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おりひめと蠱毒の後宮  作者: 紫 はなな
桜の御息所
26/60

二十六折

 八つ刻の紫宸殿。

 高御座の下でふたりの男が声を荒げていた。


「春の君、春の君……!」

「どうしたってまたこんな大事な日に」


 左の桜。右の橘。

 ふたつの紋様が目にうるさい。

  

 左大臣と右大臣はミカドに詰め寄りすぎて、互いの額を小突きあった。


「いてて……っ、ああもう、春の君といい、折姫といい」

「折姫?」


 右大臣の問いにミカドの肩が微かに揺れる。

 左大臣は頭をかきむしりながら言った。


「今日の神事、観ていなかったのか? 春の君が祝詞を間違え、神の機嫌を損なわせた。適当に供饌を折ってくれと折姫に頼めば、上がったのは四角く折っただけの油揚げ。それもズレてるときた。なかなかの地獄であったぞ」

「……たしかに、御所の気が乱れているような」

「ですから、主上不在の今、結界を見直さねば!」

「任せるよ」

「春の君……! ああもう、薫の君はいずこへ!」

「ここでーす」


 パタリ、倒れ込む。

 主上に付き添い中宮を御用邸へ送り届けたはいいが、中宮の濃い瘴気に異形が集まり、夜通し刀を振り回していた。さて帰ろうかと御所を目指すも、ぼろぼろの近衛兵を山賊に狙い撃ちにされる始末。


「無事であったか」


 ミカドが吐き捨てる。


「今、舌打ちしなかった?」

「ちょうどよかった、話がある」

「舌打ちしたよね。舌打ちだけは許せないなあ」

「うるさい」


 カヲルの襟足をもってずるずると奥へ消えていく。


「春の君! 話しは終わっていません!」

「まあまあ、今は私たちのできることをしましょう」


 諦めきれぬ左大臣に、それをなだめる右大臣。

 その下にも殿上人が不安気に口ばかり動かしている。


「主上も我々も、あの子たちに頼りすぎだ」


 右大臣は御所の地図を広げ、ひとり考えあぐねた。




 ミカドが向かった先は薔薇の壺の湯殿であった。


「あー、もう! お前の空間術式、疲れてるとめまいする」

「うるさいし、血生臭い。さっさと返り血を落とせ」

「なんでお前も入るの!? 為事しろ為事ー!」

「話しがあると言った」


 言い争ってはいても皇子。湯に浸かるときは水飛沫をあげない。


「はあー。生き返るー。……で、話しってなに」

「ふられた」

「へぇ。──は? ええ?」


 カヲルはじととミカドを見据えた。

 なるほど、いつもある目の下の深いクマが、紅を滲ませたようにただれている。


「……そうかよ」

「それで、折姫に折った御守りの効力がなくなった」

「はあ? お前馬鹿なの? 俺だけじゃなくて、ほかの男に襲われたらどうすんだよ」

「でも、もう折れない。だからカヲルが護ってやって」

「なんだよそれ」


 御所にはカヲルの武力に勝るものはいないが、理性との戦いには本人がいちばん勝てる気がしない。


「あ──────! もう、疲れてんだよ俺は!」


 両腕を岩肌に投げ出す。右手が震えた。柄を握りすぎたのだ。


「ミカド、俺はじめて、生身の人間を斬ったよ」

「そうか。つらいか」

「いや、怨霊と変わらん。なにも感じない。それがつらい」


 ──人を斬るために生まれた。


 カヲルが齢五歳の春、主上が言い放った。近衛大将になるべくして生まれたのだと、周りも褒め称えた。

 カヲルは嬉しくなかった。

 主上のような陰陽師になりたかった。

 それなのにミカドと同じ口伝を受けられず、刀ばかり握らされた。握るたびに思い知らされた。 

 自分が極めるべき道なのだと。


 ミカドはさらりと言う。


「悪いが今は、慰められない」

「間の悪いことで。己れでどうにか立ち直るから、お前もいいかげん為事に戻れ」

「御所は護るよ。明日くらいから」

「今すぐやれよ」

「今夜は無理なんだ」

「はあ? なんで──、ああ! そうかお前、泣いたのか!」

「うるさいよ」


 ミカドの精神の核たる陰陽は均一で乱れのない、水面のようだ。だがそこに涙が垂れると、容易に波紋を広げ、泣けばなくほど水面は乱れた。陽を遮り、すべての霊力が陰へ傾くと、自ずと闇の精霊を喚んでしまう。

 それを引き起こしたのは、人生でたった一度だけ。

 母の死だった。

 桜の御息所の怨霊が彷徨うなか、カヲルのはじめての役は、腐った死体をバラバラに斬り捨てることだった。


 闇の精霊は土に埋めた死体を掘り起こし、傀儡にして彷徨わせる。傀儡は刀で斬りはらえばよかったが、精霊は違う。精霊を還すためには恐ろしいほど霊力を剥ぎ取られるため、当時太刀打った主上はしばらく寝込んだ。

 

「精霊はどうしたよ」

「還した」 さらりと言う。

「だがそれだけで霊力が尽きた」 

「当然だろうよ」

「傀儡は春宮御所へ閉じ込めてあるから、いつかよろしく」

「やだよ。なにその無益な戦い」

「俺だって情けないよ。これで少しでも眠れたらいいのに」

「おっ、殴ってやろうか?」


 ふたりのやり取りはそこで潰えた。

 鼓膜を撃ち破るような警笛音が、御所を突き抜けた。

 




 *





 少し刻を遡り、薔薇の壺。

 供饌のやり直しを命ぜられた折姫は、カリナと膝をつきあわせひたすらに折っていたのだが、


「あー、もう! やめ、やめ!」


 カリナが先に匙を投げた。


「こんなの捧げたら天罰がくだるわよ。今日はおやすみ、息抜きに果物かしでも食べましょう」


 目の前にぶどうの房をみせつけられ、わずかに自分を取り戻した折姫は、板間に散らばった紙クズを見て愕然とした。

 何かしらに折られた折り紙たちは、形を成せず、シワのない紙に戻りたがっていた。


「ごめんね」

 

 自分で巻いた種だが、まさかこんなにも打ちのめされるとは、思っていなかった。まるで行き場のない「衣折」が道を塞いでいるようだった。


 だからといって、もう戻れない。


「もったいないので紙屋院へ持って行きます」

「はい、行ってらっしゃい」


 折姫は包み布へ紙を広い集めると、シオンを喚んだ。

 今日のシオンは機嫌が悪いのか朝からずっと黙している。いつもはうるさすぎるくらいなので、助かるが何があったのか。


「行きずりの桜に失恋でもしたの?」

「失恋……? 姫様の口から、失恋などと、冗談でも言わないでください!」

「主人に八つ当たりしないでくれる!?」


 シオンは折姫を紙屋院へ送り届けると、すぐに消えてしまった。

 紫宸殿に近い書殿では、書物の保管所の横で使えなくなった古紙を復元する紙屋院がある。見知った女官をみつけ、ぶどうひと房とともに折り紙を託した。


「少しお待ちいただければ、お渡しできますが」

「ではお願いします」


 折姫は庭へ目を移し、不意を食らった。


「彼岸花……?」

「ああ、この殿舎では蔵所を護るために気温を下げています。そのせいか、毎年早咲きなのですよ」

「そう。とっても綺麗……」


 頭を垂れながら女官が下がる。

 折姫はしばし見惚れた。庭を埋め尽くす一色の花。鮮やかな紅に魂までが惹き込まれてしまいそうだ。

 ミカドの唇もそんな色をしていた。


「……あーあ。なんにも、変わらないや」


 結局、ミカドのことを考えている。

 自分の首をしめただけだった。


「何が変わらない。私には、とても変わったように見えるがね」

「あなたは……!」


 折姫は左手を庇うようにして間をとった。

 紫の袍──、内大臣だ。


「今までどこに隠れていたのですか。みんな探していました」

「結界だらけでねぇ、出るに出られない。それがどうした、今日の御所はあちこち穴だらけじゃないか。こんなことでは、ほら──」



 一輪の彼岸花に火が灯る。



「鬼火が、書物を啖うぞ」



 火を灯した彼岸花が爆ぜ、花火のように火花が散った。火花は周りの彼岸花に燃え移り、また爆ぜた。爆ぜれば広がる火花の花。

 

「あぁ、ほら。ぼうっとしているから」


 爪先ほどにみえた火花が、一斉に火柱をあげた。



 ──ぼう



 その爆風は庭の塀をのぼり、外へもれるほどの勢いだった。とうぜん、ちいさな折姫の身体は吹き飛ばされ、背中を向けていた柱に身体を打ちつけた。柱の角で折れた右手があらぬほうを向いている。

 

「呆気のない。ひとりでは何もできない、ただの小娘ではないか」


 その男は軽々と折姫を抱き上げた。


「だが今や高嶺の花。ああ──。悔恨にかられた、みなの顔が愉しみだ」


 折姫は混濁した意識のなかで、男の唇の詠唱を読んだ。転移術──、唇が閉じれば、どこかへ連れ去られてしまう。わずかに動く左手で袖をたぐり、もはや感覚のない右手を、男へ引き寄せた。



「な、んだ、これは────?」



 男は折姫を落とすと、胸をおさえうずくまった。袍に手のひらの呪符を押したのだ。わずかに心臓からずれたが、脅かすにはじゅうぶんだった。折姫は身体を板間に打ちつけながらも、左手を袖のなかへ入れた。乾いた紙の感触を手繰る。

 男は胸を焦がす呪符に悶絶しながらも、声高らかに笑った。


「やはり、すぐに殺したほうがよさそうだ」


 男は懐から薙刀を取り出した。刃身に炎の色が映り、やけにまぶしい。折姫は目を瞑り、手のなかの折り紙を握りつぶした。



 鳩の断末魔が屋根をつきぬける。



 折姫が再び自分を取り戻したのは、冷や水を浴びせられたわずか数秒後のことだった。


「おり、ひめ……? うそだろ、おい……!」


 カヲルにきつく抱きしめられながら気づいた。

 胸の御守りに効力がないこと。

 それは、水を浴びたからではないこと。内大臣に抱き上げられた時にはもうすでに、意味をなさなかった。


 カヲルの肩越しに、ミカドが見えた。


 ミカドは白い犬のようなものにまたがり、殿内を走り回っていた。ミカドが駆け抜けた回廊は水が渦を巻いて火を絡めとっていく。


「ヒコ、さっそく助けてくれてありがとう」

「まったくだ」

「カヲル。……あとは、頼んだよ」


 ミカドはふたりを一瞥すると、殿舎を出て行った。

 入れ替わりに近衛兵が詰めかける。



 ──まるで、捨て猫みたい。



 折姫の瞳はうつら、うつらと閉じながら、少しずつ虚無に染まっていった。

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