三十四折
千速とはまた行き会える気がしてならない。
彼女もそのようで引き止められることもなく、挨拶もそこそこに魔法円を踏んだ。
心強い親友をもったものだ。
折姫はさっそく囲炉裏に炭を継ぎ足すと、鍋をかけるカギに苗木を釣るし、冊子を広げた。じわじわとシオンを炙りながら読み進める。
冒頭は一年前の内宴から始まっていた。
ふたりの皇子の元服により官職の序列が様変わりし摩擦が生じたころ、突如として鯉の異形が水路に放たれた。ふたりは混乱した御所の統制をまとめたことで、評価されたと記されている。
その後、自身の入内から今年の内宴まで、時系列を辿りながら、心の穴埋めをしていった。
ミカドにかけられた、ふたつの呪。
ひとつ、愛をささやけぬ呪い。
ふたつ、玉座につかなければ死す呪い。
涙を流すことで闇の精霊を呼び醒まし、傀儡を生んでしまうこと。
「ふふ、難儀な方」
折姫は笑った。
月が綺麗ですね。
彼の精いっぱいの愛情表現だった。
そして傀儡を生むほど、彼を悲しませていたことも。
涙を拭いながら、最後の三頁に渡る系図の裾を手繰る。
「第四十八代目宵明帝、──春宮、御廉、二の宮カヲル」
折姫は自身を嘲るように、また笑んだ。
芙蓉殿で過ごした御子が多すぎて、それがすべてだと思い込んでいた。冷静であったなら、梅壺でキリヤが三の宮と読み上げられたときに気づけたはずだった。
春宮と二の宮の空席を。
「注釈? ……シオンは、折姫の入内当初、以下の説明を怠っている」
不知火衣折は春の君の妻、春宮妃として入内させたこと。後宮に波風が立たぬよう、しばらくは桜の壺の女御として過ごさせること。それでも危険な身のため、結界が張られ出られないこと。役に追われあまり会えないが、
「どうか、待っていて欲しい──」
ミカドは口を酸っぱくしてシオンに言い聞かせていた。
しかしその精霊、今までミカドにこき使われていた反動もあり、主人が折姫になった途端に、舌まで怠惰となった。特に初日は、人形のような娘を前に、話したところで右から左だと、口を閉ざした。
翌朝、さすがに話すかと心を持ち直したのは一瞬のこと。一夜で心を奪われた様子の折姫を見て、また口をつぐんだ。娘の身分を話してもいないのに、ミカドの思い通りとなり、面白くなかった。一喜一憂する折姫をみるたびに胸にモヤがかかり、その様子に喜ぶミカドには腹を煮やした。
折姫がミカドにつれなくするたび、陰でざまあないとほくそ笑んでいた。
「ミカド様は、ちゃんと教えてくれてた……! それなのに!」
折姫は涙をぼたぼた垂らしながら、囲炉裏の火に息を吹きかけた。火柱が上がり、根がチリチリと焦げる。こんなことをしても、ミカドが帰ってくる譯でもないのに。
「返してよ。時間を、返して」
主上だと勝手に思い込み、苦しんだ時間を。わずかなふたりの時間を、楽しめずにずっと、恨んでいた。大好きな人に怒りをぶつけ、妬んで、穢れてしまったこの心は、もう何にも癒せない。
折姫は目の色をまた炭のように濁らせた。
折り紙が、あったら。
もう一度、蓮の花を折れるのに。
素直にシオンを庭へ移して、喚んであげられるのに。主人の最期を看取れと、命令できるのに。
なにゆえ折り紙が取り上げられたのか、たった今理解できた。
そうこう思いに耽る間に、苗木に火が燃え移らんとする。
鈴の音のような声がした。
「あまり虐めないであげて」
白妙が前を塞ぐ。
白い狩衣の男はそのまま囲炉裏をまたぎ、庭へ降りると苗木を垂直に土へと落とした。
「お前は贖罪に、この世で最も美しい花を咲かせるんだよ」
振り返ったその人は、短かった黒髪をあご先までのばしていた。クマの取れた晴れやかな肌に至宝の目鼻、神具の唇をのせ、女のように笑った。
「ただいま、折姫」
破──────。
と、花火のように桜の枝が庭の端から端までのび、花が咲く。
「どうかな」
「……わか、りませ」
こぼれ落ちる大粒の涙でぼやけ、庭の景観などわからない。
ミカドは、言った。
「月が綺麗ですね」
遠慮がちに縁に腰をかけ、空を仰ぐ。
日暮れに浮かぶ白い月は、あいにくの春霞に溶けて、涙がなくとも見えない。
でも、たしかにそこには月があった。
「もう死ん、でもいい」
駄々をこねるように、言葉を精いっぱいひねり出す。ミカドは泣きじゃくる折姫を、優しく抱き寄せた。
「顔を、よく見せて」
見せられたものじゃない。いやいやと首を横に振ると、次には強く抱きしめて言った。
「御所であなたをみつけるたびに、心のなかでこうして抱きしめていた。どんなに遠くにいても、神事の時でさえも。抱きしめながら、あなたはどんな顔をするのかと、思い馳せた。きっと嫌そうに、困った顔で私を、拒むんだろうと」
折姫は、ミカドの胸のなかで涙をぬぐうように首を振った。それでもとめどなく流れ出てきたが、何度も、ミカドの胸で涙をふいた。
「どんな顔をしているの」
折姫は笑ってみせた。
眉を下げて涙をえくぼに溜めながら、震える唇をへにゃへにゃに曲げて。
「──、ぶっ」
「ひど、い! 笑った!」
「だって! っ、あはは!」
ミカドは笑った。
折姫がずっと、見たかった笑い顔で。
涙が止まるまでと、ふたりはしばらく抱き合っていた。たまに目を合わせては笑い合って、また涙が頬を伝う。ようやく離れるころには日も陰り、ミカドが行灯に火を灯すと、初夜のように縁に瓶子と盃を置いて、肩を並べた。
「さて、これから私の話しに付き合ってもらえるかな。目覚めてすぐに、あなたに話したいことがたくさん浮かんだ。たとえ言葉で想いを形にできなくとも」
そう言いながら、折姫が注いだ酒を煽る。
「──っ、ふた月ぶりの酒はキツイな」
頬が颯と桜色に染まった。
折姫は、はっと息をのみ、千速からもらった冊子を開いた。注釈の下に描かれた系図──、最下方にしっかりと赤ペンで、ミカド(十六)と書かれている。
「ミカド様、未成年飲酒ではないですか!」
盃を取り上げる。
「折姫。貺都の男は十五で成人したら、毎日酒で身体を清めるのだよ。女が湯浴みをするように」
盃を取り返された。
貺都のとんでもない風習に舌を巻く。
それにいまだ信じられないでいる。横に座る公達が、同い年の男子だったなんて。
だがたしかにミカドは内宴の席で、一年前の元服と言っていた。貺都での元服式は十五の誕生月に行われる。
ミカドは折姫のジト目にムッとした。
「そんなに、歳とってみえる?」
「まあ、主上だと思い込むくらいには」
「ひどいなぁ。父上はもう三十二だよ?」
「そちらは大むね予想通りです」
だがミカドやカヲルに関しては過去を顧みても、納得がいかない。
高尚な物言いから所為、その佇まいまですべてにおいて大人びている。身長は一八〇をゆうに超え、小さな顔に組まれた美しい顔立ちに浮かぶクマは、社会に疲れた哀愁を漂わせていた。
どう見積もっても、二十代後半。
「お布団の上でポテチを食べながら漫画を読み耽るなんて、とても見えません」
「ぶっ」
手酌した酒を噴き出し、今度は紅葉のように顔を紅潮させた。
「ちょっと!」
「おじいちゃんとおばあちゃんに聞きましたよ、お土産を対価に行き来を許されてるって。よろしいんですか? 異界のものをこちらに持ち出させて」
「少しくらい、良いだろ。息抜きも必要! ……それともっ、漫画を読む男はきらい?」
真顔で、額がぶつかる距離まで寄せてくるので、今度は折姫の顔が真っ赤になった。
「好きです」
「────っ、扇子を忘れたことを悔やむよ」
両手で顔を覆い首を下げる。のびた髪からのぞく襟足までが紅く、強烈な色香を感じる。
しばし休戦とばかりに、ふたりは同時に桜を見上げた。空を覆う枝の向こうは、夜を迎えようとしている。
「……折り紙」
「うん?」
「折り紙、折りたいです。一枚いただけませんか」
「よいよ。私に折ってくれるのでしょう」
「はい」
折姫はミカドから紙を受け取ると、腰を上げて文机へ向かった。なかなか戻って来ないので、離れたままミカドは話し始めた。
「五年、いや六年前になるのか。私とあなたは一度、行き合っているんだ。その時のことは忘れるよう、父上に術をかけられたから、あなたは憶えていないけれど」
「六年というと、十歳のときですね」
白羽の矢が立った春を思い出す。
「そう。母上が亡くなり、私はここでひとり、桜を見上げていた。あまりに綺麗だから精霊でもいるのかと思って、喚んだらついてきてしまった」
「私が、ここに……?」
「シオンではなく、あなたのほうが精霊かと思った。白いドレスに身を包んで、とても愛らしかった」
ドレスを着たのは、後にも先にもハーフバースデーのお誕生日会だけだ。折姫の記憶はなるほど、朝に写真を撮ったあとのことを憶えていない。
「三人で遊ぶのが楽しくて、日暮れまでここで走り回ってた。この縁を花びらでいっぱいにして泳いだり、ネコとかくれんぼをしたり。あなたは笑いながら、家族にケーキを食べられてしまわないか、そればかり気にしていたなぁ」
「その頃は食べ盛りで」
「今は違うの?」
「違いません」
折り紙を折り終わりミカドのそばへ戻る途中、お櫃にたけのこご飯が残っていないか、気にしていた。
「帰り際になって、あなたは言ったんだ。泣きたいときは、泣いていいんだよって。母上のこと、話してなかったのに。母上が怨霊となり、悲しむ間もなかった私はあなたの胸で、堰を切ったように、泣いてしまった」
そのあとすぐに闇の精霊が現れ、後宮は魑魅魍魎の地獄絵図。折姫は主上に記憶を消され、帰らされた。
「あなたの言う通りに泣いたら、大目玉を食らったよ」
「申し訳ありません!」
「謝らないで。おかげで修行にうちこめた」
「心の整理がついたのですね」
「いいや? あなたのことが忘れられなくて、会わせて欲しいと、父上に何度もせがんだんだ。その度に、あれができたら。これができたらって。目の前に餌を吊るされたネコさ」
釣り糸を手繰る真似をする。
隣で笑っていたら、抱き寄せられた。
「あなたのその笑った顔が見たかった。手に入れるのに六年かかった。夢みたいだ」
主上はミカドに知らせぬまま、白羽の矢を立てていた。下賜した着物には、裏切った際にふりかかる災難を書いた手紙をはさみ、変な虫がつかぬよう呪いまでかけていた。
「春宮妃として入内させると、さらりと言われた日には、こうして主上に抱きついて喜んだよ!」
折姫は、胸にうずめていた顔をあげた。
──今、主上って。
「で、でも、入内した日、あからさまにガッカリしてたじゃないですか!」
「カヲルが居たからね。あいつ昔っから、俺のものを奪う癖あるから」
子どもみたいに口を尖らせる。
「言われてみればあの日のあなたは、……まるで、十歳で時を止めたようだった」
「ここに来て、ちゃんと育ちましたよ」
胸を寄せて言う。
「ち、違うよ。そういう意味じゃなくて。あなたに無理をさせていたことに気づいた。だから、閉じ込めていられなかった。少しずつ、外の世界を知ってもらおうと思ったんだ。そうしたら、あなたはみるみるうちに美しくなって。……私の知らないうちに、カヲルとの仲を密にしていた。ふたりを惹きあわせるために、蝶を孵したのかと、己れを恨んだよ」
「そんな、私は……!」
「鯉の件に関して言えば、カヲルとの仲に妬いて言い出せなかったんだ。言ってしまえば、本当に心が離れていってしまいそうで。……いや、離れたと思った。カヲルと居るあなたはいつも幸せそうに笑うのに、私と目が合えば、うつむいてばかり。……誰よりも、あなたを愛しているのに」
「え? ミカド様? 今、あ」
「月見の季節には、嫌われて目を合わせてくれないのだと思っていた」
「ミカド様!」
思い切って身体を引き離す。
恨めしげに見下ろしてくるが、過去に謝っている場合ではない。
「呪い! 解けてません!?」
「え?」
「だって、さっきは主上って。それに今、はっきりと仰っていました。その、愛してるって──」
「え……」
ミカドの黒い瞳が潤む。唇に指を添え、わずかに震わせた。それからきゅ、と結び、決したように開く。
「愛してる」
花が開いたように笑った。
「呪いが……、解けてる! 信じられない!」
「よかったです」
「愛してる、折姫!」
「はい」
「折姫が好きだ」
「はい、ミカド様」
「折姫を愛してる。愛しているよ! この世界でいちばん、大好きだ!」
「もう、わかりました!」
その顔でそれ以上言われたら鼻血がでる。
「折姫は?」
目をキラキラさせて言う。ネコというより仔犬みたいだ。母性のほうがくすぐられ、折姫は思いのほか舌が回った。
「私は、ミカド様に名前を奪われたあの夜から、ずっとお慕いしておりました。背伸びして、精いっぱい着飾ったのは、ミカド様に見て欲しかったから。主上だと思い込んだあとも、シオリちゃん──中宮を裏切ることになるとわかっていながら、想いを捨てきれずに、ずっと」
もう、うつむかなくていいのだ。
折姫は折った御守りを手渡しながら、言った。
「愛しています」
目を合わせて笑う。受け取ったミカドの頬に、ひと筋の涙が伝った。
「これ、もしかして」
「私の真名です。返品不可ですからね」
「やったぁ──────!」
「わっ、わっ、ミカド様!」
板間に倒れ込むと、ふたりを祝福するように花びらがクッションとなって舞った。
「私もだ。愛しているよ」
ミカドの紅い唇が近づき、折姫は目を閉じた。
だが口づけはなく、絡んだ指もほどけた。
目を開けると、ミカドは唇に指を添えていた。
「ミカドさま……?」
まさか。
ミカドの肩からひょっこり派手な顔が飛びだす。カヲルだ。
「なに、呼んだ? おお、ミカド目覚めたか! 折姫も久しぶりだな」
「さっそく悪いんだけど、殴って」
「惑わされたか。では為ん方ない」
ミカドの身体は庭まで投げ飛ばされた。
「えぇ────!」
「すまん、つい力んでしまった」
「謝ってるわりには、めちゃくちゃ笑ってるけど!?」
カヲルだけでなく、式神のネコたちまでわんさか涌いて出てきた。ネコに隠れてシオンがいっしょに踊っている。
「あったま、きた」
折姫はミカド側に置いてあった盃を取り立ち上がると、ぐいっと飲み干し、ずんずんとシオンへ向かっていった。
「ひ、姫さま、お久しぶりでございます」
「会いたかったわ、シオン」
「わ、わたくしもお会いしとうございました」
「そう」
折姫は踵を返すと、庭へ飛び降りた。ミカドに手を貸すためではない。
「綺麗な枝だこと──」
「暴力はいけませんよ。アッ────!」
折姫は桜の枝を折れるだけ折ると、震えるカヲルとシオンを尻目に、囲炉裏へ焼べていった。




