四十八折
大蛇に呑み込まれるようにして主上の姿が消えると、川はうねりを上げ波をたたせた。
カヲルがヌシに訊ねる。
「この川の川堤は、先週築いたばかりだ。もつのか?」
垂れ幕に隠れているが、川下までびっしりと防波堤が張られている。
「ヌシの叡智を借りておいて何を言う。それもお前とミカドの建てた堤」
「よかった」
「戦いによっては氾濫するかのう」
「訊いといて、よかったよ!」
カヲルは刀を納めると、指笛を吹いた。
近衛を呼んでいる。
「部下には牛車にいる貴族の避難救助を任せる。俺は左岸を下って川の様子を見てくるから、折姫はミカドへ知らせを」
「御意に……、待って!」
折姫は中腹の浮舞台へ指を差した。
舞台が火柱をあげ燃えている。
その勢いはとまらず、炎は骨組みを伝い両岸の木々の下生えを燃やし始めていた。
牛車のなかの者たちは川上の異変を悟り物見からは顔を出すが、激しい川の流れにばかり目が行き、手前の炎に気づかない。
「ヒコ様を喚ぶか」
「無駄だ」 ヌシが言う。
「あれは風じゃ。ヒコは今、人形の浄化に追われておるし、穢れのないただの風など祓えん」
「あれが、風?」
「何者かが炎の色を成した幻影の風を集めておる。強風を造り出すつもりじゃ」
「強風──まさか、牛車を川に落とすような」
「いや。天狗の風。神隠しじゃ」
「神隠し?」
「牛車ごと人を拐おうとしているのだろ。風が集まり竜巻になればヌシにも救えんぞ」
「そんな!」
折姫はふくらんだ袂のなかを覗き込んだ。
「牛が苦手なものは!」
「オオカミはどうじゃ」
「それだ!」
折姫はオオカミの折り紙を取り出すと、カヲルへ託した。
「潰せば、遠吠えするから」
「お前は」
「私は右岸へ」
そう言うと、折姫はまたもう一枚、別の折り紙を取り出した。白い虎の折り紙だ。口づけると、もの凄い速さで山の端を駆け、御所御用達四神獣、白虎が現れた。
「今さぁ、ほっぺにチューした!?」
「お願い、私をのせて! 川縁にいる牛車の牛を暴れさせてほしいの」
「折姫ちゃんが、ぼくにのるの!? それってサイコー!」
「ひゃあ!?」
白虎は折姫の襟足を掴むと、ぐるりと巻きつけるようにして自身の背にのせた。途端に、猛獣の唸り声が辺りを轟かせる。
雷のようなその轟音に右岸の牛が暴れだし、川縁を下り始めた。近衛兵が散らばるようにして、その牛車に乗り移っていく。
「すごいわ、白虎様!」
「白虎でいいよ! お褒めにあずかり恐悦至極に存じまーす? 待って、折姫ちゃん。あの牛車──」
狂乱する牛をともない退く牛車から、置いていかれたようにポツンと動かない牛車が一台。
炎色の風を羽衣のようにまとっている。
「待て!」
ヌシの声が通る。
カヲルの左岸を見やれば、そちらにも一台、同じようにして微動だにしない牛車がある。
左は、桜の紋。左大臣の牛車。
右の牛車にかかる几帳は、白百合紋。シオリにカリナ、クウガが乗り合わせた中宮の牛車だ。
「ふたりとも、動くな! どちらもミカドの先読みにない。決して触れるでないぞ! さもなくば──」
未来が変わる。
そう言い締めくくる前に、折姫は中宮の牛車に飛び込んでいた。
「あんの、小娘────────!」
風が渦巻く。
カヲルが宙を駆けるように右岸へ渡り、牛車へ刀を入れるが、
「俺がミカドに報告すんの?」
「そうするほかあるまい。ヌシは主上の様子を見てくるぞ」
風を切っただけで、牛車の車輪の跡には桜の花びら一枚も残されていなかった。
*
同刻。
御所の紫宸殿、高御座の下。
三十畳の板場端から端まで識陣を張り巡らす大結界──その正中部に地図を敷き、ミカドは座禅を組んでいた。
来客に瞼を開く。
「待っていましたよ右大臣──いや、大罪人か」
右大臣は、蒼白くたなびく霊気を臆しもせず、抜刀と共に踏み込んだ。
「待っていたとは、見くびられたものだ。柔腰の若造が私に勝てるかな」
「武器でしたらございますよ」
ミカドは識陣を鞘に、地から剣を抜いた。
一手も同時──打ち合った刀越しに睨み合う。
「な、んだこの刀は……!」
「素敵でしょう。この島を統べる最凶神、龍神を封じた刀です」
「ふんっ、それがふた月の修行の成果か? ネコに小判だな。若造にはおあつらえ向きだ」
右大臣は峰を滑らせ、ミカドを押し返した。
右大臣は審神者だけの官職ではない。
貺都を守護統治するは、陰陽師帝。
左大臣、右大臣はその綻びを埋める股肱之臣。
近衛はあくまで御所の砦。
外で反乱があれば軍をまとめ、戦にでるのは左右の務め。
右大臣は特に剣術に長け、甥のカヲルを近衛大将へ育て上げた武人だ。元服してたった一年、扇子より重いものを持たない春宮など、一太刀で終わると思っていた。
「この刀はただの副産物ですよ」
その渾身の一太刀を招くように払い、板場にねじ伏せたのは若造のほうだった。
「カヲルの話しでは、もう少し張り合いがあると思っておりましたがね」
「く……っ、直ぐに助太刀がくる。近衛のいない御所など、我が軍にてひと捻りであるぞ」
「では先手をうち、首を落としておくか」
躊躇いもなく刃先を首にあてられ、右大臣は総毛立たせた。宝刀から溢れてくるのは、霊気でも覇気でもない、単なる殺気。
人間どころか虫一匹殺せぬだろうと蔑視していたのに。
「残念ながら、あなたの従軍とやら百余名は、ひとり残らず蜘蛛の巣にかかっておりますよ」
刃を鏡にして、宙吊りとなった無様な番兵を映し出す。御所四十八箇所に放っていた折り紙の蜘蛛に、今朝には折姫が糸を吐かせていた。
右大臣が、ニタリと笑う。
「ひとり残らず、だと」
ミカドは呪を唱え、右大臣の首に指をあてがい印を結んだ。憑き物を表へ引き出す呪だ。
まるで手ごたえがない。
「……逃げたか?」
「くっ、……ははは!」
「なにがおかしい」
「内大臣が私に取り憑いているとでも? いかにも小童らしい、安直な考えではないか。ひとり残らずとは、どの口が言っている」
どこからかウジがわくように、男たちが集く。
御所の人間だ。見知った高官から使い走りまで様々、慣れない弓や刀を構え、ミカドを取り囲んだ。
「裏切ったか」
怒りに震え、溜め息がこぼれた。
入れさせぬよう識陣に霊力を削ぐ結界を張ったが、それだけでは終わらない。
その結界に喜んで踏み込んでくる男がいた。
乱れた黒髪に紫の袍──。
「内大臣……!」
「間に合ったみたいだね。念のため桜の壺を壊しておいてよかった」
「桜の壺、だと」
「庭は草一本残さず燃やしておいたよ。さすがの精霊も還ってこれないほどに」
シオンのことだ。
シオンを失くしては、折姫に転移は難しい。
ミカドは目を左右にぎょろりと動かした。
そばにいるはずの折姫がいない。
上奏文を主上へ手渡し、すぐに戻ってくる予定であった折姫が。
代わりにカヲルが地図に足をつけた。
顔色が悪い。
「何があった」
「神隠しの風が吹き、牛車を巻き込もうとしたんだ。牛を暴れさせ、川下で救助をしてほとんどは助かったのだが──」
「だが、なんだ」
「桜紋と白百合紋の牛車が、消えた」
「……折姫は」
「ヌシがとめたのに、白百合紋の牛車へ」
ザワリと胸が騒ぐ。
その場で声高らかに笑ったのは、未だねじ伏せられたままの右大臣であった。
「自ら飛び込むとは、餌に釣られたネコのようだな。折姫はこの紫宸殿で、お前の目の前で輪姦してやろうと思っていたのに。私が味わうころには、ボロ切れのようになっているだろうよ」
「なん、……だと?」
内大臣が言う。
「わからない? 牛車のなかの女はみな、人質という名の玩具さ」
顔に手をかざし、面を取るように外すと、別人の顔が現れた。ミカドはその顔を知っている。
「九尾の宮……?」
「憶えていてくれたの? 主上を斬りつけた馬鹿な私を」
九尾の宮は、右大臣の嫡子であった。女ばかりの右大臣家に生まれた唯一の男子。父の務めを引き継ごうと、元服と共に異界の娘を召し上げた矢先のことだ。
娘はその日のうちに白百合殿へ囲われた。
のちの白百合殿の中宮──シオリである。奪い返しに身ひとつで乗り込み、主上に刀を向けた九尾の宮は、御所追放の身となった。
「行き倒れたと、聞いていたが」
「驚いた? うまく隠れていたでしょう。主上や君の予知から逃れるには、苦労したんだよ?」
ミカドは知っている。
九尾の宮は天狗風をあやつる奇怪な異能をもっている。白百合殿にて阿吽の狭間を通る際も、自身の姿をくらませ、結界内へ入ったのだった。
「父上はミカドさえ殺せば大丈夫って言ってたんだけどさあ、せっかくの謀叛だし、女たちをお先にいただいておこうと思ってねぇ。
私のお目当てはもちろん、中宮だよ。内大臣の御霊は薔薇の壺の女御に逢いたがっているし──、父上は一の君ね。目障りな左大臣もなぶり殺してやりたいって言うから、家族ごと拐っといた。
ああ、それと──折姫だっけ? もし乗り合わせていたら」
再び手を被せる。
現れた内大臣の顔はニタリと笑っていた。
「すぐに犯せと、命じている」
ミカドは右大臣の首を。
カヲルは内大臣の心の臓を狙い刀を振るったが、
「いいの? 広い貺都のどこに拐ったのか、わかるの?」
寸でのところで止まる。
「ミカドったら、ふた月もフラフラしていたのに。それらしい邸ひとつ、みつけてないんでしょう?」
「貴様ぁ……!」
「父上、邪魔だよ」
内大臣は、右大臣の腹を蹴り上げ転がすと、自身が地図の真上に立った。
「この地図すごいねぇ。見に来てよかった、感動したよ。ふたりとも刀を置いて。いっしょに探そう」
子どものように誘う。
ミカドが力任せに刀を板間へ刺すと、カヲルもそれに倣った。
「……なんの、印も浮かんでないねぇ。もしかして、地図が示すのは悪鬼やその瘴気だけ? 人間の悪事は見てみぬふりと。ふむ。これじゃあ、みつかりっこないじゃない。あっきれた」
内大臣は、起き上がろうとする右大臣の背を椅子にした。
「どうするの? 私が隠れて、地方の豪族を味方につけていたら。人間の武力をもって、御所へ攻め込んできたら。近衛は百人もいたっけ? あとは弱腰の陰陽師ばかりだ、ひとたまりもないねぇ」
ミカドが言う。
「怨霊が、人間を味方につけるだと」
「そうだよ? 目から鱗でしょう! 怨霊は怨霊らしく、人間を祟れって? そんな捻りのない」
内大臣はつま先で地図を辿った。
「ミカドは、島を巡って気づかなかった? 平民はもうとっくに、御所の存在を疎んでる。たしかに陰陽師がたまーに鬼退治してくれるけどさ、平穏は一向に訪れない。結局、安全なのは御所のなかだけじゃないか。不満を募らせながらも武力で対抗してきた豪族たちは、そろそろ安息の地と、その力が欲しくなる頃さ。私は甘ーい言葉を囁くだけ」
地図を指でなぞる。
呪書きの墨が、地図を黒く塗り潰していく。
「ここと、ここ。合わせて五千の兵が今か今かと待ち構えてる。ほんとう、君の目は節穴さ。怨霊退治のために、神気を高めようと行脚していたらしいけど。もっと人間のあざとさへ目を向けるべきだったんじゃないの?」
内大臣は宝刀に目をやると、嬉しそうに口角を上げた。その刃が見えやすいよう、クルリと回す。
「ほら、ミカド。始まったよ。カヲルも見てよ」
勝ち誇ったように笑う内大臣の指先を見やればば、刃のなかで宙吊りだった番兵たちが四肢を自由に動き出した。
蜘蛛の糸が花びらのように、はらはらと散っている。
音もなく床に落ちた白蜘蛛は、番兵の足に踏み潰された。
いつしか折姫が夜通し折った、折り紙だ。
折姫の折り紙が動かない。
陽は天空高く昇っているというのに。
「呪禁のせいか、仕事がはやいなあ。みんな、喉から手が出るほど欲しがってたもんね。折姫を抱けるならって、こちら側に回ったヤツもいるくらいさ」
鏡にしていた刀が板間へ沈む。
次にはミカドの手に納まった。
容赦なく内大臣を襲ったが、今度はカヲルが必死でミカドをおさえた。手首をつぶし刀を奪ったが、ミカドは羽交い締めにしても尚怒り狂った。
先ほどまで息子の椅子になっていた右大臣が、さも愉しげに笑いだす。
「みろ、若造のこの顔……! 見事な逆転劇ではないか、なぁ息子よ!」
カヲルは怒りのまま、ミカドを抑え込んでいた。
憎きその笑い声を息の根ごと止めてやりたいが、殺せば拐われた居場所がわからなくなる。だがこのまま動かずにいれば、蜘蛛の糸から解放された番兵が紫宸殿へ攻めこみ、言葉通り局勢が逆転してしまうだろう。まずは暴れるミカドの首を絞めるかと愚考していると、腕のなかでミカドが急に力を緩めた。
「ミカド……?」
「どうした、気でもふれたか……!」
嘲笑う右大臣は真っ当だ。
ミカドはその場で小さく踞り、子供が拗ねたようにブツブツとひとり、何かを呟いた。
「──してやる」
「……今、なんと」
「しゅしてやる」
カヲルが覗きこめど、ふた月でのびた前髪が垂れ、顔がよくみえない。紅い唇だけがやけに映え、忙しなく動いていた。
「しゅしてやる。しゅしてやる。しゅしてやる」
──呪死てやる。
ずっと。何度も何度も。
ミカドはそう、呟いていた。
「よせ……っ!」
カヲルがミカドの手のひらを辿れば、その手が支配するのは貺都地図。蒼白い識陣の中で御所を中心に血のように赤黒く、波紋をひろげていく。
「まさか、この国ごと」
呪い殺すつもりだ。
貺都全土の人間、すべてを。
そう気づいたときには、息の仕方を忘れていた。
「ぐっ──」
居合せた人間全員が、床に膝をついた。
内から昇る「なにか」に急速に身体が蝕まれていく。識陣を囲う男たちはぱたぱたと次から次へ、泡を吹き倒れていった。
声を発せられなくなる前にと、カヲルは呪を絞り出した。
式神を喚ぶ呪だ。
現れた二匹の大きな狛犬は状況をのみ込むと目の色を変え、ミカドの手のひらに噛みついた。痛みをもろともしないミカドに、もう一匹が倒れ込む。口を塞がれたミカドの言霊は散り、呪が解けた。
しん、と静まり返る。
うっすらと息づき、意識があるのはカヲルと、内大臣だけだった。カヲルは、内大臣の顔に未だ平然と浮かぶ笑みに憤り、刀を握ったが、持ち上がらない。
「憑きものに、呪禁は単なる恵みさ」
そう言って、内大臣は風のように消えた。
「はっ、……ああ!」
すぐに近衛を呼び戻さなくてはと息を吐くが、その一息が吐血となった。まるで他人のような自身の身体を引きずり、ミカドのそばへ向かうが──。
「春の君、お気を確かに」
うら若き姫君が平然として、ミカドの頭を膝にのせていた。
「あ、なたは」
「左大臣一の君でございます。折姫様の命により、この場預からせていただきます」
そう言うと、小鳥が囀るように細やかな呪を唱えた。ミカドの宝刀のなかで蜘蛛が動きだし、糸を吐く。一の君の織りなす蜘蛛の糸は番兵たちをたちまちに絡め捕らえていった。
次には、懐から折り紙を取り出した。
菊の折り紙だ。
すぅ、と、息を吸う。
「皇帝に欺くものよ、己れの四肢を潰せ」
姫君の発していい言葉ではない。
だがその声は恐ろしく浄らかで美しかった。
卒倒していた周りの男たちが、一斉に自身の手足を痛めつけ始めた。
刀や矢で貫くもの。頭で突くもの。
阿鼻叫喚の地獄絵図と化した紫宸殿の正中部で、
一の君はミカドへやわらかに言葉を落とした。
「このように、折り紙はまだ力を宿しています。折姫様は、生きております。どうか、どうかお気を確かに」
ようやくそばへと行き着き、カヲルがミカドの顔を覗き込む。
呪い返しを案じていたが、気を失うどころか目に涙を溜め、唇から血を流している。たった今、自我を保つために、己れで噛みちぎったのだ。
カヲルは息も絶え絶えだというのに、ミカドはさらりと舌を滑らせた。
「折姫は、この未来を予知していたのか」
「わかりません。ただわたくしは、この役を命じられたまで」
「そう。あの女、帰ってきたら、お仕置きが必要だ」
不気味に笑む。
ミカドは指を差した。
右大臣だ。こそこそと袖のなかで印を結ぼうとしている。
「阿吽、その男を死に際まで苦しめろ。殺すなよ、手前だ」
「何故そのような面倒を申すのじゃ」
「申すのか」
「折姫の仇だ」
顔を見合わせる阿吽。
その瞳はすぐに怒りに燃え、喉が鳴った。
右大臣が、か細くヒッ、と哭く音は獰猛な犬の咆哮にかき消された。
肉を引き裂くいやな音だけが殿舎に轟き、血飛沫が花のように舞い、散った。




