五十五折
皇族の血を受け継ぐものは、必ずや異能をもって産まれてくる。
カヲルの異能は、遅咲きで十歳で開花した。
それも、死に痣を読むという、役立たずで不吉な異能。
──と、本人は思い込んでいる。
カヲルは産まれたその日から女神の加護があり、彼のそばにはいつも羽衣が揺蕩う。毎日、どんなに瘴気をあびようと常に身体は浄らかで、どんな悪鬼も彼には触れられない。
女神にとって、永遠に護るべき至極の御魂。
残念ながら、本人に自覚はない。
それほど、死に痣を読む力が、心の深傷になっていた。
花宴で桜の御息所の死に痣を読み、あろうことかその息子であるミカドへ死期を知らせた。そのときの表情が忘れられない。今でも、夢に出るほどだ。
そして今、死に痣は愛する女の顔を穢していた。
「なあ、シオン。俺はまた、ミカドにあの顔をさせてしまった」
なんの因果か。
目を閉じても開けても、浮かび上がるのはミカドの顔。
紫宸殿の屋根の上。
真夜中を通り越し明け方のことだ。
膝にのせた桜の苗木を話し相手にして、カヲルはひとり、酒を呑んでいた。
苗木が枝を引きつらせる。
「ひっく、ひっく。明日には、姫様が身罷るなんて」
「死に痣の刻をはずしたことはない。明日の亥の刻──、ちょうど満月か」
明るい月を見上げ、カヲルは屋根に寝転んだ。
折姫が身にまとう、唐衣裳の裾を思い出すだけで、涙がこぼれた。
明日の夜には、消えてしまう。
美しく爛漫に咲き、見るものの心を奪い、振り返れば散っていく。
まるで桜のような女だった。
胸の痛みを鎮めようと、酒を煽る。
竹箒で落ち葉を掃く乾いた音とともに一瞬、空の月に人影が映った。
「なにをそんなに泣いているの」
呆れたような、女の声だった。
「まったく、こんなに呑み散らかして」
「いや、俺は──」
酒は、片手にもつ瓶子一本だけだ。
ひっく、ひっくと膝でしゃくり上げる苗木に、まさかこいつかとシオンを疑った。
「お前、今どこで呑んでるんだ?」
シオンに訊ねたのだが、女が言葉を返してきた。
「どこって、御神木じゃない。まったく罰当たりなんだから」
「御神木?」
そんなもの御所にはない。
折姫が御所の外だと言っていたから、既に命じられその場に根を生やしたのかと、のみこんだ。
「それで、どうして泣いているの」
しつこい女だ。
カヲルは吐き捨てるように言った。
「好きな女が、明日死ぬんだ。呑まないでやってられるか」
言葉にするとまた涙で月がぼやけた。
ぼやけた月に、女が映る。
「……あんた。好きな女が死ぬってのに、何もしないで呑んでるって譯」
「決まったことだ。運命は変えられない」
「うんめぃ? ──この負け犬が! どうせ泣くなら自分が身代わりになるくらい、足掻いてからにしな馬鹿!」
「ば、……負け犬ってなんだよ!」
「なによ。諦めたら負け犬じゃない」
「諦めてない! 諦めてなんか──」
ではなんだ。今己れは何をしている。
泣きながら酒を呑んでいるだけだ。
まったく、女の言う通り。
情けなくて、カヲルは声をおさえることもせず、わんわん泣いた。
もう月は見えない。
ただ、白い花びらが微かに、瞳に映り込み、
「朝からうるさ──い! 泣いてる暇があったら、さっさと助けてこい!」
女の罵声と共にみぞおちに激痛が走り、気づいたら宙に放り出されていた。
あろうことか女に蹴られ、屋根を転げ落ちたのだ。
御所の砂利に全身を打ちつけ、大の字になった。
「……いってぇな」
だが不思議と胸の痛みや苦しみが消えている。
折姫とミカドでいっぱいだった頭のなかが、霞が晴れたように澄み渡った。
落ちた衝撃で、涙も弾け飛んでいる。
カヲルは月を隠した紫宸殿の庇を見上げ、つぶやいた。
「折姫の、死因はなんだ……?」
亥の刻ということは、折姫が無力な夜だ。
夜を狙われ、命を落とす。
だが折姫の折り紙は、ミカドや一の君が呪を吹き込めば夜も力を失わない。一の君のように、更に効力を強めることもできる。
今すぐに攻め込まれたとしても、キツネの監視があるから容易に門を破られはしない。堀には蜘蛛の巣が張られ、前線の兵は生捕りにできる。
夜を凌げというなら、折姫を紫宸殿の結界内へ閉じ込めればいい。近衛の総力を上げれば、三日は持ち堪えられる。
そもそも御所一の剣豪がそばにいて、物理的に殺されることは、まず有り得ない。
行き着いた答えは、呪。
それも、術師と呪いを受ける人間だけを結ぶ、強い呪。
他人に干渉されない、一方通行の。
──厭魅。
厭魅だけは、ミカドの御守りをすり抜ける。
解呪方法は、たったひとつ。
受け手による呪い返しだ。
折姫が術師を呪い返さない限り、生き延びる術はない。それも術師を超える強い念で。
無力な、夜に。
「事故ですか。過失ですか」
冷淡な声に我に返る。
先ほどの女かと思えば、覗き込んできたのは中将の世にもおぞましい鬼神の面であった。
「女……? なぜ女などと思った」
「気が触れましたか。……為方ないことです」
今宵の中将の声は、いつものような冷淡さのなかに、女のような繊細さがあった。
中将もまた、声が変わるほど泣いていたのだ。
差し出された中将の手を取り、また疑心が過ぎる。
細すぎる手首。月のように白い──。
カヲルは掴んだ手を強く引き寄せると、中将の面をとった。
「……あっ」
激昂するか、顔を隠すかと思っていたが、中将は悲しげに目をふせただけだった。
泣き腫らした目を。
「朧月夜の君」
「なんですか、それ」
「と、胸の内で呼んでいた。次はいつ逢えるかと想いを馳せていたのに、こんなに近くにいたとはな」
カヲルは力なく笑った。
花宴で一夜、逢瀬を交わしたうら若き姫君が今、狩衣姿で胸のなかにいる。
「決められた相手へ嫁いだのでは」
「長に処女を散らされ、必要なくなりました」
「破談になったか」
「人柱供儀は花宴の三日後だったので、ほんとうに助かりました」
「人柱だと?」
中将はカヲルの胸に顔を預け、話した。
「私の家系は、女は破瓜の歳になると、異能が消えるのです。そのため女は破瓜の歳まで陰陽師として御所に務め、それから嫁へ行きます。私も中将の務めは十七の春までと、決められておりました。
武骨な私に縁談などありません。生まれた日に、水神の生け贄となる予定でした。それがまさか、蠱毒の蛇だとは。能力が消えなくてほんとうに助かりました」
カヲルは途中から、上の空で聞いていた。
十六で異能が消える。
だが中将は今も白羽の矢の異能をもっている。
「本来なら十七まで処女でいるはずが、お前は俺と寝てしまったわけだ」
「はい。どうせ死ぬなら一度くらいはと」
「その後、矢が二本から三本に増えた」
「棚ぼたでした。これで一生、折姫様にお仕えできると思っていたのに──」
上衣に涙がしみる。
カヲルは中将を胸から引き剥がすと、顔を突き合わせて言った。
「それだよ! まだお仕え、できるかもしれん。いやできる!」
「え?」
「今すぐミカドに矢を射れ! 桜の壺へ急ぐぞ!」
弓のしなる音を聞きながら、カヲルは手のなかの苗木に喚びかけた。山の端からは白白と、朝日が昇っていた。
一方で、折姫は困り果てていた。
日が暮れ、かがり火が焚かれ始めたというのに、ミカドの手が頭から離れない。ずっとよしよしされて、そろそろ頭がハゲるのではないかと思う。
「なにごともほどほどが一番だということがよくわかりました。お願いですから、もうおやめになってください」
手を引き剥がし、見上げれば惨憺たる面持ちで言う。
「私のわがままで、あなたをこちらへ喚んでしまった。この罪はどう償えばいい」
「ですから、まずよしよしをやめてもらえます?」
口を開ければこれだ。
一刻も無駄にできないと宣っておいて、ミカドは桜の壺から動こうとしない。
「時間がないんですよ。いいかげん、元に戻ってください!」
自分が死ぬ日付と、刻まで導き出されたときはさすがに衝撃的だったが、感傷にひたっている場合ではない。
ふつうの小娘のまま死ねるのならまだよかった。
だが今の自分が死ねば、あらゆる折り紙がただの紙屑となるのだ。二千人の援軍どころか、闇の精霊が解き放たれ、御守りを失ったみなが狂気に晒される。
そこへ五千の兵が攻め込めば、御所など一捻り。
「くわえ、ミカドはポンコツ」
呆れ果ててもいた折姫はついに「様」を取りはらった。残念ながら今のミカドを敬えない。
咽び泣きながらも、じっとそばでふたりを見守っていた一の君が、はっきりと言う。
「折姫様。今始まった話しではないです。もうずっと、壊滅的にポンコツですよ」
「壊滅的って言った!?」
「普段は毅然とされていますが、折姫様といざこざを起こすたびに、これです。ご自身ではなにも考えられない、甘ったれたお子様です」
「すごい! 歯に衣着せない!」
困った。未来の帝がポンコツだなんて、洒落にならない。
「待って。私が死んだら、この人どうなっちゃうの」
「役立たずは、もれなく御所の堀で、晒し首となるでしょう。ご安心を。私も仲良く並びますので」
「冗談じゃないわ」
尚も撫でてくるミカドの手を払うと、折姫は立ち上がった。
「こんな綺麗な顔が、晒し首ですって? そんなの絶対に許せない!」
「さすが折姫様ですわ。お言葉がいつも想像の斜め上」
「今から時間の許す限り、代わりの折り紙を折りましょう。私が死んでも保てるように、すべて一の君に折ってもらうことになるけれど」
「御守りでしたらなんとか折れますが、闇の精霊を支配するとなると、呪符がなければ」
「ヌシ様にお願いするしかないわね。ミカド、今からヌシ様を喚べるかしら」
聞こえていない。座り込んだまま、恨めしげに見上げてくるだけだ。
「もう! 自分で探す!」
腰に巻きついてくる腕を振り払ったときだった。
ミカドの左肩に白羽の矢が刺さった。
敵かと思いゾッとしたが、次には桜の花びらを散らかしながら、カヲルと中将が現れた。
「よう、目ぇ覚めたか」
ミカドはわずかに、自身を取り戻したようだった。
「こんなときに、何をする」
「こんなときだからこそ、矢を射らせたんだよ。俺も屋根から落ちて、正気になれたからな」
中将が治癒の護符を取り出そうとしたが、カヲルはそれを手で制し、きっぱり言った。
「お前ら、今から語らえ」
「なにを?」
折姫は食い気味で訊ねた。
ふたりきりの作戦会議ならば、昨日にたくさんしている。
ミカドは頭を抱えた。
「酔ってるのか」
「まあ多少は」
「今すぐ頭を冷やしてこい」
「お前さぁ、折姫が処女を散らせば力を失うって散々言ってきただろ。正直なところ、それは可能性の話しか。それとも必然なのか」
「必然──、だと、思う」
急に訊ねられ、わかりやすく狼狽する。
カヲルが中将へ目配せすると、中将は自身で面を外した。
「ぇえ!?」
その素顔に驚いたのは、折姫だけだった。
「え、え? みんなは知っていたの? やだ、中将が、こんなに綺麗な方だったなんて!」
ギャップ萌えだ。
キラキラとした目で笑いかけると、中将は顔を真っ赤に染めた。
「一の君は、中将が女性だと知っていたの?」
「はい。立居振る舞いは男らしいですが、所作がとてもしなやかなので、きっと上位貴族のお姫様かと」
中将は面を板間に置くと、跪かず手をついて、深々と頭を垂れた。
「恥ずかしながら大叛逆の主犯である右大臣家の、六女でございます」
その素性にはミカドも目を皿にした。
カヲルに至っては従兄弟にあたる。
「なるほど。君が暴れ馬の六の君であったか。それで? 彼女がどうしたって」
すっかり自分を取り戻したミカドへ、カヲルは中将の家系と異能について語った。
「そういやぁ、右大臣の娘たちは成人してしばらくしてから、地方の豪族に嫁いだよな。好きな相手を選ばせたのかと思っていたが、十七になるのを待っていただけだったのか」
「そうかカリナは、特別だったんだ。十五で皇后として入内したから、今も調香の異能をもっている」
「裏を返せばさぁ、処女を散らせば穢れ、異能がなくなるってのは、右大臣の家系から広まった噂なんじゃねぇか?」
「偽りも何百年と言い伝えられたら、真実となる、か」
話しの内容に何度も驚きながらも、勘づいた折姫は立っているのがしのびなくなり、その場に腰を据えた。
カヲルの話しが終わるころには、ミカドは冷然としていた。
結論は出ている。
「話しは聞いてやった。それ以上はない。今折姫の力を失えば、御所は陥落する」
「ミカド……! もし失ったとしても一日早まるだけだろ。それに、折姫が生きている間は、お前や一の君が折り紙を操れる。どうってことない」
「大問題だ!」
闇の精霊を指差す。
解き放たれれば、御所は大混乱だ。
「それなら──」
折姫は折り紙を一枚取り出し筆を取ると、自身の真名を書き、その上から呪符を捺して菊の花を折った。
「この方法で御所の人間全員を操れたのですから、きっと。おいで」
折姫が手招きすると、寝ぼけていた闇の精霊は嬉しそうに足を弾ませ膝にのった。
「いい? 私が居ないときは、彼女がご主人様よ」
闇の精霊が背中に背負う菊の花に、今折ったものを重ね合わせると、闇の精霊ごと一の君へ手渡した。
戸惑いながらも、受け取った一の君は手のなかへお辞儀する。
「よろしくお願いいたします」
闇の精霊もまた、ぺらりと人型の頭を垂れた。
「ほら! これで解決──、しま、したよ」
やりきってから、爆破するように顔を赤らめた。自分で大問題を解決してしまった。穴があったら入りたい。
カヲルはお構いなしに吹き出した。
「ちょっと!」
「いや、お前らしいなと思って」
ミカドは尚も苦々しく言う。
「そんな一抹の可能性のために、みなを犠牲にできない」
「まあまあ、そこは俺たち近衛に任せろって」
「だがもし、失敗したら」
カヲルは小さく溜め息を吐いた。
「そんなに、いやか」
「いやとか、そういうことじゃないだろ」
「往生際が悪い。男らしくないぞ。あちらの姫君は、まんざらでもなさそうなのに」
「ちょっと!」
折姫の頭から湯気が出ている。
ミカドは扇子を広げ、閉口した。
一から考え直しているようで、何も考えていないようにも見える。
口を挟んだのは一の君だった。
「あの、わたくし紫宸殿へ上がってもよろしいですか。地図を見ておりますので」
カヲルが言う。
「いや、あなたは昨夜寝ていないだろう。恐らく今晩が要だから、今は休息を。シオン、梅壺へ連れて行ってあげて」
桜の花びらがどこからともなく吹き上がる。一の君は去り際に、茶化すように言い放っていった。
「ミカド様。扇で顔は隠せても、お耳が真っ赤ですよ」
折姫がチラリとそちらへ瞳を寄せると、ミカドは両膝を立てて頭を隠していた。
「あっ、体育座りだ」
久しぶりに見た。
カヲルがはっ、と息をのむ。
「こいつ、もしかして──。おい、春宮御所かりるぞ。中将も来い」
「私は!?」
急にひとりにされると、折姫だって心細い。
「一刻──、いや四半刻で戻る。湯浴みでもして、あれだ。心の準備でもしとけ」
そう言うと、ミカドの袍の襟をつかみ、ずるずると引きずっていった。




