四十三折
翌朝、火消し婆はしゃもじを持ったまま、口をポカンと開けていた。
「おかわり!」
「もうこれでおしまいじゃ」
「えぇー!?」
ええって……。お櫃に移してきたご飯は三合。平らげておいてまだ足りないか。
また炊きにいこうか迷っていると、カリナに止められた。
「この調子で食べていたら、ミカドに会ったときにどちら様ですか? と言われてしまうわよ!」
ギクリとはするが、箸はとまらない。
昨日、ミカドを送り出したあと、薔薇の壺へ移る準備をしていると、大量の折り紙が雪のように降ってきた。朝までに一枚残らず折れという、命令付きだ。
おかげで昨夜も寝ず食わずの夜なべである。
なんとか禊の時間に間に合い、さあ出仕しますかとシオンを喚べば今日は一日おやすみだと言う。どうせ睡気で為事にならないからという理由であったが、いざ暇になると猛烈に腹が減った。
「今日だけ、今日だけですから最後にりんごだけでも!」
「まったく、よく入るわねぇ」
カリナは折姫の差し向かいに座ると、果物用の小刀を握り、器用に皮を剥き始めた。その奥にたわわなりんごがふたつ、艶かしい印影をつくり出しているのだが、今日はその谷間になにか挟まっている。
「クロ……!?」
「ああ、この子。ミカドを送り出したときに、ついてきちゃったのよ。ついでに世話を頼まれてしまって」
「信じられない。私には全然懐かないクロが、そんなに甘えるなんて」
クロはカリナのお胸に埋もれてご満悦の様子だ。なるほど、自分には谷間が足りなかったのかと気づく。
「やっぱり、タンパク質も追加で」
「たんぱくしつ?」
カヲルがずかずかと入ってきて、横柄に言う。
「言っておくが、ミカドはそれほど巨乳が好きじゃないぞ」
「なんですって」
折姫は絶句した。
切ってもらったりんごを咀嚼するためだ。
胸はあればあるほど良いのではないのか。
隣に腰を据えたカヲルを睨みつける。
「俺たちは、この母上に育てられたんだぞ。景色の一部でしかない」
実母の胸を指差して言う。
カヲルの皿には、りんごが小刀ごと飛んできた。
「では、カヲルも?」
「俺は好き。大好き。乳には夢と希望がつまってる!」
「呆れた。それで、今日のお務めは?」
夫は命がけで島を駆け巡っているというのに、その義弟は呑気にりんごを食べている。
「半休もらった。食べ終わったら面白いもん見せてやるよ」
「眠くならない?」
「ぜーったいに、眠くならない!」
折姫は渋々箸を置いた。
胸を撫で下ろした火消し婆に、カリナが目配せをする。この調子では夕膳には一升炊きと、山盛りのおかずが必要になりそうだ。すぐに仕込みに取り掛からねばと、嬉しそうに笑い合った。
カヲルに連れて来られたのは、クウガの部屋だ。以前は半紙を散らばせていたが、今日は大人三人分はある大判の木の板が一枚、乗せられていた。当の本人は板の内で、ちょこんと正座している。
「これは?」
「何だと思う」
「人間すごろく」
「姫様とは思えぬ鬼畜な発想!」
そうは言っても、板に描かれているのは真っ直ぐなマス目と、無造作に置かれた黒い点。クウガをコマにして進めるゲームではないのか。
「囲碁! 囲碁だ!」
「はぁ。ミカドが頑張っても未来の皇后様がこれじゃあなぁ」
折姫は頬をふくらませた。
ゲームばかりしていたのは、自分たちのくせに。
「みてろよ」
カヲルが呪を唱えると、木の板がペンキを塗ったように真っ白に染まった。白に映えるマス目と点はクウガが描いた墨だとわかった。点がわずかに、滲んでみえる。それから徐々に、海の色と大地の色にわかれ、クウガの座る海を最奥に、細長い島が浮かびあがった。
「地図……?」
「正解。いずれお前の夫が統治することになる、貺都全土だ。御所がこの最北東端」
クウガの膝から対角線上を指す。御所は真四角に塗られている。その隣には川が流れており、水脈が海まで続いていた。
カヲルの指先が、クウガの膝へむかう。
「で、ミカドが今ここ」
「え?」
「なるほど。上から攻めてく魂胆か」
御所からもっとも離れた位置で、紅い光が灯る。
「どれ。試しに読んでみてくれ」
「はい」
クウガは半紙を一枚取ると、紅い光を中心にして板の上に置いた。
筆先を垂直に下ろすと、意識をもったように紙の上を彷徨った。ぽたりと、墨汁が四滴落ちる。
「うん。既に四つ、石標が建てられてる」
「為事が早いな。折姫、よく見てろ」
言われた通り、白い半紙に目を凝らす。四つの墨汁は四方に枝分かれし、やがて一枚の風景画となった。墨の動きが止まると同時に、板のほうに四つ、黒い灯りが灯る。クウガは、今度は慎重にその灯りを直に塗り潰した。
「ふぅ、できた!」
クウガのひと声を合図に、半紙のなかの風景画が、カメラで写した動画のように鮮明に動き出した。四つの点のなかに、ちいさな人影がみえる。
「ミカドだ。なにをしている」
「木につないでいた馬が、……暴れだして、困ってる」
「お前のせい?」
「う、ん」
半紙を汚さぬよう、袂で涙を受け止める。カヲルは説明を続けた。
「日本のぐーくるまっぷ? ってのを貺都でできないかと思って、ミカドとクウガと三人で考えたんだ。それで今、ミカドはこの地図を完成させるために石標を建てている。石標の位置を定めることで、その一角を拡大できるんだ。今はこうして地図におこすためクウガの力がいるが、完成すればクウガがいなくても、いつでも貺都を見渡すことができる。それに、ほら」
板の上の御所の近くを指差す。モヤのような、赤い雲が滲んだ。
「この間、ミカドと俺でお試しに石標を建てた場所だ。よくない兆しが出ると、こうして地図に浮かび上がる」
クウガが言う。
「鬼が出たみたい」
「春だねぇ」
クマが山から降りてきたみたいに言う。
なるほど、クウガが半紙に墨を落とすと、大きな鬼が、若い娘に今にも襲い掛からんとしている。
「やっつけてくるから、どんなもんか見てて」
「そんな軽い調子で!?」
だがカヲルはしっかり愛刀を握りしめ、肩を弾ませ出て行った。
いやさすがにこの娘さんは助からないだろうと、恐る恐る半紙に目を落とすと、既にそこにカヲルがいた。
「いつの間に! 転移したの?」
「兄上には翼があるから」
「つばさ? ぎゃ!」
少し目を離した隙に、鬼が真っ二つになっている。カヲルは娘に投げキッスをしてその場から消えた。
「どうだった!」
「非常にチャラかったです」
「チャラ……?」
「兄上、瘴気は晴れました。あと鬼の出た印もしっかり点いています」
「青か。よしよし。鬼は群れるからな。重ねていけば、だいたいの住処も割り出せる」
まるで子どもの遊びのように愉しんでいる。
折姫は呆気にとられた。
頭の足りない自分でもわかる。三人で、なんだかすごいことを成し遂げようとしている。
「どうだ。面白いだろう」
「うん」
「ここに来れば、いつでもミカドが見られるぞ」
「うん。カヲル、ありがとう」
「どういたしまして」
カヲルは刀についた血を丁寧に拭うと、またすぐに立った。
「もう行くの?」
「俺も手伝ってくる。さすがにひとりでは広すぎるし、ミカドはまた別の役がある」
「別の?」
「石標を建てながら龍脈を辿り、要となる箇所に神社を建てる。各地で神々を祀り、土地の気を高めるんだ」
「それが、大祓に向けて必要なことになるの?」
「ああ。悪鬼怨霊と化した内大臣を、確実に滅するために。神をかしずかせる、ミカドならではの修行だよ。俺は行くが、何か渡すものはないか」
「だったら、これを」
袂から折紙の人参を取り出す。
もし入用になったらと、今朝に折ったものだ。
カヲルが居なくなり、クウガとふたりになった折姫は足を崩して、ミカドのいる半紙の上で頬杖をついた。
「もうカヲルがいる! あっ、人参あげてる。……ふふっ」
「なにがおもしろいの?」
「だって!」
顔を上げると、クウガはすでに新しい半紙に二枚ほど、絵を描きあげていた。
「ねぇ、クウガはもしかして、命じられたことは制御できるけど、好きで描いた絵は制御できなかったりしない?」
「うん」
罰が悪そうにうなずく。
「やっぱり! 私といっしょだ」
「折姫様と?」
「ほら見て。カヲルに渡した人参、さっそく馬に食べさせたんだけど……」
「わあ! ひどい!」
半紙を破らんとするほどに、馬が暴れ回っている。
「あはは! これじゃあ、お務めの邪魔をしてるよ!」
「ほんとう、ひどい妻だこと。でも、どうこうするつもりも、ないよね! クウガも、そうでしょう?」
「わかるー!」
クウガの描いた獅子もまた、爪をたてて怒りに震えている。
一晩中折り紙を折っていた折姫もまた、懐紙袋から一枚取り出し折りはじめた。
和やかな春の陽射しのなかで、ふたりは各々の時間を愉しんだ。
務め終わりに、月明かりを背負いながらカヲルは頭を抱えて立っていた。
「うん。なんとなくは、まあ、いやきっとそうだろうなとは、思っていた」
強がりのひとりごとである。
折姫はクウガの部屋にこもりきりだとは聞いていたが、まさか湯上がりに単衣一枚で、無防備に寝転んでいるとは思わない。加え、乱れた衿もとから御守りが落ちてしまっている。首を持ち上げてしまえば、簡単に引き離すことができる。
「いやいやいやいや、春宮妃ともあろうお方が、足を投げ出してなんてだらしのない」
なんて白くて滑らかなおみあしだこと!
心のなかで叫ぶ。羨ましいことにクウガは折姫と手を繋いだまま、向かい合わせになって気持ちよさそうに眠っている。
今宵はさぞや酒の進む宴会だったのだろう、母のカリナは妖怪といっしょに、出居で酔い潰れている。御守りもなければ、邪魔だてする人間もいないという譯だ。
「いかん、いかん。惑わされるな。俺は近衛大将。幸いまだ酒も呑んでいない」
どんなに強がっても、折姫から目を離せられない。終いには寝ている母を恨んだ。
「俺に居場所を教えるなよお、寝るなよみんなしてえ」
半べそで自分の頬をつねる。
「よし! お腹がひえないように、掛け衣をかけてやろう! それだけだ!」
言いきかせて、薔薇の壺で一番上等な打掛を持ってくる。ちなみに、母や妖怪にも、先に布団をかけてあげた。思いやりだ。決して安眠できるようになどと思っていない。
「上からそっと、かけるだけだ。そのまま朝まで寝てしまえ。寝違えても自業自得というやつだ。いやでも、クウガが風邪をひいたらかわいそうだな。こいつだけでも布団へ──」
クウガの手をひく。
思いのほか強く握っていた折姫の手がついてきて、手首の包帯が丸見えになった。
「っだ────! だめだ! 起きろ──────!」
「んん? ……カヲル? うるさいなぁ」
「今すぐ起きろ! さもなくば犯す!」
「はいはい。できるもんならやってみなさい」
鼻で笑ってうつ伏せる。御守りはもうずっと離れた場所へ飛ばされているというのに。
「お前なあ!」
「寒い。それかけて」
「ひっぺ剥がしてやろうか。……ん?」
折姫の背中に紅い血のようなものが透けている。
「お前、怪我してるのか? 一体どこで……」
指でなぞると蛇のような模様が浮かび上がった。
「ひゃっ」
「待て。もっとよく見せろ」
「ちょ、くすぐったい! やめてよ、もうー!」
「この痣──、まさか」
背中に傷を負ったのは、カヲルのほうだ。
矢がサクッと刺さり、ミカドに知らせがいった。




