五十九折
翌朝、貺都全土に桜色の折り紙が撒かれた。
丙午の、亥の刻。謀叛あり。
折り紙に書かれた報せは、以下の通りだ。
一万の兵が御所を襲ったこと。
その兵は四半刻で殲滅。御所に死者はでなかったこと。
それから、城下の街が風でぶっ飛んでしまったため、大工さん急募! 御賃金上乗せします! お家が壊れてしまった方々には申し訳ないので、御所の結界門を街の木戸まで広げることも、決まりました!
などと、美しい字で拙く書かれていた。
その折り紙を拾った子どもは、泣いた。
隅っこに、夢に出そうな恐ろしい鬼の絵が描かれている。
その吹き出しには、
「祀ってくれるあなたに、加護あり(ハートマーク)」
と、書かれていた。
御所には、なんかヤバいヤツがいる。
折り紙から滲み出る狂気に、貺都全土が震え上がったのだった。
御所では手短に践祚の儀が執り行われた。
宵明帝が、春宮のミカドへ玉座を譲位する儀式だ。
派手な祭り事は城下の街が賑わいを取り戻してからと、人の姿を取り戻した宵明帝は高官のみを紫宸殿へ召し上げた。
つい先日まで、多くの仕官が右大臣を慕っていたのだ。謀叛を信じられぬままの出御となったが、いざ高御座を前にすると、息をのんだ。
御廉帝の輝かしいこと。
宵明帝の即位が未だ記憶に新しい、古株の太政官たちは、みな一様に涙した。
豪族の反乱を、一夜でおさめたミカドと折姫の功績は昨夜のうちに伝えられている。ゆえに、突如決められた皇后の即位にも、異論を示すものはいなかった。
ふたりは誰しもが認める皇帝皇后として、あたたかな祝意に包まれたのであったが──。
夜の宴で折姫にかけられた蛇の呪いが明らかとなり、そのことが火種となって、不慮の事故を招いたのだった。
紫陽花殿は未だ行きどころの決まっていない、二百人の謀叛人を捕らえたまま。
そのため宴の席は紫宸殿の大階段上、舞台に設けられた。
舞台には践祚に立ち合った高官と女御が招かれ、几帳で隔てぬ無礼講。
折り紙の効果か否か、各地から供物が御所に集められ、その宴は思いのほか豪華になった。
皇族の席は、舞台より一段上の御座。
折姫と先帝──宵明院は中宮お手製のチーズに舌鼓を打ち、カヲルとカリナ親子はクウガを挟み、涙の酒を飲んでいた。
「なぁにが、審神者よ! 山小屋で余生を暮らすなんて、牢獄と同じじゃない!」
「母上、往生際が悪いですよ。打首は免れたのですから、よかったではないですか」
カヲルは目を腫らしながら母を宥めた。
本来、謀叛人の族誅として絞首刑の予定であった一家は、御所の防護に努めた功績により減刑。
家名を断絶し、御所追放の身となった。
皇帝に身命を賭すことを誓ったカヲルは御所の守護神、ヌシの審神者として沼に邸を構える。
カリナは贅沢三昧な女御の生活が終わってしまうことを受け入れられず泣いているのだが、カヲルは違う。
女にふられて泣いている。
「うっ、うっ、中将……! 二度も愛し合った仲ではないか」
「愛し合ってはないですし、私は大将です。皇位も官位も失った長にもはや一寸も興味はありません」
鬼神の面を折姫へ向けながら、カヲルを足蹴にする。
右大臣の実子でありながら、その素性の知れない中将は、左大臣家の養女として迎え入れられ、悲願であった近衛大将に即位。
その隣でリスのように頬を膨らます一の君は、しばらく侍従長として宮仕えすることになる。
ちなみに頬の中身は刺身だ。
「父上、明日から再建会議で忙しくなるのですから、お酒はほどほどに」
「愛娘が同僚になるなんて、そうそう受け入れられるものではないわ!」
左大臣は御廉帝の寵臣として名を馳せたが、右大臣の空席を埋める逸材はみつからず、宵明院がさりげなくその役を務めた。
律令制の撤廃とまではいかずとも、朝廷の改変は進む。
大きく様変わりしたのは、後宮であった。
刻が進んだ真夜中のこと。
「高御座は帝だけが入れるのでは」
「中宮も入っていただろう?」
「それは紫陽花殿のお話しで──」
折姫は、ほろ酔いのミカドに手を引かれ、紫宸殿の高御座へと誘われていた。左大臣に助けを求めたが、殿上人に酒を注がれ続け、そちらはすでに泥酔。みなの生暖かい視線を浴びながら、内へと入った。
御簾をすべて下ろし、ミカドが言う。
「さあ、玉座に座って」
「で、でも、私ひとりでは着付けができません」
「脱げだなんて、ひと言も言ってないけど。もしかしてなにか期待してた?」
「はい。穴があったら入りたいです」
両手で顔を隠す。
だって、高御座でふたりきりといったら、主上と中宮がイチャイチャしていた花宴を思い出すではないか。
ミカドは「はい、って……」とつぶやきながら、堪えるように目を瞑った。
「玉座をよく見て欲しいんだ」
「玉座を、ですか」
貺都の高御座はふたつ。
宴や大儀の際、主上が座する紫陽花殿の高御座と、正殿紫宸殿の高御座だ。
紫宸殿の高御座は几帳を開け、臣下に顔を晒すことが多い。そのため玉座はより厳かに、金箔で縁取られた背もたれがついていた。
その背もたれに、紅い滲みがついている。
「蛇の、模様?」
「そう。私も今朝、座って気付いた。それがあなたの背中の蛇一匹に、似ているんだ。似ているというより、そのままの形をしている」
「背中の……? では、痣を重ねるように座ればよいのですね」
ミカドがうなずく。
折姫はためらいなく、玉座に背中を預けた。
「どう?」
「特に、なにも」
「背中をみせて」
「やっぱり、脱ぐんじゃないですか」
「痣だけ見せてもらえたらいいのだけど」
「つれないなぁ」
それはいつものミカドの台詞だ。
ヌシが物見にこしかけ呆れて見ていた。
「痣ならば、玉座に移ったぞ。ひとつだけだがな」
「そうですか」
玉座に呪がついたということは、座るべき人間はただひとり。
ミカドもまた臆さず腰を据えた。
折姫が問う。
「どうですか」
「なにも」
「背中に痣は?」
「ミカドにはつかん。呪は玉座に取り憑いた。永遠にな」
そう言って、ヌシは物見から飛び降りると、舞台の中心部に立った。
「水神さま……!」
騒然とする。
ヌシは誰しもに聞こえる声で、宣言した。
「たった今、玉座に呪が取り憑いた。嘆かわしいことに帝は座ってしまった」
一体、どのような呪いがと、みなすがるような目でヌシを見上げる。
何百年とひとり寂しく沼にいたヌシは、その視線に陶然と酔いしれながら、言い放った。
「帝と契りを交わした女は、その血を絶やす」
しん、と静まる。
血を絶やす、とは不穏であるが、言葉の意味が広く理解しがたい。侍っていた殿上人が一斉に左大臣を見やる。
左大臣は呂律の回らない舌を動かし、訊ねた。
「では我が娘、一の君が側室に上がれば、寿命が縮むということか? ん? それとも皇族の血が絶えるのか」
「いや? 皇族は、ヌシが居る限り安泰じゃ」
「では──」
「生まれの家系が絶える。つまりは左大臣、お主の血筋が断絶するのだ」
左大臣はわかりやすく狼狽した。
「そんな……! では、主上の御子は」
「異界の女が産む。次代も、またその次も」
ヌシの高笑いが正殿の天井を突き抜ける。
舞台にいる人間はみな、波紋を広げるように絶望を抱いた。
貺都の貴族にとって、皇族と血を交えぬ未来に、権力も霊力もない。
「ヌシ様、お待ちください!」
折姫とミカドが、ヌシを追いかけ高御座から降りてきた。
左大臣がミカドの胸ぐらをつかむ。
「貴様……! わかっていたな!」
「いいえ? 母上の呪いですよ。血を残すことばかりに執着する、貴族たちへの報復では」
今朝、玉座に痣をみつけたときには、おおよその予想はできていたが、ミカドはその椅子を壊すことなどしなかった。
その点では、呪を受け入れたというほかあるまい。
ミカドの頭のなかは、すでに後宮の解散と、殿舎の活用方法に回っている。女御たちの骨仏を作るついでに、施政に役立つ神殿と、あと湯殿も随所に欲しい。
左大臣は尚も、怒りにふるえた手を離さなかった。
「私は、私の娘は、産まれながらの皇太后だと、そう確信し育ててきたのに……!」
背後で「え? そうなの!」と一の君が頬をふくらませながら言う。中身はブドウだ。
ミカドははっきりと言った。
「次代の皇太后は折姫ですよ」
皇后に即位したばかりだというのに。
折姫は被害がこちらに及ばぬようにと、そろりそろりと退いた。だがそれは許されず、折姫もよく知る上達部のひとり、大納言がずいと詰め寄った。
「折姫様、どうにかならないのですか! 私の娘だって、女御になるのをずっと夢見て生きてきたのですぞ」
「いやぁ、私に言われても……」
後退りする。
一歩うしろは、大階段だということを忘れて。
そのとき、ようやく外野に目を向けたカヲルが、
「ミカド……! 折姫にまた、死に痣が!」
正殿に轟く声で叫んだ。
気づくのに遅すぎた。
痣の刻は、すでに満ちている。
「折姫……?」
左大臣の腕を振りきり、ミカドは虚しく手をのばした。
先ほどまでそこにあった、衣裳の裾すらもない。
大階段下を覗きこむ、みなの表情や声色を読みとるだけで、足がすくんだ。
ヌシが肩を叩く。
「不死とはいえ、治療は急いだほうがよいぞ」
「不死……?」
「なんじゃ、気付いとらんのか。首の骨が折れているのに、御霊が離れない。あれは不死の呪いじゃ」
ミカドは飛び降りるように階段を降りていった。
打ちどころ悪く、折姫の身体は無惨なものであったが、ミカドのチート能力で明け方には治療が終わった。
翌朝、いつも通りに参内する折姫をみた素面の仕官全員、皇帝皇后には決して逆らわないことを誓うのであった。
折姫に滲みついた痣には、
──ミカドより先に死ねない。
という、呪が込められている。
それから折姫は、痣のなかった一年間、よくご無事でしたねと言われるほど、大怪我を繰り返す。
その度にミカドは、母に手を合わせ感謝しなければならなかった。




