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おりひめと蠱毒の後宮  作者: 紫 はなな
厭魅の風
36/60

三十六折


 貺都御所、紫陽花殿は花宴はなのえんで和やかな装いをみせていた。春のかすみに浮かぶ今年の左近の桜は葉桜。みな桜など見向きもせず、酒を片手に話しに花を咲かせた。

 隣に建つ正殿、紫宸殿での神事のあと、遅れて渡殿を渡っていく春宮と春宮妃に、視線が集まる。春宮──ミカドの紅顔は、今日も造面の下。がっかりとした嘆声が轟くなか、ミカドは唇に指を添えた。


「ごめんね。もう一度だけ、咲き乱れて」


 左近の桜が葉を落とし、寂しい冬枝になったかと思うと、つぼみをつけ泡が弾けるように花を咲かせていく。歓声と共に桜へ注目がそれた隙に、ふたりは高御座たかみくらまで上り詰めた。

 隣に建つ自身の御帳台へ入ろうとするミカドを春宮妃──折姫が引き止める。


「しばらく主上の玉顔を拝めておりません。拝謁してもよろしいですか」

「やめておきなさい。御簾が下りている」


 御簾が下りていては、拝謁が叶わないのか。

 折姫の疑念は帳台へ入りすぐに晴れた。

 中宮の押し殺したような声が高御座から聞こえる。


「高御座は中宮も立ち入れぬって言ってたのに!」

「あの人の言葉を鵜呑みにしてはいけないよ。カヲルのところへ移ろうか」

「はい」


 腰を据える間もなく帳台を出ると、背の高い屈強な上達部かんだちめがカヲルの帳台の前で仁王立ちしていた。

 左大臣と右大臣だ。

 ミカドは面のなかで、うんざりと顔を歪めた。

  

「ごきげんよう、春の君。折姫も」

「おやおや春の君。祝いの席で面なんぞつけて早くも主上気取りか?」

「いえ。私のわがままでつけていただいてます」


 折姫が差し出口をはさむ。


「折姫、あなたもなかなか強かなひとだ。後宮女人から春の君のかんばせを忘れさせ、競う相手を減らすおつもりであろう」

「ほほう。そういった効果もあるのですね。勉強になります!」


 ちなみに、ミカドの造面は公の場で鼻血を流さぬための、折姫の自己防衛対策である。関心する折姫の背中を押して、ミカドがなかへ入ろうとするが、左大臣が止めた。


「待て。今日は娘も宴に来ているから、少し話していかないか。親の良く目もあるが美しく育っているぞ」

「遠慮させていただきます」

「話さなくてもいい! 御簾越しに覗くだけでも!」

「行っていらしたら?」

「折姫!」


 左大臣の長女はミカドの正室候補として育てられてきた。正室の座には折姫と断言しているため、いずれは側室として入内することになる。

 今から顔を合わせておいても、早いとは思わない。

 あと左大臣の酒のつまみ、極上と小耳にはさんでいる。


「お土産お待ちしてます」

「もう! 意地汚いんだから!」


 肩を抱かれて退くミカドに手を振る。その様子を右大臣は呆れて見ていた。


「ずいぶんと肝が座った姫様だ」

「失礼ですが、右大臣様に姫君はいらっしゃいませんか」

「あいにく、みな嫁にいっております。ああ、ひとり居るには居るが──、あの暴れ馬に妃は務まりますまい。あなたも側室探しはほどほどに。そのうちいやってほど入ってきますから」


 女御たちの御座を見下ろし、うんざりと言う。

千鳥足の右大臣を見送って、折姫はカヲルの帳台へ入った。今日も元気に女房を侍らせ、果物かしにかじりついている。


「お邪魔しまーす」

「邪魔だよ? 勝手に入るな」

「いただきまーす」

「勝手に食べるな!」


 去年のように干し杏子をつまむと、畳に散らばる墨の絵を一枚拾った。


「きれいな桜! シオンに見せてあげたい」


 カヲルの写実的な描写とは異なり、力強い躍動感があり、今にも花びらが浮き出てきそうだ。


「きっと喜ぶわ。この桜は誰が?」

「弟が描いた」

「弟? カヲルに弟がいるの?」


 訪ねてから、極めて愚問だと気づいた。

 ミカドが皇太子ならば、カヲルは二の宮。三の宮以降、何人の男御子が居ただろうか。折姫が指で数えていると、カヲルはさらりと答えた。


「クウガという、まだ七歳の童子だ。薔薇の壺で何度も行き合っているだろう」

「カリナ様がいつも従えている、男童のことですか」

「こいつ《・・・》は使いやっこではない。種違いの弟だ」


 種違い?

 首を傾げたところで、助言はない。

 カヲルは気だるそうに女房の膝へ頭を預けた。


「今日は羽目を外したい気分なわけ。春宮妃様は、己れの帳台へお戻りくださる?」

「えー、だって主上と中宮がイチャイチャしてて居づらいんだもん」

「俺だって女とイチャイチャしたいわ!」


 本当にお邪魔だったらしい、煌めく碧眼が涙目である。

 主上といい、カヲルといい下半身が軽い。


「ふたりをよく見ているはずなのに、どうしてミカド様だけ生真面目なのかしら」

「男心だよ。遊べと言われたら、面白くない。放っておかれると、己れの巣に帰りたくなる。そういうものだ」

「なるほど! さっすが御所一の女たらし」

「褒めてないなそれ」

「おにぎり握ってきたけどいる?」

「え? まだ居座る気?」


 おにぎりは、いるけど。

 カヲルが居直ると、広げた風呂敷からおにぎりが山になって現れた。トンっと置かれた瓶子には冷やした果実水が入っている。


「どんだけ楽しみにしてたんだよ!」

「なんと、当たりがある」

「当たりって、おにぎりの具に?」

「時鮭のハラスと」

「なんだ鮭かよ」

「エビマヨネーズだー!」

「のった!」


 カヲルは酒の追加と他の御子たちを呼びに、女房を使いに出させた。左大臣の酒に付き合わされたミカドは今年もまた恨めし気に、笑い声のたえぬ上座を睨み上げていた。



 火灯し頃になって、ようやく解放されたミカドがカヲルの帳台へと戻ると、折姫の膝にへべれけになったカヲルの頭がのっていた。

 怒りにいきり立つ程度には、ミカドもまた酔っている。隅に置かれた刀をつかむと、鞘から抜いた。


「今日こそは許さん」

「え? え? ミカド様?」

「俺もまだしてもらったことないのに!」


 膝枕ならば一度あるが、その折は腹に矢が貫通していたので、ミカド的にはノーカウントだ。


「額に怪我をしてしまったので、護符を貼ろうとしていただけですよ」

「どうせ女房を妬かせて瓶子でも投げつけられたんだろう」

「さすがミカド様、ご名答でございます」

「では殺す」

「シオンー! トランプ仲間が死んじゃうー!」


 折姫が桜の精霊、シオンを使役できるのは日が昇っている間だけだ。日が沈みきっていなかったか、トランプが効いたか、シオンは花びら多めで折姫とミカドの身を春宮御所へと移した。

 カヲルを斬り殺せず、ミカドの機嫌はすこぶる悪い。


「折姫は湯浴みへ行っておいで」

「えー、私、お腹空いてまして……」

「言っておくけど! 今日は膝枕だけでは終わらせないから」


 構わないが、腹は減っている。

 ツンとした態度で御寝所へ向かうミカドの命により、渋々湯殿へ向かった。

 三、四人を想定し握ったおにぎりをみんなで分けたため、折姫の宇宙の胃袋はひもじさの限界である。ちなみにありつけたのは、はずれの具なし。

 身体を清め、余計に空腹を覚えながら御寝所へ入ると、造面をとったミカドが縁にいた。美味しい湯気がのぼる。


「ごはん!」

「薔薇の壺から、炊きたてをもらってきた」

「その手もとにございますのは!」

「土産だよ。桜の葉でしめた鯛のお刺身だって」


 折姫は拳を天に突き上げた。

 さすが左大臣のつまみ、想像の斜め上を行く。

 自分のつぼねから器と調味料を持ってくると、ふたりぶんのどんぶりを盛った。


「では、いただきます」

「刺身に対して、ごはん多くない?」

「多くないです。まずは、お塩」


 折姫は四種の器に入った調味料で、自分で味を調整する、この国の文化を気に入っている。いわゆる匙加減というやつだ。

 パラパラと刺身にふりかけ、あつあつのごはんを包んで口にふくむ。ひと噛みであたたかな桜の香りが鼻からぬけた。

 

「しあわせすぎて、おかしくなりそう」

「その台詞、食事以外のときに言って欲しかった」

「ミカド様も、ほら」

「……まあ、酒のシメにはいいかな」


 黒い豊かなまつ毛を御簾のように下ろし、どんぶりに箸を入れるミカドの壮麗な食べっぷりに、よりいっそう食欲が増す。

 鯛茶漬けまで楽しんで、お櫃のごはんを平らげた。


「いつものことだけど、カヲルとシオンのぶんまで食べちゃったね」

「今日もまたゲームですか?」


 ミカドとカヲルは去年、務めに追われていた時間を取り戻すように、睡眠ではなくこどもの夜遊びに費やしている。


「今日は遠慮してもらったよ。カヲル、最初は拗ねてなかった?」

「そういえば」

「膝枕」


 ミカドは折姫の腰をつかむと、自ら強引に頭を預けた。


「ねぇ、そろそろ慣れた?」

「ミカド様の件でしたら、難しいですね」


 今まさに鼻頭へ血液がのぼってきている。

 天を仰いでいると、手に冷たい金属の感触があたった。


「少しでも慣れて。はい」

「耳かき?」

「膝枕だけでは終わらせないって言ったでしょう。……もしかして、何か期待してた?」


 吐息まじりでそのような台詞をやすやすと呟くので、自分が嫁ぐ前はさぞかし女を泣かせていたことだろうと思う。

 折姫は色っぽい襟足に目がいかぬよう、耳掃除に集中した。


「さすがミカド様。耳のなかまで綺麗……でもないですね」

「恥ずかしいから言わないで」


 白かった耳がほんとうに赤らんでいく。


「己れではどうも苦手でね」

「以前は恋人にしてもらっていたのですか」

「あけすけに訊くなぁ」


 不満そうに、寝返りをうつ。米粒を詰め込んだお腹にミカドの唇があたる。

 気合いで引っ込めながらカヲルの言葉を思い出した。

 しつこく妬いたことを言ったり、行かないでと見苦しくすがったほうが、きっと男は外に目を向けるに違いない。


「そういえば、左大臣の姫君はいかがでしたか」

「気は強そうだが綺麗なひとだったよ」


 中宮のような方だろうか。


「お話しされました?」

「挨拶程度には」

「まあ! ではご趣味は? 好きな食べ物は?」


 ではなくて──。折姫はあぐねた。

 家族になる姫君に興味はあるが、嫉んだ言葉がみつからない。


「読書が好きらしい。食べ物は甘いものだったかな」

「あら? あいさつ程度にしては、お話しが弾んだようですね」

「そうだね。気は合いそうだよ。目を合わせても誰かさんみたいにうつむかないし」

「目を? では、面をお取りになったのですか」

「もちろん。相手に失礼だろう。几帳で隔てることもなく、こうして──」


 ミカドは顔を上げ、いじわるに笑いながら折姫の顎を引き寄せた。折姫は豆鉄砲をくらったかのように目を皿にした。眉を下げて、なにか苦しむように。


「どうしたの、食べ過ぎてお腹が痛くなった?」

「そう、みたいです。あはは」

「もう寝ようか。明日も早いし」


 悪酔いを自覚し身体を起こすと、折姫が袖の裾をにぎった。


「いやです」

「ん?」

「今の、笑ったお顔は、だめです。ほかのひとに見せないで」


 らしくない言葉に、綺麗になったばかりの耳を疑う。顔を覗き込むと、目に涙を溜めて唇を結んでいた。


「いやです。笑った顔は私だけにって、今ほんとうに、思っちゃいました」


 ミカドは折姫を軽々と抱き上げると、帳台のなかへ乱暴に放り込んだ。


「あー可愛い。なんて可愛いんだ私の妻は」

「ミ、ミカド様?」

「いつになったら、名前だけで呼んでくれるのかな? このまま朝まで睦み合い──呼ばせてみせようか」


 舌なめずりをする。

 残念ながら肩に矢が刺さり、ミカドは折姫にひと触れもできず、夜の御所に春宮妃の可愛いくない悲鳴が轟いた。


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