第2章 海月精霊は企む。③
ユスフの怪力。
ナジュムの俊敏さ。
――あれらは、やはり“祝別”なのだろう。
神々が、その愛し子に与えるという証し。
――だが。
戯れのように与えられるそれは、必ずしも恩恵の形とは限らない。
「――ピラール嬢は……」
ナーディルは、言葉をのんだ。
ビーナームは、窓の向こうへ目をやった。
「古来より、申します。
『神々の愛は人の天秤を傾ける。ゆえに代償をもって、つり合いを保つ』
――それを持ち出して、“祝別”の子に多く恵まれた一族には、まま、その代償のような子が生まれると信じる者も、確かにおりますな。」
「じいも、そう思うか」
ビーナームはあっさりと否定した。
「いいえ。」
「迷信ですな。根拠がありませぬ」
ビーナームの口調は静かだった。
「つりあいなど、“祝別”の力を与えられた者の内でとるもの。
先の言葉は――器に見合わぬ力に振り回される者のことかと。あるいは」
軽く、首を振った。
「“祝別”への、やっかみにございましょう。
――どこにでも、そういう輩はおるものです。」
ナーディルは思う。ビーナームは正しい。
しかし、すべての人が正しくあれるのか。
ピラールの“祝別”を代償とみなす者もいるだろう。
――けれど。
ビーナームは言葉を続けた。
「仮に、あの令嬢が代償の“祝別”を授けられていたとして、見事に覆しておる様子。
おのれの中で、天秤の傾きを押し返したと見えます。」
くつくつと笑い声を漏らし、
「それにしても、名家の令嬢ともあろう者が、海に飛び込み、海月に囲まれるとは――」
「風にも耐えられぬような姿で、なんとも剛毅な……」
――ああ。せっかく、健気な印象になりつつあったのに。
ピラールは、ふたたび海月精霊の姿に戻ってしまった。
あげて、落とす。
これだから、じいは油断がならない――
――ビーナームにあげて、落とされているなど、露知らず。
その頃、ピラール達もまた、ナーディル達には聞かせられない会話を交わしていた。
「――で、お前の引きの強さは、なんなんだ?ピラール」
「よりによって、王太孫を釣り上げるとか」
ラシードが、干した果実をかじりつつ、ぼやいた。
ピラールは、お茶を手に、こてんと小首を傾げた。
あいにく、長いつきあいなので、そんな仕草に惑わされる者はいない。
「狙ったわけじゃないだろ、お嬢だって。あれは、たまたまだ。」
――いたようだ。
冷徹な武闘派の見かけによらず、身内には甘いナジュムである。
「破落戸の雑魚狙いで、どうしてこうなる。
鯨だろ、あれじゃ。よく引き揚げたもんだ」
ユスフがすました顔で、ラシードをいなした。
「ぼくがいるもの。鯨ぐらい、やっちゃうよ?」
「お前のそれは、洒落にならん」
二人の掛け合いをよそに、ピラールが尋ねた。
「それで、肝心の雑魚は?
誰の差し金かは、しゃべりましたの?」
ああ、とラシードは頬杖をついた。
「最近、魔術具界隈で、荒稼ぎをしている
新興商人だな。
十中八九、魔石灯の利権狙いだろうな」
「……わかりませんわ。
アル=ナシーム家を敵にまわす勝算は、どこからくるのでしょう。」
「そろばん違いか、欲に目がくらんだか
…たかだか海月、と侮ったか。」
ラシードの口の端に、不敵な笑みがのぼる。
ナジュムが、尋ねた。
「で、破落戸はどうした?」
「別に。解放してやったよ。」
「――中の一人にだけは手当をして、懐に金貨を押し込んでな」
さらりと答えたラシードに、ナジュムが沈黙した。
今度はラシードが、首を傾げた。
「なんだ?ナジュム」
わずかに逡巡してから、ナジュムは口を開いた。
「――俺は、そういう戦い方がまだ出来てないな、って……」
すこしの間のあと、ラシードの静かな声が返った。
「できなくていい、とは言わん。
だが――あれもこれもと手を出すのも違う気がする。
少なくとも、今のお前が目指している方向ではない。……と、俺は思う。」




