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第4話 聖女様。宣戦布告はマズイですよ

それは決して大きな声ではなかった。

しかし、たったその一言でクラスは水を打ったようにシンと静まり返っていた——


いや、震え上がっていたと表現するべきか。

聖女の口から零れ落ちたとは思えない、その物騒な言葉。


今のは聞き間違いではないかという、微かな動揺とどよめきが教室の空気を波立たせる。


……ん……百合園さん?今なんて?だいぶ過激な事を……。


俺は白百合さんとは大した面識もないし、たまたま席替えで隣の席になっただけだ。

会話らしい会話も数えるほどしかしたことないのだが、そんな短い接触でも彼女が纏う高貴で不可侵な優しいオーラは十分に感じ取れていた。


そんな彼女の口から「ヘタレども」なんて単語が飛び出すなんて……。


異様な空気の中、俺もどうフォローを入れていいのか分からず口をパクパクさせていると、横で顔を伏せて微かに肩を震わせていた百合園さんがゆっくりと顔を上げてゆく。


そこにあったのは、慈愛に満ちた『聖女』の顔ではなかった。

氷の女王のような、気高く、美しく、そして絶対零度の蔑みを孕んだ表情だった。


「……いったい御子柴くんが何をしたというんですか?あなた達になにか直接的な害を与えたとでも?……彼はただ純粋な気持ちを伝えただけでしょう?!それなのに……それなのにこんな仕打ちをするなんてっ!!こんな事が許されていいとでも思っているんですか!!」


放たれた言葉が教室に響く。


……ちょっ、えっ……なんでこの人、俺なんかのためにガチギレしてんだ?!


庇ってくれるのは純粋にありがたい。ありがたいけど……ちょっとこれは俺の計画には含まれていない展開なんだけど。


「だんまりですか?……本当に呆れた方々ですね。まあ、ヘタレ丸出しのあなた達にはそれがお似合いですか……」

「ちょっ……百合園さん?それはちょっと言い過ぎかなぁ。なんて……あははっ……」


俺の引き攣りまくった愛想笑いと必死のフォローは、聖女の耳には一切届いていないらしい。

彼女は俺を完全にスルーし、教室全体を睨みつけながらさらにギアを上げていく。


「この中で藤堂さんに惹かれていた人は御子柴くんだけではないでしょう?そんな中、御子柴くんだけが唯一素直な気持ちを彼女に伝えた。それも、あんなにも多くの人の前で。傷つく事も恐れず……あなた達は彼と同じ事をできるんですか?!出来ないでしょう?!……むしろ、彼の勇気は称えられるべきであり決して蔑まれるものではないはずです!!少なくとも、わたくしはそんな彼の行動に強く心を打たれました!」


……おい、なんかヤバいぞ……この感じ……。


「しかもです……たとえ仕事上の都合としても、藤堂さんは御子柴くんの純粋な思いを公衆の面前でひどく踏みにじっておきながら、あろうことか確証もないストーカーというイメージさえも彼になすりつけヘイトの対象にした!!……非難されるべきは藤堂さんの方なのでは?!わたくしは……わたくしは彼女が許せません!!……あなた達は藤堂さんの魅力や知名度にほだされ、冷静な判断も出来ず彼女の言葉に乗り、挙句の果てに彼をこんな目に合わせて……あなた達に人としての心はないのですか?!」


((……それはっ……確かに……))


クラスの数人の心の声が現実に漏れ、奇跡的にシンクロした。


彼女のロジックは正論だ。

むしろ、国民的ヒロインである耀に勝るとも劣らない『百合園財閥ご令嬢』という絶対的なカードを持つ彼女だからこそ、これほど堂々と振りかざせるセリフだろう。


しかし、これは非常に良くない方向に話が動いてしまっている。

俺が耀を守るために意図的に仕向けた『都合のいい悪役』という設定を、彼女は最悪の形で汲み取ってしまっている。


「今ここに、御子柴くんの机をこのようにした方がいるならば申し出て下さい……その勇気に免じて情状酌量の余地を与えましょう……」


((………………))


クラスは完全なる真空状態のまま、誰も息ひとつしない。

これほどのプレッシャーの中で「はい、私がやりました」と挙手できる勇者がいればそれこそ称賛に値するだろう。


「えっ、えっとぉ……百合園さん、気持ちは凄くうれしいんだけど俺なら大丈夫——」


これ以上事態を引っ掻き回される前に、俺が火消しに回らなければ。

そう思って口を開いた俺の声は、信じられないほど鋭利な刃によって呆気なく両断された。


「御子柴くんは黙っていて下さい!!わたくしの話は終わっていません!」

「はっ!?はい?!……すいません……」


……怖っ?!えっ、マジで怖すぎるんだけど……。


普段の温厚な彼女からの振り幅がエグすぎて、俺の生存本能が勝手に従属を選択してしまった。

流石聖女様……とか言ってる場合じゃないけど。


「皆さん……反応がないということは、このクラスに犯人は居ないということでいいですね?それならわたくしが総力を上げて犯人を特定し然るべき罰を負わせます……」


百合園さんは白銀の髪をふわりと揺らし、冷ややかな視線でクラス中を睥睨へいげいすると、誰もが彼女の視線を避けるように俯いてしまう。

それ確認した彼女は、小さく、けれど誰もが聞き取れるほどの重い一呼吸を置いた。


「それと——」


そこから先は、まさに彼女の独壇場だった。


「今ここに宣言します!!今後、もし御子柴くんにこのような仕打ちをしたり、陰湿な誹謗中傷を繰り返すのなら、わたくしが黙ってません!わたくしは彼の味方であり、彼に刃を向けるならわたくしに刃を向けることと同義と思いなさい!」


……へっ?……いやいや……Oh……God……。


右手を胸の前で優雅に広げ、神託を下す聖女のように凛とした声を教室の隅々にまで張り上げた彼女。


なんだこの大国の元首が放つ宣戦布告みたいな演説は。

俺はただ耀の身代わりとして誰の記憶にも残らず、静かにフェードアウトしていく予定だったのに。これじゃ大事になっちまうぞ?!


「わたくしに言いたいことがある方はいますか……?」


シン、とする教室。

いるわけない。この状況で彼女に異議を唱えるなんて自殺行為に等しいんだから。


「そうですか……まあいいです……」


圧倒的なカリスマ性と暴力的なまでの正義感で俺を救済してくれたその姿は、まさにジャンヌ・ダルクの如く。息を呑むほど美しいのだが。


……とっっってもややこしい事になってきたぞ……これ……。


俺の書き上げたシナリオは、この正義の権化である聖女の乱入によってあらぬ方向へと脱線し始めている。


焦る俺などつゆ知らず、周囲への威圧を解いた百合園さんは俺の方へゆっくりと歩み寄ってきて……先ほどの冷酷さを消して、なんというか、とろけた顔つきで俺を真っ直ぐに見つめ、ひどく甘ったるい言葉を落としてきた。


「わたくしも机を綺麗にするの手伝いますね……こういうのは拭くよりも消しゴムでこするほうが取れるんですよ?」


そう言って俺の横で筆箱を漁り、消しゴムを取り出す百合園さん。

掃除のライフハックを教えてくれるのはありがたいが、今はそれどころじゃない。


「ああっ、そうなんだ……ありがとう百合園さん……」

「百合園さんなんて……深月でいいですよ?」

「えっ、みっ……深月……さん?」

「はい、そう呼んで下さい」


柔らかな美しい笑顔を浮かべた百合園さん、いや、深月さんはゆっくり俺の顔を覗き込んでくる。


「もう大丈夫ですよ御子柴くん?いや……護くん♡わたくしがあなたの隣でクズどもから守ってあげますから……だから安心して下さいね」

「あ、えっ……あははっ……あはっ……はあ……」


俺の脳内が激しい警鐘を鳴らしている。

その甘すぎる声と逃げ場を完全に塞ぐような過保護な距離感。

彼女の空色の瞳には、一切の疑念を持たない陶酔が渦巻いていた。


「あと——」


彼女はふわりと微笑むと、俺の耳元へすっと顔を寄せてくる。

そして、熱を帯びた吐息が直接鼓膜を撫でるほどのゼロ距離で——


「あの告白、本当に素敵でしたよ……ふふふっ♡」


……うん。これはアカンやつだ。


俺の三文芝居の告白を「悲劇の勇者の愛」か何かと盛大に誤解して、そんな勇者を庇うヒロインとして感情移入している……といった感じだこの人。


そして彼女の声や言葉尻の奥から、ヒシヒシと感じるある種のヤバさを孕んだ空気感……。


俺はそれに強烈な覚えがあった。

そう……耀にも宿るオモイン独特の胃にくるアレ。


それを、俺は目の前で頬を染める百合園さんの中に確かに感じ取ってしまっていた。


どうやら俺は、意図せず全く別の、もっとタチの悪い聖女の寵愛(ちょうあい)という扉をこじ開けてしまったのかもしれない——



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