五十七折
女御の覚醒により、土砂崩れのように兵が散っていく。北の高台にうごめく異様な女の群れは夜目にも華々しく、恐ろしくもあり、混乱は波紋のように拡がった。
だがやはり、敵も侮れない。
御所の塀へ向かって列を組んでいた東西の大将が、北を目標に陣形を変えた。カヲルがミカドへ伝えるやいなや、シオンが脇に抱えていた木の板を膝にのせる。
薄い碁盤のようだ。
マス目に指を触れると御所の地図が浮かび上がり、二度触れればその場に女御が転移する。
シオンは詠唱しながら東西の陣形の中心点を指で叩いた。詠唱は以下の通り、女御の名だ。
──東へ、三十代目梅壺の女御、マサコ様。
──西へ、百一代目薔薇の壺の女御、リン様。
マサコと呼ばれた女御は東の大将の鼻先に現れると、優しく耳打ちをした。
「蝶々は、お好き?」
耳の穴に小さな幼虫が落ちていく。
大将の身体が立ったまま、たちまち激しい痙攣を起こした。
そのうち口や腹から、黒い花びらのようなものを吹き出させ、辺りを黒く染めていく。
蝶だ。
耳から入った虫がなかで蝶となり、さらに増殖し、内から羽ばたいていった。
蝶の餌は人の腑。
大将は蜜を吸いつくされた花のようにしなび、最後に内からじゅるん、と目玉を啖われ、地に突っ伏した。
西では、
「私、きれい?」
リンが大将に口づけするように頬を包み込むと、頬をこすりあわせ、腐肉を塗りつけた。
すると腐肉から蚕の幼虫が移り、ウジのように身体を這い、大将の肉を噛みちぎった。そちらは肉を栄養にして、蚕は繭から、成虫へ。紅白に染まる大将の身体はまるで花畑のようだ。
それもしばらくすると見えなくなった。
飛び立つ蚕と繭糸で、あたりは霧のように白く覆われた。
朱雀の背に立っていた中将が、思わずカヲルの肩にすがりつく。
「あ、あの怨霊──、ではなく女御様をご存知ですか」
「虫使いだ。非力な女でも操りやすく、昔は後宮でも流行っていたが、いつだったか殿舎まるごと皆殺しにした女御がいて、禁術となった。ミカドが調べたのだろう、彼女らはきっとその末裔だ」
「主犯では!?」
増殖した黒蝶と蚕は、逃げまどう敵兵を宿木に、卵を産みつけていく。断末魔の背後で内臓を弄ぶ音。肉を咀嚼する音が増え、大きくなっていった。
大将を一瞬で失った陣形は跡形もない。
北の兵は黒と白で覆われた東西に阻まれ、なす術もなく、女御たちの餌食となっていく。また追い討ちをかけるように、東では川が濁流を流し込んできた。
中将が指をさす。
「川が氾濫しています!」
東から南へつなぐ橋が崩れ、足止めを食らった敵兵が次々と川にのまれている。
「つむじ風の影響か、はたまた父上が蛇を討ったか。東門は俺が厳重に堰き止めているから、御所を浸水させることはない。だが水の勢いはしばらく衰えないだろう。これで東は完全に堕ちたな」
東門では氷の女神が頬杖をついて、流れゆく人を観ている。
「しかし南を固める敵兵は無傷。そのうち西からも上がってきます。桔梗門には女御様たちを転移させないのでしょうか」
女御達の姿が見えぬ南の兵は、近づく阿鼻叫喚の音色に戸惑いながら、上からの指示を待っているようだ。
「待て。……門が、開くぞ!」
近衛兵が両側で、頭を垂れながら同時に重い門を引いていく。
門前にひとり、男が立った。
ミカドだ。
扇子を広げ、誘い込むようにして宙を切った。
「大結界、貺都御所へようこそ」
造面をつけたひょろ長い男が武器をもたず、頭を下げたのだ。
やれ降参かと、前線の兵は刀や弓を構え、門のなかへと軽々、足を踏み出した。
ミカドは舞うようにして、扇子を天へ仰ぐ。
「とくと、ご堪能あれ────」
その言葉を最後にミカドを包み込むようにして、四角い灯籠が何十、何百と現れ、飛んでいった。
まるで敵を歓迎しているようだ。
その美しさに笑みを浮かべるものさえいる。
灯籠を見上げれば、煌々と輝く、火の粉のようなものが降ってきた。その粉は視覚的に人間を魅了する、魔術をかけているよう。
敵兵は心地良さそうに全身に浴びたり、手で受け止め、口に入れたりもした。
ミカドは尚も立っていた。
敵兵の太刀が間合いに入るそのときにも。
ただ、一拍。
派手に手を合わせ、鳴らした。
「さあ、宴がはじまるぞ。ご褒美だ」
ネコの式神が目を爛々とさせて現る。
目の前の情景に手を泳がせ、舌舐めずりをした。
そこに敵兵はいない。
着物が足の踏み場がないほど散らかっているだけだ。
刀や弓が地に落ちる音とともに、門の内へ踏み入った敵兵はこつぜんと、姿を消していた。
ネコが狙うは着物の下で、もぞもぞともがく、ちいさな動物。
──ネズミだ。
ミカドは嬉しそうに扇子をあおぎ、徒歩で紫宸殿を目指した。
行き違うもののなかに、ネコではないなにかが交じっている。ミカドの背後で大蛇が、長い舌でごっそり、ネズミをすくった。
「八百万の神にも、ネズミ好きはたくさんいるからね」
ミカドが頭を下げたのは、血を餌に御所へ呼び寄せた各地の神々であった。
折姫の折った箱──灯籠のなかには、北の大地に咲く鈴蘭の花が入っている。
中宮が知らせた毒の花だ。
鈴蘭の花粉は毒がある。
それも、蠱毒。
ミカドは花の女神をかしずかせると、中宮の精製したネズミの蠱毒を鈴蘭の花に吸わせ、摘ませていた。
灯籠に仕込み、灯りを点せば温められた鈴蘭が花粉を落とす。それを吸った人間はネズミと化す。あとは、神々の望むままに。
罠はそれだけではない。
殿舎の床下へ逃げ隠れたネズミは、そこを墓に。
屋根へ登ったネズミは、血を吐いて砂利に沈む。
カリナの精製した毒の香は、せまい天井裏や浜床のネズミ捕りによく役立った。
川下に流れ着いたヌシが飛んでくる。
「なんじゃ、ヌシの居ぬ間に面白そうなことをしおって!」
「父上は」
「勝った。まあ、なかなか面白い闘いではあったぞ」
すると、ヒコが尻尾を振って並んだ。
「おい。何匹捕まえられるか、競争だ」
「なんじゃと? 受けてたとうではないか」
ヌシはミカドへ小箱を預けると、ヒコを追いかけ駆け出した。
ミカドの言う通り、宴だ。
御所はネズミの鳴き声と、神々の愉しそうな笑い声で溢れ返った。
上空では、一度ネズミの実験台となっているカヲルが敵に同情した。
南の兵は袋のネズミ。逃げてきた西の兵までもが、まんまと灯りに誘われ、御所へ吸い寄せられていく。圧巻であったはずの一万の敵兵は、四半刻もかからずして、ミカドの手で捻りつぶされたのだった。
「ひどい。あれはない」
「あんな残虐な戦略、よく思いつきますね」
「あいつ笑ってなかった?」
「同じ人間とは思えません」
カヲルと中将はふたたび顔と面を見合わせ、震えた。
「よし。俺たちはしっかり見届けたことだし、後は空から内大臣を探すだけだな。って、──おい!」
内大臣が梅壺の釣殿で、カヲルに笑顔で手を振っている。
その左肩にはクウガがのり、右肩では女が顔を埋めていた。その御髪は他でもない、カリナの金色の御髪だ。
「母上……! クウガ!」
命じるまでもなく、中将の矢が放たれる。
朱雀もまたわかったように梅壺を目指し、下降した。
殿舎の屋根に降り立ち、そのまま伝い走っていくと、その下にミカドが並んだ。屋根から釣殿の板間へ飛び降りる。
カヲルがその勢いのままに、内大臣へ飛びかかろうとしたが、ミカドの袖に止められた。
「なんでだよ!」
「罠だったら、どうするつもりだ」
内大臣がクスリと笑う。
「懸命だね」
「それで? 私はあなたのお眼にかないましたか」
「うーん。ちょっと及第点には届かないかなぁ」
そう言いながら、胸に刺さる矢を容易く抜き取った。
そこで桜の花吹雪が釣殿を過ぎる。
シオンが折姫を横抱きにして戻ってきた。
腰が抜けているのだ。シオンからミカドの腕へ移ると、折姫は背筋をのばして、すっくと立ち上がった。
内大臣がふきだす。
「あははっ、彼女は合格だ。まさか歴代の女御をあやつるとはねぇ。それにシオンだっけ? 何千という傀儡を自由に転移させる精霊なんて、前代未聞なんじゃない? 使役する人間とともに、式神まで超越した力を身につけるとは。いやぁ、恐れ入った」
「やったぁ!」 折姫は呑気に喜んだ。
どうも様子がおかしい。
カヲルは敵の手のなかにいる母と弟の表情を読んだ。肩にのるクウガは無邪気に笑い、カリナに至ってはすっかり女の顔になっている。
内大臣が呆れたように言う。
「だがミカドはなぁ、詰めが甘いんだよ。なぜすぐに俺を探させなかったの? 梅壺で待ち伏せしてもよかっただろうに」
「家族に別れを告げる機会を与えたつもりでした」
「それが甘いって言ってんの。貺都を統べる皇帝が罪人に情けをかけるんじゃないよ、まったく」
そう言いながら、カリナの胸をもんでいる。
「カヲルが呑気に空を飛んでいる間に、怨霊化できたよねぇ?」
「それはないでしょう。一応見張ってはいましたが、杞憂に終わりました。今のあなたからは、母上のような強い怨念がまったく感じられない」
「あは、バレていたか」
愛おしそうに顔を寄せるが、カリナは両手で顎を押しやった。
「だから、嫌だって言っているでしょう! 右大臣の息子となんて、反吐がでるわ!」
「えー、じゃあ誰ならいいの?」
「誰でも嫌よ」
「それって、俺じゃなきゃダメってこと? そっかぁ、残念。……もう死んでるや」
内大臣は名残惜しそうにカリナの胸から手を離すと、クウガも優しく肩からおろした。クウガは最後に頭を撫でられ、涙をぽろぽろとこぼした。
「さてと。処刑はどこで?」
「川辺は氾濫しておりますし、ヌシが拒みましたので、北の高台にいたしましょう」
「桜の下か。悪くない」
「では亥の刻までに、場を整えますので」
ミカドはそう言って、手のなかの箱をひろげた。
なかから現れたのは、ボロ雑巾のようにへたった一匹のネズミ。
「折姫は、これを持って中宮のところへ。父上を元の姿に戻すように言って」
「はい」
「カヲルと中将は近衛を従え、処刑の準備を。終えたら右大臣を連れて来るんだ」
「御意に」
「私は左大臣と一の君にネズミの後始末を命じてくる。戻ったら少し話しましょう」
北池で一体どんな死闘が繰り広げられるのかと思い巡らせていたカヲルは、拍子抜けだ。嵐の前の静けさにならぬことを祈りながら、釣殿を離れた。




