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第14話 オモイン。BADモードに移行します。

時刻はまだ夜の9時を回ったところ。

今日のあの事件のせいで精神的な疲労を感じながら、自室のベッドで何気なくスマホで動画を流し見しつつ、そろそろ風呂に入ってこの疲れを洗い流そうかと悩んでいた時。

耳に飛び込んできたのは、もはや日常であるいつものノック音だった——



    コンコンッ……。



「ま〜もるっ!いーれーてっ!!」


やけにハイテンションな声が窓越しに響く。

俺はカーテンを開け窓へ視線を移すと、そこには何やらニッコニコの笑顔の国民的ヒロインが、隣の窓から身を乗り出していた。


「ちっす!」

「おっ……おおっ……」


家を隔てて互いに窓を開け、夜風に吹かれながら見つめ合う。

片手を軽く上げて、まるで部活帰りの男子みたいな挨拶をしてくる耀に若干気圧されながらも、俺は慣れた手つきで彼女を部屋へ迎え入れてゆく。


今日の彼女はいつものような重さがなく、上機嫌に鼻歌なんかを歌っていて……ベッドの上にちょこんと座った清楚に向けて俺は声を掛けた。


「今日来るの早いな……しかもテンション高いし。なんかいい事でもあったのか?」

「まあねぇ〜……えへへぇ……護、聞きたい?聞きたい〜?」

「……お前なぁ……」


ニヤけながらもったいぶる耀に若干呆れていると、結局聞いてもいないのに彼女は嬉しそうに話し始めた。


「あのねっ、護……実はね——」

「おう、なんだ…………?」


「ウチ、結構大きな企画の映画の主演に選ばれるかもしれないんだよねっ!」


散々引っ張ってから言葉にされた、耀のその一言。

それに、俺は思わず裏返ったような大きな声を上げた。


「映画の主役ぅ!?おいマジかよ耀!やったじゃないか!!すげぇな!!」


「まあさ……まだ絶対確定じゃないみたいだけど、今日のオーディションで監督さんから『多分、君に決める』って言われて……えへへっ」

「いや、それでも十分凄いって!上手くいけば本当に有名女優の仲間入りじゃねぇか!」


つい俺は、まるで自分のことのように嬉しくて胸の奥が熱くなってしまう。


耀の夢が一つ叶うかもしれない。

彼女が中学に上がった時、初めてオーディションに受かった直後に言っていた、『ウチ、絶対有名な映画の主役になってみせるから見ててね!』という言葉。

そのスタートラインに、彼女はついに立てるかのしれないのだ。


……本当に……耀は凄いな……。


無邪気に喜ぶ彼女を見て、耀が本当に遠くの世界へ行ってしまったのだと実感し、ほんの少しだけ胸の奥に冷たい寂しさが広がった。


でも、これでいいんだ……。


「でしょ!?やったよ護ぅ!!」


自然と両手を広げて飛びついてきた耀を見て、俺も嬉しさのあまり、つい彼女のハグを許してしまった。


なんて、爽やかで純粋な気分なんだろう。

そんな真っ当な青春の喜びを噛み締めていた時——


「・・・・・・・・・ん゛?」


不思議な声の後、抱き合っていた耀がおもむろにスッと体温を下げ、ピタリと黙り込む。


……すんすん……すんすんすんすん……?


からの、いきなり俺の首周りや肩周辺の匂いを嗅ぎ始める耀。

それから一度ハグを解いて俺から距離を取り、その大きな瞳で俺をじっと見つめ、首を傾げながらこんな事を言ってきた。


「……ん……?……護?ちょっと聞いてもいい?」

「ん?どしたんだ耀?」

「護。いま……香水とか着けてる?」

「へ?……香水?いや、そんなん付けてないぞ?」

「ホントに?」

「ああ、本当だって……」

「ホントに、ホント……?」

「だからホントだって……いきなりどうしたんだよ?」


明らかに訝しげな目が俺に向けられている。

そんな耀の挙動に俺の脳内が完全に「?」に埋め尽くされていく中、もう一度俺の胸元や首筋のラインなどを麻薬探知犬の如く執拗に嗅ぎ回り始める耀。


……すんすんすん……すんすん……すん……あ゛っ!!


「うおっ!?なんだよいきなり……」


耀は俺の首筋あたりで急に短く驚愕の声を上げ、驚く俺を尻目にすぐさま尋問を再開する。


「護……今日、お風呂入った?」

「いや、お前来るの早くてまだ入ってないけど。あっ……もしかして俺、臭い?それならマジでごめん……」


幼馴染だから言える率直な指摘。それならエチケットを怠った俺が悪い。

耀だって幼馴染以前に女の子だし、汗臭い男とは抱き合いたくないよな。


なんていう俺の平和ボケした思考はすぐに粉々に覆された。それも、最悪の方向に。


「いや、逆だよ護……護がいい匂い過ぎるんだが?」

「いい匂い……?」

「うん……ていうか、護の首筋とかから、すっっっごいえっちな雌の匂いがするんだが?……護……心当たりは、あるかな?」


……雌?首筋……いい匂い。エッチな匂い……あっ……。


急に心臓が跳ね上がり、俺の脳内に今日の放課後の空き教室でのあのシーン……深月さんに抱きつかれた時の光景と、高級感のある官能的な香りが鮮明に蘇る。


背筋を滴る冷や汗。ゴクリと鳴る乾いた喉の音。


その間も、目の前の耀の視線は段々とハイライトを失い、鋭く黒い淀みへと沈んでいっている。


「あっ……えっと……そのぉ……」

「はっ!??!……その反応……やっぱ……」


言葉を選ぼうと沈黙した俺の前で、耀の瞳が完全に真っ暗な闇に染まった。


「ちょっと待て耀!これはっ……ちゃんと説明させてくれっ!!」


俺の必死の弁解など、彼女の耳にはもう届かない。


そして——


清楚な仮面がパキパキと音を立てて割れ、その奥から高純度のヤンデレが顕現しはじめた。


「あ゛あっ!!やっぱだ!護、ウチが見てない所で浮気したんだ!!絶対えっちな事したんだ!!あわわわっ……まっ、まもるがウチを差し置いてどっかのクソ雌にたぶらかされてるだが!?おい、これは事件だぞ?!」

「クソ雌!?」


……口悪っ!さっきまでの清楚女優どこ行った?!

なんてツッコミを入れる暇もなく、完全なるバッドモードへと移行を果たした耀。

とんでもなくマズい。マズすんぎ。


せっかく今日は耀のメンタルが安定していたというのに、俺が最悪の地雷を無意識に踏み抜いてしまったようだ。


「ああっ、ダメだ……護はついにウチの事飽きたんだ……もうウチなんてどうでもいいんだ……もうウチ護に捨てられるんだぁ!ウチはまだちゅーもえっちもしてないのにっ!!……なのにどこの馬の骨かもわからないクソ雌と護はズッコンバッコンしてんだぁ!!うぇぇぇん!」


「ズッコンバッコン?!バカっ、おい耀っ!待て待て待てっ!急にそんな妄想すんなって!そんな事してないって!てか俺たちそんな関係じゃ……じゃなくて!本当にこれはたまたまなんだって!!」


そんな関係じゃ……。

その言葉を自然と喉の奥で止めた理由は自分でも分かっている。しかし、今はそれどころじゃない。


目の前で盛大にメンブレを起こし、ブチギレている耀にちゃんと説明しないと。

今日起こった出来事の顛末を。


「誰よそのクソ雌は!詳しく説明して!てかそいつぶっ殺すから誰か教えろ!!」


……物騒すぎんだろコイツ……。

国民的ヒロインはどこ行った。


「ぶっ殺すのはダメだって!耀、お前完全に誤解してるからいったん落ち着けって!頼む!な?お前が思ってるのとは全然違うんだってマジでっ!」


こうなれば必死に説得する他ないわけで、一度落ち着かせようとパニックになっている耀の肩に手を伸ばそうとした時——


「うっ!ちょっとそれ以上ウチに近づかないでっ!!そのえっちな雌臭が無理!!」

「無理って!?じゃあどうすれば俺の話聞いてくれんだよ?!」


「一回お風呂入ってそのクソ雌の匂い全部落としてきて!!じゃないとウチ話聞かないっ!!絶対聞かないっ!!」


「わわっ、わかったから!じゃあ速攻で風呂入ってくるから!だから変な気を起こさないでくれよ!な??ここで大人しく待っててくれ?お願いだから!」


俺はもはや土下座せんばかりの勢いで懇願し、ベッドから勢いよく立ち上がって廊下に繋がるドアへ向かう。

だが、そんな俺の背中に容赦ない罵声が突き刺さる。


「ゴタゴタ言ってないで早く行ってこい護の浮気者ぉぉ!!ヤリチン!!早くしないとウチこの場で舌噛み切っぞ!?お゛!?」

「ごめんって!!ヤリチンじゃないけどマジでごめん!!」


俺は首筋に残った聖女の残り香(呪い)を早急に洗い流すべく、脱兎のごとく部屋を飛び出し風呂場へと駆け出していく。


そうこうしている間にも夜は更けてゆく。残酷にも——



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