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おりひめと蠱毒の後宮  作者: 紫 はなな
桜の御息所
27/60

二十七折

 季節は移ろい霜月も末のこと。

 ひらけた芙蓉殿の縁で、折姫は久しぶりに折り紙を折っていた。

 身体の傷や火傷は簡単に治ったが、ヒコの呪符がついた右手を護符で癒すことができず、自然治癒を待つほかなかった。今朝に典薬寮で、右手の使用に許可が下りたばかりだ。

 折姫の姿を見つけ、御子たちが集まってきた。庭で木刀を振っていたカヲルが、その純真な勢いをとめる。


「こらこら、折姫様は病み上がりだぞ。あまり無理はさせるな」

「大丈夫よカヲル。はい、カイロ」

「カイロ?」

「帯にはさんでみて。少しずつ、あったまってくと思う。ほら、みんなも」


 淡々と折る、その指先に迷いがない。

 火事に遭う前より洗練されている気さえする。

 

「……あったかいな」

「そうでしょう」

 

 折姫は笑うと眉が悲しげに下がる。その笑みの奥に折姫は居ない。

 カヲルはこの三月、暇ができれば折姫に付き添っているが、生き人形と接しているようだ。心の戸を叩いても、留守にしている。たとえば、


「すまないカヲル。内侍司を探しているのだが」


 庭から現れたミカドの声に、以前ならば折姫の指が止まった。今の折姫にはもう、ミカドの声すら届かない。

 カヲルはわざわざ沓を脱いで部屋へ上がった。


「なかにいる。呼んでくるよ」


 しばらくして、ミカドの隣に可愛らしい姫様が並んだ。新しく入内した芙蓉殿の内侍司だ。

 カヲルは庭へ戻らず、折姫の右側に腰を入れた。


「いいのか、放っておいて」

「なにを?」

「ミカドだよ。内侍司の顔みてみろよ、うっとりしちゃって。あの女、図々しく帳台の前で待ってたぜ? 今夜にも食べられちゃうかもなぁ、あいつ今なら簡単におとせそうだし」

「そう」

「おい折姫、しっかりしろよ!」

「なにを」

「ミカドが女官をひとり囲えば、また次々と入ってくる。後宮が女であふれかえるんだぞ!」

「そう」


 折姫は紅くなった指先に息を吹きかけた。


「そういうの、疲れちゃった」

「……そうか」


 カヲルは腰から笛を引き抜くと、折姫に被さるようにして座り直した。


「だったら俺は、あきらめずその隙につけ入る」


 

 子どもが遠慮する熱量の笛の音が空へ駆け上る。

 折姫は目を閉じた。

 耳を傾けていれば、時間だけが過ぎていく。

 カヲルの笛が好きだった。




 カヲルが役で離れると、折姫は桜の壺へ向かった。明日からまた巫女の務めが始まるため、その準備だ。三月ぶりの桜の壺は、まるで毎日を過ごしていたように綺麗だった。

 縁で桜の精霊が体育座りをしている。


「まだ落ち込んでいるの?」

「だって、姫様を助けられませんでした」

「いつものことでしょう。それでも怠惰にしては、綺麗にしてるじゃない」

「いつでも戻れるようにと、言いつけられておりましたので」

「ありがとう、シオン」


 桜色の髪をなでる。

 紙屋院が炎にのまれた日、シオンは主人の危機を察しいち早く駆けつけたが、鬼火に焼かれた彼岸花をみて卒倒した。折姫は彼を責めなかったが、のちのちミカドにひどく叱られたようで、姫様に顔向けできないと桜の壺に引きこもっていた。


「剪定されたくなかったら、そろそろ命令に従おうね」

「辛辣!」

「さてと、今のうちに復習しようかな」


 折姫は御所の地図をひろげ、その横にミルクを注いだ皿をおいた。殿舎のどこかにひそむネコを誘き寄せるためだ。


「えーと、……今日は、満月。おそらく紫宸殿から芙蓉殿の中庭。満月と新月はだいたいわかってきたなあ」

「姫様、なんですかそれ」

「すごいでしょう。ミカド様の空間術式、十二日周期で法則があることがわかったの」


 地図は十二枚。穴埋めはまだ終わっていないが、満月の日の法則はだいたいつかめてきた。たとえば紫宸殿の高御座の右から二つ目の几帳を潜れば、梅壺へ。三つ目が芙蓉殿の中庭につながる。本人でなければ入れなかったり、戸をふたつ叩いたりと複雑ではあったが、難解なパズルのよう。折り紙を折らない時間はとにかく暇で、気づけばのめり込んでいた。

 シオンはそんな主人へ憐憫の眼差しを向けた。

 無意識にミカドを目で追っていることに気づいていないのだ。

 以前ならばそんな自分に気づくたび、自己嫌悪に陥っていたが、今は違う。まるでミカドがしゃべって動く飾り物のように、見えているようだ。


 折姫は、この三月で変わってしまった。

 夢中で地図に書き込むその横顔に訊ねる。

 

「お化け屋敷に乳母、巫女さま、次の目標は決まりましたか」

「目標?」

「姫様はいつだって、なにかに向かって頑張っていらっしゃいました。私は存じておりますよ、姫様はすでに神道の基礎をほぼ身につけておいでです。高見を目指すのでしたら、やはり陰陽師でしょうか」

「私が? 考えるだけでもおこがましい」


 折姫は自嘲するように笑った。

 巫女として神道の教示を受けたが、高い木の根本にようやく立てた程度だ。何年もかけて登りきったとしても、ミカドやカヲルのような陰陽師は、手の届かぬはるか雲の上。今ならば、ふたりの香りや佇まいだけで、その格の差を感じ取ることができる。


「夢なら、見ます」

「夢?」

「みんなが笑ってる夢。ミカド様も、シオリちゃんも。その夢を現実にしたい」

「中宮、ですか」

「シオリちゃんから、桜の御息所を引き離すにはどうしたらいいのかしら」

「難しいですね。後宮を滅するというふたりの強い念が、御霊同士を重ね、今にも溶け合おうとしています。ああなってしまっては、主上の祈祷も意味をなさない」

「これを使っても、難しい?」


 折姫は右手のひらをシオンへ見せた。シオンはすぐに首を横にふった。


「苦しめるだけで、引き離すほどでは」

「そう」


 シオンは心を痛めた。

 折姫は息をするように、いつも誰かを思いやっている。今なら平気で命を投げうってしまいそうだ。主人の心を取り戻すためには、真実を語るしかない。


 あなたが振ったミカドは主上ではなく、その嫡男である皇太子で、夫なのだと。


「姫様、実はこのシオン、折り言ってお話しが──」


 折姫の目が一寸、輝いた。


「ふふ、来たきた」


 クロがミルクを舐めにきたのだ。

 小さなクロは、ちっとも変わらず琥珀色の瞳をミルクに映した。


「お前、ちゃんと餌をもらっているの?」

「ミカド様が毎日、膳の残りを猫まんまにして置いていきますよ」

「そうなの?」

「はい。この三月、桜の壺で飼われていたので、知った仲です」

「いいなぁ。私も、クロといっしょに居たい」


 重々しく響く声。


「それはなりません」


 ミカドだ。

 ミカドは忙しなく部屋のなかを周り、柱へ床にと手当たり次第、なにか描いている。


「折姫、あなたはもうここへ来てはなりません」

「私が女御ではないからですか。ここへ、新しい姫様を迎えられるのですか」

「違います。先ほど、シオンに不吉な影が見えました。あなたが回復されたことを何者かが悟ったようです。恐らくあなたの舎人であるシオンが、次に狙われている。母体を傷つけられぬよう、護らねば」

「シオンが……?」

「残念ですがしばらく使役も控えてください。さあ、すぐに薔薇の壺へ」

「やっと、……戻れたのに」


 不満がこぼれた。

 御簾を下ろしていたミカドの手がとまる。


「また私は、判断を間違えたかな」


 打ちのめされたように、言った。

 

「いいえ。シオンを護るためですもの」


 折姫はそう自分に言い聞かせると、なにか言いたげなシオンを一度抱きしめ、薔薇の壺へ戻った。






「やあねぇ。私が教えること、もうないじゃない」


 カリナは式盤を前に唸った。

 式占を得意とするカリナと寸分狂わぬ結果を導き出し、舌を巻いたのだ。

 吉ならば凶をひいた折姫が。


 ひと月、算盤に集中した折姫は数字を特技に変え、残りのふた月で神道の基礎を頭につめこんだ。しかし占いの結果はよくない。


「この方位、方角、薔薇の壺に災いあり」

「やんなっちゃう」

「カヲルに伝えましょうか」

「待って」


 カリナは折姫の手首を取った。


「あなた、勘違いしてない? カヲルは使い走りじゃないわ」

「そんなことは──」


 あるかもしれない。

 顧みれば、カヲルを頼っている。シオンが首を横にふることを、二つ返事で請け負ってくれる。


「あの子の気持ち、知っているのでしょう」

「カヲルの、気持ち」

「応えられないのなら、捨ててやって。その上で頼りなさい。この件は私から伝えておくから」


 付き合わせていたカリナの膝が消えた。


「カヲルの、気持ち?」


 折姫は首を傾げた。

 式盤の上の小鬼も真似をして頭をひねる。


「あー、もう! なによここ、鬼だらけじゃない!」


 荒んだ声に、小鬼がとんで逃げた。折姫が顔をあげると姫様が肩で息をして立っていた。

 芙蓉殿の内侍司だ。

 ミカドがよく利用する出居の蔀戸から現れた。


「こんにちは。よく入れましたね」

「はぁ!? ……失礼を、桜の壺の女御。お届けものがあって参りました」


 詰め寄るように膝を近づけ、一通の手紙を差し出す。

 

「優しい公達が通してくださいましたのよ」


 公達とは誰のことか、訊ねるべきか。

 折姫は作り笑いを浮かべながら、思い直した。

 入内したばかりの姫君に深入りさせてはいけない。


「わざわざご足労を。ありがとうございます」

「中宮様から折姫様へ宛てられたこのお手紙、決して折姫様に渡さず、春の君へと言われておりますが、ここへ来てすでに十通目。さすがに心が痛んでしまって」

「十通……?」

「内緒ですよ。幸せのお裾分けです!」

「この手紙──」


 折姫は手にとらず、じっくりと見つめた。ただの白い紙にみえて、なにか術がかけられているようだ。

 話しにのってこない折姫に、内侍司のこめかみがぷつんと音を鳴らせた。


「愉しみですわ! 今夜の宴に、春の君が牛車を出してくださいますの」

「宴……?」 知らされてもいない。

「紅葉狩りです。折姫様はもちろん、薫の君といらっしゃるのでしょう。あちらでお逢いしましょう。それでは」


 お化粧し直さなければと、戻っていく彼女の後ろ姿に、春のころの自身と重ねた。ずいぶん昔のことのようだ。

 手紙に向き直り、カヲルを待って開けようと思い、溜め息をこぼした。

 カリナの言う通り。カヲルは舎人でも式神でもないのに。


 念のため包み布で手紙を取ると、わかりやすいよう式盤の上に置いた。


「紅葉狩りかぁ」


 折姫は庭を望める縁へと腰を移した。

 薔薇の壺の紅葉も真っ赤に燃えている。梅壺が隣接する北池はさぞ美しいことだろう。

 空を望めば、満月。

 折姫は地図を広げた。今日の梅壺への扉は火鉢の向こう側の几帳。無論、潜る譯ではない。想いを馳せるだけだ。シオンを狙われているのに、むざむざとひと気の多い宴へ姿を現すほど愚かではない。

 折姫は身震いをした。

 今日は火鉢で暖をとることになりそうだ。火消し婆を探し、辺りを見回した。


「あ、そんなところに──」


 部屋の隅で妖、小鬼がここぞと集まって、おしくらまんじゅうをしている。火消し婆は細い首を折れそうなほど横に振った。油すましが指をさす。


 式盤の上に置いた手紙が開いている。

 いや、内からの圧力で今も開きつつある。三つ折りにされた手紙の右側が開ききると、黒い、墨で描いたような指が現れた。

 夜が早送りされたように、部屋が暗くなる。


「イオリ……!」

「おじいちゃん?」


 小豆洗いの皺だらけの手が折姫の袖にかからんとするとき、頭ひとつぶんある黒い爪が狭間を切り裂いた。爪はひとつからふたつ、みっつよっつ増え、小豆洗いを握ろうとする。そうはさせまいと、毛女郎の髪が小豆洗いの身体を絡めとり、みなが居るほうへと引きずっていった。次は折姫をと髪をのばすが、あと一歩のところが届かない。

 折姫は自力で行こうと板間を這うが、ナメクジのように遅い。手足が重くなり、思うように動かないのだ。広がるばかりの唐衣裳に爪が立った。


「折姫……!」


 爪が薔薇の花びらのように散る。

 カヲルだ。

 カヲルの太刀は碧い炎をまとっていた。

 この三月で会得した、鬼を斬るための術式──。刀は呪禁から目覚めた鬼の手を、一瞬で薙ぎ祓った。

 折姫を抱き起こそうと手をのばすが、折姫の身体は明後日を向いた。八歩先でカリナが男童をかばい、背に傷を負っている。


「手は二本で終わりだろうなぁ!」


 太刀で孤を描き、向かってくる爪を一度で切り捨てる。カヲルが母の無事を目で確かめ、折姫へ肩を向き直したその時だ。



 ずしり。



 黒く大きな足が、庭に沈んだ。

 カリナが大切にしていた草花が黒ずみ、腐っていく。悲しみに暮れる余裕などあたえず、足は猛烈な風を起こし振り上がる。

 一寸の、静寂。


 家鳴りがぽとりと、落ちた。足は屋根瓦ごと家鳴りを踏み潰し、板間に沈んだ。カヲルはすかさずその足首に太刀を入れるが、そのために折姫からさらに離れてしまった。

 恐らくもう一足。足首が消えるのを待たずに折姫のもとへ向かうが──。


 家鳴りはぽとりと、折姫の膝にのった。


「い、やだいやだいやだ……! 折姫!」


 折姫は、カヲルの絶望をふくんだ声に間に合わないのだと悟る。頭上から落ちてくる足裏を見上げ、右手のひらを掲げた。鬼には無意味な行為であったが、その袖についていた花びらに、折姫の危機が伝わった。

 別れ際に抱きしめ、ついた花びらだ。



 ぐしゃり。



 板間を破り沈んだ足首をカヲルが薙ぎはらう。

 カヲルは折姫と目が合った。折姫は大きな足跡のふちで、無傷で泣いていた。


「カヲル……、シオン、が……」


 墨の帳が明け、夕陽が射し込む足跡を見下ろす。

 壊滅した幹や折れた枝を隠すように、大量の桜の花びらが血溜まりのように広がる。小鳥が枝を揺らすような、パキパキとした音がわずかに残っていた。


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