二十折
蔀戸の先は、いつしか花宴でコマをひろげた紫陽花殿であった。折姫が立っているのは高御座の下の御帳台のあった御座で、前後の几帳以外取り払われ、広い畳場になっていた。その中心でカヲルが頭を下げて待っている。
「すまない。力を貸してくれ」
「一体どうしたの」
「御所は今、昼日中でも魑魅魍魎がウジのようにわいてでる。昨日俺を護ったように、折り紙の力でみなを護ってほしい」
「それは構いませんが……」
なぜ頭を下げる必要があるのか。
「率直に言う。今日、折姫にはこの御所の人間全員に顔を晒してもらう。本来ならば、主上以外に見せてはならない顔を、くまなく全員にだ」
「カヲルは毎日見てるじゃない」
「ああそうだな。俺でさえ、ほかの男にお前の美しさを知られるのは腹立たしいよ。己れの不甲斐なさに吐き気すら覚える」
帳台から下を見下ろすと、高官からずらりと男ばかりが並んでいた。
「昨夜、俺の部下だけで十人あまり、死んだ。折姫の力が必要なんだ」
尚も頭を下げるので、折姫はその滑らかな金髪を撫でた。
「よし、よし。つらいね。つらかったね」
「んん? うん……」
「私、がんばるから。カヲルはそばで見ていて」
折姫は積み上げられた折り紙を一枚取った。
カヲルが呼んだひとり目の名は、左大臣。
だが折姫はできるだけ多くの太政官を招き入れるように言った。
そうすると左大臣の後ろ手には上達部だけではなく、以下の殿上人が控える錚々たる顔ぶれとなった。みな若々しい壮年だ。貺都に年寄りはいないのか。
「左大臣様、お久しぶりでございます」
「ご機嫌よう。昨夜は色々とあったようですな」
すべてを見透かしたような、含んだ笑みをみせる。シワのない、猫のように愛嬌のある笑みだ。
鯉に執拗であったのに、その件に触れてこないのは、それ以上の災難があったからか。
今は、考えごとの時間ではない。
折姫ははっきりと訊ねた。
「お名前をお教えください」
「常治と申します」
「真名を、お教えください」
「……ハルだ」
折姫は筆を走らせるだけで、偽りの名を暴いた。
「人を集めて真名を語らせるとは、どれほど無礼なことかお分かりか」
「分かっております。好きな動物はいますか」
「生き物は好かん」
「ネコでは?」
「……あれは、式神だ。好きで使役していない」
後ろに並ぶ二本足のネコたちの耳が、一斉にしおれる。
「では、ハル様には瓶子を」
ひょうたん型の御守りを差し出す。
折姫は、せっかくひとりひとり顔を合わせて折るのだからと、その人の好きなものを折ることにした。思いやりから初めたことだが、それを繰り返していると、当人の好みさえも見透し始めていた。
御守りとして折られた動物は、刻まれたその名に従順に動く。
瓶子ならば、傾ければ水がとめどなく流れてくる。酒ではない、瘴気を消す聖水だ。
左大臣は折り終わった御守りを手に取ると深々と頭を垂れ、下々を驚かせた。瞬時にすべてを悟る左大臣もまた、凄腕の陰陽師である。
「無礼は私のほうであった。どうかお許しを」
「いえ。飲み過ぎにはお気をつけくださいませ」
「これは参った!」
紫陽花殿に左大臣の笑い声が轟き騒然とする。
「右大臣にも見せてやりたかったな」
「本日はいらっしゃらないのですか」
「右大臣はこの御所の守護神、水神の審神者だ。このただならぬ事態、水神の神託を受けるために、ひとり祭祀へ向かっている」
「ほう、審神者」
はにわ? みたいな惚けた顔をする。
左大臣は、からからと笑って見せた。
「面白い人だ。式神たちも、気に入るはずだ」
再び後ろを見ると、並ぶネコのなかに、手を振るものがいた。
毎日シオンが掃除に使役するネコだ。
「左大臣様は、ネコ使いであらせましたか」
「式神使いだ。あまりこき使ってくれるなよ?」
それから無礼の詫びにと、左大臣の取りまとめにより、効率よく事が進み始めた。良好な滑りだしといえよう。
昼日中には太政官と近衛兵の名を書き終え、おにぎり休憩をはさむことができた。
「おにぎり、握ってもらってよかった」
「俺にもひとつくれよ」
「はい、おかか」
隣に控えていたカヲルもまた、伝令文を書きながら口でも指示をして、忙しそうにしている。大きなおにぎりをふたくちで食べ終えると、水で流し込み、また筆を握った。
「カヲルは、偉いの」
「偉いぞ? 俺は近衛大将だ。御所を護る近衛兵の長。大臣に次ぐ主上の側近といえばわかるか」
「そう。主上の」
では、主上の側近であるカヲルのそばに立つあの人は、何の役を担うのか。
──ふたりは御所に咲く、対の花。
少しずつ、点が線で結ばれていく。
「さて、後半戦がやっかいだな。後宮女人はひとりとして邸から出てこない。こちらから出向くか」
「シオンを喚びますか」
折姫は昨日、ミカドのようにシオンを喚び、転移をしてみたいと密かに胸を躍らせていた。
「では、俺は女御たちへ先に断りを入れるから、少し待っていろ」
そう言って矢文の準備を始める。
待っている時間も忍びない。折姫もまた筆をとり、御守りを折った。昨日水に溶けたカヲルのぶんだ。カヲルが好きなものは、
「……桜? 枝垂れ桜」
「うん? どうした」
「御守り、作り直しているの。カヲルの好きなものを教えて」
「好きなものか。今ならビワかな。いややっぱり杏子がいいな」
杏子か。花が似ているから間違えたのだろう。今日でだいぶ占力を鍛えられたと思ったのだが、まだまだ修行が足りないと、折姫は肩を落とした。
カヲルを呼ぶ近衛の声がする。
「少し席を外す」
「はい」
丸いだけの果物だが、丁寧に折った。あとひと折というところで、男の手がぬっ、とのびた。
火花が散る。
「おお、これはなかなか」
折姫は隅まで後退った。
カヲルに折った御守りに触れて火花が出たのだ、少なくとも味方ではない。
「厄介な力だ」
「どなたですか」
御所の男の顔は先ほどみな憶えた。黒髪を肩まで乱す、目の前の男を折姫は知らない。着崩した紫の袍の色も目新しい。
男はなぜわからない、という様子で嘲笑った。
「私? 内大臣だよ。君のほうこそ名前を教えて欲しいなあ。ほら、──真名を」
「私の名、は」
そろり近づく男の目を見ていると、舌が勝手に動きそうだ。光のない、濁った泥のような目。唇は血を啜ったように紅い。少し、ミカドに似ているような。
折姫はきゅ、っと唇を結んだ。
「ほう、言わないか。ますます邪魔な女だ。ではその力を奪うしかあるまい」
内大臣を名乗る男はすんなりと間合いに入ったが、少し驚いた様子で手をかざした。折姫の懐の御守りがぼう、と灯る。
「ミカドか。まあいいだろう」
次には、折姫の手首をとった。強い傷みとともに肉を焼け焦がすような煙があがる。
「痛い……!」
「ふふ、カリナにはわかるかな。楽しみだね」
「カリナ……?」
男は何食わぬ顔で帳台を出て行った。
入れ違いで戻ってきたカヲルは、すれ違った男の影に気づかない。
「カヲル、追いかけて!」
「どうした、なにかあったか」
「今出て行った男のひとよ! 急に入ってきて、手をつかまれたの!」
「男……?」
「内大臣って言ってた」
「その官位は何年も前に──」
はっ、としたカヲルが帳台の外へ顔を出すが既に男の気配はない。それより折姫の様子が気にかかった。左手首をおさえひどく震えている。念のため従えていた近衛にミカドを呼ぶよう伝え、内へ戻った。
「怪我を負わされたのか。見せてみろ」
差し出された腕を左手で支え袖をめくると、折姫の細い手首にぐるりと模様のような火傷が刻まれていた。
呪禁の紋様だ。男を惑わす。
「あ。死ぬ」
カヲルは両手で目を覆ったが、遅かった。
「死ぬやつだ、これ」
「私、死ぬの!?」
「俺が死ぬ。脳みそ吹き飛ばして死ぬ」
「ではよかったな、間に合った」
ミカドが言った。言い終わりにカヲルを蹴り倒していた。目が飛び出るとはこのことだ。
「ミカド様! ぼ、暴力はいけません!」
「あなたは手首を隠して。取り敢えずはこの護符で傷口を覆うんだ」
「は、はい」
受け取ろうと手をのばすとミカドは持っていた護符を振り落とし、袂で顔を隠した。
「急いで」
折姫は慌てて宙に泳ぐ護符をつかみ、手首に被せた。少しひんやりとしたが、熱は帯びたままだ。息をとめていたのか、ミカドは胸を上下させた。
「ああダメだ。匂いが残るな。これは、かなりまずいことになった」
「なにがです」
カヲルが頭を振って起き上がった。
「男の本能を呼び覚ます呪禁だ。あー、危なかった、ありがとな」
綺麗な顔が半分腫れあがっているのに、どういう譯かミカドに感謝している。
「カヲル、大丈夫? 頭打った?」
「折姫はしゃべるな。こっち見んな。男がその火傷を見ると盛りのついた犬みたいになるんだよ」
「焼き付けたあとの匂いもひどい。今日しばらくは消えんぞ」
「お互い、鼻の骨でも折っとくか」
「そうだな」
真面目な顔をして言っている。
「あの、ミカド様。私は、どうしたら……?」
「今日のところは桜の壺へ下がってもらおう。シオンを喚んで、処置は帰ってから慎重に」
「待て」
カヲルがミカドの話を遮る。
「お前、ちょっと惑わされてない?」
「なぜだ。桜の壺の結界は、昨夜も破られなかったほどだぞ。御所で最も安全だ」
「はい、それ。安全なの、お前以外にだろ。ネコになれば桜の壺へ入れるお前が、夜這いしないという確固たる証拠を示せ」
ややあって、ミカドはきっぱりと言い放った。
「ない」
「ほらぁ! どうすんだよ、夜は長いぞ」
「互いに見張るしかない」
「殺し合いになるわ」
「お前を殺せばいいのか。やりかねんな」
「おっと? その勢い、まずいなあ。そろそろ一発殴っとく?」
「頼む」
ふたりとも思慮深いようで、愚策ばかりでまともに話しが出来ていない。殴り合いになる前にと、折姫はシオンの名が書かれた紙を取り出し、喚んでみた。
「御用ですか姫さま!」
呪禁の効果か、抱きついてきたので折姫自ら蹴りとばした。立派な暴力だ。
「ひどい! 春風にもなぶられたことないのに!」
「考えたのですが、後宮に女性の陰陽師はいらっしゃらないのかしら」
「陰陽師? もちろん、おりますよ。その道に最も精通していらっしゃるのは、薔薇の壺の女御ですかねえ」
「ではそこへ」
折姫は不思議と冷静だった。初めての使役と転移をなんなくこなしてみせた。




