第3章 代償と歯車の交響
第一幕:灰燼の逆蝕と地下工房の怒号
「――カラ……ズズッ……!!」
深夜の静まり返った事務所内は薄暗く、暖炉の残火がただ怪しく、虚しく明滅しているだけであった。
コルヴォスが重い足を踏み入れようとしたその瞬間――。
左腕の「暗金の義手」が、前触れもなくガタガタと激しく痙攣し始めた。
本来であれば鈍い輝きを放つはずの暗金色の金属表面が、まるで煮え滾る溶岩のような焦げた赤光を帯び始め、刻まれたルーン符文からは刺すような鼻をつく焦げ臭さがもうもうと立ち上る。義手の内部で、何か不気味なものがじわじわと肉と金属を溶かしながら燃え広がっているかのようだった。
「ぐっ……っ……!」
コルヴォスは低い呻き声を漏らし、あまりの耐えがたき激痛のあまり、その場に両膝をついた。
震える右手で、左肩の複雑な機械接合部を必死に押さえ込む。その肉体の縫合部から見える皮膚は、目に見えるほどの速さで生気を失い、死んだような灰黒色へとみるみる変色していき――まるで彼の命そのものが、そこから吸い取られているかのようだった。
これこそが、禁忌の「滅魔砲」を過剰に使用した代償であった。
あの一撃は、一瞬にして魔物を原形すら留めぬほどに蒸発させる絶大な威力を誇るが、その破壊的な魔力の代償として「魔燼」を生み出し、残された生身の肉体を逆方向から容赦なく蝕んでいく。
もしその蝕みが彼の心臓まで到達してしまえば、彼は二度と元に戻ることはできず、理性を完全に失った「暴走する鋼鉄の魔物」へと成り果ててしまうのだ。
「――やっぱりねっ! 聞く耳持たないこの大バカ野郎が、また出力を限界まで上げたでしょッ!」
突如、地下室へと通じる重い木扉が、ガタァンと勢いよく蹴り開けられた。
そこに響き渡ったのは、少女の甲高く、しかし怒りと心配がごちゃ混ぜになった激怒の声だった。その叫び声が、壁際にかけられたランプの灯りを大きく揺らす。
現れたのは、あちこちに機械油のシミがついた茶色の頑丈な革エプロンを身にまとった一人の少女だった。
すっきりとした黄金色のショートヘア、額へと無造作に押し上げられた大きなゴーグル、その汗ばんだ額には数筋の金髪が張り付いている。
彼女の名はレイラ。あのレイヴンの娘であり、この世で唯一、レイヴンから「魔具錬金術」のすべてを正統継承した天才技師であった。
本来ならば遠方の都市で働いていたはずだったが、コルヴォスの父親捜しを水面下で手伝うため、安定した生活をすべて投げ捨てて、この霧鴉街の事務所へと戻ってきたのだった。
レイラは大股で荒々しく駆け寄ると、問答無用でコルヴォスの右腕をガシッとひったくるように掴み、そのまま地下の薄暗い錬金工房へと彼を引きずり込んだ。
まるで瀕死の傷病人を扱うとは思えない乱暴な手つきは、まるで壊れかけた荷物を雑に運んでいるかのようだったが――その瞳の奥底に激しく渦巻く、隠しきれない極限の心配の色までは、決して誤魔化しきれていなかった。
コルヴォスは、冷たい鋼鉄製の特製手術椅子へと、ドンと手荒く押し掛けられた。
レイラが乱暴に左肩の固定ベルトを引っぺがし、その下に露わになった肩を見た瞬間――彼女の手の動きが、ぴたりと静止した。
その瞳の奥に、かすかな胸の痛みが痛切に閃く。
金属と生体組織の縫合部の縁から、まるで毒々しい樹根のように這い回る灰黒色の結晶が、彼の鎖骨に向かって容赦なく侵食を広げていた。
その不気味な一筋一筋が、無言のまま、彼の命のカウントダウンを冷酷に告げているようだった。
「あと半時間遅かったら、アンタの左の肺まで完全にガラクタのクズになるところだったわよ……!」
レイラは奥歯をギリッと噛み締め、工房の隅から重い精密魔力抽出装置をゴロゴロと押してきた。金属の車輪が、タイルの床に甲高い音を立てて転がる。
彼女は手慣れた手つきで、魔力封印のルーンが細かく刻まれた銀色の針を何本か素早く取り出すと、コルヴォスの左肩のツボへと正確に打ち込み、魔燼のこれ以上の拡大をひとまず物理的に封じ込めた。
続いて、厚手の耐熱革手袋を素早くはめると、青い光を放つ魔導ドライバーを力強く握りしめ、暗金義手の外甲の解体を容赦なく開始した。
「ここから……少し痛むわよ。死ぬ気で歯を食いしばりなさい」
「……勝手にしてくれ」
コルヴォスは血の気の一切引いた青ざめた顔で冷や汗を流していたが、その水晶の右眼だけは波一つ立たないほどに平穏で、まるでこの肉体を襲う激痛が、あたかも他人の事であるかのように冷ややかだった。
「ジジジジッ――!」
ネジと精巧な歯車が次々と外されるにつれ、内部から煮えたぎるような魔性の蒸気がプシューと激しく噴き出し、レイラは思わず息をのんだ。
彼女はピンセットを巧みに使い、内部で完全に焼き尽くされて真っ黒な炭と化した「魔力コア」を素早く引き抜いた。
コアが引き抜かれたその瞬間――脳髄の神経を直接直撃するような桁外れの激痛によって、コルヴォスの全身の筋肉がバネのようにビクリと跳ね上がり、彼の右手は椅子の背もたれをガチリと強く掴み締めた。
頑丈な鋼鉄の背もたれには、彼の指の形に合わせた深い指跡が、痛々しく刻み込まれる。
レイラは手際よく冷却液をチューブから傷口へと注ぎ込みながら、怒りをぶつけるようにまくし立てたが、その声は微かに、震えていた。
「『滅魔砲』はね、アンタがこの地獄で生き残るための最終手段であって、そこらの雑魚を派手に散らすための花火じゃないのッ! パパが命を懸けてアンタを助けたのは、アンタがこんなところで勝手に灰になるのを見るためじゃないッ!」
「あれは……あのまま放置すれば、ブラッドハウンド・デビルだ。すぐに……対処しなければ、あの少女が殺されていた」
コルヴォスは、かすれきった声でわずかに弁明した。
「言い訳しないでよっ!」
レイラは彼をキッと鋭く睨みつけたが――その手つきは一転して、先ほどまでの乱暴さが嘘のように消え去り、まるで壊れやすい繊細な骨董品を扱うかのように、極めて優しく、慎重なものになっていた。
彼女は新しい純粋な魔晶を取り出すと、自らの魔力で温かな液体金属を巧みに導き、侵食されてボロボロになった肉体細胞の修復を丁寧に開始する。
義手の処置をひと通り終えると、レイラはふうと大きく息を吐き出し、額のゴーグルをカチャリと外した。
額から伝った一筋の汗が、彼女の顎のラインをつたってポタリと落ちる。
彼女は、目の前に座るコルヴォスの顔へと急接近した。互いの荒い息遣いさえも感じ取れるほどの、あまりに近い距離だった。
「……その右目を開けて、私をまっすぐ見なさい」
コルヴォスが促されるように右目を開けると、薄暗い工房の闇の中で、透き通った青い水晶眼が幽かな光を放った。
レイラは細くしなやかな指を伸ばし、その指先に温かな緑色の治癒魔力をふんわりと宿らせると、彼の冷たい眼の縁をそっと優しく撫でた。それはまるで、薄い氷の膜にそっと触れるかのような、あまりに優しい手つきだった。
「クロードとの視覚共有はね、アンタの脳神経に想像を絶する凄まじい負荷をかけてるのよ」
レイラは魔力を微調整しながら、彼の奥底にある混乱した神経の流れを丁寧に整え、そして低い声で問いかけた。
「……最近また、あのときの幻覚を見るんでしょ?」
「……たまにだ。十年前の、あの火災の炎が脳裏をよぎる」
コルヴォスは隠すことなく、淡々と答えた。
レイラの手が、ほんの一瞬だけ微かに震えた。
彼女はすっと手を引っ込めると、道具をガチャガチャと整理するためにわざと背を向けた。自分の隠し切れない感情がその声から漏れ出るのを恐れるように、トーンを一段と落とす。
「パパが消息を絶つ直前、私に一番よく言っていた言葉はね……『あの子に、本当に申し訳ない』だったわ」
レイラは振り返らずに続ける。
「コルヴォス、その忌々しい魔具をアンタの体に縫い付けたのはパパよ。そして、そのアンタの命をこうして繋ぎ止めているのは私の責任よ。だから……頼むから、勝手に無茶をして、あっけなく死なないでよね」
「レイブン先生を必ず見つけ出し、あの夜のクズどもを全員この手で地獄に送るまでは……俺は、絶対に死なん」
コルヴォスは再び完全な輝きを取り戻した暗金の左腕を、ゆっくりと力強く動かした。
金属の精巧な関節が、清涼で力強い噛み合わせの音を立てて、彼の揺るぎない誓いにしっかりと応えてみせる。
その時、工房の隅の棚の上に止まっていた魔鴉のクロードが、パサリと羽を震わせて高らかに鳴き声を上げた。まるで、主人の絶対的な決意に力強く賛同しているかのように。
レイラはふっと肩の力を抜き、振り返ると、特製の「抑魔薬」が入った小さな小瓶を、彼のコートの懐へと放り投げた。
「……最新調合の特製安定剤よ。今度また勝手にその腕を溶かして帰ってきたら、この薬に苦い黄連を限界までぶち込んで、その苦さで盛大に悶絶させてあげるから!」
放り投げられた薬の小瓶を受け取ったコルヴォスの口元が、この冷たい世界において珍しく、ごくかすかに緩んだ。
血と底知れぬ復讐に満ちたこの過酷な世界において。
このひんやりとした地下工房と、毒舌を吐きながらも自分を救おうとするこの少女の背中こそが――彼の残された、唯一の温かな避難所であった。
――それは、自らの強がりをすべて捨て去り、その痛む傷口を隠さずにいられる、たったひとつの場所だった。




