第2章 余燼と鉄血の洗礼
第一幕:灰燼、地下工房と代償
コルヴォスは、あの地吹雪の吹きすさぶ冷酷な夜のことを、一生涯忘れることはないだろう。
激しく燃え盛る我が家の醜悪な炎、冷たくなりきった両親の無残な遺体。そして、怪物によって容赦なく引きちぎられた自身の左腕と、えぐり取られた右眼。
あの夜の血の匂いは、焼き焦げた木々の悪臭と混ざり合い、まるで粘りつく泥のように喉の奥へとへばりつき、どれほど激しく咳き込んでも、決して吐き出すことはできなかった。
大量の出血により意識が急速に薄れゆく中で、彼のぼやけた視界が最後に捉えたのは――灰色の長袍を纏ったひとつの孤高の背中と、夜空を舞い散る無数の黄金の符文だけであった。
それらはまるで静かな雪のように彼の頭上へと降り注ぎ、ひんやりと冷たく、それでいてどこか奇妙な熱を帯びていた。
再び目を覚ました時、そこは聖なる天国などではなく、ホルマリンの刺激臭、機械油の重い匂い、そして古びた羊皮紙の腐香が充満する、湿った地下工房であった。
天井から吊るされた一基の油灯が、不規則にゆらゆらと揺れており、その光は今にも消えてしまいそうなほどに黄色く昏かった。
「……目が覚めたか、小僧。お前の命の執着は、俺が思っていた以上にしぶといらしいな」
低い声の主は、作業台の脇にどっかりと腰掛け、銀色の小さな刻刀を優雅な手つきで布で拭いていた。
その動作にはわずかの焦りもなく、目の前で全身を白い包帯グルグル巻きにされた瀕死の少年など、ただの「ありふれたガラクタの修理品」の一ツに過ぎないと言わんばかりの態度だった。
男の名はレイヴン。世間では恐れを込めて「ウロボロスの魔術師」と呼ばれていた。
あの怪物の鋭い牙からコルヴォスを文字通り引きずり出し、禁忌の錬金術を用いて暗金の義手と水晶の目を、その少年の肉体に無理やり縫い付けた張本人であった。
「お前……なんで、僕を助けたんだ……?」
少年は顔を上げることもせず、ただ蚊の鳴くような細い声で尋ねた。
しかし、その震える声には、この年頃の子供にはあまりに不釣り合いな、強い警戒と剥き出しの防備が込められていた——それはまるで、足を折られながらも、なお最後の牙を剥き出して威嚇する幼獣のように。
「……俺にも、娘がいてな」
男はふと視線を外し、自嘲するようにふっと乾いた鼻で笑った。
「ちょうど、お前くらいの年格好だった」
「まあ……滅多に会うこともないし、親父と呼ばれるような柄でもとうにないがな」
男の口調は終始淡々としており、そこには言い知れない残惜しさとも、あるいは深い諦めともつかない複雑な響きがあったが、その目元だけが微かに、ごくわずかに痙攣していた。
「だが、人間、年をとるとどうにも情に脆くなる。自分と年の変わらないガキが、目の前でみすみす死にかけているのを見ちまって……手が、勝手に動いてしまったんだ。見過ごすには、ちと、あまりに忍びなくてな」
そこまで語ると、彼の視線は少年の顔立ちへと一直線に注がれた。
それは、ある遠い故人の面影に酷似した輪郭であった。男の喉仏がゴクリと上下に動き、その瞳の奥底では、長年押し殺してきた巨大な感情の渦が激しくうねっていた。その声も、先ほどまでの冷徹さから、低く掠れたものへと変貌していく。
「それに……お前の父親は、な……」
言葉が、まさにその喉元まで出かかった。
だが、その瞬間。男の口はぴたりと途切れた。
重い歴史の秘密を明かそうとしていた言葉はそのまま宙に浮き、室内の空気は一瞬にして押しつぶされそうなほどに重く張り詰めた。ゆらめいていた油灯の火の揺らめきさえも、その瞬間だけはまるで一時停止したかのように見えた。
少年は思わず息を呑み、前のめりに身を乗り出した。
その青い義眼と残された片目には、驚愕と、隠された答えを激しく追い求める強い渇望が満ち満ちていた。
「父さんを知っているのか!? あなたと父さんは、一体……!」
少年の必死な様子を目の当たりにした男は、まるで疲れ果てたかのように、ふっと両目を重く閉じた。
再びその目を開けたとき、瞳の奥に宿っていた激しい感情は綺麗に押し殺され、いつもの冷徹で無機質な表情へと戻っていた。
彼は手元にあった焼きたての乾糧をひょいと持ち上げ、少年の目の前に無造作に差し出した。冷え切った地下室の中に、パンの温かな湯気がふわりと立ち上る。
「……よせ。知りたいなら、いずれ教えてやる」
男は淡々と言い放ち、それ以上は少年を一瞥すらしようとしなかった。
「まずはそれを食え。……生き残ることができたら、自ずとすべての答えは分かるようになる」
あの夜を境に。
コルヴォスは、人生の残酷な二つの真理を痛いほどに学んだ。
――どれほど激しく悲鳴を上げようとも、痛みが止むことはないということ。
――そして、どれほど執拗に問い詰めたところで、隠された秘密が簡単に明かされることはないということ。
彼に残された道はただ一つ、生き抜くことだけだった。
いつの日か、自らの手でこの暗闇の深淵から、すべての真実を掘り起こすその時が来るまで。
第二幕:地獄の半面
最初の三ヶ月間は、コルヴォスにとって現実の地獄そのものだった。
「あああああ……っ!! クソッ、があああ——っ!!」
湿った地下工房からは、毎日のように少年の喉を引き裂くような凄まじい悲鳴が響き渡っていた。
魔具と生体組織とのすさまじい拒絶反応は、まるで無数の見えない毒虫が少年の骨髄を直接貪り食うかのごとき耐えがたき苦痛であり、一息吸い込むごとに、まるで真っ赤に灼けた鉄くずをそのまま飲み込んでいるかのような錯覚にとらわれた。
「叫んだところで、お前のその痛みが和らぐわけじゃなかろう、コルヴォス」
傍らに冷徹に佇むレイヴンの瞳には、一切の温もりなど宿っていなかった。
「この程度の苦痛すら自力で耐え抜けないなら、体内で暴走した魔力がお前の内臓を木端微塵に吹き飛ばすだけだ。……両親が惨たらしく殺されたあの夜を思い出せ! その怒りをすべての燃料に変えるんだ!」
レイヴンは、コルヴォスを単に保護して養っただけではない。彼は少年に対して、むしろ残酷とすら言える過酷な訓練を容赦なく課した。
「よく聞け、ガキ。義手も、その水晶の目も、便利な道具などではない。今のそれらは、すべてお前の新たな『器官』なのだ」
レイヴンは、コルヴォスの後頭部を容赦なくガツンと叩いた。手加減はされていたものの、視界が真っ白な火花で満ちるほどの強烈な衝撃だった。
毎朝、コルヴォスは冷え切った石畳の床の上に胡乱に座り、体内の微弱な魔力を絞り出して、あの重厚な暗金の義手へと注入する訓練を強制された。
最初のうちは、魔力が腕に流れ込んだ途端に制御を失って霧散し、金属の精巧な関節が激しく震えて不気味な火花を散らし、少年の肩甲骨の肉をジリジリと焼き焦がした。
「目を閉じろ。自分の呼吸で、魔力を導くんだ」
背後からレイヴンの低く抑えた声が降ってくる。その声はまるで、古の禁忌の呪文を唱えているかのような重みがあった。
コルヴォスがようやくその魔力を安定させ、義手の掌へと綺麗に集束させ、さらには上空を飛ぶ魔鴉・クロードと水晶の目の視界を完全に共有できるようになるまで——実に、丸半年もの途方もない歳月を要した。
少年の全身は暴走した魔力によって常にボロボロに傷つき、その腕や背中には新旧の生々しいやけど痕が幾重にも重なって、まるで自らの「失敗の歴史」が刻まれた不気味な地図のようになっていた。
だが、現実に現れる魔物は、彼の滅魔砲の充填を優しく待ってはくれない。
左腕を失ったことによる致命的な身体バランスの崩れを完全に補うため、レイヴンは彼に、一歩間違えば死に至る過酷極まりない格闘と剣術の特訓を叩き込んだ。
「お前の左側は確かに死角だ。だが、その左手は右手よりも遥かに重い! それは致命的な弱点であると同時に、お前の最強の凶器なのだ!」
レイヴンは頑丈な木剣を手に取り、容赦なくコルヴォスを何度も冷たい地面へと打ちのめした。
肋骨の骨折や顔の青あざなどは日常茶飯事であり、どれほど激しく床に倒れ伏しても、レイヴンが優しく手を差し伸べることは一度たりともなかった。
彼はただその場に冷たく立ち、少年が自分の力で這い上がるのをじっと待つだけだった。
彼はコルヴォスに対し、機械の左腕の重量と遠心力を利用した高速の旋回斬りと、片手のみで重厚な鋼鉄の長剣を自在に振るう高度な技術を、徹底的に叩き込んだ。
「実戦の格闘は、他人に見せるためのものではない。最短の時間で、相手の喉笛を噛み千切るためのものだ」
レイヴンのその冷徹な言葉は、骨に刻まれた消えぬ傷痕のように、コルヴォスの戦闘本能の深くに突き刺さっていた。
第三幕:血の味と師の失踪
数年後。
少年へと成長したコルヴォスは、ついにレイヴンに初めて同行し、実際の魔物狩りの旅へと足を踏み出した。
それは、とある寂れた辺境の村で発生した「食屍鬼」の群れを討伐する任務であった。
レイヴンは自ら手を下すことは一切せず、近くの枯れ木の枝にゆったりと腰掛け、長いパイプをくゆらせながら、白い煙の輪が夜空の闇へと溶けていくのを冷ややかな目で見下ろしていた。
「行ってこい、コルヴォス。お前が俺の飯をただ無駄食いするだけの半端者ではないことを……今のこの戦いで証明してみせろ」
コルヴォスは、重い鋼鉄の剣をしっかりと握り締め、その右目を氷青色の光で鋭く輝かせながら、深い暗闇の中で三体の飢えた食屍鬼と死闘を繰り広げた。
その身のこなしは俊敏かつ苛烈で、剣先は正確に魔物の足の腱を切り裂いていく。
だが、最後の一体に死にもの狂いで押し倒され、その鋭利な悪臭放つ牙が少年の首元まであと数センチにまで迫ったその瞬間——。
彼は一切怯むことなく、猛然と左腕を突き出し、その重い暗金の義手をそのまま魔物の醜悪な口内へと力任せにねじ込んだ!
「滅魔砲——発射!!」
『轟ッ!!』
凄まじい閃光とともに、魔物の頭部が内側から一瞬にして盛大に破裂した。
全身血まみれになりながら、コルヴォスは泥の中から這い上がった。
荒い息を激しく吐き出しながらも、その水晶の瞳には、かつての怯える少年の面影はなく、ただ復讐の冷たい炎が激しく燃え盛っていた——それは、生きるために初めて血の味を覚えた、あまりに幼い狼そのものの眼光であった。
手塩にかけて鍛え上げたその冷酷な戦いぶりを見届け、レイヴンは樹上からヒラリと飛び降りると、ようやくその口元に満足げな、微かな笑みを浮かべた。
その日以来。
この異色の師弟コンビは、帝国の歴史の陰に潜む深い闇を、二人で渡り歩くようになった。
レイヴンが全体の調査と緻密な計画を担い、コルヴォスが最も鋭利な刃となって突き進む。二人はこれまで、人間社会にひそかに潜伏する数多の高階級の魔物を、幾度となく見事に討ち取ってきたのだった。
——しかし。
今から三年前。
レイヴンが、とある高階の人型魔物の組織を単身で追跡している最中に、突如として消息を絶ち、謎の失踪を遂げるまでは。
後に残されたのは、ただがらんとした静まり返った事務所と、そしてずっと二人について回っていた、この一羽の魔鴉・クロードだけであった。
第四幕:遺された言葉
現実へと、彼の意識がふっと引き戻される。
コルヴォスは、自分の暗金の義手にちょこんと止まっている相棒・クロードを静かに見つめた。そして、レイヴンが姿を消す直前に自分へ遺した、あの最後の一言を脳裏に思い浮かべる。
その言葉はまるで頑丈な鍵のように、今も彼の心の奥底にある最も深い錠前へと突き刺さったまま、一度も回されることはなかった。
——『コルヴォス、お前が一人前の男になった時、霧鴉街の事務所は本当の秘密を迎えることになる。そこへ行け。そこには両親の死の真実があり……そして、俺の本当の行き先もある』
「師匠……僕は必ず、あなたを見つけ出してみせる」
コルヴォスは、誰にも聞こえないように低く呟いた。
その声は、窓の外を冷たく覆う深い霧の中へと静かに消えていき、自分自身にさえ届かないほどにかすかであった。




