつつあった——
もちろん完全に陰口が消滅したわけではない。
だが、今までのような物理的な嫌がらせは完全に鳴りを潜めており、深月さんが俺の隣の席で常に目を光らせているクラス内に至っては、前とさして変わらないほどの状態に戻っているほど。
彼女のやり方については、少なからず過激すぎると思うが……彼女なりの正義感と同情心のもと、俺を守ろうと行動してくれているのだろう。
学園内がこの状態のであれば、耀の心労も少しは薄れるはずだ。
まあ、その理由が百合園財閥の武力介入によるものだということは、いずれ耀の耳にも入るだろうが、俺に同情して善意でやってくれていると分かれば耀も文句は言うまい。たぶん。
そして、あっという間に放課後となり——
今日も頑なに俺の側から離れようとしない、深月さんの微笑みがそこにある。
「今日も無事に終わりましたね……護くん」
「いやぁー……疲れたね、深月さん」
「ですね〜」
席を立ち凝り固まった筋肉をほぐすように背伸びをしてから、俺はいつものように荷物をまとめ始めると、そのすぐ横で彼女も優雅な所作で同じように鞄に私物をしまってゆく。
「そういえば護くん……今日、なにか嫌な事とかされたりしませんでしたか?」
空色の瞳にほんの少しの不安と、過保護な母性を滲ませて、深月さんが俺の顔を下から覗き込んでくる。
「全然ないよ。むしろなんか気を使わせちゃって悪いね……ありがとう深月さん」
「いえいえ気にしないで下さい。護くんに大事がなくてわたくしも安心しました」
ふわりと咲くその微笑みは本当に息を呑むほど美しい。
耀の笑顔が『清楚』であるなら、深月さんのそれは『高貴』といったところか。
しかし、そんな彼女の純度100%の善意を向けられるたび、胸の奥がザクッと罪悪感に刺される。
「もし何かあればいつでも遠慮なく言ってくださいね?わたくしが全力で護くんを守りますから♡」
「ありがとう……ごめんね……あははっ……」
無意識のうちに口をついて出た謝罪の言葉を、俺は慌てて笑いで上書きしてごまかす。
この状況は、俺自身が耀を守るために意図的に作り出した自作自演のシナリオだ。
にもかかわらず、それを知らない深月さんは俺を『悲劇の勇者』みたいに盛大に勘違いし、ここまで献身的に守ろうとしてくれているわけで……このマッチポンプ的な状況がバカみたいに胃にくる。
本音を言えば、今すぐにでも彼女に真相を打ち明けて土下座で謝罪したい。
だが、それはできないのだ。全ては耀のキャリアを守るため。
真相が外部に漏れれば、それはそのまま耀の致命的なスキャンダルへと直結してしまう可能性がある。
そして何より、この状況をより難しくしているのが深月さんというイレギュラーの存在であり……。
もし俺が罪悪感に耐えきれず彼女に真実を話したら、学園中を敵に回す勢いで俺を庇った彼女は裏切られた絶望で反転し、昨日の二人組みたいに俺の社会的な息の根を止めにくる可能性もある。
最悪の場合、百合園財閥の強大な権力を使って耀のキャリアさえ潰しにかかるかもしれない。今でさえその可能性は捨てきれないのに……。
だから、俺は学園内のいじめから免れた代償として、常に『弩級の罪悪感』と『権力による弾圧の恐怖』という別の地獄を背負うことになってしまったわけだ。
「さてと……じゃ、俺はここらへんで——」
これ以上彼女の善意に触れていると心が折れそうだったので、逃げるようにその場から立ち去ろうとしたその時。
まるで当たり前のように、深月さんがしれっと俺の真横に並んだ。
「ええ……帰りましょう、護くん♡」
「……ん?……」
ニコニコと当たり前の事のように言葉を返してきた深月さん。
「どうしました?帰りましょ?護くん」
「・・・・・・」
その自然さと驚きでその場で足を止めてしまった俺を、深月さんがキョトンとした顔で見つめ返してくる。
……どうやらここで解散とはいかないらしい。
本来ならこんな絶世の美女と一緒に下校できるなんて、男としてこれ以上ないイベントのはずだ。
だが、なんだろう……この背筋を這い上がるような得体の知れない恐怖は。
なんというか、その過保護感がバカ重い。
まるで夜な夜な俺の部屋に侵入してくる、あのオモインの亜種のように……。
しかし、ここで彼女の誘いを断って機嫌を損ねるわけにもいかないのだ。
……一緒に帰ると言ってもどうせ校門前で分かれる感じになるはずだ、住んでいる世界が平民と貴族では全く違うのだから。
そう自分に言い聞かせて俺は言葉を返した。
「そっ、そうだね……いこっか深月さん」
「はい♪」
ふんわりと陽だまりのような極上の笑顔が咲く。
そして、俺が一歩歩みを進めた瞬間——
きゅっ……
「……っ?!?!」
「うふふっ♡どうしました……?」
俺の右肘のあたりに、スッと柔らかい感触が触れた。
耳元でくすぐるようなおちゃめな笑い声が掠め、細められた瞳。
驚いてそこに目をやると、深月さんが至極当然の顔で俺の腕に自分の腕を絡めていた。
鼻腔を殴りつけてくる官能的な香り。
北欧の血を感じさせるそのグラマーな圧……端的に言えば『バカでっかいおっぱい』が俺の腕にむにゅりと押し当てられそうになり、全身の筋肉が一瞬で石のように強張る。
だが、ただの腕組みでパニックを起こすような童貞臭い男には見られたくないという、ちっぽけなプライドもあり……。
俺は必死にポーカーフェイスを維持し、ロボットのように歩き出した——
廊下を歩き、階段を下る。その間もすれ違う生徒たちからは昨日までの蔑みとは全く質の異なる『畏怖』と『驚愕』の視線が痛いほど俺に突き刺さる。
これも深月さんの作戦なのだろうか?
「この男はわたくしの庇護下にある」という無言のメッセージを全校生徒に植え付けるための。
その後も、下駄箱で一度離れて靴を履き替え外の空気に触れた途端、また自然な動作で俺の右腕に彼女の柔らかい感触と体温が宿る。
……これ、耀に見られたら殺されるんじゃ……?
あの女は桁外れに嫉妬深い。というかただの幼馴染だというのに独占欲がスゴい。
自分の特等席をぽっと出の令嬢に横取りされたと知れば、彼女のメンタルが崩壊してしまう可能性もあるだろう。
そんな事を考えながら、深月さんの会話に脊髄で反応していると、あっという間に校門まで辿り着いてしまった。
やっと解放される……そう安堵の息を吐きかけたその時——
まるで見計らっていたかのように、一台の黒塗りの高級車が俺たちの目の前に音もなく滑り込んできて、運転席からスーツを着こなした妙齢の紳士が降りてくると、こちらへ向かって深々と頭を下げてくる。
「深月お嬢様……お疲れ様です。お迎えに上がりました」
「ありがとう、吉村」
サッと俺の腕から手を離すと、深月さんはその吉村と呼ばれた紳士に優雅な笑みを返した。
……これが、世に言う専属運転手付きの送迎車というやつなのか。
完全にドラマの中の光景。これが百合園財閥ご令嬢の日常。やはり次元が違いすぎる。
俺が呆然とその光景を見つめている前で、吉村という男は手慣れた動作で深月さんの鞄を受け取り車の後部座席の重厚なドアを開け放った。
「どうぞ、お嬢様……」
その流れるような仕事に見とれていると、車の前に立った深月さんがふわりとこちらへ視線を送ってきた。
「さあ護くん……乗って下さい」
「…………ん?……乗る?」
彼女が何を言っているのかマジで理解できず、俺は間抜けな顔でポカンと立ち尽くしてしまう……すると、深月さんは俺の袖口を摘んで軽く引いた。
「家まで送りますよ?だから乗って下さい」
「えっ?!ちょっ、送るって……?!車で?!」
「他に何があるんですか?ほらっ、いいから早く乗って下さい♪」
「いやいやっ!よくないって?!うわっ!?」
抵抗する間もなく深月さんに背後に回られ、半ば強引に背中を押される形で車内に押し込まれた俺。
そんな俺の退路を塞ぐように後ろから深月さんが乗り込んでくると、パタンと重いドアが閉められてしまう。
外の音が完全に遮断されたプライベート空間。黒塗りの高級車。逃げ場のない後部座席。
下手したらこれって拉致監禁の類に入るんじゃないのか?怖すぎる。
「えっえっ……ぇと……これどういう事、深月さん……?」
「どういうって……お家まで送ってあげるって言いましたよね?」
「いやっ、言ったけどそんな……悪いって!?俺、歩いて帰るって!?」
「ダメです護くんっ!!……めっ!!」
……めっ!?
ビシッと俺の鼻先に白く細い人差し指を突き立てた深月さん。
その有無を言わさぬ迫力に、俺は完全に気圧されてシートに背中を押し付けた。
「あの……何が、ダメなの……?」
「護くんは今や有名人なんですよ?!登下校中にも危険が潜んでいるかもしれません!だからわたくしが守って差し上げます!」
「……マジで言ってる……?それ……?」
「ええ!大マジです!」
一切の迷いなく言い切る深月さん。
そして彼女は突き立てた人差し指を自身の形の良い唇に当てると、ひどく満足そうな笑みを浮かべ、俺に向かってパチリとウインクをした。
「ふふふっ……これで、いつでも一緒ですよ♡」
「……ああ……ははははっ……まいったなぁ……」
……マズイ。予想以上にマズイ。マズすぎてセンブリ茶も美味しく感じるかも。
彼女の善意に守られているという恩恵は確かにある。
だが、下手をすれば俺のささやかなプライベートまで完全に監視され、自由が剥奪される恐れすらある。
しかし、この密室空間で絶対権力者の好意を断れるわけもなく……。
「じゃ……じゃあお言葉にあまえて……とりあえず今日のところは……ありがとうございます……」
「はい!任せて下さい♡……吉村、出して下さい……彼の家の場所は彼から聞いてくださいね」
「かしこまりました。お嬢様」
……どうしてこうなったん……。
目の前で咲き誇る聖女の笑顔を前に、俺は愛想笑いを浮かべることしかできなかった。
流石にここまで至れり尽くせりの過保護を受けるとなれば、何かお礼も考えなければならないだろう。でも、百合園財閥の令嬢が喜ぶお礼なんて俺に用意できるはずもない。
……というか、そもそも彼女はなぜそこまで執拗に俺に固執するんだろう?
今はただ、この狂気じみた熱が落ち着き、できれば自然に冷めてくれるのを息を潜めて待つしかないのかもしれない。
そんな俺の絶望的に安直で浅はかな希望的観測を乗せて、黒塗りの高級車は静かに走り出した——




