表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
おりひめと蠱毒の後宮  作者: 紫 はなな
厭魅の風
55/60

五十五折

 皇族の血を受け継ぐものは、必ずや異能をもって産まれてくる。

 カヲルの異能は、遅咲きで十歳で開花した。

 それも、死に痣を読むという、役立たずで不吉な異能。


 ──と、本人は思い込んでいる。

 

 カヲルは産まれたその日から女神の加護があり、彼のそばにはいつも羽衣が揺蕩う。毎日、どんなに瘴気をあびようと常に身体は浄らかで、どんな悪鬼も彼には触れられない。

 女神にとって、永遠に護るべき至極の御魂。

 残念ながら、本人に自覚はない。

 

 それほど、死に痣を読む力が、心の深傷になっていた。


 花宴で桜の御息所の死に痣を読み、あろうことかその息子であるミカドへ死期を知らせた。そのときの表情が忘れられない。今でも、夢に出るほどだ。


 そして今、死に痣は愛する女の顔を穢していた。


「なあ、シオン。俺はまた、ミカドにあの顔をさせてしまった」


 なんの因果か。

 目を閉じても開けても、浮かび上がるのはミカドの顔。

 紫宸殿の屋根の上。

 真夜中を通り越し明け方のことだ。

 膝にのせた桜の苗木を話し相手にして、カヲルはひとり、酒を呑んでいた。

 苗木が枝を引きつらせる。


「ひっく、ひっく。明日には、姫様が身罷るなんて」

「死に痣の刻をはずしたことはない。明日の亥の刻──、ちょうど満月か」


 明るい月を見上げ、カヲルは屋根に寝転んだ。

 折姫が身にまとう、唐衣裳の裾を思い出すだけで、涙がこぼれた。

 明日の夜には、消えてしまう。

 美しく爛漫に咲き、見るものの心を奪い、振り返れば散っていく。


 まるで桜のような女だった。


 胸の痛みを鎮めようと、酒を煽る。

 竹箒で落ち葉を掃く乾いた音とともに一瞬、空の月に人影が映った。


「なにをそんなに泣いているの」

 

 呆れたような、女の声だった。

 

「まったく、こんなに呑み散らかして」

「いや、俺は──」


 酒は、片手にもつ瓶子一本だけだ。

 ひっく、ひっくと膝でしゃくり上げる苗木に、まさかこいつかとシオンを疑った。


「お前、今どこで呑んでるんだ?」


 シオンに訊ねたのだが、女が言葉を返してきた。


「どこって、御神木じゃない。まったく罰当たりなんだから」

「御神木?」


 そんなもの御所にはない。

 折姫が御所の外だと言っていたから、既に命じられその場に根を生やしたのかと、のみこんだ。


「それで、どうして泣いているの」


 しつこい女だ。

 カヲルは吐き捨てるように言った。


「好きな女が、明日死ぬんだ。呑まないでやってられるか」


 言葉にするとまた涙で月がぼやけた。

 ぼやけた月に、女が映る。

 

「……あんた。好きな女が死ぬってのに、何もしないで呑んでるって譯」

「決まったことだ。運命は変えられない」

「うんめぃ? ──この負け犬が! どうせ泣くなら自分が身代わりになるくらい、足掻いてからにしな馬鹿!」

「ば、……負け犬ってなんだよ!」

「なによ。諦めたら負け犬じゃない」

「諦めてない! 諦めてなんか──」


 ではなんだ。今己れは何をしている。

 泣きながら酒を呑んでいるだけだ。

 まったく、女の言う通り。

 情けなくて、カヲルは声をおさえることもせず、わんわん泣いた。

 もう月は見えない。

 ただ、白い花びらが微かに、瞳に映り込み、



「朝からうるさ──い! 泣いてる暇があったら、さっさと助けてこい!」



 女の罵声と共にみぞおちに激痛が走り、気づいたら宙に放り出されていた。

 あろうことか女に蹴られ、屋根を転げ落ちたのだ。

 御所の砂利に全身を打ちつけ、大の字になった。


「……いってぇな」


 だが不思議と胸の痛みや苦しみが消えている。

 折姫とミカドでいっぱいだった頭のなかが、霞が晴れたように澄み渡った。

 落ちた衝撃で、涙も弾け飛んでいる。

 カヲルは月を隠した紫宸殿の庇を見上げ、つぶやいた。


「折姫の、死因はなんだ……?」


 亥の刻ということは、折姫が無力な夜だ。

 夜を狙われ、命を落とす。

 だが折姫の折り紙は、ミカドや一の君が呪を吹き込めば夜も力を失わない。一の君のように、更に効力を強めることもできる。

 今すぐに攻め込まれたとしても、キツネの監視があるから容易に門を破られはしない。堀には蜘蛛の巣が張られ、前線の兵は生捕りにできる。

 夜を凌げというなら、折姫を紫宸殿の結界内へ閉じ込めればいい。近衛の総力を上げれば、三日は持ち堪えられる。

 そもそも御所一の剣豪じぶんがそばにいて、物理的に殺されることは、まず有り得ない。


 行き着いた答えは、呪。


 それも、術師と呪いを受ける人間だけを結ぶ、強い呪。

 他人に干渉されない、一方通行の。



 ──厭魅。



 厭魅だけは、ミカドの御守りをすり抜ける。

 解呪方法は、たったひとつ。

 受け手による呪い返しだ。

 折姫が術師を呪い返さない限り、生き延びる術はない。それも術師を超える強い念で。

 

 無力な、夜に。



「事故ですか。過失ですか」


 冷淡な声に我に返る。

 先ほどの女かと思えば、覗き込んできたのは中将の世にもおぞましい鬼神の面であった。


「女……? なぜ女などと思った」

「気が触れましたか。……為方ないことです」


 今宵の中将の声は、いつものような冷淡さのなかに、女のような繊細さがあった。

 中将もまた、声が変わるほど泣いていたのだ。

 差し出された中将の手を取り、また疑心が過ぎる。

 細すぎる手首。月のように白い──。


 カヲルは掴んだ手を強く引き寄せると、中将の面をとった。


「……あっ」


 激昂するか、顔を隠すかと思っていたが、中将は悲しげに目をふせただけだった。

 泣き腫らした目を。


「朧月夜の君」

「なんですか、それ」

「と、胸の内で呼んでいた。次はいつ逢えるかと想いを馳せていたのに、こんなに近くにいたとはな」


 カヲルは力なく笑った。

 花宴で一夜、逢瀬を交わしたうら若き姫君が今、狩衣姿で胸のなかにいる。


「決められた相手へ嫁いだのでは」

「長に処女を散らされ、必要なくなりました」

「破談になったか」

「人柱供儀は花宴の三日後だったので、ほんとうに助かりました」

「人柱だと?」


 中将はカヲルの胸に顔を預け、話した。


「私の家系は、女は破瓜の歳になると、異能が消えるのです。そのため女は破瓜の歳まで陰陽師として御所に務め、それから嫁へ行きます。私も中将の務めは十七の春までと、決められておりました。

 武骨な私に縁談などありません。生まれた日に、水神の生け贄となる予定でした。それがまさか、蠱毒の蛇だとは。能力が消えなくてほんとうに助かりました」


 カヲルは途中から、上の空で聞いていた。

 十六で異能が消える。

 だが中将は今も白羽の矢の異能をもっている。


「本来なら十七まで処女でいるはずが、お前は俺と寝てしまったわけだ」

「はい。どうせ死ぬなら一度くらいはと」

「その後、矢が二本から三本に増えた」

「棚ぼたでした。これで一生、折姫様にお仕えできると思っていたのに──」


 上衣に涙がしみる。

 カヲルは中将を胸から引き剥がすと、顔を突き合わせて言った。


「それだよ! まだお仕え、できるかもしれん。いやできる!」

「え?」

「今すぐミカドに矢を射れ! 桜の壺へ急ぐぞ!」


 弓のしなる音を聞きながら、カヲルは手のなかの苗木に喚びかけた。山の端からは白白と、朝日が昇っていた。





 

 一方で、折姫は困り果てていた。

 日が暮れ、かがり火が焚かれ始めたというのに、ミカドの手が頭から離れない。ずっとよしよしされて、そろそろ頭がハゲるのではないかと思う。


「なにごともほどほどが一番だということがよくわかりました。お願いですから、もうおやめになってください」


 手を引き剥がし、見上げれば惨憺たる面持ちで言う。


「私のわがままで、あなたをこちらへ喚んでしまった。この罪はどう償えばいい」

「ですから、まずよしよしをやめてもらえます?」


 口を開ければこれだ。

 一刻も無駄にできないと宣っておいて、ミカドは桜の壺から動こうとしない。


「時間がないんですよ。いいかげん、元に戻ってください!」


 自分が死ぬ日付と、刻まで導き出されたときはさすがに衝撃的だったが、感傷にひたっている場合ではない。

 ふつうの小娘のまま死ねるのならまだよかった。

 だが今の自分が死ねば、あらゆる折り紙がただの紙屑となるのだ。二千人の援軍どころか、闇の精霊が解き放たれ、御守りを失ったみなが狂気に晒される。


 そこへ五千の兵が攻め込めば、御所など一捻り。


「くわえ、ミカドはポンコツ」


 呆れ果ててもいた折姫はついに「様」を取りはらった。残念ながら今のミカドを敬えない。

 咽び泣きながらも、じっとそばでふたりを見守っていた一の君が、はっきりと言う。


「折姫様。今始まった話しではないです。もうずっと、壊滅的にポンコツですよ」

「壊滅的って言った!?」

「普段は毅然とされていますが、折姫様といざこざを起こすたびに、これです。ご自身ではなにも考えられない、甘ったれたお子様です」

「すごい! 歯に衣着せない!」


 困った。未来の帝がポンコツだなんて、洒落にならない。


「待って。私が死んだら、この人どうなっちゃうの」

「役立たずは、もれなく御所の堀で、晒し首となるでしょう。ご安心を。私も仲良く並びますので」

「冗談じゃないわ」


 尚も撫でてくるミカドの手を払うと、折姫は立ち上がった。


「こんな綺麗な顔が、晒し首ですって? そんなの絶対に許せない!」

「さすが折姫様ですわ。お言葉がいつも想像の斜め上」

「今から時間の許す限り、代わりの折り紙を折りましょう。私が死んでも保てるように、すべて一の君に折ってもらうことになるけれど」

「御守りでしたらなんとか折れますが、闇の精霊を支配するとなると、呪符がなければ」

「ヌシ様にお願いするしかないわね。ミカド、今からヌシ様を喚べるかしら」


 聞こえていない。座り込んだまま、恨めしげに見上げてくるだけだ。


「もう! 自分で探す!」


 腰に巻きついてくる腕を振り払ったときだった。

 ミカドの左肩に白羽の矢が刺さった。

 敵かと思いゾッとしたが、次には桜の花びらを散らかしながら、カヲルと中将が現れた。


「よう、目ぇ覚めたか」


 ミカドはわずかに、自身を取り戻したようだった。


「こんなときに、何をする」

「こんなときだからこそ、矢を射らせたんだよ。俺も屋根から落ちて、正気になれたからな」


 中将が治癒の護符を取り出そうとしたが、カヲルはそれを手で制し、きっぱり言った。


「お前ら、今から語らえ」

「なにを?」


 折姫は食い気味で訊ねた。

 ふたりきりの作戦会議ならば、昨日にたくさんしている。

 ミカドは頭を抱えた。


「酔ってるのか」

「まあ多少は」

「今すぐ頭を冷やしてこい」

「お前さぁ、折姫が処女を散らせば力を失うって散々言ってきただろ。正直なところ、それは可能性の話しか。それとも必然なのか」

「必然──、だと、思う」


 急に訊ねられ、わかりやすく狼狽する。

 カヲルが中将へ目配せすると、中将は自身で面を外した。


「ぇえ!?」


 その素顔に驚いたのは、折姫だけだった。

 

「え、え? みんなは知っていたの? やだ、中将が、こんなに綺麗な方だったなんて!」


 ギャップ萌えだ。

 キラキラとした目で笑いかけると、中将は顔を真っ赤に染めた。


「一の君は、中将が女性だと知っていたの?」

「はい。立居振る舞いは男らしいですが、所作がとてもしなやかなので、きっと上位貴族のお姫様かと」


 中将は面を板間に置くと、跪かず手をついて、深々と頭を垂れた。


「恥ずかしながら大叛逆の主犯である右大臣家の、六女でございます」


 その素性にはミカドも目を皿にした。

 カヲルに至っては従兄弟にあたる。


「なるほど。君が暴れ馬の六の君であったか。それで? 彼女がどうしたって」


 すっかり自分を取り戻したミカドへ、カヲルは中将の家系と異能について語った。


「そういやぁ、右大臣の娘たちは成人してしばらくしてから、地方の豪族に嫁いだよな。好きな相手を選ばせたのかと思っていたが、十七になるのを待っていただけだったのか」

「そうかカリナは、特別だったんだ。十五で皇后として入内したから、今も調香の異能をもっている」

「裏を返せばさぁ、処女を散らせば穢れ、異能がなくなるってのは、右大臣の家系から広まった噂なんじゃねぇか?」

「偽りも何百年と言い伝えられたら、真実となる、か」


 話しの内容に何度も驚きながらも、勘づいた折姫は立っているのがしのびなくなり、その場に腰を据えた。

 カヲルの話しが終わるころには、ミカドは冷然としていた。

 結論は出ている。


「話しは聞いてやった。それ以上はない。今折姫の力を失えば、御所は陥落する」

「ミカド……! もし失ったとしても一日早まるだけだろ。それに、折姫が生きている間は、お前や一の君が折り紙を操れる。どうってことない」

「大問題だ!」


 闇の精霊を指差す。

 解き放たれれば、御所は大混乱だ。


「それなら──」


 折姫は折り紙を一枚取り出し筆を取ると、自身の真名を書き、その上から呪符を捺して菊の花を折った。


「この方法で御所の人間全員を操れたのですから、きっと。おいで」


 折姫が手招きすると、寝ぼけていた闇の精霊は嬉しそうに足を弾ませ膝にのった。


「いい? 私が居ないときは、彼女がご主人様よ」


 闇の精霊が背中に背負う菊の花に、今折ったものを重ね合わせると、闇の精霊ごと一の君へ手渡した。

 戸惑いながらも、受け取った一の君は手のなかへお辞儀する。


「よろしくお願いいたします」


 闇の精霊もまた、ぺらりと人型の頭を垂れた。


「ほら! これで解決──、しま、したよ」


 やりきってから、爆破するように顔を赤らめた。自分で大問題を解決してしまった。穴があったら入りたい。

 カヲルはお構いなしに吹き出した。


「ちょっと!」

「いや、お前らしいなと思って」


 ミカドは尚も苦々しく言う。


「そんな一抹の可能性のために、みなを犠牲にできない」

「まあまあ、そこは俺たち近衛に任せろって」

「だがもし、失敗したら」

 

 カヲルは小さく溜め息を吐いた。


「そんなに、いやか」

「いやとか、そういうことじゃないだろ」

「往生際が悪い。男らしくないぞ。あちらの姫君は、まんざらでもなさそうなのに」

「ちょっと!」


 折姫の頭から湯気が出ている。

 ミカドは扇子を広げ、閉口した。

 一から考え直しているようで、何も考えていないようにも見える。

 口を挟んだのは一の君だった。


「あの、わたくし紫宸殿へ上がってもよろしいですか。地図を見ておりますので」


 カヲルが言う。


「いや、あなたは昨夜寝ていないだろう。恐らく今晩が要だから、今は休息を。シオン、梅壺へ連れて行ってあげて」


 桜の花びらがどこからともなく吹き上がる。一の君は去り際に、茶化すように言い放っていった。


「ミカド様。扇で顔は隠せても、お耳が真っ赤ですよ」


 折姫がチラリとそちらへ瞳を寄せると、ミカドは両膝を立てて頭を隠していた。


「あっ、体育座りだ」


 久しぶりに見た。

 カヲルがはっ、と息をのむ。


「こいつ、もしかして──。おい、春宮御所かりるぞ。中将も来い」

「私は!?」


 急にひとりにされると、折姫だって心細い。


「一刻──、いや四半刻で戻る。湯浴みでもして、あれだ。心の準備でもしとけ」


 そう言うと、ミカドの袍の襟をつかみ、ずるずると引きずっていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ