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アルタイア興亡記  作者: JAKUSUI
序章 海の帝国
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第一節 建国祭(2)

 

 皇帝即位の儀式の後に、国に住まう諸部族や隣国からの客人が式辞を交わす。

 その頃になると皇帝の横顔に、やや疲労の色が見え始めた。

 彼とよほど親しくないと気付き得ない表情であろう。血の気が引き、しかし瞳の色はなお煌煌と光り輝く。人の心を酔わす表情ではあったが、側仕えの者は徐々に緊張の色を見せ始める。

 なおも式典は続く。

 やがて要職者の叙任式が始まった。

 式事官が名を読み上げる。

「趙伯英殿」

 皇帝の前に進み出たのは、うら若き女性であった。実りきった小麦のようなやわらかな色合いの金髪に、翡翠色の瞳を持つ。

「文靖公伯英閣下。我が敬愛する帝国の母よ。あなたを行政の長たる宰相に任じます。その筆でもって、私を支えて下さい」

 彼女にそう語りかけたその直後に、タカネは間違いを起こした。形式では相手の手を取り印綬を手渡しするのだが…。

 タカネはシャオユに歩み寄り、頬にチークキスをしたのだ。それは公国時代から続く、官吏任命の際の習慣である。

「陛下御自らのお出迎え、光栄ですわ」

 思わず、といった風情で柔らかな笑みを堪えながら、シャオユはそっとタカネの手を取り、印綬を受け取る。

 タカネ自身もまた自らの間違いに気付き、頬から耳まで真っ赤にするほどであった。

「宰相の任、承りました。わが身は国の翼。筆でもって、この国を導きましょう」

 その言葉もまた、公国時代より続く伝統ある応答であった。

 そしてシャオユもまたチークキスを返したことで、和やかな空気が場に流れる。

 シャオユがタカネの袖を引っ張り、そして耳打ちする。

「国家の重鎮たる文武官の皆様方にも、是非ご寵愛下さると幸いですわ」

 いたずらっぽく笑うシャオユだが、その微笑みは上品な貴族令嬢そのものである。タカネもまた彼女に微笑み返す。その笑みはどこか、恥ずかしげな表情ではあったが。

 式事官の声に導かれ、行政府に名を連ねる者たちが一人ひとり、タカネの前へと進み出る。閣僚として任じられた文官、合わせて十五名。彼らは、筆でもって国を支える帝国の父母であった。

 叙任の儀式はなおも続く。

 行政府の閣僚に続き、新たに名が呼ばれたのは、立法府に属する要職者たちであった。

「布雅徳虎徳殿」

 その呼び掛けに応じ、その黒々とした美髯が胸下まで伸び、長身かつ隆々たる体格の初老の男性がタカネの目の前に立つ。その毛深さと恰幅の良さゆえに、その男性にはヒグマのような雰囲気がある。

 そんな彼を目の前にしてタカネが浮かべたのは、安堵したかのようなやわらかな微笑みであった。

 彼がブイヤド族の族長として、タカネ自身と、そしてアルタイア族そのものを支え続けてきてくれた大切な古き盟友であるがゆえに。

「布雅徳公虎徳閣下。この国に住まう賢者の末裔よ。あなたを立法府の長たる上院(元老院)の議長に任じます。その識見と伝統でもって、我が国をお導き下さい」

「上院議長の任、承った。我が身は歴史の声、世を照らす光。国のため、民のために言葉を紡ごう」

 タカネがチークキスをしようとする。

 だが背丈の低いタカネの顔が相手に届くはずもなく、背伸びするたびに、彼の髪の毛束が大きく跳ね上がる。まるで手入れの行き届いた黒狐の尻尾のように、大きく揺れる髪。その光景を見守る人々の目が、どことなく優しくなっていく。フードゥが身を屈め、彼の方からチークキスを交わすと、温かな拍手があたりから鳴り響いた。

 そしてタカネ自身も本当に年相応の、他者が見れば、その年代に浮かべていてほしいと願うであろう、その無邪気な笑みを満面に浮かべるのだった。

 そのあとの民衆議会である下院の議長任命。国内の者はともかく、他国からの賓客が一番驚いた場面であろう。

「ベネット卿。この国に住まう民の総代よ。あなたを民衆議会たる下院の議長に任じます。この国に住まう者たちの声を聴き、私たちの下へと届けてくださいますか?」

「下院議長の任、お引き受けいたします。この国に住まう者として、民一人一人の声を中央に、届け続けましょう」

 平民階級の女性であるサラ・ベネットに対する、タカネからのチークキス。

 それは今までの身分制度を打破し、この国のあり方を問い直す誓いと決意の挨拶であった。その光景に異国の大使は目を見開き、あるいは眉をひそめる者や、動揺を隠せず青ざめる者も見受けられた。

 そんな中、サラに対しタカネが囁きかける。

「サラさん。あなたに期待しています。一緒に頑張りましょうね」

 この時のタカネの微笑みは年相応の幼顔。だがそれと同時に、非常に蠱惑的な笑みでもあった。囁き声を聞き取った瞬間、サラと呼ばれた女性の顔はかすかに紅潮した。

 冷やかしとも歓声ともつかぬ口笛が群臣の間から聞こえてくる。それに応えるかのようにタカネが小さく手を振ると、鳴り止まぬ拍手がますます大きくなっていく。

 この時の式典を進行する宮内省の官吏の表情は、まるで胃痛に堪えるかのような苦痛と困惑に満ちたものであった。予定されていた式典進行から、徐々に逸脱していったからであろう。その一方で、他国からの来訪客や列席を許された一部の民衆の反応は、官吏の表情とは対照的に、とても穏やかなものではあったが。

 そしてなおも、人の名は呼ばれ続ける。

「懿徳侯叔賢殿」

 タカネの下に歩み寄った人物は、五十路に差し掛かろうかという女性であった。

 老いて猶その容貌は未だ衰えず、表情は端整さよりも怜悧さを、鋭い眼光は優しさよりも冷徹さを、それぞれ感じさせる。

「懿徳侯叔賢閣下。あなたを司法府の長たる大審院長官に任じます。世の理でもって、我が国をお支え下さい」

 ミンフェイは、冷たい眼光を和らげることもなく返答する。

「大審院長官の任、お引き受けします。我が身は国の礎、国の大地。人々の生活を支えましょう」

 そしてチークキスの際に、彼女はタカネの耳元に囁きかけ、その頬を指で突き、浮かべる表情を変えた。

「若い女の子を泣かせたら、承知しませんからね」

 目尻が下がり、ぎこちないながらも微笑んでいるように見えるのは、彼女なりの冗談だったからなのだろう。それを察してか、タカネも表情をほころばせた。

 タカネの表情を見てミンフェイは頷くと、踵を返し去っていく。その背筋は伸び、颯爽としている。その後ろ姿を見ているだけで、こちらも背筋を伸ばさざるを得ない程であった。

 文官武官を問わず、氏族を問わず、性別を問わず、年齢を問わず…。

 彼ら彼女らは、互いの立場や役割を越えて皇帝とチークキスを交わす。

 それは傍から見れば微笑ましく、まるで湖畔に精霊が降り立ち、大地に祝福の口づけを落としているかのような、優雅な光景であった。

 それ故に史官は書き記したという。

「帝は精霊の代理として、臣民の頬に祝福の口づけを与える」

 と。

 ある者は熱に浮されたかのような眼差しを向け、あるいは感極まって涙を流し、またある者は微笑みながら、若き帝たるタカネを見守っていたのだった。

「アルタイア帝国万歳!」

「聖上陛下、万歳!」

 群臣の中から、怒号にも似た歓声が上がる。その声の中に女性の声が多いのは、建国に至る、この国の歴史の故か。

 騎射の民らしく一斉に祝福の鏑矢が放たれ、祝砲の代わりとなった。

 大鷲が空を舞い、狼の遠吠えや猛虎の咆哮も森中から聞こえる。まるでタカネの即位を寿くかのように。

 髪の色も瞳の色も、肌の色さえ問わずに、建国帝の名を群衆は連呼する。老若男女問わず、拳を振り上げて人々が叫ぶ。

「我らが帝国、アルタイア!」

「我が皇帝、タカネ陛下!」

 その熱気、その声量は千里を越えてなお木霊したという。



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