第5話 感情と権力と生姜焼きで胸焼けしそう
迎えたその日のお昼休み——
学園の聖女が放った一喝の効果は、控えめに言って凄まじかった。
クラスの人間は誰一人としてあの騒動について口にする者はいなくなり、俺の周辺には不気味なほどの平穏が強制的に作り出されていた。
授業中も、移動教室の際も、常に俺の視界の端には彼女——百合園深月がいて、俺が少しでも孤立しそうになればすぐさま隣にすっ飛んできて世話を焼いてくれる。
それはそれで純粋にありがたいのだが……一方で、物理的にも精神的にも俺のパーソナルスペースから一切離れようとしない彼女の圧に、少なからず困惑もしてしまう。
ただし、教室を一歩出ると、そこには昨日と全く変わらない底意地の悪い景色が広がっていた。
当たり前だ。聖女の一喝はあくまで俺のクラス内での出来事であり、外野の生徒たちにとっては与り知らぬことなのだから——
そんな中、俺はいつものように学食へと足を運んでいた。
ほんの数日前までは数人の友人と肩を並べて食事をしていたのだが、今は見事なまでのボッチ飯。
出来る限り他人の視界に入らないよう長机の最も端っこ、壁際の死角になる席を見つけて、定食を乗せたお盆とともにひっそりと腰を下ろす。
そこまでこっそりと行動しても、やはり好奇と悪意の入り混じった視線と心無い言葉の矢は飛んでくる。
(おい、見ろよ。あいつじゃね?藤堂さんに告ったストーカー男って)
(えっ……HIKARIちゃんに告った噂の?!うわぁ、キモ)
俺から席を2つ開けて対面で座っている男子二人組から、そんなヒソヒソ声が漏れ聞こえてくる。
イヤホンを教室に忘れてきたのを今日ほど後悔したことはない……そう思えるほど理不尽なストレスで胃がキリキリと痛み始めた、その時——
「どうも、こんにちは……そこのお二人、どちらのクラスの方ですか——?」
次いで聞こてきた優雅で芯のある声。
その独特の声色に、俺の背筋はビクリと震え上がった。
(はぇ……あっ?!もしかしてその銀髪……百合園深月さんですよね?!どうも、俺3年1組の田中っていいます!で、コイツは加藤っす)
「へぇ。3年1組の田中さんと加藤さんですか……」
視線をそっと声のする方へ動かしていくと、ヘラヘラと笑う上級生二人組の背後に、今日一日でだいぶ見慣れてしまった白銀の髪がゆらゆらと揺れている。
(はい!……で、百合園さんは俺達に何か用すか?隣の席使います?)
「まあそんな所です……で、先ほど護くんの事を話されてましたよね?」
(護くん……?)
「ええ……あちらに座っている方です」
深月さんのその一言に、途端にその二人はもちろん、周囲の数十人の視線が一斉に俺に突き刺さるのを感じ、冷や汗がどっと噴き出してくる。
(あっ……はい、まあ……)
「護くんはわたくしの大切なお友達なんです……そんな彼の悪口……言ってましたよね……?」
(えっ?!……あっ……えと……)
その絶対零度の言葉が放つ圧力は異常だった。
体格では遥かに勝るはずの男二人が、蛇に睨まれた蛙のように完全に硬直し一言も発せなくなってしまっているのだから。
「言い訳はけっこう……不快ですので、できるだけ早くわたくしの前から消えて下さいますか?それと……あなたがたのお名前などは理事に伝えておきますので。あしからず……」
(えっ……ちょっ!?それはどういうっ)
上級生二人が事の重大さにようやく気づき、顔青くして立ち上がろうとする。
しかし、聖女様は逃げ道を塞ぐように彼らを見下ろし、完璧な微笑みを浮かべたままとどめの宣告を下した。
「察しが悪い方たちですね。要するに……失せろ屑……という意味ですよ?退学にはなりたくないでしょう?」
……えっ……た・い・が・く……?!
失せろ屑という強烈な語句……そして、退学というワードがあまりにも軽やかに彼女の口から飛び出した事に、俺は心底動揺していた。
まあ、一部の特殊な人には聖女の叱咤はご褒美かもしれないが……なんて。
(…………すっ……すいませんでしたぁぁぁ!!)
凄まじい勢いで頭を下げ、脱兎のごとくその場から逃げ去る二人組。
その異様な光景に恐れをなしたのか、俺の座るテーブル周辺からは潮が引くように一気に人がいなくなった。
——これはいけませんね……どうにかしなければ……。
そんな呟きが、深月さんの美しくも神妙な表情からボソリと漏れた……気がした。
次の瞬間、深月さんは仮面を付け替えるようにパッと輝くような笑顔に戻り、こちらへ向かって優雅に歩みを進めてくると、俺の目の前に同じく定食の乗ったお盆をコトリと置いて、当たり前のように向かいの席へと腰を下ろした。
「おまたせしました護くん♡」
「あっ……えっと……深月さん……ども」
……言っておくが俺は一切彼女と待ち合わせとかしてないからね?
あまりの感情の振り幅と、たった今見せつけられた圧倒的な権力に、俺の感情はとっ散らかっていた。
あの二人がこれからどうなるのかを聞くのも恐ろしく、俺はただ全力で笑いを浮かべて黙り込むと、深月さんはどこか愛らしく唇を尖らせ、いじけたような仕草でこんな事を言ってくる。
「もうっ……護くんはせっかちなんですね?わたくしがお手洗いに行っている間に先にいってしまうなんて……探しましたよ?」
「あっ、ごめん。深月さんも学食使ってるなんて知らなくてさ……」
「いいんですよ、気にしないで下さい……でも——」
視界の中心で、空色の瞳がふわりと細められる。
「これからは一緒に行きましょうね?でないとわたくしも護くんを守ってあげられないですから……」
いじらしく放たれたその言葉に、首筋に冷たい刃物を突きつけられたような錯覚に陥ってしまう。これは提案ではなく、彼女の庇護下に入ることを強要する命令のようで。
「そっ、そうかっ……そうだよねっ……ありがとうね、なんか気を使ってもらっちゃって……」
そこまでしなくてもいいよ。なんて口が裂けても言えるはずない。
もし俺が彼女を拒絶すれば、さっきの二人組と同じようにこの学園から社会的に抹殺されかねないからだ。
俺はまだ深月さんの事をあまり知らない。だからこそ今は様子を伺わなければ。
やはり、財閥の次期当主という肩書を持つお嬢様は、思考回路も行動のレベルも一般人とは次元が違いすぎる。
「いいんです。わたくしが好きでやっていることなんで……だから……これからはどこでも一緒ですよ♡」
無自覚に放たれる強烈すぎるその宣言。
胃が重い。おもすんぎ。
目の前の豚の生姜焼きを食べる前から、尋常ではない胸焼けが襲ってくる。
……間違いない……この人は……。
「あはっ……あははっ……」
乾いた笑い声しか出ない俺をよそに、彼女は満足げに微笑み優雅な手つき箸に手を伸ばす。
「それじゃ、食べましょうか?護くん」
「そっ、そうだね……い……いただきまーす……」
こうして目の前で絶対的な権力を見せつけられた俺は、微かに手を震わせながらも、なんだかんだと仲良く深月さんとのランチタイムを楽しむ羽目となった。
マジでこの狂気を感じる「重さ」と、有無を言わせぬ「権力の怖さ」さえなければ、彼女は絶世の美女で博識で、最高の友人になれるポテンシャルを秘めていると思うんだけど……。
どうやら俺は耀のために被った泥の代わりに、とんでもない劇薬を飲み込んでしまったらしい——




