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おりひめと蠱毒の後宮  作者: 紫 はなな
桜の御息所
29/60

二十九折

 睦月の満月。

 宮仕えする人間みなが待ちに待った内宴の前日のこと。

 折姫もまた心待ちにして釣殿に立っていた。

 白百合殿への出入りは桜の壺よりずっと難しい法則に成り立っており、この日のためにジャンプの練習をしたほどだ。


「うん。これなら飛べそう」


 小袴の裾をたくしあげ、強くにぎる。

 今日の折姫は、薄桃色の小袖小袴を身にまとっている。飛び込むからには衣裳を汚せないと、梅壺に務める下女から、御守りを交換にもらったものだ。

 

 釣殿から月が映るとき、池に飛び込む。

 それが、満月の白百合殿への扉だった。

 脚力のない折姫が月に届くには、その深夜にしかない。運良くも悪く、ヒコも寝息をたてる刻であった。

 目を閉じて、ためらいもなく入水する。

 水音はあがらず、折姫は袖すら濡らさぬまま白百合殿の阿吽の前に足をつけた。


「やったあ!」

「何用じゃ」

「何用か」

「はい、おみかん」


 折姫はあらかじめ懐に入れておいた、みかんをごろごろ転がした。 


「なめられたものじゃ」

「ものよ」

「折姫。約束のないこの深夜、みかんごときで釣れると思うな」

「思うなよ」

「じゃあ、これは?」

「くるみじゃ」

「くるみか」

「食べ飽きて──、あむ」 口に放り込む。

「んぐ?」

「甘い!」

「甘いぞ!」

「お砂糖を少し持ち合わせていたから、炒ってみました。美味しい?」

「美味しい!」

「美味しい!」

「もっと!」

「もっともっと!」


 くるみの包みを渡しつつ、すかさず間を通る。

 容易く中宮の部屋への回廊へ出られたが、蔀戸が下され部屋に入れない。ガタガタと戸を揺らしていると、朽ちた庭のほうから声がした。


「このような夜更けに、女が何をしている」


 男が上半身をあらわに下衣一枚で鍬を持ち、土を掘り起こしている。

 折姫は思わず両手で目をふさいだ。


「失礼しました。先客がいらっしゃるとは思わず」

「客だと? ここは私のつぼねだ。そちらこそ、招いたつもりはないがね」

「あなた様の、局……?」


 折姫は指のすき間から男を見据えた。

 男は芙蓉殿で行き合った僧侶であった。

 局というからには、白百合殿に住み込みで務めていたかもしれない。だとすれば、勝手に上がりこみ無礼を働いてしまった。

 折姫は膝を落とし、目を端へ寄せたまま男へ頭を下げた。


「そうとは知らず、申し訳ございません」

「よいよ。阿吽の躾がなっていなかったのは、私の責任だ。その代わりに庭仕事を手伝ってはくれないか」

「構いませんが、私にはあまり時間がありません」

「そうであろうな。……なにか、探し物か」

「この白百合殿の、中宮様のゆかりのものを」

「中宮のもの、か。お前の考えはよくわかった。働き次第ではいいだろう」


 折姫は恐る恐る顔を上げた。

 男は汗で湿った髪をかきあげ、下衣の紐をしめなおしていた。


「そこの苗をとって」

「は、はい」


 男は僧侶にはとても見えない精悍な顔立ちに、筋肉質な身体をしていた。後宮の手入れをしているからだろうか。


 折姫は百合の苗を手渡すと、自らも扇子を置き、小袖の上からたすきをかけた。裸足で土を踏む。


「やわらかい……」


 庭は樹木どころか、隅から隅まで雑草ひとつない。

 砂利など細かい石が避けられ、よく耕してある。薔薇の壺で、庭仕事を多少習ったが、鉢に新しい土を入れるより、庭の古い土を耕すほうがずっと難しい。ひとりで土をならすのは、さぞ大変だったろうと思う。


「私は何を手伝いましょう」

「どこにどう植えたらよいかなどわからん。考えるのも面倒だから、一面に植えてしまおうと思う」


 いつも庭の手入れをしているのではないのか。

 折姫は呆れながらも、その潔さを受け入れた。

 一面に白百合の花が咲いたら、とても美しいに違いない。


「では私は左から植えていきますね」

「そうしてくれ」


 それからふたり、黙々と苗を植えた。庭の広さは二十畳あったが、ふたりの背中がぶつかるまでに、たいして時間はかからなかった。

 男は月を仰いだ。


「丑三つの刻か」

「あまりお手伝いになっていないような」

「いや、ひとりでは朝までかかっていたよ。まさか姫さまが手足を汚されるばかりか、こんなにも手際がよいとは恐れ入った」


 男はたくましく笑った。


「中宮様、きっとお喜びになられます」

「今はネギを眺めているようだがな。どうかまた、共に過ごせますように」

「共に……?」


 僧侶はシオンのような、舎人の務めをしているのか。不思議そうに見つめていると、男は今度は罰が悪そうに、ちいさく笑った。


「なかなか理解力に乏しい姫様だな」

「よく言われます」

「私は先を読みすぎてね。そのためどうも言葉足らずになる。中宮やあなたへ誤解を招いたのは、すべて私の責任だ。すまなかった」


 なかなか聞き捨てならない暴露である。


「私はいいのですが、中宮様にはきちんと手をついて謝ってください」

「ああ、もちろんだ。彼女が、目覚めてくれたならば、かならず」


 折姫へ願い、乞うように言う。


「恐れ入りますが、今も中宮様は眠ったままなのですか」

「ああ。お腹に子を抱えたまま、眠り続けている」

「おかわいそうに。……なるほど。夢で会うイメージかしら」


 ブツブツとつぶやく。

 男は目を細め、折姫をじとと見た。


「それで? 中宮のものをお探しとか」

「はい。ゆかりのあるものを通して、中宮様とお話しできるそうです」

「ほう」


 男は土汚れた足のまま縁へあがると、その場に置いてあった、れんげのようなものを回した。


「会ってなにを話す」

「これからの未来を」

「未来、か──」


 男は頭をひねった。


 桜の御息所を祓うことは、すでに不可能なことだ。元より祈祷などで祓える怨霊ではない。

 中宮か、腹の子か。

 どちらかに御息所の怨霊を封じ込め、生き埋めにする。それが今、男が考えられる唯一の手立てであった。


 それ以外の未来があるのならば──。

 


「そうか。あなたには、見えているのだな」

「はい」

「ではあなたに託してみるか」


 男は腰に挿していた簪を折姫の鼻先へ突き出した。

 中宮が耳の上に挿していた、白百合の簪だ。


「中宮の調度品はすべて黒く穢れてしまったが、これだけは無事だった」

「そんな大切なものを。大事に預からせていただきます」

「待て」 簪を握りなおす。

「あなたはなぜ桜を挿していない?」

「なぜ、と申しましても──」


 今の今まで存在を忘れていたし、中宮との約束

がある。


「あれは家族の証だ。幼いアスナとコトハにも飾らせている。巫女になったからといって、外すことを許した覚えはない」

「そうは仰っても情けのない話し、桜の壺へ帰る方法がみつからないのです」

「では、今からとって来なさい。それが私からの条件だ。あなたの髪に咲く桜を見届けてから、この簪を渡そう」


 形見なるものを貸し出すのだ。それくらいの我儘は許されるだろう。

 男は折姫の扇子を取ると、広げて見せた。


「今、あなたのネコはなにをしている」

「黒いネコと丸まって寝ています」


 折姫は首を傾げた。

 おかしい。今まで他の生き物が登場することはなかったのに。

 男は、笑いを吹きこぼした。


「そうか、ならいい。いや良くないか? まあどちらにしろ凶ではないな」

「吉であればよいのですか」

「ああ、そうだ。春の君の結界を破ることは、残念ながら私にもできない。だが何かあったときのために、私や折姫でも入れるようにと扇子が渡されている。

 扇子に描かれているのは、近い未来。未来が凶を示せば、呪を唱えても入れない。吉ならば、入れる。ネコになってな」

「ネコ?」

「ネコのいる扇子のなかは桜の壺であろう。あなたは今無力だから、私が唱えてあげよう」


 男は短く呪を唱えた。


「さあ、簪を取りに行くついでに、仲直りをしておいで」


 折姫はたちまち煙のように扇子へ吸い込まれていった。開いていた扇子はひとりでに畳まれ、やがて一本の線になると、宙に消えた。




 気づけば折姫は四つん這いになって、桜の壺に足をつけていた。恥ずかしげもなくそのまま庭へ突き進む。足の土で板間を汚さぬよう、膝で歩いた。

 覚悟を決めて、庭を下りる。


「……っ、ふ、ああっ」


 折姫は、一瞬で流れ出た涙を土だらけの手で拭った。


 主役シオンを失った桜の壺の庭は、古びた水墨画のようだ。庭は、桜がすべてだった。なき今、庭は空き地とも呼べない雑木林と化していた。ぼうぼうに生えた雑草を抜き取りながら亡き骸を探すが、土を掘り起こしても出てくるのは木の根だけで、花びら一枚も残していない。


「……お風呂、入ろう」


 折姫は全身泥だらけのまま、庭から湯殿へ向かった。

 思っていたとおり、湯は少し濁り岩場もぬるついていたので、一度湯を抜き、掃除をしながらゆっくりと浸かった。真冬だというのに思っていたよりも身体は冷えておらず、たくましくなったものだと自分に感心する。

 上がりぎわにふと気づき、溜め息をついた。

 身体は綺麗になっても、新しい単衣があるだろうか。あっても、きっとほこりが積もっている。


 だか実際は、単衣は定位置にきちんとたたまれておかれていた。恐る恐る広げてみると、ほこりひとつ舞わない。そればかりか、アイロンをかけたようにシワもない。

 湯殿は掃除されてないのに、単衣は洗いたて。

 訝しく思い、濡れた足で板間を歩くが、汚れがつかない。足早に帳台へ向かい、天蓋を揺らしても、ほこりは落ちてこない。ではなかはどうだろうと几帳を翻し入ると、布団が綺麗に整えられていた。


「シオン……、いるの?」


 返事はない。

 だが確かに敷妙の折り目の幅に、シオンの癖がみえる。

 夜が明ければ会えるかもしれない。

 ほかに手がかりがないか探そうと、次は簪の置かれた鏡台を目指し帳台を出た。

 鏡台の上の櫛だけでなく、化粧道具。文机の筆。すべての位置が整っている。鏡台の引き出しから簪を取り出すと、指紋ひとつついていない鏡を見ながら、右耳の上に挿した。


「行灯?」


 目を細め、鏡のなかを覗き込んだ。

 庭の向こうに灯りがついている。


「渡殿だ。……見える、向こう側!」


 桜の木が消え、遮る枝がなくなった庭から、渡殿の向こう側が明らかになった。戸が開いている。鏡台に背を向け回廊へでると、行き止まりだった角に道ができていた。

 迷いはない。後宮で唯一知り得なかった殿舎の中身が明らかとなるのだ。


 それに向こう側は昼間のように明るく、白百合殿に負けない豪奢な御簾や几帳で彩られている。

 折姫は足を弾ませて先へと進んだ。



 御簾を潜ると息苦しいほどの暖と、香のかおりが折姫を襲った。だだっ広い畳場には火事にならないのが不思議なほどの火鉢が並べられ、すべてに炭が焚かれている。その間を縫うように書物が散乱し、道標のように御寝所へ続いた。火花が移るのを恐れ、本を拾いながら帳台へと向かうが、


「羅生門、人間失格。……漫画もある」


 日本の書物ばかり。というより、ほとんどが少年漫画の単行本だ。まるで男子中学生のようなラインナップに、折姫は口の端をゆるめた。本に隠れて、トランプやボードゲームも散乱している。


「まるで好きなものを詰め込んだ、宝箱みたい」


 名高い公達が忍びで使う局なのだろうか。帳台へ近づくと、なかで火灯し皿の灯りが揺れた。今にも几帳に移りそうだ。潜ろうと裾をつかんだその時だった。


 骨張った手に肩をつかまれ、背筋が凍った。


 冷ややかな感触から伝わる泥のような穢れ。振り返れば男が白い顔に護符を貼ったまま、鋭い牙を剥き出しに笑った。どこか既視感を感じる風貌だ。


「あっ。キョンシー!」


 胸のつかえはとれたが、息をとめても今さら遅い。

 人ではないそれは女を求めていると、滴る唾液が語った。絶望的にキョンシーに似たそれは、二、三と背後から数を増やした。



 皮の剥がれた手が肩にのり、折姫をつきとばしたが──、


「中へ」


 その手は砂のように崩れ、また別の手がのびた。川に流されるように帳台へと引き込まれる。


「ミカド様……?」


 ミカドは膝をたてたまま、息をつく暇もなく詠唱を繰り返していた。顔には汗粒が浮き出ており、目をきつく瞑ると涙のように滴った。息継ぎに大きく肩を上下させると、ひどく苦しそうに胸をおさえた。

 今の折姫には理解できた。

 目の前の敵にひどく霊力を削ぎ落とされている。


「はあっ、はあ……っ、数が多すぎる」


 ミカドは唸った。

 部屋をうろつく死体は闇の精霊がいたずらに甦らせた傀儡だ。魂をもたないものに呪は効かない。動きを封じることができても、滅するとなるとかなりの霊力を消費する。暇ができたらカヲルに斬ってもらおうと護符で動きを止めていたのだが、折姫の手首の呪禁を前に暴走を始めてしまった。部屋のなかの傀儡すべてを滅することはひとりでは不可能だ。父に頼るか、カヲルを呼ぶか──、意識を朦朧とさせるなか、折姫が真っ直ぐミカドを見た。


「ミカド様、私にできることはありませんか」

「折姫に?」


 目を合わせたのはいつぶりだろうかと、ぼやけていた視界がはっきりと映る。


「物理的に動きを封じたい。骨をたつような武器を折れませんか」

「刀でしたら、すぐに」


 折姫は懐紙袋から紙を一枚引きだすと迷いなく折り始めた。ミカドもまた詠唱を続ける。


「できました!」


 口を忙しなく動かしながら、ミカドは折り紙を受け取った。今は思い出したくもない兄弟の顔を頭に浮かべる。


「見事だ。……よく、見ているのだね」


 ミカドの手には、カヲルの刀が納まっていた。

 そのまま外へ出て行こうとするので、折姫は思わず袖を引いて止めてしまった。


「まさか、ご自身で戦われるのですか!?」


 陰陽師とは涼しい顔をして、手を汚さず悪を滅するのではないのか。

 ミカドは息を切らし汗を滴らせながらも、やわらかく笑んだ。


「ご安心を。カヲルと打ち合えるくらいには、嗜んでる」


 折姫もまた笑った。目を見て放たれたその言葉は、信じられると思えた。

 実際、カヲルと本気で打ち合える人間はミカド以外、近衛にも居ない。負けず嫌いのふたりは互いを高め合うことに余念がないのだ。周りは刀を持つことにいい顔をしないが、今日ばかりは鍛錬を続けてきた自身を褒めた。

 

「五十、いや三十数えて」


 そう言ってミカドが外へ出た途端に、几帳に映る影が激しく動いた。音は、リモコンで消したように静かだった。

 折姫は、心のなかで数を数えていた。だが十くらいから不安がふくらみはじめ、ニ十からは待ち切れず、声に出して数えた。

 

「二十五、二十六、二十七──、に!?」


 飛び込むようにして戻ってきたミカドは、そのままうつ伏せになり倒れた。


「はあ、──はあっ、間に合った?」

「は、はい。三秒残して」

「よかった。ああ、見ないほうがいい」


 几帳を開けようとする折姫を口でとめる。


「朝には式神ネコが片付けにくるだろうから、しばらくここに居なさい」

「ミカド様、お怪我は?」

「ないよ。……少し、眠らせて」


 ほんとうにそのまま眠ってしまった。

 折姫はしばらく動かずにいたが、とどまることの難しさに悶えはじめた。

 外の様子が気になるし、なんならミカドのうつ伏せた顔に見入ってしまう。美しい顔が汗と粘り気のある血のりで台無しである。枕もとの瓶子に目をつけ、決意を固めた。


「ごめんなさい!」


 すき間のある右脇へ手を入れると、思いきり仰向けに身体を回転させた。前がはだけて慌ててしまい、かなり乱暴をしたが、起きない。瓶子の酒を手拭いにたっぷりふくませると、消毒ですからと言い訳しながら、まずは顔を拭った。介抱だからと、心で唱えながら上半身にも手をのばす。意外とたくましくて、胸が広い。


 鼻頭が熱くなり、折姫はたびたび天を仰いだ。


 乱していた髪を櫛ですき、襟を整えればいつものミカドにもとどおり。


「まつ毛、長い……。ほんとうに綺麗」


 こうして間近で見ていると、ほんとうに主上なのか疑ってしまいたくなる。数多の女性を傷つけ、子どもまで犠牲にする愚かな皇帝が、目の前で眠るこの人だというのか。


「寝ていると、子どもみたいなのに」


 スヤスヤと心地よさそうな寝息に、折姫も次第に眠くなる。きっと神さまからのご褒美だからと胸で唱えつつ、空いた枕に頭を添えた。


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