第2章 海月精霊は企む。⑤
ファーリスは、顔色を失った。
息苦しい。喉元に手をやるが、つかえは取れない。
つかえているのは、困惑か、苛立ちか――
「――なぜ、そんなことを――」
自分でも意味のない言葉を口にしたファーリスをじっとピラールが見つめている気配がする。
魔術外衣ごしでは、その表情が知れない。
本当に、奇妙な生き物と化したようにすら思える。
「――書楼にかけられた呪いをときたいのです。」
ピラールの声は低いが、弱くはなかった。
ファーリスは、大きく息を吐いた。
「――『息が苦しいとき、吸うことより、肺の中の空気を吐き出すほうが肝心である。』という記述は、どの本にあったろうか……。」
「『世界の泳法 百科』です。
――『あわてなければ、自然に頭が水の上に出るのだ。』と、その本から、お師匠さまが教えてくださいました。
おかげで、溺れた子どもを助けることができました。」
凛としたピラールの返答に、迷いの色はない。
「――そうだ。
苦しいとき、むやみに藻掻くのは、ときにさらなる危険を招くことがある。
自分の置かれた状況を把握することが大事なのだ。
――ピラール。
わしは、あの夜、自分を見失った。……いや、その以前、王宮で兄上のお怒りをかったときから――」
さ迷うファーリスの視線が、少年の姿をとらえた。
――子どもに聞かせる話ではない。すくなくとも、ユスフには。
ファーリスは立ち上がり、ピラールたちに背を向けた。
「お師匠様」
引き留めようとする呼びかけに、力なく首を振る。
「わしは――不夜祭には、立ち会えぬ。
そなたの望みはわかった。――それが叶えられることを祈ろう。
――だが、わしは――無理だ。」
振り切るように、足早にファーリスは部屋を出た。
――残されたピラールは、そっと本を閉じた。
ユスフは、なにも言わず、ただ寄り添っていた。




