五十四の折
ヒコの尻尾が蓮の花を絡めとる。
手のなかから忽然と消え、顔を上げた折姫はわかりやすくむくれた。
「お次はヒコ様ですか。もう少し寝てらしたらいいのに」
「お前はわかっているのか。死ねば、御所の人間全員の御守りが無駄になるのだぞ」
「敵は人間と聞いておりますが。それに、一の君の蓮の葉の計画通りに、ミカド様の呪詛で皆殺しになさるんでしょう?」
「それこそが、敵の狙いだったら。内大臣が御息所のように怨霊化し御所を襲えば、多くの犠牲者がでる」
「……なるほど。その可能性は聞き逃せませんね」
「一の君は女にしておくのがもったいないほど利発な姫君だが、発想と力ではお前の足もとにも及ばん。どうせ死ぬなら、敵を討ってからにしろ。その後ならば私は引き留めん」
「わかりました。では、入り用になるかもしれませんので、瘴気を祓う桜をたくさん折っておきますね」
「お前──」
そう言いながら、折り始めたのは蓮の花びらだ。手と口がまるで伴っていない。
なんてものを生み出してしまったのか。ヒコは今更ながらに猛省した。
「まったく、これでは何人も見張りをつけなくては。世話の焼ける女だな」
ヒコが腰を落とす。
背にのったままのミカドを下ろし、自分は女房たちへ声をかけに行こうとしたのだ。
見上げていただけではわからなかった、ミカドの素足が地に着き、折姫の手がわずかに止まった。またすぐに折り始めたが、その折り紙は桜の花だ。
「うん?」
ヒコは、折姫の袖を鼻でめくった。
「ひゃっ、くすぐったい」
「……呪禁が消えている」
「なんですか、もう! 見張っていなくたって、私は死にませんよ」
「なぜだ。まるで、刻が戻ったようじゃないか」
いや、折姫のなかでも刻は進んでいる。自分が言い出したとおりに桜を折り始めたのだから。
折り終わりに、チラと目線をあげる。
桜が出来上がると、頬が桜色に染まった。
「はい、一個目」
「なぜ、急に理性を取り戻した。ほんとうに死なないのか」
「わかりましたって、先ほどそう言ったじゃないですか。……それに」
折り紙を一枚取り、また一度目線を上げる。
「死なないって。ミカド様と、約束しておりますし」
何を思い出しているのか、折姫は耳まで紅くして笑った。
「ミカドよ。私にもさっぱりわからんのだが、お前がそばにいれば、呪禁が消えるらしい」
「はい。そのようです」
「死なないという約束が結びになっているのか……? いや、それでは遅すぎる。恐らくこの呪禁は一年前、男を惑わす呪禁と重ねてつけられたもの」
度々、折姫が自死を匂わし、命を犠牲にしてきたのは隠れていた呪禁の影響だ。思えばその度に、その場にミカドの姿はなかった。
「ミカドが、自身の存在理由だとでも。いやもっと、はっきりとした根拠が欲しい」
じとと見据えるが、変わらず折り紙を折り続けるだけだ。ただ、顔色が戻らない。熱を帯び、のぼせたように息を吐く。
「手首……、まさか、脈か?」
そこで堪えきれなくなったミカドが前に進み出た。衣擦れもないまま静かに折姫に寄り添うと、左手首をとり、指を当てる。
目を瞑り、数えるまでもない。
「あはは。まるでいまわの際だ」
「早いか」
「早いなんてもんじゃない。放っておいても、死んでしまいそうだ」
折姫は、罰が悪そうにうつむいていた。空いている右手が、折り紙を折りたそうに動いている。
「私と行き会うたびに、こんなに早く脈を打っていたの。いつも平然としてるくせに」
だがミカドは知っている。
未だに目を逸らすし、触れると石みたいに固まる。鼻血が出るからと、よく天井を見上げる。出したことなんてないくせに。そう油断していたら、簡単に意識をとばす。
折姫は、ミカドの手を振り払った。
馬鹿にされていると思ったのだ。
「だから何度も言ってるじゃないですか。私は、あなたを遠くから見てるだけでじゅうぶんです。あと数日ですか? 巫女としての務めは必ず全うしますので、どうか離れていてください」
いつもの折姫の話しぐちだ。
ミカドは今度は拒めぬよう、折姫の両腕ごと包み込むように、強く抱きしめた。
「や、やめてください! この忙しいときに」
「そうだ。忙しいのに、私を呼び出したのは誰?」
「私じゃありません。ひゃっ」
ミカドは折姫を小荷物のように肩へのせると、スタスタと出居へ向かった。
「ミカド様! お、おしり! おしり触っ」
「嬉しいなぁ。呪禁がないから、触りたい放題だ」
「さ、触りたい放題!?」
ヒコも腰を上げた。
「連れていくのか」
「私がそばにいれば、呪禁は表れないのだろ。ヒコは眠っているふたりをよろしく。私からも後で話すが、目覚めたら彼女たちに謝っておいて」
「承知した。またなにかあればすぐに喚べよ」
「御意に。ヒコ、……それからお前たちも、先ほどはすまなかった」
ちんまりと正座して待つ、キリヤとクウガへ声をかける。クウガは泣き腫らした目を弧にして笑った。
「ほらやっぱり、すぐに仲直りしたじゃない!」
「な、仲直りなんて、してな──」
折姫の反抗的な言葉を唇で遮ぎる。
子どもたちは両手で目を覆う、フリをした。しっかり隙間から見ている。
「折姫も。心ないことばかり言って、傷つけてごめんね」
「そんなついでに謝ったって、許しませんよ」
「許してもらえるまで、キスで償うよ」
唐突に組み込まれた『キス』の言葉に、折姫ははやくも気を失った。
紫宸殿でミカドを待ち受けていた一の君と中将は、運び込まれた折姫の様子に嘆いた。
「身体を真っ赤にして、気を失っていらっしゃる……!」
「息も荒い。まるで何か悪いものに憑かれているようだ。梅壺でなにがあったのですか」
「いや、うん。新たな呪禁に蝕まれていてね。目が離せないから連れてきた」
「そんな……! あっ、わ、わたしお布団持ってきます!」
それはもう極上のお布団を!
一の君が足音をたてて出ていく。
ミカドは地図のそばで胡座をかくと、膝に折姫の頭をのせた。中将が折姫のそばで跪く。
「あああ、本物の折姫様。口を開けて眠っていてもお美しい!」
「君たち、ほんとうに折姫のこと好きだね」
だからこそ信頼してそばにおけるのだが、中将からは少々歪な愛を感じる。
「さあ、あなたも下がって少し休みなさい」
「やっとお会いできましたのに! それに、ミカド様こそお疲れでは」
「私はカヲルが戻ったら休むよ」
「そういえば……! 長がご自身で一刻と言ったのに、もう二刻になるではないですか。今すぐ叩き起こして参ります」
「カヲルまでとは言わないけど、あなたはもう少し柔軟に──って、聞いてない」
ミカドは溜め息を一度、呪を唱え地図を読んだ。
「……黒い雲が昨日より集まっている。勢力を広げているのか。このままでは四方八方から攻め入られてしまうな」
「紅い雲も、たくさん」
いつの間にか、意識を取り戻していた折姫もまた、地図に見入っていた。
黒い雲は軍勢を表し、紅い雲は悪鬼を目印にしている。
「丸一日、外の悪鬼を野放しにしているからね。御所に従う集落は産土神に護らせているが、反旗を翻した村や街には神の守護をあたえていない。すぐに鬼の手に堕ちるだろう」
「御所の陰陽師に、いかに護られているのか。外のみんなに知らせられたらいいのに」
ミカドは少しずつ距離をとっていく折姫の腰を引き寄せた。
「あなたは他愛が過ぎる。私には、こんなにつれないのに」
「自己防衛策です」
スン、とした表情で言う。
「それって、今まで私に襲われないための自衛だと思ってたんだけど。もしかして、気を失わないための自衛?」
「どちらも兼ね備えての自衛です」
そうは言っても、呪禁を消すほど脈が早いことだけは確かだ。
「はぁ。今なら何でも許してしまいそうで、己れに呆れてしまうよ。ああでも、支配の呪符。あれは一生許さないから」
「それはほんとうにごめんなさい! 自分で命じながら後悔しました!」
「この私を支配しようとするなんて。危うく闇の精霊を喚んでしまいそうだった」
「支配……闇の、精霊」
折姫はまた、突拍子のないことを言い出した。
「闇の精霊を支配できないですかね」
「闇の精霊を? 難しいな。私でもすぐに解呪できたから」
「それは一枚で折った菊です。ちなみに、十三枚使用した菊の折り紙を触れた人間は、一生私の傀儡になります」
「……それ、ほんとう?」
少し仰反る。
「支配できたとしても、あなたの手には余るよ」
「でもうまくいけば、二千人の援軍を手に入れられます」
「二千人!?」
折姫は地図に指を添えた。御所裏の高台には海を望める墓地がある。そこには歴代の女御が眠っており、黄泉の後宮とまで名付けられていた。
「まさか神間にいる女御達を、すべて甦らせるとでもいうのか」
「はい。みなさん怨念だけは強いので、十倍力かと」
「本気? だよね、日が沈まぬうちに頼みに行ってみよう」
「……はい!」
思いのほか、ミカドは折姫の案をすんなりと受け入れた。お布団をかつぎ込んだ一の君とすれ違いに、ふたりは後宮を急足でまわった。
神間の女御たちはふたつ返事だった。
対価は火葬と、殿舎ごとに骨仏を作ること。
理由は以下の通りだ。
「己れの身体が何年もかけて腐っていく様子は堪え難い苦痛だった」
「一部でいいのよ。拾って真っ白に焼いて」
「その骨を使って、是非美しい仏像を作って欲しいわ」
「古絹の几帳と、これでようやくおさらばね。いいこと。絶対にとなりの殿舎と混ぜないでよ!」
みな揃って同じことを言うので、仲が悪いなりに示し合わせていたようだ。期待してよさそうだと、ふたりは笑い合った。
「さて。お次は闇の精霊だ。菊の折り紙を貼るには、まず封印を解かねばならない。箱から出たら私が力を抑え込むから、そのあいだに」
「はい」
ふたりはヒコから闇の精霊を譲り受けると、念には念を、人気のない桜の壺へ身を移した。
予備にと、新しい蓮の葉の箱を作っておいてよかった。
人形に宿る精霊にひらひらとかわされ、古いほうを折姫の手で潰してしまった。
三度目の正直で、板間に押し込むようにして人形と折り紙を貼り合わせると、菊の花を甲羅のようにして背負う、新たな仲間が誕生した。
「くるくる、回れー」
「信じられない。闇の精霊が、踊ってる」
「はい。いい子だから、ここで大人しくしていてね」
蓮の葉の箱に自ら飛び込む。
傀儡というより、従順な飼い犬だ。
ミカドは唸った。
「すごい。後宮をまわって一刻しか経ってないのに、ほんとうに二千人の力を手に入れてしまった」
「うふふ。いい案が思いついてよかったです」
ますます折姫に頼ることになるが、為方ない。
後宮妃を傀儡にするなんて発想は、折姫以外の誰も考えつかない。
ミカドは折姫の頭を撫でた。
「よし、よし。よくやった、褒めてつかわす」
ヌシを真似る。戯れに始めたことだが、折姫は頭から湯気が出るほど、顔を赤らめた。涙を溜めて言う。
「えへへ。ありがとうございます」
「そんなに?」
呪禁なき今、ミカドは自身も思う存分、折姫の御髪に指を通し、堪能するように頭を撫でた。
「綺麗だ」
「えへへー」
「どうしてそんなに、撫でてほしいの」
自然と口をついて出ていた。癒しや安らぎだとか、きっとそういうことだろうと。
折姫は、はっきりと答えた。
嬉しそうに。
「よしよしされると、
ああ私、ここに居てもいいんだって、そう思えるのです」
墨を浴びせられたようだった。
ミカドは、目の前が真っ暗になった。胸が張り裂けそうに痛んだ。
折姫にとって自分は、今このときも異端者のままなのだ。場違いな人間。不釣り合いな身の丈。
御所の誰よりも愛され、誰よりも求められているのに。
本人には、ちっとも届いていない。
まるで宙に浮く羽衣に手をのばすようだ。
愛が呟けても、どんなに叫んでも、心に響かない。
「私は……、あなたがいない世界を滅ぼそうとまでしたのに。まだそんなことを言うの。
私は、あなたの居場所ではないの……?」
折姫は、心に素直に言い放った。
「そんな、畏れ多いことを」
ミカドは闇の精霊を見た。菊の花を上にして、すこやかに眠っている。
「今日は、泣いても大丈夫だよね?」
「はい。でも、どうして」
無垢な瞳で訊ねる。
その表情はまたたく間に涙でぼやけていった。
「ごめん。ごめんね」
「もう、謝らないでください。仲直りしたのでしょう?」
「ごめんなさい」
ミカドは静かに涙を流し続けながら、謝り続けた。
折姫はもう、とうに心を死なせていた。
恋に、恋をすることで、生きているように見せかけていた。身体だけでも生きる術を身につけようと、恋を呪にした。脈を波打つほど人を愛することで、生を証明してきた。
愛は、呪だ。
彼女はもうずっとその呪に、生かされていただけだった。
だから、居場所がないのだ。
奪い続けているのは、ミカドだった。
「おー、いたいた! なんだよ、イチャイチャしやがって仲直りか? よかったな!」
「カヲル!」
折姫はミカドの手を離れ、カヲルのもとへ走っていった。
「いやぁ、うっかり寝過ごしてしまった。ミカドと折姫が後宮をまわってるって中将から聞いてな。仮でいいから、こいつの居場所にいいとこなかった?」
シオンの苗木を掲げて言う。
「それなら、御所の外がいいかも」
「なんだよ。なにかいい案が浮かんだのか?」
ニタリと笑う、悪い顔を覗き込む。
「それが、ね──」
折姫が得意げに話し始めたときだった。
どさり。いやに重みのある音が、板間を響かせた。
「やだ! カヲルったら、シオン落としちゃった! 雑に扱わないでよね、まあ今まで忘れてたけど。……カヲル? おーい」
手を振っても反応がない。
ミカドは這うようにして起き上がり、カヲルへ一直線に向かって行った。
力の抜けたその男の胸ぐらをつかむ。
「……いつだ!」
「あ、……いや、ぁあっ、いや、だ」
「言え!」
「いやだ。いやだ、ちがう」
「言えよ! これは、命令だ!」
カヲルは命に従い、蚊の鳴くような声で、ぼそりと呟いた。
「丙午の、亥の刻」
カヲルはシオンを拾うと、逃げるようにしてその場から消えた。
ミカドはその場に膝から崩れ落ち、力なく言った。
「明日じゃ、ないか」
カヲルが読んだのは、折姫の顔に浮かんだ死の宣告であった。




