決死
ガキィンッ――!
ギルさんの剣が魔物の鋭い爪を弾き返した。
すかさず踏み込んで斬りつけるものの、魔物は身を翻して攻撃をかわし、再び牙を剥いて襲いかかってくる。
「くそっ、しつこい奴らだ!」
その横では、ガルドさんが大盾を構え、押し寄せる魔物たちを食い止めていた。
「ぐっ……!」
大きな狼の魔物が盾へ体当たりし、鈍い衝撃音が響く。ガルドさんは両足を踏ん張って耐えていたけれど、その身体は少しずつ後ろへ押し込まれていた。
「ガルド! 大丈夫か!?」
「何とかな! だが、そう長くは持たんぞ!」
ギルさんたちは洞窟の入口を背にして、魔物たちの攻撃を必死に凌いでいる。
リナさんが矢を放ち、カイルさんが短剣で魔物を牽制するものの、数で勝る魔物たちの勢いは一向に衰えなかった。
早く、マナポーションを完成させないと!
僕は蒸留器へと視線を戻した。
ぽたり、ぽたり。
蒸留器から伸びる管を伝い、澄んだ液体が受け器へ落ちていく。
必要な量が溜まるのを待っている間にも、背後からは剣と爪がぶつかり合う音や、魔物たちの唸り声が絶え間なく聞こえてくる。
やがて十分な量が集まったところで、慎重に受け器を取り外し、次の工程へと取り掛かる。
僕は大切に持ってきたネフィラ草を取り出し、作業台代わりの平らな石の上に広げた。
細長い葉には青みがかった葉脈が走り、薄暗い中でも微かな光を帯びている。
ネフィラ草は、魔力を蓄える性質を持つ珍しい薬草だ。ただし、その成分は熱に弱く、直接煮込んでしまうと薬効が失われてしまう。
そのため、すり潰して取り出した汁を、先ほど用意した蒸留液へ加える必要があった。
僕は傷んだ部分を取り除き、必要な分量を切り分けると、すり鉢へ入れて丁寧に潰していく。
すると、葉の繊維が崩れるにつれて、淡い青色の汁がじわりと滲み出してきた。
「うん、いい感じ」
爽やかな草の香りが鼻をくすぐる。
エルムも興味深そうにすり鉢を覗き込んでいたが、僕が次の道具を取ろうとすると、すぐに小さな手ですり鉢を押さえてくれた。
「ありがとう。ちょっと持っていてね」
エルムがこくりと頷く。
僕は用意しておいた布で薬草の繊維を濾し、青い汁だけを小さな器に集める。
これを蒸留液へ少しずつ注ぎ入れると、透明だった液体がゆっくりと青みを帯びていく。
「わあぁ……」
液体の中に淡い光が広がり、揺らめくように混ざり合う。
よし。
あとは残りの材料を加えるだけだ。
僕はソルシエールから持ってきた薬材を順番に加え、細い棒でゆっくりとかき混ぜる。
すると、液体の中に漂っていた光が小さな粒となり、全体へ広がり始めた。
青みを帯びた薬液は次第に透明感を増し、やがて澄んだ青色へと変わっていった。
「……よし」
僕は棒を止め、器を持ち上げて薬液の状態を確かめる。
濁りはなく、底に沈殿物も見当たらない。
微かな光の粒も、液体全体に均等に行き渡っていた。
うまく調合できた、と思う。
「出来た、これがマナポーション!」
思わず声が弾んだ。
エルムも嬉しそうに両手を上げ、足元にいたゴレムたちも小さな身体を揺らしている。
「ふふっ、みんなもありがとう」
僕は早速完成したマナポーションを小瓶へ移し、栓をしっかりと閉めた。
澄んだ青色の液体が、小瓶の中で静かに揺れている。
これでミレイユさんも魔力を回復できる。
あとはこれを届ければ――。
そう思って顔を上げた、そのときだった。
ガァンッ!
大きな衝撃音が響き、ガルドさんの身体が後ろへ押し込まれた。
「ぐおっ……!」
大盾に体当たりした魔物が、なおも力任せに押し続けている。
「ガルド!」
ギルさんが駆け寄り、魔物の脇腹へ剣を振るった。
斬りつけられた魔物が飛び退いたところへ、今度は別の一体が襲いかかる。
「くそっ、きりがない!」
「ギル! そっちは任せろ!」
カイルさんが横から飛び込み、短剣で魔物を牽制する。
その隙にギルさんたちは体勢を立て直したものの、周囲にはまだ何体もの魔物が残っている。
僕は手の中の小瓶を握りしめた。
せっかくマナポーションが完成したのに、あれじゃとても近づけない。
ゴレムたちに運んでもらおうにも、洞窟の入口付近には魔物が群がっている。
あの中へ飛び込ませたところで、途中で襲われてしまうだろう。
「……どうしよう」
僕は魔物たちの動きを注意深く観察した。
ギルさんたちは洞窟の入口を背にして、正面から押し寄せる魔物たちを迎え撃っている。
けれど、群れの外側にいる何体かは、時折周囲を警戒するように顔を上げていた。
……そうか。
あの魔物たちを別の場所へ引きつければ、薬を届けるための道ができるかもしれない。
僕は足元に集まっているゴレムたちを見下ろした。
小さな身体なら、魔物たちの隙間をすり抜けられるはずだ。
でも、そのためには誰かが魔物の注意を引かなければならない。
僕はその場にしゃがみ込み、ゴレムたちを集めた。
「みんな、ちょっとお願いがあるんだ」
声をかけると、ゴレムたちが一斉に僕を見上げた。
僕はマナポーションの小瓶を一体のゴレムに手渡した。
「君には、この薬をミレイユさんのところまで運んでほしいんだ。僕が魔物たちを引きつけるから、その隙に走ってくれる?」
ゴレムは両手で小瓶を受け取り、大切そうに胸へ抱えた。
「ほかのみんなは、僕と一緒に来て。魔物が追いついてきたら、少しだけ邪魔をしてほしいんだ」
こくこくと頷くゴレムたちの頭を順番に撫でると、僕は意を決し立ち上がった。
この子たちは戦うために作ったわけじゃない。
大きな魔物を相手になどできはしないだろう。
それでも、今はみんなの力を借りるしかなかった。
僕が歩き出そうとすると、肩に乗っていたエルムが服の襟をきゅっと掴んだ。
「エルム?」
顔を向けると、エルムは僕をじっと見つめていた。
「……心配してくれてるの?」
小さな頭がこくりと動く。
「ありがとう。でも、僕なら大丈夫。みんなも一緒だからね」
僕はエルムの頭をそっと撫でた。
それから、薬を持ったゴレムに目を向ける。
「僕が合図したら、まっすぐ洞窟の方へ走って。いいね?」
ゴレムが頷くのを確かめ、僕は残りのゴレムたちを連れて岩陰から出た。
魔物たちの姿が、さっきよりもずっと近くに見える。
鋭い牙に、太い爪。
低い唸り声が辺りに響き、地面には魔物たちが走り回った跡が幾つも残っている。
僕は足元に落ちていた石を拾い、群れの外側にいる魔物へ向かって投げつけた。
コツンッ。
石が魔物の背中に当たった。
「グルル……?」
魔物が振り返り、黄色い目をこちらへ向ける。
「こっちだ!」
僕は大きく手を振り、精いっぱい声を張り上げた。
すると、魔物が牙を剥き、低く唸った。
近くにいた別の魔物も、何事かとこちらへ顔を向ける。
「そう、こっち!」
僕はさらに数歩後ろへ下がり、魔物たちを誘った。
一体、また一体と、群れから離れてこちらへ向かってくる。
よし、うまくいってる。
そう思った矢先、洞窟の方から声が響いた。
「ルーク!?」
カイルさんだ。
「おい、何やってる! 早く逃げろ!」
「カイルさん! マナポーションができました!」
僕は魔物たちから目を離さずに叫び返した。
「何っ!?」
「今からゴレムに届けてもらいます! ミレイユさんに渡してください!」
そのとき、カイルさんの表情が険しくなった。
「ルーク、危ない!」
鋭い叫び声に振り向くと、目の前の魔物が勢いよく地面を蹴っていた。
「っ!」
僕は咄嗟に身を翻した。
鋭い爪がすぐ横をかすめ、地面を深く抉る。
危なかった……!
僕はすぐに走り出した。
「みんな、行くよ!」
足元のゴレムたちも、一斉に駆け出した。
背後から魔物の唸り声が響き、地面を蹴る足音が追いかけてくる。
僕は必死に足を動かしながら、ちらりと振り返った。
三体の魔物が、こちらへ向かってきていた。
よし、引きつけられた!
その分、洞窟の入口付近には隙間ができている。
僕は岩陰で待機しているゴレムへ目を向けた。
「今だよ! お願い!」
合図を受けたゴレムが、小瓶を抱えて勢いよく飛び出した。
小さな身体を低く屈め、魔物たちの間を縫うように洞窟へ向かって走っていく。
僕はその姿を横目で確かめると、追いかけてくる魔物たちをさらに引き離そうと足を速めた。
けれど、相手は狼の姿をした魔物だ。
僕の足で逃げ切れるような相手じゃない。
「はぁっ、はぁっ……!」
息が上がり、胸が苦しくなる。
背後から迫る足音は、少しずつ大きくなっていた。
まずい。このままじゃ追いつかれる。
そのとき、僕の横を走っていたゴレムの一体が、くるりと向きを変えた。
ゴレムは追いかけてくる魔物へ向かって駆け出すと、その前脚にしがみついた。
「ガウッ!?」
突然のことに魔物の足が僅かにもつれる。
けれど、魔物はすぐに前脚を振り払い、しがみついていたゴレムを地面へ叩きつけた。
バキッ!
乾いた音とともに、小さな身体が砕け散る。
「……っ!」
覚悟はしていた。
あの子たちに足止めを頼んだのは、僕自身なんだから。
それでも、目の前で砕け散る姿を見るのは辛い。
僕は唇を噛みしめ、必死に足を動かした。
あの子が稼いでくれた時間を、無駄にするわけにはいかない。
けれど、魔物はすぐに体勢を立て直し、再び追いかけてきた。
そのとき、別のゴレムが僕の横から飛び出した。
今度は魔物の進路へ回り込み、小さな身体をいっぱいに広げて立ちはだかる。
「グルッ!?」
魔物は突然現れたゴレムを避けようと、僅かに進路を変えた。
けれど、次の瞬間には太い前脚が振り下ろされる。
グシャッ!
小さな身体が踏み砕かれ、土の欠片が飛び散った。
僕は振り返らずに走り続けた。
足が重い。
さっきまで普通に動いていたはずなのに、今は一歩踏み出すたびに膝が震える。
それでも、立ち止まるわけにはいかなかった。
あと少しだけ。
薬を持ったゴレムが、ミレイユさんのところへ辿り着くまで。
僕は走りながら、洞窟の方へ目を向けた。
けれど、魔物たちの身体が邪魔をして、薬を運んでいるゴレムの姿は見えなかった。
ちゃんと進めているだろうか。
ギルさんたちは気づいてくれただろうか。
「ルーク! 後ろだ!」
カイルさんの叫び声が響いた。
振り返った瞬間、魔物の一体が大きく跳び上がるのが見えた。
「うわっ!」
僕は咄嗟に横へ飛び退いた。
鋭い爪がすぐ脇を通り過ぎ、地面を深く抉る。
何とか避けられたものの、着地した拍子に足を滑らせ、その場に尻もちをついてしまった。
まずい!
慌てて立ち上がろうとしたけれど、疲れ切った足は思うように動いてくれない。
魔物がゆっくりとこちらへ向き直った。
黄色い目が、まっすぐ僕を捉えている。
僕は地面に手をつき、何とか身体を起こそうとした。
そのとき、残っていたゴレムが魔物の足元へ飛び込んだ。
小さな両手が前脚にしがみつき、魔物の動きを鈍らせる。
その隙に立ち上がろうとしたけれど、膝が震えてうまく力が入らなかった。
「ガルッ!」
魔物が苛立ったように唸り、脚を力任せに振り払う。
バキッ!
ゴレムの身体が岩に叩きつけられ、砕け散った。
「……っ」
僕は歯を食いしばり、何とか立ち上がる。
けれど、もう足止めをしてくれるゴレムはいない。
目の前には、牙を剥いた魔物がいる。
その後ろからも、別の魔物が近づいてきていた。
僕はふらつく身体を支えようと、近くの岩に手をついた。
逃げなきゃ。
そう思って横へ目を向けると、いつの間にか別の魔物が回り込んできていた。
背後には大きな岩。
正面にも、横にも魔物がいる。
逃げ道が塞がれていた。
「グルルル……!」
目の前の魔物が低く唸り、ゆっくりと距離を詰めてくる。
僕は岩に手をついたまま、必死に足を動かそうとした。
けれど、もう身体に力が入らなかった。
そのとき、肩に乗っていたエルムが、僕の服をぎゅっと掴んだ。
「……エルム?」
顔を向けると、エルムは僕を見上げ、それから目の前の魔物へ視線を移した。
次の瞬間、小さな身体が僕の肩から飛び降りた。
「エルム!」
エルムは僕の前に立ち、両手を大きく広げた。
まるで、僕を守ろうとしているみたいだった。
けれど、そんな小さな身体で魔物の攻撃を防げるはずがない。
僕がエルムに手を伸ばした、そのときだった。
「グルアアアッ!」
魔物が大きく口を開き、勢いよく地面を蹴った。
エルムを庇おうと身を乗り出した瞬間、剥き出しになった鋭い牙が、僕の喉元へ迫っていた――。




