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おりひめと蠱毒の後宮  作者: 紫 はなな
芙蓉の鯉
18/60

十八折

 シオンは桜の精霊。

 桜のあるところ、どこへでも姿を移せる。そのため御所には至るところに桜の木が植えられていた。


 総身を包んでいた花びらが消え、折姫が目を開けると、ひとりで桜の壺に立っていた。

 ミカドもシオンもいない。

 重い着物をひきずり湯殿へ向かうと、熱い湯に長めに浸かった。湯に浸かると、全身を這っていた女の髪の感触が不思議と消えるようだった。

 

「私たちを閉じ込めたのは、ミカド様じゃなかった……」


 冷静に振り返ってみると、ミカドの焦燥とした声音が耳から離れない。

 ミカドが鯉の餌にしたかったのは、女御への怨念を詰め込んだ傀儡。身の安全を考えたうえでの、策であったのだ。

 だがそれならそうと、言ってくれたらいいのにと、何度も不満を抱くあたり、自分はやはり根にもつタイプなのだと自嘲する。


 湯浴みを終えてあがると単衣の上に、いつしか折姫が星桜シオンと書き綴った紙が、新しい御守りと共に置かれていた。

 それらを慈しむようにしっかりと懐に挟み込んで、帳台へ向かう。お腹は空いていたが、今すぐに眠りたい。湯は疲れまではとっていってくれなかった。翌朝、いつもの時間に出仕できるか不安を抱く。


「あ」


 短く声が漏れた。

 晒しものになる務めは今日で終わったのだ。

 子どもたちと戯れる出仕もまた、今日で終わりなのだろうか。


「シオン。……また、私はここに閉じ込められるの?」

「怖い思いをしたのに、まだ外に出たいと?」


 庭の桜を見上げていると、その下で未だ狩衣姿のまま、ミカドが胡座をかいていた。


「ミカド様!」

「今日は、お付き合いいただけませんか」

「今夜はさすがに──」


 折姫の目が光った。

 瓶子の横で、燻した牛肉が皿にのって「食べて!」と訴えてくる。

 若干、肉寄りに座り込む。


 ミカドは力なく笑った。


「どうぞ」

「いただきます!」


 御所での食肉は十年ほど前に解禁されたばかりで、今でもあまり膳にのぼらない。月に一度、口に入ればよいほうだ。

 折姫は、久方ぶりに味わう甘い肉汁で、疲れを吹き飛ばした。


「美味しい──────!」

「よかった」


 ミカドは手酌した酒をやおらに口に運んだ。

 瞼が半分落ちている。

 御所のあちこちに転移したあとで、あんなに恐ろしい鬼を使役したのだ。相当お疲れなのだと、折姫は心でうなずいた。

 相変わらずお酌ができていないのだから、やることはひとつ。最後の一枚を口に放り込むと、ミカドの後ろに回った。


「お肉のお礼に、肩をお揉みします」

「いや、いいよ。あなたのほうこそ疲れているだろうに」

「では、少しだけ」


 折姫はミカドの肩に指を這わせながら、遠慮がちに訊ねた。


「鯉が居なくなったあとも、芙蓉殿の出仕を続けてもよろしいでしょうか」

「もちろん。そうでなくては困るよ、御子たちはあなたにすっかり御執心だ」


 顔を綻ばす。

 その言葉を聞けただけで、今日はよく眠れそうだ。

 

「よかったです」

「ああ、でも明日は休みなさい。乳母には言っておくから」

「でも、お庭に昨日の雨が残っていれば、明日は泥遊びができますよ!」

「折姫も泥に入るの?」

「はい!」

「元気だなぁ」


 とろん、とした目で見上げてくる。

 心の臓がはやまるのと同時に、手の力も入った。


「んっ」

「痛かったですか!?」

「……いや、気持ちいいよ。ご褒美はなにがいい?」

「ご褒美! ですから肩もみは、お肉のお礼です」

「鯉を滅した褒美だよ。……カヲルに、衣裳を仕立ててもらおうか」

「カヲルに? 派手な袿はちょっと」


 開いて見ていないが、以前届けられた衣裳は金糸で縫われ、陽のなかでやけに眩しかった記憶がある。


「では化粧箱? 上質な墨?」

「もういただいてます」

「わかった。もっと優秀な舎人だ!」

「ふふ、それはちょっとだけ欲しいです」

「だってさ、シオン。もっと努めろよ」


 酔いがまわっているのか、子どものようにくだけて話す。

 身体も起きているのがやっとで、指で押し返さなければ、倒れ込んできそうだ。

 そろそろ休んだほうがいいと、声をかけようとしたときだった。

 睡魔を祓ったように、いつもの調子で語り始めた。


「折姫は、蠱毒を知ってる?」

「蠱毒。聞いたことがありません」

「ひとつの壺に毒虫や蛇をたくさん入れて、最後に生き残ったものが、蠱毒。それを利用して、人を呪い殺す禁術さ」

「毒殺、ですか」

「もっとタチの悪い呪いだ。蠱毒の毒を盛られた人間は、死んでも御霊を苦しめられる。鯉に啖われた女御たちもまた、鯉の腑に閉じ込められたまま、長年苦しんでいた」


 遠くで彼女らの御霊を鎮める主上の祈祷が、ミカドの耳には聞こえた。


「鯉は、蠱毒だった。蠱毒が滅せられたことで、女御たちは解き放たれ、夜御殿に染み付いた怨念も晴れた。芙蓉殿はようやくに生け簀の役目を終える。泥遊びも何の心配もなく愉しめるだろう。すべては、あなたのおかげだ」

「いえ。私は、そんな──。晒しものになっただけで」


 つい、口をつく。


「晒しもの、か」


 ミカドは折姫から離れると、濡れた縁に膝を揃え、手をついた。


「ほんとうに、すまないことをした。ふた月も女たちの目に晒し、傷つけ、最後は命に危険が及ぶような、怖い思いをさせてしまった」


 折姫は膝ごと飛びあがった。


「み、ミカド様! おやめください! こうして無事でしたし、作戦も成功をおさめました」

「作戦? 私はあなたを助けるために走り回り、呪をつぶやいただけだ。成功? 鯉を封じるには長い時間祈祷を続けなければならない。あのまま水のなかに居れば、あなたとカヲルは溺れていた」


 尚も頭を垂れ、言う。


「ふたりを救えたのは作戦ではなく、偶然。あなたの絵と、私の呪力が惹かれ合わなければ、なし得なかった」

「惹かれ合う」

「その、相性が、良かったんだ」


 歯切れの悪い言い方をする。


「……では、運命だったのですね!」

「運命?」


 ミカドが顔を上げる。

 折姫は感情そのままに、笑っていた。


「はい。私が鬼を描いたことも。ミカド様と相性が良いことも!」


 自分で言ったあとで意味がわかり、恥ずかしくなった。顔を隠そうと扇子に手をのばす。

 ミカドはその手を優しく奪った。



「私は、……今から、ずるいことを言う」



 それからしっかりと、目を合わせた。

 酔っているようで、すっかり醒めているような。冷たいようで、今にも泣き出しそうな、そんな目をしていた。


「今から、私はあなたの御帳台へ上がる。……一刻、あなたが現れなかったら、ほかで眠るよ」


 一瞬、なにを言っているのか、わからなかった。

 茫然としていると、ミカドは折姫の指を離し、やおらに立ち上がった。

 ひどく焦り、背中へ声を浴びせる。


「わ、私は、女御です。桜の壺の」

「ああ、女御だ。紛れもなく、あなたは女御だよ」

「では、私は」

「あなたは、わかっているの? 私だけが、あなたの御帳台へ入ることを許されている。あなたに触れていいのは、この世でただひとり。……私だけだ」


 折姫は、頭のなかが真っ白になった。

 

 ──女御の務めは、主上の夜伽。


 ミカドの姿はすでに御簾の奥に消えていない。

 真っ白な頭のなかで真っ先に浮かんだのは、白百合の花だった。

 思わず、つぶやく。


「シオリちゃ、ん」


 折姫は、思い出していた。

 務め終わりに見た、ミカドと、白百合殿の中宮のやりとりを。

 まるで夫婦のようだった。

 違いないのだ。

 五年間も愛し合い、子を授かるふたりの間柄なのだから。

 眠い目をこすりながら、アスナとコトハを自分の足で送り届けるのは、我が子を愛するゆえ。


 心から主上を慕う、中宮との約束が甦る。


 ──今後桜の壺に下られてもお断り致します。


 では、帳台へ上がられてしまっては?

 言われたとおり、一刻待てばいいのか。それよりはっきりと几帳の前で、手をついて断ればよいのだろうか。

 誘われるように御簾を潜った。

 帳台の前まで足を運ぶあいだ、断ることなどできやしないと、わがままが頭のなかで暴れた。

 胸で反芻する。


 ──ミカドは、主上なのですか。


 否して欲しい。

 そして女御ではなく、袿を脱ぎ去った自分を見てほしい。

 身分や立場など関係なく、夜伽を望んでいるのだと。

 はっきりとした答えが欲しくて、ためらいもなくと御帳台の几帳をくぐった。



 ミカドは横たわらずに、布団の上で胡座をかいていた。祝詞を口ずさみ、時間を潰していた。まさかそんなにはやく、入ってくるとは思わなかったのだ。

 驚いた様子で、目を瞠る。

 墨を落としたような瞳が、震えた。


「どうして」


 折姫は深くうつむきながらも、膝を突き合わせた。その顔は酒をひっかけてきたように紅い。


「な、なにか、間違えましたか」

「いや。……ううん。逃げられないような言葉を吐き、あなたの帳台へ入ったのは、私だ」

「でも、外で寝ることもできました」

「縁は濡れそぼり、冷えているのに。そんな場所で、あなたをひとりにしたのも、私か」


 布団に流れる御髪をすくう。

 湯上がりに梅雨のしめりけを帯びた髪は、少し重い。


「……ひとつだけ、教えて」


 そう言って、ミカドは目を合わせながら、右手のひらを折姫の懐へ添えた。


「御守りが強引に破られ、あなたの位置が知れた。助けを求めているのだと思い、私は駆けつけた」


 芙蓉殿の御寝所でのことを言っている。


「だが、それだけでは説明がつかない。カヲルがいたからだ。私に知らせる方法ならば、カヲルがいくらでも持ち合わせている。わざわざ御守りを破った理由を教えてくれないか」


 折姫は、戸惑いながらも、はっきりと言った。


「カヲルに触れられることで、異形を誘発できると考えたからです。結果、引き金となりました」

「……そう」


 ミカドは懐に添えた手を強引に押し込むと、倒れる折姫の身体を抱き上げ、布団へ寝かせた。

 もう後戻りはできないのだと、両手の指を絡ませる。


「鯉はね、私の気に敏感なんだ。ふたりのもとへ向かうさなか、怒りを抑え込むのに必死だったよ」

「どうしてミカド様が、お怒りになられるのです」

「それはあなた、を──」


 唇が一文字に結ばれる。


「クソッ、忌々しい呪め」


 折姫は濡れた縁のように、目にうっすらと涙を浮かべた。怖かった。

 ミカドはなにに対して怒っているのだろう。

 御守りを破ったこと?

 違う。まだなにかひとり思い悩み、隠している。


 必ず訊くのだと、何度も唱えた言葉が、喉につっかえて出てこない。


 ミカドは、主上なのだ。

 これは務め。

 主上だから、務めとして自分を抱くのだ。

 中宮が御所を離れているから、その埋め合わせのように。


 もしかしたら鯉を滅したご褒美かもしれない。

 

 そう思うと、自ら几帳をもぐったことが、ひどく虚しくなった。


 一層のこと、愛だの恋だの、囁いてくれたら心まで委ねられるのに。


 それは決してないことだ。

 主上が愛を誓うのは白百合殿の中宮、ただひとりなのだから。


 落とされたのは甘い言葉ではなく、口づけだった。


 カヲルのような深い口づけではなかった。

 激しい言葉とは裏腹に、唇の触れ合う、形だけのキスだった。

 

 ふたりの絡み合う指先に、矢文が放たれるまでの、一寸のことだ。

 

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