表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
おりひめと蠱毒の後宮  作者: 紫 はなな
桜の御息所
20/60

二十折

 蔀戸の先は、いつしか花宴でコマをひろげた紫陽花殿であった。折姫が立っているのは高御座の下の御帳台のあった御座で、前後の几帳以外取り払われ、広い畳場になっていた。その中心でカヲルが頭を下げて待っている。


「すまない。力を貸してくれ」

「一体どうしたの」

「御所は今、昼日中でも魑魅魍魎がウジのようにわいてでる。昨日俺を護ったように、折り紙の力でみなを護ってほしい」

「それは構いませんが……」


 なぜ頭を下げる必要があるのか。


「率直に言う。今日、折姫にはこの御所の人間全員に顔を晒してもらう。本来ならば、主上以外に見せてはならない顔を、くまなく全員にだ」

「カヲルは毎日見てるじゃない」

「ああそうだな。俺でさえ、ほかの男にお前の美しさを知られるのは腹立たしいよ。己れの不甲斐なさに吐き気すら覚える」


 帳台から下を見下ろすと、高官からずらりと男ばかりが並んでいた。


「昨夜、俺の部下だけで十人あまり、死んだ。折姫の力が必要なんだ」


 尚も頭を下げるので、折姫はその滑らかな金髪を撫でた。


「よし、よし。つらいね。つらかったね」

「んん? うん……」

「私、がんばるから。カヲルはそばで見ていて」


 折姫は積み上げられた折り紙を一枚取った。

 カヲルが呼んだひとり目の名は、左大臣。


 だが折姫はできるだけ多くの太政官を招き入れるように言った。

 そうすると左大臣の後ろ手には上達部かんだちめだけではなく、以下の殿上人てんじょうびとが控える錚々たる顔ぶれとなった。みな若々しい壮年だ。貺都に年寄りはいないのか。


「左大臣様、お久しぶりでございます」

「ご機嫌よう。昨夜は色々とあったようですな」


 すべてを見透かしたような、含んだ笑みをみせる。シワのない、猫のように愛嬌のある笑みだ。

 鯉に執拗であったのに、その件に触れてこないのは、それ以上の災難があったからか。

 今は、考えごとの時間ではない。

 折姫ははっきりと訊ねた。

   

「お名前をお教えください」

常治ツネハルと申します」

「真名を、お教えください」

「……ハルだ」


 折姫は筆を走らせるだけで、偽りの名を暴いた。


「人を集めて真名を語らせるとは、どれほど無礼なことかお分かりか」

「分かっております。好きな動物はいますか」

「生き物は好かん」

「ネコでは?」

「……あれは、式神だ。好きで使役していない」


 後ろに並ぶ二本足のネコたちの耳が、一斉にしおれる。


「では、ハル様には瓶子を」


 ひょうたん型の御守りを差し出す。

 折姫は、せっかくひとりひとり顔を合わせて折るのだからと、その人の好きなものを折ることにした。思いやりから初めたことだが、それを繰り返していると、当人の好みさえも見透し始めていた。

 御守りとして折られた動物は、刻まれたその名に従順に動く。

 瓶子ならば、傾ければ水がとめどなく流れてくる。酒ではない、瘴気を消す聖水だ。


 左大臣は折り終わった御守りを手に取ると深々と頭を垂れ、下々を驚かせた。瞬時にすべてを悟る左大臣もまた、凄腕の陰陽師である。


「無礼は私のほうであった。どうかお許しを」

「いえ。飲み過ぎにはお気をつけくださいませ」

「これは参った!」


 紫陽花殿に左大臣の笑い声が轟き騒然とする。


「右大臣にも見せてやりたかったな」

「本日はいらっしゃらないのですか」

「右大臣はこの御所の守護神、水神の審神者さにわだ。このただならぬ事態、水神の神託を受けるために、ひとり祭祀へ向かっている」

「ほう、審神者」


 はにわ? みたいな惚けた顔をする。

 左大臣は、からからと笑って見せた。


「面白い人だ。式神たちも、気に入るはずだ」


 再び後ろを見ると、並ぶネコのなかに、手を振るものがいた。

 毎日シオンが掃除に使役するネコだ。


「左大臣様は、ネコ使いであらせましたか」

「式神使いだ。あまりこき使ってくれるなよ?」


 それから無礼の詫びにと、左大臣の取りまとめにより、効率よく事が進み始めた。良好な滑りだしといえよう。


 昼日中には太政官と近衛兵の名を書き終え、おにぎり休憩をはさむことができた。

 

「おにぎり、握ってもらってよかった」

「俺にもひとつくれよ」

「はい、おかか」


 隣に控えていたカヲルもまた、伝令文を書きながら口でも指示をして、忙しそうにしている。大きなおにぎりをふたくちで食べ終えると、水で流し込み、また筆を握った。


「カヲルは、偉いの」

「偉いぞ? 俺は近衛大将だ。御所を護る近衛兵の長。大臣に次ぐ主上の側近といえばわかるか」

「そう。主上の」


 では、主上の側近であるカヲルのそばに立つあの人は、何の役を担うのか。


 ──ふたりは御所に咲く、対の花。


 少しずつ、点が線で結ばれていく。


「さて、後半戦がやっかいだな。後宮女人はひとりとして邸から出てこない。こちらから出向くか」

「シオンを喚びますか」


 折姫は昨日、ミカドのようにシオンを喚び、転移をしてみたいと密かに胸を躍らせていた。


「では、俺は女御たちへ先に断りを入れるから、少し待っていろ」


 そう言って矢文の準備を始める。

 

 待っている時間も忍びない。折姫もまた筆をとり、御守りを折った。昨日水に溶けたカヲルのぶんだ。カヲルが好きなものは、


「……桜? 枝垂れ桜」

「うん? どうした」

「御守り、作り直しているの。カヲルの好きなものを教えて」

「好きなものか。今ならビワかな。いややっぱり杏子がいいな」


 杏子か。花が似ているから間違えたのだろう。今日でだいぶ占力を鍛えられたと思ったのだが、まだまだ修行が足りないと、折姫は肩を落とした。

 カヲルを呼ぶ近衛の声がする。


「少し席を外す」

「はい」

 

 丸いだけの果物だが、丁寧に折った。あとひと折というところで、男の手がぬっ、とのびた。

 火花が散る。


「おお、これはなかなか」


 折姫は隅まで後退った。

 カヲルに折った御守りに触れて火花が出たのだ、少なくとも味方ではない。


「厄介な力だ」

「どなたですか」


 御所の男の顔は先ほどみな憶えた。黒髪を肩まで乱す、目の前の男を折姫は知らない。着崩した紫の袍の色も目新しい。

 男はなぜわからない、という様子で嘲笑った。


「私? 内大臣だよ。君のほうこそ名前を教えて欲しいなあ。ほら、──真名を」

「私の名、は」


 そろり近づく男の目を見ていると、舌が勝手に動きそうだ。光のない、濁った泥のような目。唇は血を啜ったように紅い。少し、ミカドに似ているような。

 折姫はきゅ、っと唇を結んだ。


「ほう、言わないか。ますます邪魔な女だ。ではその力を奪うしかあるまい」


 内大臣を名乗る男はすんなりと間合いに入ったが、少し驚いた様子で手をかざした。折姫の懐の御守りがぼう、と灯る。


「ミカドか。まあいいだろう」


 次には、折姫の手首をとった。強い傷みとともに肉を焼け焦がすような煙があがる。


「痛い……!」

「ふふ、カリナにはわかるかな。楽しみだね」

「カリナ……?」


 男は何食わぬ顔で帳台を出て行った。

 入れ違いで戻ってきたカヲルは、すれ違った男の影に気づかない。


「カヲル、追いかけて!」

「どうした、なにかあったか」

「今出て行った男のひとよ! 急に入ってきて、手をつかまれたの!」

「男……?」

「内大臣って言ってた」

「その官位は何年も前に──」


 はっ、としたカヲルが帳台の外へ顔を出すが既に男の気配はない。それより折姫の様子が気にかかった。左手首をおさえひどく震えている。念のため従えていた近衛にミカドを呼ぶよう伝え、内へ戻った。


「怪我を負わされたのか。見せてみろ」


 差し出された腕を左手で支え袖をめくると、折姫の細い手首にぐるりと模様のような火傷が刻まれていた。

 呪禁の紋様だ。男を惑わす。


「あ。死ぬ」


 カヲルは両手で目を覆ったが、遅かった。


「死ぬやつだ、これ」

「私、死ぬの!?」

「俺が死ぬ。脳みそ吹き飛ばして死ぬ」

「ではよかったな、間に合った」


 ミカドが言った。言い終わりにカヲルを蹴り倒していた。目が飛び出るとはこのことだ。


「ミカド様! ぼ、暴力はいけません!」

「あなたは手首を隠して。取り敢えずはこの護符で傷口を覆うんだ」

「は、はい」


 受け取ろうと手をのばすとミカドは持っていた護符を振り落とし、袂で顔を隠した。


「急いで」


 折姫は慌てて宙に泳ぐ護符をつかみ、手首に被せた。少しひんやりとしたが、熱は帯びたままだ。息をとめていたのか、ミカドは胸を上下させた。


「ああダメだ。匂いが残るな。これは、かなりまずいことになった」

「なにがです」


 カヲルが頭を振って起き上がった。


「男の本能を呼び覚ます呪禁だ。あー、危なかった、ありがとな」


 綺麗な顔が半分腫れあがっているのに、どういう譯かミカドに感謝している。


「カヲル、大丈夫? 頭打った?」

「折姫はしゃべるな。こっち見んな。男がその火傷を見ると盛りのついた犬みたいになるんだよ」

「焼き付けたあとの匂いもひどい。今日しばらくは消えんぞ」

「お互い、鼻の骨でも折っとくか」

「そうだな」


 真面目な顔をして言っている。


「あの、ミカド様。私は、どうしたら……?」

「今日のところは桜の壺へ下がってもらおう。シオンを喚んで、処置は帰ってから慎重に」

「待て」


 カヲルがミカドの話を遮る。


「お前、ちょっと惑わされてない?」

「なぜだ。桜の壺の結界は、昨夜も破られなかったほどだぞ。御所で最も安全だ」

「はい、それ。安全なの、お前以外にだろ。ネコになれば桜の壺へ入れるお前が、夜這いしないという確固たる証拠を示せ」


 ややあって、ミカドはきっぱりと言い放った。


「ない」


「ほらぁ! どうすんだよ、夜は長いぞ」

「互いに見張るしかない」

「殺し合いになるわ」

「お前を殺せばいいのか。やりかねんな」

「おっと? その勢い、まずいなあ。そろそろ一発殴っとく?」

「頼む」


 ふたりとも思慮深いようで、愚策ばかりでまともに話しが出来ていない。殴り合いになる前にと、折姫はシオンの名が書かれた紙を取り出し、喚んでみた。


「御用ですか姫さま!」


 呪禁の効果か、抱きついてきたので折姫自ら蹴りとばした。立派な暴力だ。


「ひどい! 春風にもなぶられたことないのに!」

「考えたのですが、後宮に女性の陰陽師はいらっしゃらないのかしら」

「陰陽師? もちろん、おりますよ。その道に最も精通していらっしゃるのは、薔薇の壺の女御ですかねえ」

「ではそこへ」


 折姫は不思議と冷静だった。初めての使役と転移をなんなくこなしてみせた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ