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おりひめと蠱毒の後宮  作者: 紫 はなな
桜の御息所
33/60

三十三折

 折姫が御告文とすり替え置いていった手紙には、乱れのない文字でひとつの呪が書かれていた。


 浄化の呪だ。


 ヒコの呪符を捺した桜の折り紙にその呪を結ぶと、辺り一面の瘴気が花びらと化す。


 主上の後始末は、空から呪を降り注ぐこと。一瞬でことを終え、冬の御所は花盛りとなった。


 ひと摑みの花びらが主上の頬を撫でる。


「長い間あなたを苦しめ、すまなかった」


 花びらはうなずくように散らばり、空へ溶けていった。そのなかに隠れた冬桜の花びらをひとひらつかむ。


「内大臣め。やはりあやつが元凶か」


 神事を積み重ね、鎮めていた魂。掘り起こし、消滅させた罪は重い。

 ただ、なぜ今になってこうも後宮を荒らすのか──。


 息子たちを探せば、花に埋もれ泣いていた。

 実のところ、泣いているのはカヲルだけだったが耳障りなほどうるさくしている。

 朱雀を降りた主上は、血溜まりを作るミカドに顔を寄せると、目端に光る涙を拭った。


「なぜ泣く必要がある」

「おり、ひめが」 カヲルが言う。

「え? 死んだ?」

「息は……まだっ、ですが蠱毒をっ」

「蠱毒、か」


 主上は指笛を吹いた。

 花びらから白蛇がピョコンと顔を出す。


「そいつですよ! 折姫に噛みついたやつ!」

「そいつだってシロちゃん、ひどいですねぇ」


 主上が手を差し出すと、白蛇は腕を伝い肩に頬を預けた。


「これは中宮の飼い蛇だ」

「中宮!? では折姫を毒殺しようと──」

「馬鹿もの。その逆だ」


 中宮は古より蠱術を封じる結界師家として名を馳せた柏木家の長女。禁呪とされる蠱毒の歴史に詳しく、また解呪方法も知り得ていた。後宮の蠱毒の歴史に胸を痛めた中宮は、自身もまた狙われながらも、五年の歳月をかけて蠱毒の抗体を作り上げていた。


「それが、このシロちゃん。蛇にカエルに毒キノコ。とにかくいろんな毒を盛ったよ。最終試験では蠱毒の蛇を詰めこんだ壺で生き延びた、毒の申し子だ」

「では、そのシロちゃんに、噛まれたら……?」

「解毒する。恐らく折姫の身体に御息所の毒が回ったことで、懐の紙から放たれたのだろう」

「紙……? これか」


 カヲルが折姫の胸元から懐紙袋を引き抜くと、なかから中宮の真名が書かれた一枚の紙が出てきた。捺されていた蛇の紋章が消えている。


「誰でもという譯ではない。中宮は信じるに足りる人間とだけ、その真名を交わしていた」

「では折姫がこの紙を持っていなかったら」

「今か。はたまた十年後か。毒に苦しみ死んでいたよ。桜の御息所の体内を蝕んでいた蠱毒と同じであれば、彼女と同じ歴史を辿ることになっていたかもしれん」


 黒い折り紙が跳梁する世界を想像し、カヲルはその身を震わせた。


「それで、中宮様は……?」

「御息所が離れ、すぐに目醒めた。折姫の御守りが効いたのだろう。お前たちも」

「そう言えば」  


 最も濃い瘴気を吸い込んでいながら、内から蝕むものはない。衿もとを開けば蓮の花の痣が、綺麗に消えていた。


「こたびは、女たちに助けられたな」

「まったくです」


 空に浮かぶ女神もまた、活躍のあとキャッキャ話し込んだまま帰ろうとしない。

 カヲルはどんな対価を求められるのかと、内心ソワソワしていた。

 対価をくれるのならと、毎晩、女神たちに笛をねだられることになる。


「さて残すはミカドの治療か。こうも腹を裂いては呪術治癒も難しい。時間ばかりかかりそうだな」


 その間、折姫の処遇をどうしたものか。

 血の気の引いた息子の顔を眺めながら、主上は考えあぐねた。





 *





 ──恐ろしい。


「なにが」


 ──ミカドが、恐ろしい。あの子は、きっと国を滅ぼす。ふたつの呪いは、無駄だった。だからずっと、隠れていたのに。怖くて。恐ろしくて。


「自分の子どもに、ひどいことを言うのですね」


 黒い墨のなかで、うずくまる女を折姫は見下ろしていた。


 ──私は、ただずっと恐れていた。そうしてついに、恐れだけが遺ってしまった。


 女の手がのびる。


 ──あなたに取り憑いて。


 肩へ預けられ、橋を渡るようにしてその上を蛇が滑った。まるで全身に絡みつくような、嫌な感触が走り、折姫は目を覚ました。

 


「……白昼夢?」


 龍笛が空を突き抜けていく。

 殿舎の屋根では羽衣が揺れ、小鳥の囀りに代わって女の笑い声が聞こえた。

 祝福の女神だかなんだか知らないが、脱獄しないか見張っているのだ。目耳に障ること間違いない。


 折姫は庭の雑草をむしりながら溜め息を吐いた。


 内宴の夜。

 よし死んだ! と勢いよく起き上がれば、桜の壺。「そんな元気な死人があるか」と主上に一喝された。


 その後ろで担架のようなものが渡殿を渡っていったが、白妙から覗く血塗れの袖、あれはどうみてもミカドの手であった。ミカド様お亡くなりに? と純粋に訊ねると、「お前のせいだ」と罵られる始末。今は内宴の儀をぶち壊しにした罪で閉じ込められている。


 暇を潰されては反省にならないと、折り紙も没収されてしまった。


 入内した頃のようにはいかない。シオンの居ない桜の壺は、ただのオンボロ屋敷だ。いくら掃除しても蜘蛛の巣がはり、蛇や蛙が往来する。クロはずっと居るには居るが、熱が冷めたように愛せない。寝てばかりであるし、起きても気まぐれでちっとも可愛いくない。

 それから、どんなに手入れしても、主役のいない庭は美しくない。ご丁寧に肥料ですと、たまに牛の糞が落ちてくる。


「ぎゃー!」


 その日は運悪く頭上に着地し、そのまま湯殿へ走った。外からも屋根からも女の笑い声。かじかんだ手を温めながら、折姫は心に決めた。


「もう帰ろ!」


 愛しの陰陽師様はお亡くなりになられたようだし、このまま後宮で老いていくのも虚しいだけだ。

 折姫は湯浴みを終えると蛇の横断する板間に魔法円を描いた。隣でクロが感心したように首を縦に振る。異界の架け橋となる方術をみつけだすには苦労したが、なにしろ時間だけはあったのでよい暇つぶしになった。

 内宴からふた月たったその日は、偶然にも入内して一年目の春であった。


「やめときな」

 

 背後で、毛女郎が味噌汁を椀に注ぎながら言う。

 閉じ込められた当初から出居に囲炉裏が配置され、妖怪たちが飯炊をしている。今日の昼ごはんは筍ご飯だ。食べてからにしようと、折姫はちいさなしとねに腰を落とし、囲炉裏で焼かれた芋にかじった。


「どうして?」

「一度、入内した娘がもとの世界へ戻れば、その世代すべての人間に呪いがふりかかる」

「それって、どんな呪いなの」

「人でなくなる呪いさ」


 小豆洗いが、古びた一枚の写真を取り出し、見せた。制服姿で並ぶ若い男女が写っている。


「わー、懐かしい! 若いころのおじいちゃんとおばあちゃんだ」


 高校生のころからずっと付き合っていたのだと、よく集まりで話していた。


「ワシと、毛女郎じゃよ」

「え? だって、おじいちゃんはともかくおばあちゃんは──」


 味噌汁の茶碗を置いて、毛女郎は言った。


「あちらではまだ人の姿を保っているが、それもあと何年かのう」

「身体が朽ちれば、ワシらもいよいよ、正真正銘のものの怪じゃ」


 不知火神社の神主であった祖父は、白羽の矢がささった従兄弟の祖母を取り返しに、貺都へ下ったのだという。幸い、その世代はふたりだけだったが、次はないと時の皇帝に釘を刺された。


「……つまり、私が元の世界へ戻ると、お姉ちゃんたちが妖怪になっちゃうってこと?」

「千速もな。次の世代へ血を残すため、身体が生きているうちは人間で居られるが、貺都に落ちればこの通り」

「ちーちゃんまで……」


 大好きな親友を犠牲にはできない。


「……会いたいなあ」

「会ってみるか」

「会えるの!?」


 小豆洗いの言葉に椀から顔をあげる。


「じいさん!」

「里帰りなら許されるじゃろ。だってほらみてみい」


 折姫の澱んでいた瞳が輝きを取り戻していく。

 ふたりに心配かけさせまいと、家事を習慣づけ、食事もきちんととってはいるが、目の下のクマは隠せない。



 いつしかミカドと酒を呑んだ縁で毎夜、桜のない庭を眺めているのを、小豆洗いは知っている。



「一度だけじゃよ」

「うん!」


 折姫はたけのこご飯をかっ込むと、縁で眠るクロを抱き上げた。


「おや、そのこも連れていくんかい」

「だって、ちーちゃんネコ大好きでしょう。見せてあげようと思って」

「ふーむ」


 小豆洗いがじとと見やれば、仔猫は目配せをした。琥珀色の瞳が黒く滲んでいく。


「おや、お目覚めでしたか」



 ふたりは先に帰って茶でも沸かしてくると言って、消えた。自由に行き来できて便利で羨ましいが、せっかく描いたのだからと、折姫は自前の魔法円に立った。クロが一本、往復用の線を描き足し口づけをしたが、気づかない。消したらダメよ、と抱き上げ、呪を口ずさんだ。




「ここ、にほん、……だよね?」


 折姫の視界は千速の立派な胸で閉ざされている。クロは腕のなかで、たゆむ天井を見上げていた。


「うわ────んっ! イオリちゃんが、生きてる──! 

「今まさに意識が遠のいているよ」


 千速の胸から解放され辺りを見回すと、桜の御神木の前に立っていた。こちらの桜は満開に咲き誇っている。千速の一歩離れた場所に、変わらぬ祖父と、皺くちゃに戻った祖母がいた。


「お茶淹れたよ、なかへお入り」


 神社の客室に通された折姫は、懐かしい匂いと埃っぽい畳に感動しつつ、腰を落ち着かせた。

 向かいに座った千速は眼鏡の奥で涙をためながら、折姫の手を握った。


「イオリちゃん! 本物だよね!? すごい綺麗! お姫さまみたい!」

「おほほほほほ、お姫さまですもの」

「あははー! おほほほ言う人、はじめてみたー!」


 涙を流しながらも、いつもの明るい千速だ。折姫は千速に見えやすいよう、クロの脇を抱え上げた。


「お土産なんて、あっちから持ってこれないから連れてきた。ちーちゃん、ネコ好きだったでしょう?」

「うん、好き。でもそいつは無理。一生許さん」


 クロの背中が総毛だつ。

 黒猫に嫌な思い出でもあるのかと、折姫はクロをちゃぶ台の下に引っこめた。


「さて、本題」


 千速は祖母の茶をひと口啜ると、分厚い冊子をちゃぶ台にのせた。


「イオリちゃんは、帰ってきたの? それともお別れの挨拶に来た?」


 折姫は喉を詰めた。

 ポットにお湯を注ぎ足す祖母と、煎餅の皿を突き出す祖父の手を追う。


「……お別れの、挨拶に来ました」

「どうして。やっと帰ってこれたのに。このままずっとここに居てよ、私たち親友でしょう!?」

「しん、ゆう?」


 折姫の目に涙が浮かんだ。

 嬉しい。

 親友だって、思っていたの、私だけじゃなかった。

 

「そうだね。親友だね!」


 折姫は膝にのせた両手をきつく拳にした。


「でもわたし、これでもはるのみやひなの。とても、しあわせなんだよ」

「ふん! 春宮の意味も知らないくせに!」

「え? ちーちゃん?」


 しゅんぐうってなに?

 疑問符が浮かぶ。

 千速は深く溜め息を吐いた。


「……帰ってこないとは、思ってた。だからこれを準備してた」

「これって?」

「貺都の歴史絵巻。千年の歴史が描かれている。原本は本殿に祀っておかないといけないから、イオリちゃんがわかりやすいように、この一年分だけ書き写しておいた。時間だけはたくさんあったからね」

「この一年……、御所であったこと?」

「そう。鯉の化け物も、桜の御息所も知ってる。正直、読むことしかできなくて、ものすごく歯痒かった。でもこれを読めばわかるから。皇族の系図も、春の君の意味も。そのネコの正体も」


 ビクリと耳が立つ。

 千速はちゃぶ台の下でクロと目を合わせ、言った。


「あんた、次にイオリちゃん泣かせたら、ケツの穴に手ぇツッコんで奥歯ガタガタいわせてやるからね」


 初めて聞く脅しにクロはもうすでに震え始めた。折姫はまたいつもの無垢な瞳で訊ねる。主上が別人であったことはわかったが、結局のところ。

 

「春宮ってなあに?」


 千速は御神木の場所へと移動しながら、春宮の意味を語った。春の宮は皇太子のこと。春の君は、春宮の春からとった名前だと言うこと。


「皇太子に官位なんてないし、春の君で名を通しているから、恐らく誰も言及しなかったんだよね。あと、愛しのミカド様が主上だなんてあらぬ誤解を招いた主な原因はこいつ」


 はい、と渡されたのは、小さな苗木。てっぺんにちらほら、桜の花をつかせている。


「これは?」

「うちの御神木から挿し木をして、育てられた桜の精霊。親木に隠れてたから、引っ捕まえてそれに入れといた」

「まさか、……シオン!?」

「ちょっとすれ違わせようなんて悪ふざけをしたら、御所を脅かす事態にまで発展して。罰が悪くてこっちに逃げてたのよ。後で煮るなり焼くなり好きにして」


 焼こう。

 青く光り始めた魔法円を背後に、折姫はかたく決意した。

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