十六折
早朝にカヲルと折り紙を折っていると、以下の噂が定着した。
折姫が深夜に芙蓉殿へ入り、カヲルとふたり、密かに語らいをしているというものだ。
季節が移ろい、梅雨がはじまるころには、折姫は芙蓉殿に移り住んでいることになっていた。噂はいいかげんなものだが、休みなく出仕していることは事実。日の半分を子どもたちと過ごしていた。
相変わらず女官たちとは距離を保っているか、乳母は違う。真面目に保育に取り組む折姫の姿勢に感化され、互いを刺激し合う仲になっていた。折姫が子どもそれぞれの特性を訊ねれば、ちゃんと答えにして返す。遊びに学びを交え時間割を組み、空を読んで翌日の予定を組んだ。
乳母のひとりが折姫に問う。
「今日は何をしましょうか。コトハ様たちはごっこ遊びが気に入っていますが、そろそろ男御子さまが飽きてくるころかと」
晴れた日は庭で紙風船を飛ばして遊んだが、梅雨入りとともに、部屋遊びが多くなる。体力のある男御子は走り回って折り紙をつぶしてしまう。
「体が使えないのなら、頭を使わせようと思いまして。今朝カヲルに設計してもらって、立体パズルを作ってみました」
ユニットで折られた折り紙のブロックを広げる。形の違うブロックをつなぎ合わせ、正方形になると花吹雪が舞う仕組みだ。色によって組み合わせ方が異なり、大きさによっても、花吹雪の中身を変えた。
「折姫さま、素晴らしいです!」
「カヲルがすごいんですよ。何とおりも組み合わせを作れるんです。私は言われた通り折るだけ」
「陰陽道は数でできている。とうっぜんのことだ」
カヲルが胸を張る。
「それで、いちばん大きいのが出来たひとには、中にご褒美が入ってるんですよ」
「もっと褒めて?」
花吹雪が舞い、笑い声に満ち溢れる芙蓉殿。
その日は灯りを点すほど、雨雲に覆われていた。
「今日の雨脚はより一層強いな。この調子で一日降れば水溜まりは池になるぞ」
カヲルの言葉に、子どもたちは水遊びができると喜ぶ。
「土に埋められた女御達の怨念が水を透し、湧き上がってくるやもしれんぞ〜」
「怖がらせないの!」
現に、水溜まりは連日の雨で池のように深みを増している。おどろおどろしい庭を眺めていると、折姫は濡れそぼる縁で見慣れたネコをみつけた。黒ネコだ。気のせいか、クロより少し大きく見える。そろり、と見せつけるように回廊を渡っていった。
「やっぱり、今日みたい」
「そうか」
広間にはビワが置かれている。サボりがちなシオンも八つ刻には必ず戻るのだが、今日に限って居ない。
乳母に子どもたちを任せると、ふたりはネコを追いかけるため、腰を上げた。今日のカヲルの腰には笛ではなく、太刀が納められている。
「内は入り組んでいるぞ。離れるなよ」
「はい」
ネコは回廊を曲がると、ふたりを待っていた。また走り出し、角で待つ。それを繰り返しているとついに陽が届かなくなり、ネコも闇に溶け消えた。子どもたちの笑い声も静寂に包まれ聞こえない。
「この先にあるのは、主上の御寝所だ」
「入ってもいいの?」
「なに、もう何十年と使われていない。覗くだけならいいだろう」
主上の御寝所は帳台とは異なり、重厚な壁四辺に隔てられている。入り口は引き戸になっており、開けても几帳で中は見えない。口では覗くだけだといってズカズカと上がっていくカヲルを追い、恐る恐る几帳を上げた時だった。
「きゃあ……!?」
ドン、と背中を押され、敷居を跨ぐどころか畳場へ転がり込む。間を置かずガタリ、戸が閉まる音がした。
折姫の小さな悲鳴に前にいたカヲルがすぐに戸へ手を掛けたが、外から施錠され開かない。
「はい、閉じ込められた」
「計画どおりね」
背中を押したのは恐らく、ミカドだ。
折姫とカヲルは顔を突き合わせると、悲しげに笑った。ミカドには異形を捕らえるための密かな企みがあることを、折姫はカヲルにあらかじめ打ち明けていた。
ミカドは左大臣、右大臣に釘を刺されてから、芙蓉殿へも桜の壺へも姿を見せなくなった。任されたものとしての、けじめなのか。梅雨明けまでに異形を封じるため、慎重に動いているのか。
「しかし、野暮だよな。俺には話してくれたっていいのに」
「カヲルは口が軽そうだから、しょうがないよ」
「軽そうだと? それは違うぞ。しっかり軽いんだ」
「本人がそういうなら、尚更では」
折姫は、なかを見渡した。
主上の御寝所は十畳ほどの一間に簡素な畳が敷かれているだけだ。几帳や敷妙は華やかな刺繍が施されており、綺麗に掃除はされているようだがシワひとつない。例えるなら、博物館に展示されているような見世物空間だった。
天井の隙間から微かに光が下りているが、雨雲が厚い今日は一刻もすれば光源が無くなる。カヲルが部屋を探し回ったが、あるのは灯籠ひとつと、皿にくべる火種が三つ。
実に心許ない。
「さて、どう暇をつぶす」
折姫は袿に隠していた大判の紙と筆を出した。
「明るい間に、明日の用事を済ませてしまいましょう」
「お前、肝が座っていると言うか、せっかちなのか」
「カヲルは桃太郎というお話を知っていますか」
「知っているが」
よかった、とサラサラ筆を流していくが、その絵を前にカヲルの顔は青冷めていく。
「なんだ、その面妖な獣は」
「犬です」
「じゃあ、この餓鬼は」
「猿です」
「この蝙蝠は」
「キジです」
貸せ、と折姫の手から筆を奪うと、カヲルはスラスラと美しい曲線を描いていった。カヲルの描く犬やら猿は美術書に載る水墨画のようだ。
「凄い! カヲルは絵も描けるのね」
「お前の画力もある意味凄いぞ。折姫は鬼を描け」
「はい」
いつもの朝のようにふたりで物作りに励む。だが今日は密室だ。
徐々に闇が蝕む寝所でカヲルは筆を走らせつつ、向かい合う折姫の白浮かぶ肌がとても美しいと、見惚れた。
「……お前は、怖くないのか」
灯火が消えれば瞬きもわからぬ深闇。男とふたり、閉じ込められているというのに。
「きっと、助けにきてくださるから」
子どもが泣き出す猛然とした鬼を描きながら、一途な言葉を溢した。
こちらは通う度に、同じ時を過ごす度に想いを募らせているというのに。
柔らかに垂れる黒髪。
凛とした眩い猫目に、妙に色香のある小さな唇。若々しい愛らしさがあるかと思えば、時に艶麗な面立ちをみせる。
今までカヲルが相手にしてきた女は、思慮深いが気高くもあり、半日も共に過ごせば肩が凝った。
折姫は違う。
折姫の隣にいると、知らない己れを引き出されるかのように、自然と笑える。女の胸で眠るよりずっと、身も心も癒える。
いつまでも傍にいたいと思う。
「さて、そろそろ陽暮れだな。鯉が目を覚ます刻だ」
「このまま、ここに居れば来る?」
「急かしたいなら、ミカドの厄除けを折姫の手で破れ」
「それで、折った相手にも伝わる?」
「ああ。あいつ死ぬほど慌てるぞ」
「よかった」
折姫はミカドにもらった御守りを胸から引き抜くと、ためらいもなく破り捨てた。これでふたりを隔てるものは、なくなった。
「好きだ」
カヲルは算段なしに、口を滑らせていた。
「お前は、どうしたら俺を好いてくれる」
「どうしたら? 私も、カヲルが好きよ」
カヲルは知っている。
折姫の「好き」は親しい友に対する敬意だ。
その無垢な瞳に映る己れはどんなに卑しい顔をしているのだろうかと、折姫の瞳を見据える。
一寸でいい。知らぬふりをさせてくれと、カヲルは容赦なく深く、折姫の唇を奪った。




