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おりひめと蠱毒の後宮  作者: 紫 はなな
厭魅の風
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三十八折


 阿吽の阿に主上が、吽に折姫がまたがる。

 春の強い陽射しにさらされた阿吽は、男童からおどろおどろしい犬へと変幻した。たくましい爪で踏む砂利音はけたたましく、金銀白の三毛は眩しい。悪目立ちしているというのに、主上は面を被らず素顔を晒し、乗っていた。目指すは新築の薔薇の壺。


 門前でキリヤが手を振っていた。

 九歳になるキリヤは梅壺の女御と稲荷神との間にできた半神の子であるが、皇子三の宮として、春より薔薇の壺で育まれている。


「折姫様──!」


 隣にいる主上へも、大きく手を振っている。

 辞儀ひとつなく出迎えられ、またヘソを曲げやしないかと主上を見ると、にこやかに手を振り返していた。


「これはこれは三の宮様。ご機嫌麗しゅう」

「僧侶様もお変わりなく。毎日かかさず通ってくださりありがとうございます」

「はあ、僧侶様」


 折姫へは、ねめつける。

 殿舎へ入りふたりになると、主上は言った。


「面だって後宮をまわると、女たちの機嫌を損ねさせるだろう。殿内や庭を手入れする僧侶として渡り歩いている」

「あえて造面をお取りになって、落ち着いた色の小袖に身を包んでおられるのですね」

「落ち着いた? 年寄り臭いってこと?」

「あら? 気にしていらしたのですか」

「お前こそ、いつもそればかり着ているが女の自覚あるの?」

「ミカド様に初めていただいた衣裳を、大切に着ているだけです!」

「重ーい。ぜんぜん奥ゆかしくなーい」


 犬猿の仲とはよく言ったものだ。

 少し言葉を交わせばつんつん、棘が出た。

 歩幅を合わせられず、小走りに主上を追いかけていると、やがて見知らぬ引き戸の前に出た。


「新しく造られたお部屋ですか」

「何百年も前から存在する。普段は幻術で隠されている一角だ」


 木の匂いが残る回廊から一転、そのつぼねに足を踏み入れると床が嫌な音を立てた。軋む天井に日焼けした畳。ねずみに食われた漆喰の壁は白い几帳に囲われている。


「日中は正殿に籠っていると周りには伝えてあるが、私にはここで続けねばならぬ役がある。供儀の前に付き合ってもらうぞ」


 そう言うと、主上は畳の中心に立った。

 畳には血糊で描いたような魔法円が描かれている。呪を唱え、印を結ぶ。魔法円は息を吹き返すように鮮やかな血の色へと変わり、その色が壁の几帳に映った。

 よく見ると、几帳には薄紅色の陰影が模様となって現れている。

 女の顔だ。

 白い几帳に女の顔が何百と、詰め合うように浮かび上がっていた。


「歴代の女御たちだ。折姫、みなにご挨拶を」

「はじめまして。春宮妃の折姫と申します」


 折姫は怖じ恐れることなく、頭を垂れた。

 入内してから一年、一番怖かったのは自分が描いた鬼だ。

 陰だけの女御たちはよく舌が回った。


「珍しいわね、カリナ以外の女を連れて入るなんて」

「知っているわよ。春の君の寵妃でしょう」

「手入らずの寵妃ね」

「春宮妃でありながら処女で、破瓜の娘。それなのに、色んな印がつけられていて面白い」

 

 目ぶみされているようで気味が悪いが、主上は笑っている。


「面白いだろう。折姫は特殊な異能を持っているが、その力は陽のなかだけだ。恐らく穢れで失う。初夜の前にあなたたちに会わせておきたくてな」

「顔合わせってわけね」


 折姫は憮然と口をつぐんだ。

 いずれは自分も几帳のなかへ入るということだ。なかなか心の準備が必要だ。


「さて。今日の為事をうかがいますかね」


 主上が仕切り直すと、女御たちはベラベラと、捲し立てるように喋った。その中身は庭のつくばいに苔が生えているだの、北の対に穴の空いた御簾があるだの、女房たちが真っ青になりそうな細かい小言。主上は億劫な様子を見せず、紙へ念入りに筆を入れていった。


「あいかわらず、牡丹と椿の壺の仲が悪くって。次の宴では席を離されてはと」

「それと芙蓉殿に、いまだ片されていない局がありますわ。宴のあとと言えど、のんびりしすぎでは」

「ほう」 主上の筆がぴたりと止まる。

「あとは」

「いつものように、大臣たちは結界を張って秘事をなさっていたようです」

「ああ。そのようだな」


 折姫は背中に汗が伝うような、ちょっとした虫唾が走った。

 まるで御所の監視カメラだ。

 主上が心を読んだように言う。


「案ずるなよ。女御たちは、神々の通る道や気の溜まる場所を見守っている。桜の壺や春宮御所は、愛しのミカド様のせいで何もわからん」

「ほんとうに困った春だこと」

「主上の予知さえ狂わせる」


 折姫は、それでも眉間に皺を寄せた。

 では昨夜の矢は誰がどのようにして射ったのか。殿舎のなかどころか、帳台のなかまで丸見えのようだったが。

 身震いしていると、主上は人差し指を差し向けてきた。


「折姫、お前もだ。お前はどうも眩しくてかなわん。死とは無縁と思い目を逸らした隙に、猪のように死に急ぐ」

「いのししー!」

「まさか内宴を墨で染めるとはな。中宮を救ったこと、感謝こそすれ、礼は言わんぞ」


 遠回しだが、感謝の意を表している。

 折姫は苦笑いを浮かべつつ、訊ねた。


「主上は常に先読みされていますね。それも役ですか」


 主上の手のなかにはいつも、扇子の代わりにしきと呼ぶ、レンゲのような道具があり、床があれば回している。


「私には予知しかないからね。それも、突発的な人災や怨霊にはまったく関与できない」


 主上の異能は大樹のように枝分かれした予知。何年、何十年後だろうと読めるが、その分、展開が多い。幾多の情報を繋ぎ合わせ、選択肢を絞りながら見極めなければならない。

 直前の予知は枝分かれのない一本道だが、細く折れやすい。感情で揺れ動く人の行動は、容易く枝をへし折っていく。どんなにはっきり読めたところで、人間の心までは許容できない。

 折姫が気まぐれにミカドを突き放したことで、御所の結界が乱れてしまったように。


 あとミカドの未来はまったく読めない。


「最も恐ろしいのは人の怨。これから起きる凶事、お前にひと働きしてもらう」


 懐から懐紙袋を出すと、大事そうに折り紙の束を取り出した。


「お前は、遠く離れても目耳となる折り紙が折れると聞いているぞ」

「キリヤに折ったキツネの折り紙ですね」


 盗み聞きのために与えて、ミカドに叱られた嫌な思い出が甦る。


「私が聞き耳をたてたいのは、結界のなか。紙はミカドの結界をもすり抜けると、中宮の手紙ふみでわかっている。この折り紙は透かしに結界の解呪の紋様を入れた特殊な紙だ。一枚残さず折ってこい。明日までの宿題だ」


 まさかここに来て宿題を出されるとは。百枚はある厚みの折り紙を受け取り、折姫は釈然としない。

 この折り紙があれば、桜の壺も春宮御所も透かして見えてしまう。


「御所の平穏のためなんですよね?」

「ああ。内大臣ばかりを追っていたが、上達部のなかにかならず謀る者がいる。まずはあぶりだすぞ」

「春宮御所へは、ぜーったいに、入れないでくださいよ?」

「わかっている! まったく、お前のように口出しの多い女は初めてだ」

「またまた、お喋りな中宮には負けますよ」

「シオちゃんの慈愛に満ちたお喋りと、いっしょにしないでくれる!?」

「シオちゃん……」


 ちなみに、白百合殿の中宮の真名はシオリである。

 なんとも言えない沈黙のあと、主上は大きな咳払いをして、魔法円の正中部に鏡を置いた。


「過去はいい。鮮明に映る」

「過去ですか」

「昨夜の芙蓉殿だ。左大臣が娘に気を利かせて部屋を整えていたのだがなあ、ミカドのつれないことよ」


 下ろされた御簾のなか、外の空には朧月。

 女御に整えられたような豪奢な御帳台の前で、ミカドと愛らしい少女がふたりきり、膝を並べている。ミカドは少女の頭をやさしく二、三撫でると、深々と頭を下げて回廊を出た。


「あれ、今カヲルが通りませんでした?」

「もっと違うことに気を配れよ!」


 反対側へ向かう袴の裾が、昨日のカヲルと同じ柄だったような。その影も消えると、少女は静かに涙を滴らせながら、扇子を持たぬまま御簾の外へ出た。月を仰ぐ一寸のことだ。

 少女が御簾のなかへ入ると、お次は庭のほうで言い争うふたりの男が現れた。着物の紋は、左の桜に右の橘。左大臣と右大臣だ。


「左大臣様、また絡み酒ですか」

「いいや。嫌がっているのは、左大臣のほうだ。右大臣がこの娘──、左大臣の長女、一の君に見惚れてしまったのだよ。春の君に断られたのなら、ぜひ私の側室にとね。そして今まさに」


 主上が鏡の上で栻を回すと、紫宸殿が映し出された。高御座の下でミカドが筆を走らせている。


「一の君の入内停止を求める文を書いている。これが表沙汰になれば、一の君は間もなく右大臣へ召し上げられるであろうな」

「ちなみに右大臣様のご年齢は?」

「四十五。一の君は十四ね」

「じゅう、よん!?」


 犯罪という熟語が頭を過ぎる。


「今すぐ止めてきます」

「まあ待て。お前がミカドへ直談判しては、角が立つ。それより一の君をお前のそばに仕わせたいのだが、どうかな」

「私にですか。できる為事といえば、風呂掃除くらいですが」

「馬鹿もの、巫女としてだ。一の君は紙を依代とした式神使いを会得している。いずれはお前のように折り紙で供饌を折れるやもしれん」

「私の、後輩!」


 目をぎらつかせ、指を組む。

 主上は呆れ返った。

 ミカドが玉座に座れば望まなくとも側室が後宮へ入る。皇族の血を欲する貴族からは毎日、我が娘の局へとしつこく迫られるだろう。どんなに拒もうと血を遺すことが主上の務め、後宮へ下ることは逃れられない。

 それを折姫は、今から覚悟しているというのか。


「やはり春宮妃の座を一の君へ譲って、お前は一生巫女をやるべきでは」

「春宮妃の座は譲れませんね。あと後輩は欲しいです。部活の先輩後輩に憧れてました」 

「本気か? お前と一の君の仲の良い様子を見れば、側室をとってみるかと、ミカドはきっと考えを改めるぞ」

「いいに決まってます! どうせ私は長くは──」


 急に口をつぐむ。


「ん? 今なにを言いかけた」

「いえ、なにも」

「待て」


 式を回す。

 回転が止まり、未来の折姫が映し出されると、女御たちの嘆声で風もないのに几帳が揺れた。

 

「……畏くも、そろそろ供饌を折ろうかと」


 折姫が主上へ頭を垂れた。


「ああ。私はその間、カリナと出居に居る」

「左大臣様へ、早めにお取り次ぎくださいませね」

「案ずるなと言っている。右大臣なんぞに一の君はやらん。秋にはミカドの継室にしてやる」


 継室とは後妻を指す。

 主上が秋だと言うなら自身の命は後三月か。唐突に放たれた毒舌にも、折姫は清らかに微笑んだ。──それを望むように。


「今のは戯れ言だ。憎たらしいほど泣かん女だな」


 女の涙ほど疎ましいものはないが、泣かせたい女に限ってこれまた流さない。

 嘘偽りのない笑みに涙を誘われたのは、主上だった。


 鏡に映った未来は、桜の壺。

 無惨に壊された殿舎のなかで人の影が火柱のように揺れる。


 冷ややかな床に映る満月。淫らに咲く桜の紋、揺れる桜の花簪にピクリとも動かぬ、か細い指。


 破瓜の娘が、あれを笑って済ますとは、もはや心は枯れているのではないか。やはり巫女か尼女が似合うじゃないかと答えに行き着き、自身も存分に頑なだと笑った。


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