四十九の折
逢魔どき。
近衛兵が行灯に火を灯しに御所を周る。
カヲルは紫陽花殿の御帳台から広間を見渡していた。
広間には右大臣の従兵と、皇帝に欺く御所の仕官、合わせて二百余名が死体のように横たわっている。
「嘆かわしい。御所に仕える人間の実に二割が裏切り者だったとは」
なかには女官まで混じっている。
「近衛兵にはひとりもいなかったことが、救いだな」
「長は、人望だけはありますから」
背後に立つ中将が言う。
「だけっ、て!」
「人を束ねるに、とても大切なことです。私には難しい」
気落ちしたように面の目玉を下向ける。
「どうした?」
「みな、あなたをお慕いしております。この状況下に置かれて初めて、私もそのひとりだと気付かされました」
「お慰めをどうも」
皮肉と受け取り、カヲルはむくれた。
折姫のことで頭をいっぱいにして、ミカドと共に地図を睨んでいる間、混乱する御所をとりまとめたのは中将だ。
大祓へ同行していた中将は干し草で道を塞ぎ牛を落ち着かせると、乗り合わせた近衛に牛車を御所へ入れさせた。それから牛車に乗っていた貴族を白百合殿に一度放り込み、叛逆者と味方を分けると、数人護衛に残して、すぐに御所じゅうに張られた蜘蛛の巣の駆除に取り掛かった。
謀叛から一刻たたずして紫陽花殿は以上の通り。無傷の貴族は白百合殿へ、典薬寮へ入りきらない怪我人は芙蓉殿の広間に集めている。
中将が、ぼそりと呟く。
「ほんとうのことなのに」
「中将──、いや、もうお前は大将か。最後に文句ひとつも言えないほど、素晴らしい采配であったよ」
「長……?」
「伯父上の謀叛だ。甥の俺は死罪。夢が叶ってよかったな」
乾いた声で笑う。
謀叛、謀大逆の罪を犯した大罪人の家族は縁座といい、死をもって償わなければならない。
大祓に、死を覚悟して望んでいたのは主上だけではない。
カヲルもまた、どう償い務めれば、自身だけでなくカリナやクウガを救えるかを考えていた。
だが半日を終えてみれば、主上は川に身を投げ未だ行方知れず。
右大臣を捕らえることはできたが、その黒幕といえる息子は取り逃してしまった。
更には、二台の牛車と共に春宮の寵妃を拐われている。
目の前に居たのに。
「では、私も同罪ですね」
「何ゆえ? お前は讃えられるべきだ」
「しかし私は──」
近衛がひとり、中将に跪く。
「左大臣様がお戻りです。紫宸殿へ」
顔と面を見合わせ、隣の殿舎へ急いだ。
カヲルが中将を従え紫宸殿に入ると、ミカドの前で左大臣が一の君と抱擁を交わしていた。
「ご無事でしたか」
「なにをぬけぬけと……!」
声をかければ胸ぐらを掴まれ、思わずその手を捻り上げてしまった。
「いたたた、痛い! 薫の君、痛いよ!」
「急になんですか。人を悪者みたいに」
「悪者だろう! 私はつい先ほどまで、お前の邸に囚われていたのだぞ!」
「俺の、邸……?」
カヲルは、「あ、詰んだ」と思った。
己れが一度も足を踏み入れたことがない私邸。建てたのは右大臣だ。灯台もと暮らし、かっこうの隠れ家といえる。
ミカドが仲裁に入る。
「左大臣、カヲルは利用されただけですよ。御所に近い近衛大将の邸ならば、武装した人間が往来しても違和感ひとつない」
「ミカドォ……! お前ってやつは!」
「邸もその身分も、いいように使われたな。お前の処分は後々考える。それより左大臣の話しを聞きたい」
腰にすがりつくカヲルを足蹴に、左大臣へ向き直る。衣裳は肘膝を汚しているが、見たところ無傷だ。
「奥方はご無事ですか」
「ああ。牛車が墜落した際に、木の枝で衣裳が破けた程度だ。落ちた先が雑草で荒れた庭でよかったよ。草に隠れて牛車を離れられた」
カヲルをじろりと睨む。
「庭から数えただけで、五十人は居たな。無腰のため慎重に様子をうかがっていたら、あちらが勝手に苦しみだした。後は隙を見て逃げ出しただけさ」
説明を付け足すように、邸を往復した近衛が上奏する。
「左大臣様の見方の通り、五十余名が手足を潰し、卒倒しておりました。搬送は難しく、その場に縛り付けておきましたが」
「いいよ、ありがとう。……ほかに、被害者は」
「牛車は二台、庭に崩落しておりましたが、無人でした」
「そう。足手まといを残して場所を移したか」
ミカドは一拍置いて、今度は一の君へ肩を向けた。
「こうして家族を救い、隠れ家を見つけ出せたことも、御所の叛逆者を根絶やしにできたのも、すべてはあなたの功績だ、改めて礼を言おう」
頭を垂れる。
一の君はぶんぶん、首を横に振った。
「とんでもありません! わたくしは、折姫様に従ったまでで……」
「それは、いつのこと?」
「大祓の、牛車のなかです。念のためこれを持って、御所の紫陽花殿で待っていて欲しいと言われました」
一の君の手のなかには、菊の折り紙ともうひとつ、蓮の葉を象った折り紙がのっている。
「万が一、紫陽花殿の蜘蛛の折り紙が動かなくなったら、続けて術をかけて欲しいと。それから、その」
蓮の葉の折り紙を開きながら言う。
「春の君が判断できない状況下であったなら、あなたに紫宸殿を任せるからと」
「……そう」
ミカドの顔が雨雲のように暗い。
折り紙のなかには、御簾と真名が書かれてある。折姫の言う通りに呪い返しの呪を唱えれば、ミカドの呪を水のように弾いた。
「菊の花の文言は、あなたが考えた?」
「はい。折姫様からは、御所の叛逆者を炙り出してほしいと言われていただけなのですが、それだけでは逃してしまうと思い……、あの、まずかったでしょうか」
「いや、最善であったよ。あの頑固な女に、その聡明さを少し分けて欲しいくらいだ」
未だ治さぬままの唇の傷を噛む。
「左大臣、少しのあいだ姫君を貸していただくよ」
そう言うと、ミカドは一の君の手を取った。
「ど、どうぞ! どうぞ!」
左大臣は嬉しそうだ。
「カヲルと中将は夜の監視を頼む。決して外からの侵入を許すな」
「御意に」
ミカドと一の君は高御座の真下の几帳を潜っていった。
カヲルはぼんやりと思う。
たしかその先は桜の壺だ。そしてミカドに大将と呼ばれない己れの行き先はと、恨めしげに中将を見据えるのだった。
桜の壺は帳台のある御寝所と湯殿、出居の十畳ほど残し、崩壊していた。庭はもちろんのこと、みなで囲んだ囲炉裏の真上は屋根もない。元より修繕を怠っていた外壁は手をつけば、簡単に崩れてしまいそうだ。
ミカドは一の君を寝所へ誘った。
「は、春の君?」
「ミカドでいいよ。なにか使える折り紙はないか、あなたは帳台のなかを探って。納戸は──、燃えているか。私は隣を見てくる」
「恐れ入りながら、なにか、とは」
「あの人がその先を読んでいるとしたら、人間に対抗しうる、なにか。攻め入られたとして、こちらには護るべきものが多すぎる」
「は、──ミカド様のお力を以ってしても、ですか」
「見ただろう? 敵だけを討てればよいが、私に折り紙を折る器用さは皆無。よくて皆殺しさ。神に教えを乞うとして、八百万の神のだれに? 今はそれを考える時間すら惜しい」
「ではミカド様が存分に力を発揮できるよう、蓮の葉の御守りをみなさまに配ってはいかがでしょう」
「なるほど……! やはりあなたを連れて来てよかった」
一の君は肩の荷をおろしたような表情で、帳台へと入っていった。ミカドもまた春宮御所へ渡ろうとしたが、渡殿は庭とともに炭となっている。臆さず庭へ下りれば、墨のように黒く細かい灰に、膝まで沈んだ。
「土もない。これではさすがに再生は難しいな。また異界にでも逃げてさえいれば──」
思考がとまる。
「異界へ逃げた……?」
騒ぐ胸をおさえ、板間へ上がる。
石灰石を取り出し魔法円を描くが、
「やっぱりやめた」
「ミカド様、帳台にはこのようなものしか……。ミカド様?」
「その折り紙、いただこう」
線を描き変え、呪を唱えた。
「ふん、迎えになど行くものか。腹が減っては戦もできぬ。一の君、夕膳にしよう」
「ごはんを! いただいても!?」
「折姫のぶんも食べるといい」
ミカドは、目を輝かせた一の君の手を引き、早々に桜の壺を後にした。
*
光源のない桜の壺に、青白い光の柱が立つ。
夏の夜は満天の星空だ。穴の空いた天井から女神たちが空を泳いでいくのが見えた。
シオリの腕のなかで苗木のシオンが震えている。
「ひどい……! 私の庭が!」
「これではもう、根を下ろせないわね」
「そんなあ、私の故郷ですよ?」
「今日は遅いし、明日考えましょう。それにしても桜の壺がこんなことになるなんて。……主上はご無事かしら」
「ぎゃあ!」
往来するススワタリを踏んで、カリナがごちる。
「もう! せっかく可愛いワンピース着てるのに。足の裏まっくろじゃない」
「衣裳を汚さなくてよかったじゃないですか」
両手に買い物袋を持たされた折姫が最後尾をよたよたと歩く。
「まったく、おふたりとも自分の荷物くらいもってくださいよ」
「女御は箸より重いものもたないの」
「いつもこれより重い植木鉢もってるじゃないですか! わ!」
尻尾を振る大きな白犬に襲いかかられ、折姫は板間に手をついた。
「ワン! ワン!」
「ヒコ? じゃないか。あはは、くすぐったい! ん……? お前は、もしかして」
首筋をなめる舌が角ばっている。
いつしかミカドに言われるがまま折った、わんぱくな犬だ。目線を落とせば、甘えたネコが足首にすり寄ってきた。
「ニャァ」
「どうしたの? 夜なのに動いて。それに」
大きさといい、鳴き声といい、折姫の知る二匹ではない。元から、ちょこまかと目にうるさいので、折り紙のまま帳台に封じていた。
眠い目をこすりながら、クウガが笑う。
「あははー! 折姫様、お尻がまっくろ!」
「ほんとだ!」
「言わんこっちゃない。踏まれたススワタリがかわいそうよ! まったく、お迎えの魔法円は夕刻には現れていたのに、どうしてこんな夜中を選んで帰ってきたのよ」
「だって、ミカド様ぜったい怒ってるもん」
さすがに寝ているであろう夜中に忍び込んで、ほとぼり冷めた朝に、ちゃんと着飾って手をついて謝らなければ。三人揃って衣裳の着つけができないので、まずはどこかシオンの落ち着ける庭を探さねばならない。
春宮御所へ移るかと、渡殿の方角を見やれば人影がひとつ。
「……誰が、怒ってるって?」
「ヒィ」
腰に両手をあてた白い狩衣の男は夜目にもわかるほど、青筋を立たせていた。




