五十一の折
ミカドはひと言発して、手を翻した。
「あちらが薔薇の壺です」
その先で魔法円が青白く光を放っている。
察したふたりは紙袋を折姫から軽々と奪うと、クウガの手をひき一直線に、そちらへ歩いていった。
「では私も」
「許すとでも」
しれ、と腰をあげるが、ミカドの両腕に縛られ、一歩も踏み出せなかった。ふた月ぶりの抱擁に感動するも、金縛りみたいに動けない。
「ミカド様、袍が汚れてしまいます」
「どうして」
下を見やれば、ワンピースに煤ひとつついていない。お尻に下敷きにしたはずのススワタリが元気よく手足を動かしている。
「生き返ってる!」
「ずいぶんと、羽を伸ばしていたようだね。あちらで仕立てたの」
生地の肌触りを確かめるように、腰をなでる。
流行りのワンピースらしいですが、なかにはケーキと煎餅が詰まってます。
「羽を伸ばしてはないです。私はほとんど眠っていたので」
「帳台のなかで話しを聞こうか。奇跡的に無事なのだよ」
「その前に、湯殿で肌を浄めとうございます。ですので薔薇の壺へ──」
「湯殿? よかったね、そちらも奇跡的に無事だ。後でゆっくり入ろう」
「後で」 何の後で。
「ふたりで」
「ふたりで!?」
帳台に放り込まれる。
予想通りの展開ではあるが、ミカドが呪禁に惑わされる前に、御所の現状を知りたい。でも一寸くらい触れたいと思う自分との戦いでもある。
誘惑に負けぬよう正座で待ち構えていると、几帳の外から訊ねられた。
「どこまで予知していた。己れの代わりに一の君を遣わせるとは、周到すぎやしないか」
「それは昨日に神の間で、女御様たちがご教示くださいました。刻々と変わる状況下において、冷静な判断ができる女を代わりに立てるべきだと。私の折り紙を操れる姫君は一の君以外に思いつきませんでした。予知は、ミカド様より先は見えておりません。元より得意ではありませんので」
「そう」
三拍ほど間があいた。
「ではなぜ、私やヌシの命に反し、牛車へ向かった」
苦虫を噛み潰したような声だった。
折姫は几帳へ頭を垂れた。
「申し訳ございません。クロが目の前に現れ、誘うように牛車へ入っていったので、ミカド様が憑いていると思い込んでしまいました。浅はかでした」
「クロが……?」
ほんとうのことだ。
折姫はヌシの「待て」より数秒前に、クロと行き合っている。
ミカドはすぐに手を二回叩き式神を喚ぶと、ネコに命じた。
「薔薇の壺の女御とそばにいる黒ネコを見張れ。あやしい動きがあれば指示を仰がずとも捕らえよ」
「そんな! カリナ様を疑うようなことを」
「私にとっても育ての親だ。彼女を信じたいが、内大臣と恋仲であったことも事実。……それより問題はあなただよ」
「私、ですか」
「内大臣は憑きネコを操ってまで、あなたを牛車へのせようとした。まるであなたの無力化が謀叛の目的そのもののよう。御所の侵略には私やカヲルより、折姫を恐るるべき、と判断しているという譯だ。きっとこれから先、攻め込まれたとしてあなたが一番に狙われる」
「待ってください。攻め込まれるって、誰に──」
怨霊と戦うのではないのか。
そう言う前に、両手をつかまれ押し倒されていた。
「人間が、押し寄せてくるんだってさ。この御所そのものを略奪しに」
「人間が……?」
「私は甘かった。愚かだった。ふた月も貺都をまわっていたのに、一欠片も想像できなかったなんて」
帳台の外で狩衣を脱ぎさり半裸のミカドは、修羅をくぐった三月で、より屈強な身体つきに変わっている。
刺激が強すぎて、折姫は目を回しながら必死に抵抗した。指は絡み合うばかりで、ちっともほどけない。
「私を狙うということは、これからより私の力が必要となるのでは」
「ああそうだ。だからこそあなたの力には、もう金輪際頼りたくない」
「それでは御所が……!」
「いらないんだよ、もう! その力のせいで、私が私でいられなくなる。蜘蛛の折り紙が力を失って落ちたあのとき──」
ミカドは花の顔ばせを真っ紅に染めて、涙を堪えていた。
「あなたのいない国など滅んでしまえと、本気で、思ったんだ」
受け入れてほしいと、願うように手の力が弱まる。
折姫は、ミカドの頬に手を添えた。
枝垂れる髪が御簾のようだと思った。
「髪、またのびましたね」
もう片方の手はポケットに突っ込んでいた。
カサリと乾いた音がする。
「折姫?」
「はい」
「まさかこの期に及んで、私に逆らう気」
「逆らうだなんて、そんな。あなたは、なんでもかんでもひとりで背負いこみすぎなんです。だから、どうかこれからも、全力で頼ってください!」
心の臓に、折り紙を添える。
菊の折り紙だ。
「ちょっと! それはないんじゃない」
「ごめんなさいー!」
謝りながら必死で思いついた命令が以下である。
「春宮は、折姫を忘れなさい」
次には、ミカドは頭をおさえて身体を起こした。あっさりと拘束が解かれる。
「な、んだ? こんな恰好で私は一体──、あなたは?」
さては夜這いかと、冷ややかな目を向ける。
身が凍るようだ。
折姫はその蔑視から逃れようと、几帳の外へ向かった。
「失礼しましたー」
「待って」
手首を掴む。
運悪く、呪禁のあるほうだ。
「あなたは、……もしかして、不知火家の」
はっ、として振り返ると、ミカドはもう片方の手で敷妙にひろがる髪をなでていた。
手ですくように拾う。
「イオリさん?」
真名をさん付けされ、折姫は心臓が跳ね上がった。顔がみえないよう、ぶんぶん首を振るが、両手で頬を包み込まれた。
「イオリさん。イオリさんだ。待って、じゃああなたは折姫だ。折姫? 折姫って、だれ。折姫はそうだ、私がずっと、心の中で呼んでいた、愛しい人」
瞳を見据えながら、自問自答を繰り返す。
ミカドの潤んだ瞳から、こらえていた涙がひと筋流れた。
「ひどい。私に、なにをしたの」
ほんとうに、酷いことをしてしまった。
耐えられず帳台を飛び出ると、滑るように魔法円へと向かい走った。
翌朝の薔薇の壺は、どんよりの四文字に限る。
愉しく膳を囲っていたのだが、紫宸殿で起きた事件と御所の現状を妖たちから詳しく聞いた三人は、苦い薬を飲まされたような顔で茶を啜った。更に折姫が、輪をかけて昨夜のミカドとのやりとりを話すと、カリナはその場に倒れ、シオリは手で顔を覆った。
「それはないわ。離縁よ、離縁」
「離縁!」
「そうだ。……ネコ!」
シオリがクロの姿を探す。
今朝からカリナの胸に挟まっていない。
「ネコまで逃しちゃった。謀叛の原因を作った私は、よくて御所追放……」
「わたしはぁ?」
カリナが茵にかじりつき、メソメソ泣いている。
シオリは、はっきりと言った。
「万死に値します」
どんよりとした雲行きは雨雲に代わり、大雨の涙となった。
そこへ運悪く、男が通りかかる。
カヲルだ。寝ずの番をしていたが、中将と交代で一刻だけ休みにやってきた。
まったく話しを通されていないカヲルにとって、涙に濡れる女たちの情景は、胸を引き裂かれるようだった。
「よかった、ご無事でしたか」
ただ、声はかけるべきではなかった。
息子の声にカリナが飛び起きる。
「あんたぁ、よくもやってくれたわね」
「は、母上?」
「大馬鹿もの! あろうことか、自分ちを利用されるなんて! ……そうだ、今ここであんたの首をとれば、死罪だけは免れるかもしれない」
「え? え?」
カリナはりんごを剥いていた小刀を持ち替えた。その隣でシオリが袿を脱ぎ払い、腕をまくる。
「私がおさえつけましょう。そんで端っこでいいから後宮に居させてもらう!」
「中宮様まで、え? ただならぬ殺気に、え?」
折姫もまた立ち上がった。
カヲルが後ずさる。かかとはすでに、庭へ出ている。
「まさかお前まで──、いやそれより、身体は大丈夫なのか」
「身体? 無駄に元気だけど」
昨夜のことを思い出し、肩を震わせる。
「そうか。……すぐに治療を受けたのだな」
「そんなことより」
「そんなこと!?」
「計画を練りましょう。またみんなの力を合わせて、御所を護るためにできることをミカド様に伝えるの。武器を作るとか、罠を仕掛けるとか、なんでもいい」
カリナが小刀を下ろす。
「名誉挽回ってわけね」
「はい。そのためには、カヲルの頭脳が必要よ。手伝って」
「えー、でも俺、昨日から働き詰めなんだよ。さすがに少し休みたいんだけど」
「はぁ? あんた、私の首がかかってんのよ、なに悠長なこといってんのよ! 一瞬だって寝かせやしないんだから!」
ずるずると出居に引きずり込まれる。
夜の守衛のために睡眠だけはとっておきたいが、そうもいかなくなったようだ。
カヲルは腹をくくった。
近衛たちも見張りを続けるだけの現状に、不安心を抱き始めている。折姫の言うように、それぞれの異能を利用すれば、なにかよい案が生まれるかもしれない。
それに拐われた先で、彼女たちがどのような扱いを受けていたのか気遣わしい。
「……折姫、昨夜はどうやって戻ってこれた」
「ミカド様が、境内に召喚術の魔法円を描いてくださったの」
「境内? 神社ってことか。まさかミカドが建てた神社に隠れていたのか」
「違うよ。実家の神社」
「実家?」
「私はヌシ様の支配の呪符を利用して、菊以外に折ってみようと思います」
「待て。折り紙折るのか!?」
「今さらなにを」
折り紙を取り出し、手の甲の呪符を捺す。
折姫の霊力が紙に移る様子はひと目みればわかる。
男に穢され力を失ったのではないのか。辛い思いをしたはずの本人に問い詰めることができず、カヲルが茫然としていると、シオリから訊ねてきた。
「私は、何をすればいい」
「中宮様は何もしないでくださいよ」
以前、毒を盛られネズミにされたカヲルは全力で止めた。
「中宮様は禁術にお詳しいですが、蠱毒を大量に生産することは難しいですし、敵に毒を盛るのは簡単なことではありません」
「そう、蠱毒を今から精製するのは難しいわ。毒か……。花なら?」
「花、ですか」
「北ならまだ咲いているはずよ。花の女神にきいてみてよ」
頭上に指を指す。
御所の空を守る三柱は、カヲルを愛する女神たちだ。頼みごとはすべて受け入れてくれる。
カヲルが笑って手を振ると、あちらもすぐに羽衣の裾を振ってきた。
笑みを引き攣らせながら、紙に綴る。
そこで一度席を離れていたカリナは、紐でかたく結ばれた香箱を抱えて戻ってきた。
「邸へ誘い込めれば、香で痛めつけられる。私はこの毒の香を箱ごと献上するわ」
毒に目を光らせる剣呑な後宮妃たちである。
カリナにいたっては、詳しいだけでなく準備万端だ。
「さすが毒婦。不義の子をなしただけあるな」
「なんですって! ……そうだ! クウガよ」
宙をつかむ。
強い香を燻され、気配すら消えていたようだ。カリナが着物をはたくと、むせるクウガの姿が現れた。
「いや、……待てよ。クウガが作った貺都の地図。人間の動きを表せられないか」
紫宸殿のやり取りを思い出す。内大臣がつけた印は時間とともに消えてしまったが、クウガにならば新たに仕掛けられる。
クウガはむくれた。
「人間に印をつけるのは、見張ってるみたいだからやめたんじゃないの」
「そうもいかなくなったんだよう。……そうだ! 軍集団に印をつけるならどうだ。難しいか」
「譯ないけど。あーあ、その前にケーキ食べたいなあ」
「けぇき?」
「うん。異界で食べたんだ。甘くておいしいの」
「異界?」
シオリがサラリと言う。
「異界へ逃げていたの。私もショートケーキ食べ忘れたから、買ってきてくれる?」
「もっとちゃんと説明してくださいよ! 買ってきますから!」
シオリの川の流れのような説明で万事心得たカヲルは、同情心をミカドへ全振りすることで、立派な上奏文を書き上げた。
その後すぐ、異界へはじめてのおつかいに旅立った。




