四十六折
半月も過ぎると、ミカドの不在を訝しむ者がちらほらと現れ始めた。
朝の神儀でミカドが失態を犯した日を折に、修行に出させたことになっていたのだが、その期間がずいぶんと長い。その理由を弁明せよと、高官に突きつけられるのはいつも折姫であった。
なんせ主上の決めた口裏合わせが、すべて折姫の責であるから為方ない。
神儀が捗らなかった理由は、夫婦の仲違い。
修行が長引いている理由も、行き違い。
みなが恨めしい目で見てくるので、折姫には荷が重すぎる。
見られるだけならまだしも、ほぼ毎日のように右大臣になじられている。
「頼みますから、折姫様から謝ってくださいよ! 寵妃に頭下げられたら、すぐに帰ってきますって」
「いやです」
「手紙だけでも! どうか一筆!」
「私は悪くないのに、なにをどう文字にせよと言うのです」
とかなんとか返してツーンとしなくてはならない。嘘はないが心が痛む。
左大臣は申し訳なさそうにつぶやく。
「私のせいだ。私が、あの日申し開いていたら」
「え? ミカド様に手紙を出したのではないのですか」
「すまない、あの日はすっかり酔い潰れてしまって」
てへへ、と悪気がなさそうに言う。
折姫はより磨きのかかったツーンを披露した。
「修行はあとどれほどかかるものかね」
「ふた月は帰ってくるなと、言っております!」
「そんなに!」
背後の殿上人たちも騒めく。
「大祓には間に合うのだよな!?」
「水神は、直々の祝詞を望まれているのだぞ。次代の帝がその場に不在であったら、どんな災いが起こるか──」
右大臣は総身を震わせた。
右大臣の座は代々、御所の守護神、水神の御声が聞こえる審神者が選ばれる。
カヲルと同じ金髪に碧眼。
審神者に仕える証だ。
「ご機嫌とりに、水神様のお好きなものをなにか折りましょうか」
「それでは、是非ネズミを」
「度々折るネズミは、水神様のご好物でしたか」
「まるまる太ったやつでな」
「かしこまりました」
正殿のどよめきがおさまらない。折姫は可愛いネズミを折りながら思った。
夫を魑魅魍魎だらけの外へ放り出し、自分は御所のなかで、あったかいご飯を食べている。とてつもない悪女になった気分だ。
「こちらをどうぞ」
「ありがとう。春の君の件、水神様へは私から伝えておきます」
「よろしくお願いします」
右大臣へ深々と頭を下げていると、耳が男の声を拾った。
「異界の娘め。……折姫さえ、いなければ」
怨みを研ぎ澄ましたような、そんな声だった。
*
折姫は供儀を終えると、夕膳までの時間を梅壺で過ごすようになっていた。ヒコと、もうひと柱の神に教示を仰ぐためだ。
「こんにちはー! お土産もってきましたよー!」
「またお前か。このところ、梅壺のごみくずが増えて堪らん、帰れ」
「カリンの蜂蜜漬けです。悪阻に良いのですって」
「いただこう」
ヒコは身重の女御に甘い。
続けてカヲルがやって来る。
「ご機嫌ようー! ヒコ様」
「お前もか!」
「早採れのさくらんぼをお持ちしました」
「なにぃ? さくらんぼだと?」
後ろからついてきたキリヤが言う。
「わあ……! 真っ赤なさくらんぼ!」
「入ってよろしい」
息子にも甘い。
「まったく。毎日のように出居を騒がしくしおってからに」
ブツブツと小言を漏らしながらも、ヒコは女官へ茶膳を整えさせたり、折り紙の束を準備していたりする。
その背中へすかさず女童が乗る。
「騒がしいのは、貴様の鳴き声じゃろう? コンコンコンコン、耳障りな」
「おのれぇ! 許可なく乗るなと、何度言ったらわかる!」
「わからんぞ? ヌシは稚児ゆえなぁ」
「婆婆の間違いだろ」
「こんの、キツネが!」
キツネと女童が取っ組み合い、毛玉のように出居を転がる。みな慣れたもので、うるさい景観の一部としていた。
女童は、カヲルに懐いている沼の神である。
自身をヌシと言うので、みなも彼女のことをヌシと呼んだ。
初めてヒコとヌシが行き合ったときは、天敵同士だからという理由だけで大狐と大蛇の大決闘がはじまり、殿舎を壊しかけた。だが後からやってきた折姫がふたりを見上げながら、「喧嘩するほど仲が良いのねぇ」と言うものだから、打ち切るしかない。
そのあと、双方の主人といえる女御とカヲルに荒らした庭の片付けを命じられ、ちいさくなったふたりは黙々と庭の手入れをした。ご褒美にと日暮れに夏みかんを半分こしていると、また折姫に「あらあら、可愛らしいこと」と言われる始末。その屈辱ときたら。もう二度と共同作業はごめんである。
以来、喧嘩も小競り合いも、ちいさく収まっている。
ヒコの背に乗り飽きたヌシが、折姫に訊ねる。
「で? 今日はまたなにを折るんじゃ。水に強い折り紙は蓮の葉に象ることで解決したばかりではないか」
「本日は、大祓の祓具である人形にひと手間加えたく、お言葉をいただきに参りました」
「人形なんぞ、陰陽師ならば誰でも作れるだろう」
ヒコが言う。
「さては、印をつけたいのだな」
「はい」
「しるし?」
「大祓では供儀に参加できない者も、人形に日頃の穢れをうつし、川に流すことで浄められます。人形を身体に擦った際に、印をつけられないかと思いまして」
「人形を利用して御所の人間、全員の理非曲直を見分けたいと。まるで神だな、奢るなよ」
「奢ってなどいません。ただ私の力で出来得ることなら、なんでもしたい。それだけです」
ヌシが折姫の手を見据え、言う。
「とは言っても、のう。その手のひらの浄化の呪符は、あくまで穢れから護るもの。善悪を推し量るような器用さはないぞ」
「呪符を捺した紙を桜に折れば、瘴気を花びらに。蓮の花に折れば悪鬼を閉じこめ、みなの魂を護りました。花によって特性を変えられるのではないかと」
「それを、ヌシに探せとな」
機嫌を損ねるかと思いきや、ヌシは意を汲んだように目玉を上へ寄せた。
「これも縁、か」
ヌシは折姫の手をとると、甲に自身の手を重ねた。
「ヒコが浄化ならば、ヌシは支配じゃ」
「し、支配?」 剣呑である。
「手のひらと甲で、相対する呪符。まるで陰陽。皇后に相応しい太極ではないか」
ヌシが笑うと、甲が燃えるように熱くなった。カヲルとシオンが不安気に覗き込む。
「やっぱり邪神なんじゃないの」
「姫様のお身体にまた傷がぁ」
「失礼な。悪いように扱う奴には与えん」
ヌシが手を離すと、ちいさなまるい紋様が浮かび上った。
「うむ。ではその呪符を捺して、菊を折ってみよ」
「菊、ですか」
「ヌシの沼に生える、白い菊じゃ。人形に添えるならば平坦にな」
折姫はうなずくと、二種類の菊を折った。
一枚で折る菊と、十三枚使って折る菊だ。ヌシは十三枚使った菊を見た瞬間、しわくちゃに丸めた。
「なんてもの折るんじゃ!」 既視感とはこのことだ。
「ちなみにどのような危険が!」
「人間が触れたら心を失くし、一生お前の傀儡となる」
「なにそれ怖い!」
自分が怖い!
もうひとつをつまみ上げる。
「ではこちらは?」
「試しにカヲルにつけてみよ」
「カヲルにですか」
「えー! 折姫にならおもちゃにされてもいいけど、心までは奪われたくな──、いたっ!」
おでこに貼りつけてやった。
ひらひらと落ちる。残念ながら、額に呪符は浮かび上がらない。
ヌシはほくそ笑みながら、言った。
「折姫、復唱せよ」
「はい」
「昨夜、薔薇の壺の湯殿を覗こうとした者は、手と膝を床につけよ」
「昨夜、薔薇の壺の湯殿を覗こうとした者は!? 手と膝を床につけよ!」
ヌシは四つん這いになったカヲルに跨った。
「どうじゃ。効果はもって一日だが、これならば理非曲直を見分けられるぞ」
「すごいです! ヌシ様! あ、カヲルには後で話があるから」
「うむ。神様の前では悪いことできないって、改めて学んだ」
嬉しそうに言うので、またどこかに捨ててきてもらおうかと思ったが、裁きはふたりの妃に任せようと、夜の愉しみにとっておいた。
折姫にとって、夕膳が整うまでのわずかな隙間がもっとも至福のときだ。
薔薇の壺へ戻ってくると、まっすぐクウガの居る部屋へと走った。
「こんにちは」
「こんにちは、折姫様。わー! さくらんぼ!」
「お食事の前だから、少しだけね。内緒よ?」
「そろそろ来るころだなと思って、先に描いておいたよ」
「しごとがはやい! 好き!」
クウガに一度抱きつくと、すぐに地図の上へ上がった。まだ半月だというのに、貺都の地図上部の三割が完成している。
クウガが映し出した石標は右へ十五、下へ四つ進んだ山間の村であった。
昨日、ミカドはその村の人柱供儀に出くわし、生け贄の娘を救っている。妖ならば退治で終わったが、相手は古の神のため、御心が鎮まるよう一晩中祝詞をあげていた。今朝には人柱の代わりになる供物を捧げることを村人に教え、さっそく神社を建てさせている。
「んんん!?」
折姫は目を皿にした。
神社はまだ柱と供儀台だけで、なかが丸見えだ。その中心に敷き物や藁が敷かれ、宴会のようなものが開かれているのだが、ミカドを中心にして女たちが囲っている。生け贄の娘は、肩にべったりだ。
そして徹夜明けのミカドは酒も入り、今にも寝落ちしそうである。このままでは村の娘にいいようにされてしまう。
「ううーん。ここは、黙って見送るべきか」
「悩むとこなの!?」
クウガが子どもながらに驚く。
「だって、御所の外だもの。ミカド様が羽目を外す機会は今しかない」
「よくわからないけど、修行中なんだから目が覚めるような手紙、送ってあげたほうが喜ぶと思うけど」
「そっか」
折姫は、クウガに筆をかり珍しく絵を描くと、一筆添えてフクロウを折り、飛ばした。その間にも、うとうとと船を漕ぎ始めている。
折姫にはわかる。
寝入り端のミカドは女に絶望感を抱かせるほど艶かしい。その色香に老若男女が、生唾を飲んだ。
気を揉んでいると、クウガが悪い顔をして筆を持った。
「居眠りだなんて、いけないんだ」
「それは?」
新しい半紙に水桶を描いていく。
「できた! これを、こう!」
水桶の半紙を裏返しにして、ミカドの上に乗せた。半紙を剥がす。
「あらまあ」
びしょ濡れだ。
遠目にも、目をぱちくりしているのがわかる。
そこへちょうど折姫の折ったフクロウが届けられた。
「ふふふ、開いた」
「あれは目が覚めるよね」
「そうかなあ」
折姫は鬼を描いた。
ふきだしに「うらめしや」と添えたが、洒落にならないほど恐ろしくなったので、ハートマークを付け足した。
半紙のなかで、ミカドが濡れたまま、腹を抱えて大笑いしている。
「笑ってるよ? 反省してないよ」
「おかしいなあ」
出来上がりは、描いた本人がゾッとしたものだが。
ミカドはひとしきり笑うと、戸惑う村人に頭を下げて、神社を出た。次の御用邸まで一里あるから、今日は野宿になりそうだ。
「悪いことしちゃった」
「大丈夫だよ、ほら」
ミカドが馬の手綱をほどいていると、派手な金髪頭が並んだ。
「カヲルだ」
「朝、ミカド様が寝ていないのを知って、近場の湯宿を探していたから。きっと今日は身体を休められるよ」
「そう。よかった」
カヲルが鬼の絵を見て一歩ひいている。
さて、御所の外に逃げたカヲルにどう罰を与えるか考えていると、カリナの声がした。
「ごはんよー!」
「はーい!」
後宮とは思えぬ和やかな時間。
だが御簾の外を覗けば、塀の向こう側で黒い影が宙を叩いている。強そうな怨霊であるが結界はびくともしない。
こうして当たり前のように日常を過ごせるのは、主上のおかげなのだと最近になってようやく、飲み込めている。
さて湯浴みに行こうかと回廊で主上とばったり行き合った際も、尊意をもって見上げた。
「畏くも、御用にあらせられますか」
「中宮を送ってきただけだ。出居で待たせてもらう」
「左様で」
主上の腕のなかで赤子が笑い、折姫の顔もめちゃくちゃ緩んだ。
「おい」
「はい?」
「お前たち、なにを企んでいる」
「たくらむ?」
「毎日毎日、せまい湯殿に後宮妃が三人揃いも揃って入るなんて、いくらなんでもおかしいだろうが」
「そうなんですか……!」
折姫には、目からうろこだった。
「おしゃべりしながら美味しい夜食をいただくことは、おかしいのですか」
「それ、茶会でいいだろ!」
「たしかに……、ついでに身体を洗えてしまうなんて。こんなに甘い話はないですね」
「いや、そもそも穢れを浄めるための湯浴みであるし」
「むしろ話しの内容は穢れまくってますね」
「どんな内容!?」
カリナが主上の背後から詰め寄ると、肩に手を添え、囁いた。
「折姫に夜伽指南を。今日は私から殿方の悦ばせかたを教示しますが──、聞いていきます?」
主上のうなじの毛が逆立った。
「やぁだ。主上ったら本気にしちゃって、可愛いんだから」
「いやお前も女御なんだから、もう少し気を配れよ!」
「あら? それってまだ私のこと女として見てくれてるってことかしら」
「そりゃあ──」
面と向かおうと振り返れば、カリナの後ろで中宮が腰に手を当て立っている。
修羅場だ。折姫は胸がわくわくした。
「そりゃあ?」
「いや、その」
「でも残念。主上はお胸の謙虚な方がお好みですもんねぇ。私じゃお相手できませんわ」
「別に、そういう譯では」
中宮が詰め寄る。
「どういうわけかしら」
怖い。お外にいる怨霊より怖い。
折姫は逃げる主上の背中に手を合わせた。
「南無」
「それで? 昨日はカヲルが湯殿を覗こうとしてたって?」
「そうなんです! どうしてやりましょうか」
「では、これを試してみましょうよ」
中宮が嬉しそうに袂から小瓶を取り出した。
新しく精製した蠱毒だ。
三人は揃って、不敵な笑みを浮かべた。
湯殿から戻るとミカドから以下のような手紙が届いていた。
──あなたを妬かせることができたのなら、夫冥利に尽きます。
「きゃー! ところで、カヲルは無事? ですって」
折姫が、着物のなかで震えるちいさな動物に語りかける。
「うーん、まだまだ改良が必要ね。シオリちゃんに伝えておこう」
着物をめくると、なにやら思案し筆をとった。
カヲルが甲高い声で叫ぶ。
「これ、治るのか!?」
「多分?」
「たぶん!?」
「ええと、身丈は七寸。体毛は地毛の色。喋ることができる、と。」
「折姫様、どうかお教えください。私の酒にどんな毒を盛ったのでしょうか」
「どんなって」
折姫は満面の笑みを浮かべた。
「鼠蠱だそうよ。ネズミにしたかったのだけれど、それじゃあカワウソね」
「ね、ねず……、カワウソ!?」
なるほど、震える手に醜い吸盤のようなものがついている。
「安心して。明日の朝には解毒剤が届けられるから。まあ、それも初めて試すものだけどね」
淡々と言う。
後宮妃には決して逆らってはならないと、カヲルは心に誓うのだった。




