第一節 建国祭(1)
その水面はまるで鏡の如くに、すべての色を映し込んでいた。
高原の遅い春に、そよ風が吹く。蒼き山並みを映した水面の上に、桜の花びらが淡雪のように舞い散る。
アルタイアに住むすべての民にとって、この湖は神聖な場所であり、そして今日、特別な日を迎えようとしているのだった。
「アルタイア公爵タカネ閣下、ご入来!」
朗々たる美声を発したのは、老齢の式事官であった。
戦傷と思われる四肢の欠損、裂傷の痕。流れる銀髪、顔に刻まれた皺の一つ一つまでもが、彼の長年の労を察するに足りるが、背筋はなお伸び、小柄な体格に見合わぬ風格を漂わせていた。
その声に導かれるように、一人の少年が、湖畔に佇む式事官のもとに歩み寄る。
若き公爵その人であった。
新雪を思わす肌や白桜色の唇は人形の様ではあったが、前を見据える瞳は活き活きと輝いていた。
そして何よりも、陽光を弾く艶やかな黒髪が後頭部で軽く結わえられ、歩みに合わせて毛先毛束が軽快に揺れている。その様は、野を駆ける若駒の尾のようであった。
アルタイア公タカネが歩みを止めた時、老式事官は再び声を上げる。
「クリルタイ(元老院)の決定により、アルタイア公、タカネ閣下を、我らのハーン(皇帝)として頂くこととする。天地の神々と、アルタイア湖に住まう精霊よ! 我らが皇帝に、祝福を与えたまえ!」
式事官は一振りの刀をタカネに差し出した。初代アルタイア公爵が、自治領としてアルタイア地方を与えられた際に、自ら振るったとされる、護国の刀であった。
タカネは両手に刀を捧げ持ち、湖畔に向かい一礼する。
この時、霊峰、聖湖、タカネが一つの線上に並び、登り切った陽射しが、霊峰の彼方から差し込んだ。
そしてタカネが群衆の方へと向き直った時、その姿はまるで日輪の中から現れたかのようであった。
群衆の中から、微かな吐息のような声が広がる。少年を見つめる群衆の眼差しは熱に浮かれ、彼らの頬が徐々に紅潮していく。
「アルタイア公爵家最後の当主として、また、新たなる称号を帯びる者として、ここに宣言する」
そう言葉を発する少年の声は、オーボエ(木管楽器)で旋律を歌うかのような声音であった。
「ここに連邦帝国は成立した。その出自にかかわらず、この国に住まう者すべてを、我が国の民とする」
湖畔に集まる群衆の前で発せられたのは、ただそれだけの言葉であった。だがその瞬間に沸き上った歓声は、まるで地鳴りのようであった。
アルタイア公国暦484年、公用暦1184年4月末日。
中央大陸の東の果てに、一つの帝国が成立した瞬間であった。




