モノローグ 迷宮の中で ――ファーリス――①
――兄上の行方が知れない。
いつ明けるか知れなかった嵐の一夜は、それでも、やがて明けた。
嵐は王都に無惨な爪痕を残していった、という。
謎の異状をきたした書楼の内部から、からくも脱出を果たした。
奇妙にねじれ、途切れた階段に途方に暮れ、階下へ飛び降りた。
書楼の正面の扉は開かなかった。
いや、あるべき扉がなくなっていた。
記憶にある場所を探っても、壁があるだけだった。
その代わりのように、書楼の裏手には、ぽっかりと壁の切れ間が現れていた。
飲み込めない状況のまま、呆然としていた自分を見つけたのは、王宮から遣わされたという兵士だった。
為すすべもなく、書楼を見上げるだけの王子を彼らは、どう見たのか。
なにがあった、と問う彼らに、ただただ首を振ると、彼らは書楼を探り、やがてその異状を把握した。
当然の成り行きで、最初、わたしの仕業かと疑われた。
だが、あまりにふがいない態度に、それは否定されたらしい。
書楼の異状を警戒して、見張りの兵士が詰めることになった、と思っていた。
実際には、監視されていたのは、わたし自身だったのだが。
――そうして、まもなく。
兄の王太子アディールの失踪と、父王の急病を知らされた。
悪い夢としか、思えなかった。
――兄上の怒りに触れた、これがその罰なのか――?
物心ついたころ、私たち兄弟には生母はすでに亡かった。
父王に寄り添う継母と、その間の異母弟を遠くから見ていた気がする。
兄は正統な世継ぎの王子だった。
だが、その立場は、安泰ではなかった。
継母の権勢と異母弟の存在が、王太子の地位を脅かしていたのだ。
幼いわたしにはわからなかった。
兄が、知らせまいとしていたのだと――今ならわかる。
兄は聡明だった。
公平であり、慈愛に満ち、将来の名君たるにふさわしかった。
腕白盛りのわたしに、兄は学びの必要性を教えた。
――人間は、自分より強い獣をも制することができる。
それが、なぜかわかるかい、ファーリス。
――武器があるからですか?
――武器もそうだね、人間は武器を作り出し、その使い方を工夫し、大勢で力をあわせて、戦うことができる。
なぜ、人間にそれができるか、ということだよ。
――それはね、人間に知恵があるからだよ。
知恵があれば、力を合わせ、自分たちより強い相手を倒すこともできるし――
――あるいは、無駄に戦わずにすますこともできる。
――ぼくは、強いほうがいいです!
――ぼくはゆうかんに戦って、兄上をお助けする、将軍になります!
そう答えたわたしを見る兄上の眼の優しさは、今でも、まぶたに焼きついている。
――そんな兄上が、あのとき、怒りに我を忘れられたのだ。
成人したわたしは、軍に奉職し、中将となった。
あるとき、兵を率い、国境へ向かった。
騒乱を起こした流民を鎮圧するためだった。
わたしは剣に訴えるのではなく、対話をよびかけた。
結果として、兵にも流民にも死傷者を出さずにすんだ。
その成り行きとして、わたしは流民の陳情を王宮に奏上した。
彼らは、帰るべき故郷を失っていた。
この国に安住の地を求めているだけなのだ、と。
――それが、兄上を激高させてしまった。
今でも理解できないほど、あのときの兄上の怒りは深かった。
――そなたは、なにもわかっていない!
そなたが為すべきは、陳情などではない、秩序の回復だ!
――流民の嘆きに迎合することではない!
そこにいたのは、わたしの知る優しい兄ではなかった。
峻烈な支配者が、いた。




