第2話 不法侵入決めてくるヒロインってどうなん
窓越しに浮かぶ国民的ヒロインの顔。
俺の部屋の窓の外には、手を伸ばせばギリギリ届くほどの距離にお隣さんの家が建っているのだが、その二階の窓を開け放ち、身を乗り出して俺の部屋の窓を器用にノックしている彼女。
そんな異常な光景を見ても俺は一切驚くこともなく、至極自然な動作で窓の鍵を開けて彼女と顔を突き合わせる。
そう、いつものように——
「おう耀……どしたそんな顔して?……ま、とりあえず入れよ」
「……うん……」
コクリと小さく頷いた彼女は一度体を引っ込めると、手慣れた動作で二つの窓の間に板梯子を掛け始めた。
そして当然のように、その橋を伝って俺の部屋へと侵入してくる。
俺は防犯上も倫理上も大いに問題のあるその行動を、これまた当然のように見守りながら、彼女が足を滑らせないよう腕を支えエスコートしてゆく。
そして、色々回収してあっという間に俺のベッドの上にちょこんと座り込む国民的ヒロイン。
艶やかな黒髪は風呂上がりのように少し湿り気を帯び、顔は完全なノーメイク。
フワフワなルームウェアに身を包んだ彼女の姿は、ひたすらに無防備だ。
何が起こっているのか?
昼間、何百人もの前で俺を派手にフり、国民的ヘイトを発生させた張本人。
そんな彼女が、あろうことか俺の部屋の窓から不法侵入をキメてるわけで。
そう——藤堂耀、こと耀は俺の古くからのお隣さんであり、文字通りの幼馴染なのだ。
「護っ……護ぅぅぅ〜……ごめんね、本当にごめんねぇぇぇ〜!」
「おっ、おい耀?!急に抱きつくなって!?アブねぇだろ?!」
「だって……だってぇぇ〜!」
「いやいやいやっ?!近い近い近いっ!!俺の話聞いてる!?」
俺の名前を叫びながら弾丸のように飛びついてきた耀に、危うく姿勢を崩しそうになり、俺はどうにか彼女の肩を掴んで制止しようとする。
しかし、彼女は見た目に反した凄まじい力で俺にしがみつき、その美しい顔をくしゃくしゃに歪めて縋るように謝ってくる。
柔らかな髪が俺の首筋に触れ、布越しに伝わってくる柔らかい質量。
鼻腔をくすぐる甘いフローラルの香り。
「う゛うぅ〜!ウチが護にあんな事したからぁぁ……ウチもう無理ぃ……死にたいぃ〜!」
「おいっ!?ストップ!なんか初っ端から感情重すぎだろ?!それとそんなにくっつくなって!大丈夫、俺は大丈夫だから!!」
「でもぉぉ……」
「はいはいはい!耀、一回落ち着こう?な?俺は大丈夫だから……一回深呼吸して……一緒にいくぞ?すぅぅぅ……はぁぁぁぁ……」
「……ずぅぅぅ……はぁぁぁ……」
「よし……OK?いけそ?……それと死ぬとか軽く言うなって」
「……う〜……でもぉ……」
どうにか彼女の理性を現実に引き戻すと、俺は涙目になった顔を覗き込み、ゆっくりと言い聞かせるように言葉を紡いだ。
俺は耀——国民的ヒロイン『HIKARI』の世界で最初のファンであり、ただ一人の非公式一般人サポーターなのだ。
なぜ彼女がわざわざ俺の部屋に窓から侵入してくるのか……それは彼女にスキャンダルが起きないよう、誰の目にも触れずに密会する必要があるからだ。
そもそも、耀が夜な夜な俺の元を訪れる理由は、日々プレッシャーの中で仕事をしている彼女の「メンケア」のため。
ここで勘違いをしないでほしいのは、俺は耀と付き合っているわけでは断じてない。
俺みたいな一般人が彼女の隣を歩くなんておこがましいにも程があるし、そんなことをすれば彼女のブランド価値を下げる事にしかならないからな。
あくまで俺は彼女のメンタルを支えているだけだ。幼馴染として。親友として。
それ以上でも以下でもない……。
「護……本当に大丈夫?我慢してない?もうSNSとかすっごいことになってるけど、脅されたりしてないっ?!」
「心配しなくても大丈夫だよ耀、全部俺がやるって決めたことだし……」
「ほんと?ウチ心配しすぎてあの後からずっと吐きそうだったんだよ!?」
耀はとにかく心配性だ。
というか、体重を除いたあらゆる要素が極端に重いタイプといった感じ。
感情も、執着心も、依存度も、ついでに言うならおっぱいも。
まあ、実際は想像以上にキツイが、これも全ては彼女のキャリアを守るため。
幸い俺は個人のSNSアカウントをすでに消しているから、直接的な脅迫のダイレクトメッセージは届きようがない。
「そっ、それは……ごめんな。でもちゃんと上手くいったじゃないか。みんな予想通り動いてくれたし。お前の演技も本当に上手かったぞ?」
「もうっ!そんな事言われても全然嬉しくないよっ!護のバカ!」
「ばっ、バカってお前……」
何を隠そう、あの放課後の告白はバズるという結果も含めて全ては俺が計画し、彼女と結託して実行した自作自演のシナリオなのだ。
全ては、耀に突如として降りかかった事実無根の熱愛匂わせスキャンダルを完全に鎮火させるため。
どう考えても悪意のある内容に、彼女の女優人生を汚させるわけにはいかない。
だからこそ、俺がストーカー男という最もらしい役を被り全てのヘイトを受けたのだ。
「まあ人はすぐに忘れるもんだし、時間が立てば元通りになるって。俺の事はいいから耀は仕事に集中しろよ……明日も撮影なんだろ?」
「そんなのわかんないじゃん!どうすんの?みんな忘れないでずっと護の悪口言ったりいじめてきたら……そっ、そんなのウチ……耐えられない……ううっ……」
ポロポロと大粒の涙が彼女の大きな瞳から零れ落ちる。
その涙の理由は、俺の尊厳が傷つけられたことに対する罪悪感からくるものだろう。
「おいおいっ大丈夫だって!な?泣くなって!……まあそうなったらそれで、その時またなにか考えるから……どっちにしろ卒業しちゃえばみんなバラバラになるわけだし、我慢してもあと1年ちょっとだしさ……」
まあデジタルタトゥーとしてネットの海を永遠に漂い、黒歴史として一生語り継がれる可能性は極めて高いが。
それでも俺みたいな一般人の風化速度は、有名人のそれとは比べ物にならないほど早いはずだ。
その後も泣きじゃくる耀の背中を一定のリズムで叩きながら慰め続け。
どうにかいつもの調子を取り戻させて、メンケアの工程を終えた頃には時計の針はとうに日付を跨いでいた——
「それじゃ……今日はこの辺でいいよな?耀も明日早いだろ?」
「うん、そだね……じゃ、そろそろ寝よっか?」
「ああ」
俺は耀を隣の家へ送り出すため、立ち上がって自室の窓の鍵に手を掛ける。
が、ベッドの上に女の子座りをしたまま耀はピクリとも動かず、ただ、じっと俺の動作を不可解そうに見つめている。
「……なにしてんの護?窓開けて……暑いの?」
「え?……なにって、お前帰るんだろ?」
「……は?……今日はここで寝るよ?」
「……は?……」
キョトンとした顔で、当たり前ようにその爆弾発言を放つ清楚の塊。
「なに言ってんのお前?」
「いや……だって明日から3日間仕事でロケいっちゃって護に会えないから、今日は一緒に寝るが?」
「いや、寝るが?じゃなくて……」
何度でも復唱しよう。
俺は耀と付き合ってなどいないし、もちろんそういうやましい関係でもない。
そして耀もその事実をちゃんと認知しているし、俺のことは心を許せる幼馴染として見ているとその口で言っているのだが……。
まあ、幼い頃からずっと一緒だったからか、不思議な距離感が俺達の間には存在しているのも事実ではある。
「……はっ!?まっ、まさか……護……」
突如。耀の顔からスッと血の気が引き、光を失った瞳が焦点の合わない絶望の色に染まった。
……あっ、まっっずいです。これは……。
「なっ、なんだよ?」
「あわわわわっ……護。ついにウチの事嫌いになったんだ……ウチがあんな酷いこと言ったから……ダメだ……もう終わりだウチの人生……護に嫌われた……」
……始まった……。
胃の奥がズシンと重くなる。
「いやいやいやっ!?耀、違うって!そんなんじゃないって!?」
「だめだ、ウチ。もういっそのこと、その窓から飛び降りればいいんだ……どうせなら護を道連れにして……そしたら天国でも仲良く一緒だから……」
このバッド状態入ったら最後。俺の意見など一切通用しない。
そして悲しいかな、これもいつもの様式美になりつつある。
「まてまてまてっ!ダメダメ!それはダメっ!俺が悪かったから!わかった!一緒に寝ような?な?」
「ホントに?……一緒に寝てくれる?」
「ねるねるっ!寝るからっ!めっちゃ寝る!」
「…………やたっ♪」
一瞬でパァっと表情を輝かせた耀。
しかし、彼女の要求はだいたいそこでは止まらない。
「じゃあ……今日はちゅーしてみていい?」
「……は?そりゃダメに決まってるだろ?てか、なに普通にしてる感じで話してんだよ?俺たち幼馴染だし……そんなんしたことないだろが」
「え゛っ……なんで?どうして?意味わかんないんだが?」
「なんでって……付き合ってもない男女がキスとか貞操感どうなってんだよ?てかお前女優なんだぞ?それこそ大問題だろ?」
「はぁ?!女優とか関係なくない?!付き合ってなくてもウチら幼馴染みだよ?ちゅーくらいするくない?いや、むしろ普通するが?」
口をとがらせ理由のわからない事を言う耀。
これもだいぶ昔からやってるじゃれ合いなのだが、俺も時々、こいつの本心がわからなくなる時がある。
冗談なのか、本気なのか。
しかし、大人ばかりの環境に身を置き、寂しさなどから不安定な感情になってしまう事もあるだろうし、それを制してあげるのも俺の役目であり……絶対に超えてはならない一線は俺が守る必要がある。
「うん、普通しないよ?どこにそんな破廉恥な幼馴染がいるんだよ?……あと女優とかめっっっちゃ関係あるぞ?!レピュテーションリスクバリバリだわ!」
「いるが?護の見てた同人誌の幼馴染ならしてたが?むしろえっちまでいくが?速攻」
「うん……わかってると思うけどこれ現実な?……ってかその『が?』ってのやめろって!」
「……ぶぅ〜……護のケチ——」
なんとなく伝わっただろうか。これが藤堂耀という美少女の中身だ。
清楚という皮を被った色々重たいヒロイン。ヤンデレマイルドギャル風味を添えて。
俺の中での通称は——オモイン。
おまけに、幼い頃から俺の部屋にあるオタク知識を中途半端に吸収してしまった脳内ピンクの奇行種。
そんな彼女の夢を最前線で支えるため、俺は日々戦っている。己の理性とも。
しかしこの時、俺は知る由もなかった。
自分が良かれと思ってしでかしたこの騒動が、想定外の問題を引き起こし、俺を取り巻く環境を激変させてしまう事を。
だから今日のところは空っぽの頭でベッドに横になることにする。
同じ布団ですぐ隣に密着する、手間のかかる国民的オモインと共に——
奥付
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