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おりひめと蠱毒の後宮  作者: 紫 はなな
厭魅の風
43/60

四十三折

 翌朝、火消し婆はしゃもじを持ったまま、口をポカンと開けていた。


「おかわり!」

「もうこれでおしまいじゃ」

「えぇー!?」


 ええって……。お櫃に移してきたご飯は三合。平らげておいてまだ足りないか。

 また炊きにいこうか迷っていると、カリナに止められた。


「この調子で食べていたら、ミカドに会ったときにどちら様ですか? と言われてしまうわよ!」


 ギクリとはするが、箸はとまらない。

 昨日、ミカドを送り出したあと、薔薇の壺へ移る準備をしていると、大量の折り紙が雪のように降ってきた。朝までに一枚残らず折れという、命令付きだ。

 おかげで昨夜も寝ず食わずの夜なべである。

 なんとか禊の時間に間に合い、さあ出仕しますかとシオンを喚べば今日は一日おやすみだと言う。どうせ睡気で為事にならないからという理由であったが、いざ暇になると猛烈に腹が減った。


「今日だけ、今日だけですから最後にりんごだけでも!」

「まったく、よく入るわねぇ」


 カリナは折姫の差し向かいに座ると、果物用の小刀を握り、器用に皮を剥き始めた。その奥にたわわなりんごがふたつ、艶かしい印影をつくり出しているのだが、今日はその谷間になにか挟まっている。


「クロ……!?」

「ああ、この子。ミカドを送り出したときに、ついてきちゃったのよ。ついでに世話を頼まれてしまって」

「信じられない。私には全然懐かないクロが、そんなに甘えるなんて」


 クロはカリナのお胸に埋もれてご満悦の様子だ。なるほど、自分には谷間が足りなかったのかと気づく。


「やっぱり、タンパク質も追加で」

「たんぱくしつ?」


 カヲルがずかずかと入ってきて、横柄に言う。


「言っておくが、ミカドはそれほど巨乳が好きじゃないぞ」

「なんですって」


 折姫は絶句した。

 切ってもらったりんごを咀嚼するためだ。

 胸はあればあるほど良いのではないのか。

 隣に腰を据えたカヲルを睨みつける。


「俺たちは、この母上に育てられたんだぞ。景色の一部でしかない」


 実母の胸を指差して言う。

 カヲルの皿には、りんごが小刀ごと飛んできた。


「では、カヲルも?」

「俺は好き。大好き。乳には夢と希望がつまってる!」

「呆れた。それで、今日のお務めは?」


 夫は命がけで島を駆け巡っているというのに、その義弟は呑気にりんごを食べている。


「半休もらった。食べ終わったら面白いもん見せてやるよ」

「眠くならない?」

「ぜーったいに、眠くならない!」


 折姫は渋々箸を置いた。

 胸を撫で下ろした火消し婆に、カリナが目配せをする。この調子では夕膳には一升炊きと、山盛りのおかずが必要になりそうだ。すぐに仕込みに取り掛からねばと、嬉しそうに笑い合った。



 カヲルに連れて来られたのは、クウガの部屋だ。以前は半紙を散らばせていたが、今日は大人三人分はある大判の木の板が一枚、乗せられていた。当の本人は板の内で、ちょこんと正座している。


「これは?」

「何だと思う」

「人間すごろく」

「姫様とは思えぬ鬼畜な発想!」


 そうは言っても、板に描かれているのは真っ直ぐなマス目と、無造作に置かれた黒い点。クウガをコマにして進めるゲームではないのか。


「囲碁! 囲碁だ!」

「はぁ。ミカドが頑張っても未来の皇后様がこれじゃあなぁ」


 折姫は頬をふくらませた。

 ゲームばかりしていたのは、自分たちのくせに。


「みてろよ」


 カヲルが呪を唱えると、木の板がペンキを塗ったように真っ白に染まった。白に映えるマス目と点はクウガが描いた墨だとわかった。点がわずかに、滲んでみえる。それから徐々に、海の色と大地の色にわかれ、クウガの座る海を最奥に、細長い島が浮かびあがった。


「地図……?」

「正解。いずれお前の夫が統治することになる、貺都全土だ。御所がこの最北東端」


 クウガの膝から対角線上を指す。御所は真四角に塗られている。その隣には川が流れており、水脈が海まで続いていた。

 カヲルの指先が、クウガの膝へむかう。


「で、ミカドが今ここ」

「え?」

「なるほど。上から攻めてく魂胆か」


 御所からもっとも離れた位置で、紅い光が灯る。


「どれ。試しに読んでみてくれ」

「はい」


 クウガは半紙を一枚取ると、紅い光を中心にして板の上に置いた。

 筆先を垂直に下ろすと、意識をもったように紙の上を彷徨った。ぽたりと、墨汁が四滴落ちる。


「うん。既に四つ、石標が建てられてる」

「為事が早いな。折姫、よく見てろ」


 言われた通り、白い半紙に目を凝らす。四つの墨汁は四方に枝分かれし、やがて一枚の風景画となった。墨の動きが止まると同時に、板のほうに四つ、黒い灯りが灯る。クウガは、今度は慎重にその灯りを直に塗り潰した。


「ふぅ、できた!」


 クウガのひと声を合図に、半紙のなかの風景画が、カメラで写した動画のように鮮明に動き出した。四つの点のなかに、ちいさな人影がみえる。


「ミカドだ。なにをしている」

「木につないでいた馬が、……暴れだして、困ってる」

「お前のせい?」

「う、ん」


 半紙を汚さぬよう、袂で涙を受け止める。カヲルは説明を続けた。


「日本のぐーくるまっぷ? ってのを貺都でできないかと思って、ミカドとクウガと三人で考えたんだ。それで今、ミカドはこの地図を完成させるために石標を建てている。石標の位置を定めることで、その一角を拡大できるんだ。今はこうして地図におこすためクウガの力がいるが、完成すればクウガがいなくても、いつでも貺都を見渡すことができる。それに、ほら」


 板の上の御所の近くを指差す。モヤのような、赤い雲が滲んだ。


「この間、ミカドと俺でお試しに石標を建てた場所だ。よくない兆しが出ると、こうして地図に浮かび上がる」


 クウガが言う。


「鬼が出たみたい」

「春だねぇ」 


 クマが山から降りてきたみたいに言う。

 なるほど、クウガが半紙に墨を落とすと、大きな鬼が、若い娘に今にも襲い掛からんとしている。


「やっつけてくるから、どんなもんか見てて」

「そんな軽い調子で!?」


 だがカヲルはしっかり愛刀を握りしめ、肩を弾ませ出て行った。

 いやさすがにこの娘さんは助からないだろうと、恐る恐る半紙に目を落とすと、既にそこにカヲルがいた。


「いつの間に! 転移したの?」

「兄上には翼があるから」

「つばさ? ぎゃ!」


 少し目を離した隙に、鬼が真っ二つになっている。カヲルは娘に投げキッスをしてその場から消えた。


「どうだった!」

「非常にチャラかったです」

「チャラ……?」

「兄上、瘴気は晴れました。あと鬼の出た印もしっかり点いています」

「青か。よしよし。鬼は群れるからな。重ねていけば、だいたいの住処も割り出せる」


 まるで子どもの遊びのように愉しんでいる。

 折姫は呆気にとられた。

 頭の足りない自分でもわかる。三人で、なんだかすごいことを成し遂げようとしている。


「どうだ。面白いだろう」

「うん」

「ここに来れば、いつでもミカドが見られるぞ」

「うん。カヲル、ありがとう」

「どういたしまして」


 カヲルは刀についた血を丁寧に拭うと、またすぐに立った。


「もう行くの?」

「俺も手伝ってくる。さすがにひとりでは広すぎるし、ミカドはまた別の役がある」

「別の?」

「石標を建てながら龍脈を辿り、要となる箇所に神社を建てる。各地で神々を祀り、土地の気を高めるんだ」

「それが、大祓に向けて必要なことになるの?」

「ああ。悪鬼怨霊と化した内大臣を、確実に滅するために。神をかしずかせる、ミカドならではの修行だよ。俺は行くが、何か渡すものはないか」

「だったら、これを」


 袂から折紙の人参を取り出す。

 もし入用になったらと、今朝に折ったものだ。

 カヲルが居なくなり、クウガとふたりになった折姫は足を崩して、ミカドのいる半紙の上で頬杖をついた。


「もうカヲルがいる! あっ、人参あげてる。……ふふっ」

「なにがおもしろいの?」

「だって!」


 顔を上げると、クウガはすでに新しい半紙に二枚ほど、絵を描きあげていた。


「ねぇ、クウガはもしかして、命じられたことは制御できるけど、好きで描いた絵は制御できなかったりしない?」

「うん」


 罰が悪そうにうなずく。


「やっぱり! 私といっしょだ」

「折姫様と?」

「ほら見て。カヲルに渡した人参、さっそく馬に食べさせたんだけど……」

「わあ! ひどい!」


 半紙を破らんとするほどに、馬が暴れ回っている。


「あはは! これじゃあ、お務めの邪魔をしてるよ!」

「ほんとう、ひどい妻だこと。でも、どうこうするつもりも、ないよね! クウガも、そうでしょう?」

「わかるー!」


 クウガの描いた獅子もまた、爪をたてて怒りに震えている。

 一晩中折り紙を折っていた折姫もまた、懐紙袋から一枚取り出し折りはじめた。

 和やかな春の陽射しのなかで、ふたりは各々の時間を愉しんだ。








 務め終わりに、月明かりを背負いながらカヲルは頭を抱えて立っていた。


「うん。なんとなくは、まあ、いやきっとそうだろうなとは、思っていた」


 強がりのひとりごとである。

 折姫はクウガの部屋にこもりきりだとは聞いていたが、まさか湯上がりに単衣一枚で、無防備に寝転んでいるとは思わない。加え、乱れた衿もとから御守りが落ちてしまっている。首を持ち上げてしまえば、簡単に引き離すことができる。


「いやいやいやいや、春宮妃ともあろうお方が、足を投げ出してなんてだらしのない」


 なんて白くて滑らかなおみあしだこと!

 心のなかで叫ぶ。羨ましいことにクウガは折姫と手を繋いだまま、向かい合わせになって気持ちよさそうに眠っている。

 今宵はさぞや酒の進む宴会だったのだろう、母のカリナは妖怪といっしょに、出居で酔い潰れている。御守りもなければ、邪魔だてする人間もいないという譯だ。


「いかん、いかん。惑わされるな。俺は近衛大将。幸いまだ酒も呑んでいない」


 どんなに強がっても、折姫から目を離せられない。終いには寝ている母を恨んだ。


「俺に居場所を教えるなよお、寝るなよみんなしてえ」


 半べそで自分の頬をつねる。

 

「よし! お腹がひえないように、掛け衣をかけてやろう! それだけだ!」


 言いきかせて、薔薇の壺で一番上等な打掛を持ってくる。ちなみに、母や妖怪にも、先に布団をかけてあげた。思いやりだ。決して安眠できるようになどと思っていない。


「上からそっと、かけるだけだ。そのまま朝まで寝てしまえ。寝違えても自業自得というやつだ。いやでも、クウガが風邪をひいたらかわいそうだな。こいつだけでも布団へ──」


 クウガの手をひく。

 思いのほか強く握っていた折姫の手がついてきて、手首の包帯が丸見えになった。


「っだ────! だめだ! 起きろ──────!」

「んん? ……カヲル? うるさいなぁ」

「今すぐ起きろ! さもなくば犯す!」

「はいはい。できるもんならやってみなさい」


 鼻で笑ってうつ伏せる。御守りはもうずっと離れた場所へ飛ばされているというのに。


「お前なあ!」

「寒い。それかけて」

「ひっぺ剥がしてやろうか。……ん?」


 折姫の背中に紅い血のようなものが透けている。


「お前、怪我してるのか? 一体どこで……」


 指でなぞると蛇のような模様が浮かび上がった。


「ひゃっ」

「待て。もっとよく見せろ」

「ちょ、くすぐったい! やめてよ、もうー!」

「この痣──、まさか」


 背中に傷を負ったのは、カヲルのほうだ。

 矢がサクッと刺さり、ミカドに知らせがいった。


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